0―2.塔の火事
あるところに、一人の美しき王女がおりました。
国王陛下と王妃様は、娘の幸せを考え大国の王子との婚姻を結びました。
この婚姻を知った王女は、己の不運を嘆きました。
王女は、平民出身の護衛騎士を愛してしまっていたのです。
大国の王子と、平民出身の騎士。
考えるまでもなく、王子のもとに嫁ぐことが王女の幸せだと国王陛下と王妃様は思いました。
そこで、王女と護衛騎士を引き離し、見張りをつけ、高い塔に閉じ込めることにしたのです。
王女はおとなしく一人、塔の上で暮らしました。
会えるのは、食事や着替えを運びに来る侍女だけ。明るい性格だった王女は日に日に口数が減り、窶れていきました。
そしていよいよ結婚式まであと僅かとなったある雨の夜、王女の暮らす塔で火災が起こりました。
火はあっという間に燃え広がり、王女は帰らぬ人となってしまいました。
塔の残骸からは、焼け焦げた王女と思われる遺体が見つかりました。
外からの放火ではないことは明らかだったので、婚姻により追い詰められた王女が死を選んだのだと、誰もがそう考えました。
国王陛下と王妃様は娘の死により心を壊し、遺体に縋り付いて譫言のように謝罪を繰り返しました。
その後、見張りについていた騎士は皆、自ら辞職を選びました。そして、侍女は、王女を救うことができなかったことを悔やみ、手紙を残して失踪してしまいました。
オリヴァーが話を語り終える頃、雨は先ほどより弱まっていた。
「……以上でございます」
エマはソファの上で優雅に足を組みながら口を開いた。
「気になることがあるのだけれど」
雨音で満たされた部屋に、エマの玲瓏たる声が響いた。
執事は小さく頷き続きを促す。
「火事に気づいた時には手遅れになるほど燃え広がっていたの?」
それは、最初にエマが抱いた純粋な疑問だった。
火が広がったのがあっという間だったとしても、その前に見張りの騎士や侍女が気付くことは出来なかったのだろうか。そして、助け出すことは出来なかったのだろうか。
「実は、王女は倒れていたそうなのです」
「……倒れていた?」
予想外の言葉にエマは眉を顰めた。
「はい。火事に最初に気付いたのは、食事を運んでいた侍女でした。王女を塔から連れ出そうとしたそうですが、その時既に倒れられていたようです。侍女の手だけでは助け出せないということで、見張りの騎士に助けを求めたそうです。ですが、部屋に踏み込めないほど既に火が広がっていたようで……」
「侍女が見に行った時にはそこまで広がっていなかったのでしょう?そんなに火が一瞬で広がるものかしら」
オリヴァーの言葉に引っかかりを覚え、エマは話の途中で口を挟んだ。
「これは推測ではありますが……自殺を図ったということですから、精油を用いたのではないでしょうか。手に入りやすく、且つ引火しやすいですから。それと、塔は石造りではありましたが、床や壁には木材が使用されていたようで、すぐに燃え広がったようです」
オリヴァーの言葉に、エマは何だか違和感を覚えたような気がした。
(何か違和感が……でも、何かしら)
「――精油に引火というのは、お嬢様も覚えがあるのではないでしょうか」
だが、違和感の正体に思い当たる前にエマは口の端を引き攣らせた。
精油に引火。
エマも昔やらかしたことがあった。
当時愛用していた乳香をドレスに零してしまい、それでもいい香りがするからと放置していたのだが、キャンドルの火がドレスに燃え移ってしまったのだ。幸い直ぐにオリヴァーか消火したため良かったものの、その時エマは十二歳。随分と肝を冷やしたものだ。
「……お前、余計なことは言わないでいいわ。嫌なことを思い出してしまったじゃない」
エマは記憶を振り払うように頭を振った。
「それは失礼いたしました。……それから、塔での火事ということも問題だったのかと。高所の消火は難しいですから」
「……そう」
まだ記憶を引きづっているのか、エマはどこかつまらなそうだった。
が、一転。
「そういえば、想い人の護衛騎士はどうなったの?……もしかして、結婚してたりするの?」
ばっと顔を上げると、恋愛模様を知りたくて堪らない年頃の乙女のようにエマは尋ねた。
正直、この時のエマは冗談半分に言ったわけであり、
(きっと結婚せず独身を貫いているのでしょう。やっぱり一途なのが良いわよね)
などと思っていた。……思っていたのだが。
「ええ」
あまりにあっさりと頷くので、何故そんなことまで知っているのかという疑問より、怒りがこみ上げた。
「何よそれ!許せないわ!王女は死んだっていうのに、騎士は他の女を選んだわけ!?はあ……そんな奴のために死ぬなんて王女も愚かだわ」
一人で怒り散らしてしまい、何となく気恥ずかしくなったエマはオリヴァーに同意を求めた。
「……ねえ、そうは思わない?」
「ええ、まあ……そうですね」
「むう、わかってくれないのね。つまらないわ」
妙に歯切れが悪いことが気になったが、怒りが幾らか収まった分疑問が顔を出し、エマは小さく首を傾げた。
「にしても、どうしてそんなに詳しいの?」
「さあ」
「さあって、お前……少しくらい話してくれたって良いんじゃない?」
じろりと見るが、オリヴァーは気にした様子もなく首を竦める。エマは顔立ちが整っているので、怒ったような顔をすると威圧感があり恐れられることが多い。けれど、オリヴァーはいつだって涼しい顔をしている。
エマは小さくため息をつく。
「どうかされましたか?」
「いいえ?ただ、憎たらしいと思ったのよ」
相変わらず、掴み所がない。
エマが望めばどんな話でも詳細に語ってくれるのに、自身のこととなればのらりくらりと躱される。
(まあそれも、今に始まったことではないわね)
再びため息をつくと、エマは話を戻した。
「確かに、後味が悪い話ね」
「ええ。不憫なことでございます」
どこか遠い目をして悲しげに言う彼は、王女のことを思い浮かべていたのか――
「お嬢様、眠れそうですか?」
「ええ、もう寝るわ」
気付けば、雲間から見える月は傾いて見える。
これでもエマは、由緒正しき学園に通う学生である。いい加減寝なければ、明日に障るだろう。
エマは素直にベッドに潜り込んだ。
「それではお嬢様、良い夢を」
違和感は次話で明かされます。