名前の知らない草花
寝れなかったので書きました。
場所の知らない道や橋には名前がついているみたいだ。
私は小さい頃から、目立つことがすきで、たまには話を大きくして多少の嘘をついて罪悪感を背負いながらその真ん中で注目を集めることに必死になっていた。その空間が満たされているように感じたて、あたたかさすらFメジャーコードのようで素敵だった。成長を感じることや勉学よりもただ、"私を見てほしい"その気持ちが強かった。小さい頃から見て中くらいになった私にはそんな小さな私を思い出しても身の毛がよだつ怖いことになってきているみたいで、Fメジャーコードの音は気づいたら聴こえなくなっていた。仲の良かったA子もB君もその空間を形成していたあの子もその子も私もただその一瞬のために存在していた空虚にすぎなかったようで、Aメジャーコードのような虚しさで帰り道の知らない橋の隅っこに弱々しく咲いているよりも植えられている、置かれている何かのような、名前の知らない草花をしゃがんで見て、想いを馳せてるクサくてイタい私にも私にしかわからない名前をつけてあげたかった。
"私を見てほしい"よりも"私を私が理解してあげたい"そんな優しさのようなわがままのような心が5秒間だけ雨を降らせた。
私も草花も雨に打たれて流されて止んだときには丸裸にされた気分でどうでもよくなった。
あと時から私は実は隅っこで泣いているだけの草花でしかないのはどこで気づくべきだったのか、中心にできていたはずの空間作成装置の嘘もいつかは消えて、私の身体にだけタトゥーみたいに刻まれているようだった。
私はきっと、この世界からすれば名前の知らない草花であった。
根っこの弱さにナイフを突き立てて脅している毎日のよう。
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