奈美と和人
「触らないで!」
シャッターの閉じかけた暗い店内で、少女が手に持った金属棒をふりあげて眼下にいる人間の頭を思いきり殴りつける。瞬間、足をつかんでいた男から鮮血が散って少女の細い足を汚した。
「どうせ死んじゃうのに諦めが悪すぎる」
短い丈のセーラー服と茶色の髪を整えて、吐き捨てるようにいうと、少女は金属棒をレジに立てかけて食料品と日用品がならぶ店内を物色しはじめた。
店は小さいわりに古びた商品はひとつもない。それは殺した男が経営者としては良い人物だったことを表していた。
( でも、死んじゃったら意味ないしね。 )
自分を正当化して、ペットボトルと食料品の製造日付を確かめると、ビニル袋にまとめて外に出る。ふりかえると、先ほど殺した男の指先から白い卵が転がり落ちていた。
十五歳の誕生日から何日が経ったのだろう。誕生日をはじめて恋人に祝われたあの日、人類は新種の生物によって破滅に追いやられた。ニュースによると、水を媒介として人に入りこんだ生物は血と一緒に体内に流れて、エネルギーを吸い取り卵を産みつけるという。その結果、きちんと生活をしている人間は死に、ペットボトルと冷蔵食品だけで生活をしていた不摂生な人間だけが生き残っていた。
( ……そう、あの日からもう三日も経ったんだ )
苦く思いながら、少女は自分の食生活を思い出す。
朝はコーンフレークを食べ、昼はバランス栄養食、夜は試験が近いこともあってファーストフード店で連日友達とおしゃべりをしながら勉強をしていた日々。そして三日前の誕生日も自分は、家族の誘いを断って遠距離恋愛中の彼の家に遊びに来た。…勿論、一人暮しの彼が料理などするはずがなく、あの日も冷凍食品と宅配ピザで祝ったのだ。
だから今、自分が生きている。その事実が辛い。
胸に迫る痛みに堪えると、少女はビニル袋を胸に抱えて、うす暗い路地を抜ける。
民家の一階に位置している車庫に二十歳前後の青年がいた。黒の短髪にジーンズとシャツを二枚重ねて着ている姿は学生のようにも見える。
「和人―! ご飯持ってきたよー」
「おぅ、こっちもバイク用意できた!」
シャッターを全開にして、少女を招きいれると、和人と呼ばれる青年は嬉しそうに袋を受けとって、中身を物色しはじめた。
「やった。このクラッカー好きなんだー」
「でしょ? ちゃんと確認したから大丈夫だよ食べよう」
「……あ、こら奈美、手ぇ拭けよ」
二人で車庫の塀に腰かけてクラッカーの封を開けると和人は、何もせずに食べようとする彼女の手を静止させて、背後からウェットティッシュを取り出す。袋に入れようとした奈美の手のひらには、先ほど殺した男の血が残っていた。
「あーそうだ。またひとり殺しちゃったんだよね。なんか、やっぱり気分悪いな……」
笑って手を拭く奈美に罪悪感はない。
初めて人を殺した二日前に、生きるためには仕方がないと心に言い聞かせて何人か殺していくうちに罪悪感は消え失せてしまった。
何をするにも物は必要で、買うにしても金も無く、発症した人々は気がおかしくなって会話が成立しなくなっている……そのうえ凶暴性も高く、何もしなくても死んでいくのだ。こんな状況では、当然の倫理も貫くのは難しい。
「みんな気が狂ってるから仕方ねぇよ……んなことより、これ見てみ」
同じく罪悪感のない彼氏は、口をとがらせてクラッカーを食べる彼女を宥めて、胸元から小さなペットボトルを取り出した。透明の筒の中には黒い液体に肌色の物体が押し込められている。
「なに、これ……」
「煙草の吸殻を溶かした液体って、どんな動物でも死ぬらしいんだよ。だから、アイツらをこの中に入れてみました」
訝しげな目でペットボトルを見る彼女に、嬉々として少年は答えを教える。途端、少女の顔が歪んで、身体がうしろに下がった。
「やだぁ! 悪シュミッ」
「なにをー! だってな、こいつらウジみたいな形なのに際限なく大きくなりやがってムカツクんだよ! 今日なんて十五センチくらいのヤツがいたしさー」
「うわー大きいねーやだー」
「しかも、そいつ仲間を食いやがんの! 気味悪いよ…顔もあったしさ」
「顔? あったけ?」
「あるヤツもいんのよ、これが」
「うーわー見たくなぃっ」
二人で気持ち悪い話に花を咲かせて、ペットボトルのジュースを飲みつつ、虫と呼ばれる新種の生物について話し合いながら食事を進める。これが彼らのいつもの食事風景だ。
昨日まで二人には、もう一人仲間がいた。だが、製造日付を間違えて食べたせいで虫に身体を乗っ取られてしまった。
今を生きるために必要な知識はただひとつ「一週間以内に作られた物を口にしないこと」だ。それさえ守れば、とりあえず生きていけるし、間違えれば二日以内に死ぬ。簡単なルールだった。
「海まで行けるかなぁ」
「バッチリでしょ」
食事を終えた二人は、修理の終えたバイクに座ってから地図をみた。目的地まで、休みながら走っても、丸一日あれば到着する。死んだ仲間は二日前の昼、タダで乗れる外国行きの船が四日後の夜に出るから、一緒に行こう、と二人を誘った。あれから二日が経ったので残りは二日半。余裕の範囲内だろう。
「ねぇねぇ、じゃあさ、実家に寄ってもいい? 近いし通り道だし……いいでしょ?」
「んー……分かった、寄るか」
「和人、ありがとう」
地図を見ながら彼が笑うと、奈美も寂しげに微笑む。考えてみれば両親を亡くしている和人と違い、奈美の親は健在だ。死んでいるだろうと考えても確かめるまでは希望を捨てきれないのだろう。配慮が足りなかったな、と和人は今更ながら胸中で呟いた。
彼女の実家には今から走れば夕方につく。明日そこから出たとしても間に合うだろう。彼は心に決めて、バイクのエンジンを入れた。
ひとエピソード2000文字くらいがいいのかな? と思いはじめました。