0―3.王女の遺体
翌朝、屋敷にはどこか落ち着かない雰囲気がただよっていて、エマは不思議に思っていた。
オリヴァーに訊こうと思ったのだが、何やら忙しいようで姿を見せていない。
仕方なく侍女に訊いてみたが、期待した答えは返ってこない。それも当然だ。オリヴァーとは違って情報収集は彼女の役目ではないのだから。
(誰か知っている人は居ないかしら)
などと考えながら屋敷の長い廊下を歩いていると、兄が歩いてくるのが見えた。
(ちょうどいいわ。お兄様ならきっと何があったのか知っているでしょうし)
「お兄様、おはよう。朝から騒がしいけれど何かあったの?」
「ああ、おはよう。エマはまだ聞いてないのか?……そうか。実は十八年前、アルダリスで起こった事件で新たな事実が発覚したらしいんだ」
意外な言葉にエマは驚いた。
アルダリス王国は、エマたちの暮らすヴェリアスタン皇国の東の方角に位置する国である。隣接はしていないが、国交が開かれておりアルダリスの輸入品はよく目にする。
「十八年前の事件?」
「ああ、エマはまだ生まれていなかったから知らなくても当然だな」
記憶を手繰るも、思い当たる節がない。そんな表情を読み取ったのか、ジルは頷くと簡単に説明した。
「十八年前、アルダリスの王女が火事で亡くなられた。そして先日、遺体が王女のものではないことがわかったんだ」
火事で亡くなった王女。
どうも既視感のある言葉だ。
(でも……遺体が王女じゃなかった?)
「それはどういうことなの?」
「未遂で済んだらしいが、盗掘が起こったそうでな。念の為棺を開けて確認したところ、王女の遺体には無いはずの骨折の跡が見られたらしい」
「でも、埋葬する時に気づかなかったの?」
「その時は、国王陛下も王妃も大変だったみたいだからな」
(……やっぱり、昨夜聞いた話に似ているわ)
「その事件ってもしかして、塔の上で暮らしていたという王女のこと?」
エマは思い切って尋ねてみた。
「塔の上?いや、聞いたことがないな。原因は火の不始末で離宮で起こったと聞いているが……何か気になることがあるのか?」
しかし、心底不思議そうにしている表情の兄に、エマは咄嗟に何でもないと誤魔化した。
その後、宮殿へ仕事に向かう兄を見送ったエマは、廊下を歩きながら一人考えを巡らせた。
―――これから話しますのは、遠く東にある国の、昔話でございます。
先ほど聞いた十八年前の事件と、あまりにも似通った話だ。ただの偶然とは思えない。
兄は塔で起こったということを知らなかったが、王国側が隠していることだってあるだろう。
(まあ、そうなると何故オリヴァーが知っていたのかという話になるのだけど……)
もし、昨夜聞いた塔の火事で亡くなった王女と、アルダリスの事故で亡くなった王女が同一人物だったとしたら……?
しかし仮に同一の事件であったとして、火事で王女が死んでいない状況などあり得たのだろうか。
エマは一つ一つ順を追って仮説を立てた。
王女は、食事を運びに来た侍女を何らかの方法で気絶させ、衣服を交換し侍女に成り代わる。そして精油を撒いてから火をつける。燃え広がる中塔を下りて、見張りの騎士に火事が起きた、王女が倒れているから助け出してくれと告げる。騒ぎになっている間に王女は城に忍び込み、侍女を装った手紙を置いて姿を消した。
(これなら、王女が生存していることも、遺体が王女ではなかったことも説明がつくわ……妄想が過ぎるかもだけれど)
と、そこまで考えたところで昨日の違和感の正体がわかり、エマは小さく声を上げた。
「あっ」
昨夜の話と十八年前の事件が同一だとして、仮に遺体が王女だったとしよう。
王女は、精油を撒いて火をつけた。
そうすれば、あっという間に火が燃え広がり、侍女が来た時には既に手遅れだろう。
だが、オリヴァーの話によると王女は倒れていたものの、火はそれほどまで広がっていなかった。王女は倒れる前に精油を撒いたはずだ。それなのに、王女が倒れているのが確認されてから火が燃え広がった。これでは、時系列がおかしい。
やはり、侍女が気絶している間に王女が精油を撒き、燃え広がるのを確認してから王女は侍女として塔の外に出たと考えるのが一番自然である。
勿論、侍女が精油を撒き王女を殺害した可能性だってある。
が、遺体が王女でなかったという以上、前者の確率が高いだろう。
「……考え過ぎかしら」
だが、そう考えると、自殺の方法にわざわざ不確実な火事を選んだのも、遺体が別人であることを隠すためだと理解できる。
(でも、入れ替わったらさすがに顔が違うと気づくはず……)
―――火事が起きた日は、雨の夜ではなかったか?
雨ともなれば、松明は使えないだろう。その状況では、侍女の姿をしていたのが王女であっても見張りの騎士は気が付かないかもしれない。増して、塔で火事が起こったともなれば、そのような些細なことすぐ忘れ去られるだろう。
エマが今思いついた仮説が、もし事実であれば――
「なんて強かな女なのかしら」
驚嘆を隠せずに呟いたその声は、どこか楽しげであった。
『序章 午前弐時、お嬢様はまだ眠らない』 終
序章はこれにて終了です。
1章からは話の内容も濃く長くなる予定ですので、よろしくお願いします。