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滅びゆく人類に花冠を  作者: 花摘猫
第一章・すずなり
4/14

今際の際に想うこと

二時間後。

湯が冷めきるころに風呂を出ると、よそいきの服に袖を通し、ボタンを留めた。

特別な時にしか着ない、赤いビロードのワンピース……こんなところを継母に見

られたら、凄い剣幕で怒られるだろう。


( 最後なのだから別にかまわないわ。)


ドライヤーを使ってセットした髪の毛をゆらして、加奈子は廊下に歩み出た。

暗く、長い廊下は洗面所の明かりだけでは先が見えない。全てが闇に飲まれていくような感覚に、足を止めた。


「加奈子お姉ちゃん」


突然、甲高い声が廊下に響き、足に何かがしがみつく。驚いて下を見ると、すず

らんが怯えた顔をして抱きついていた。


「すずらん、どうしたの……」

「お姉ちゃん……こわいよぅ。すずらんの髪に丸いの……」


 幼いすずらんを置いて継母はどこへ行ったのだろう……泣き腫らした目をしたすずらんの髪の毛にも、あの卵が発生していた。


……こんな幼い子にも……。


予想はしていたが、腹立たしかった。今の状態で泣きじゃくっている妹に、自分のような狂気の苦痛は耐えられないだろう。


「すずらん、台所に行きましょう?」


目線を合わせて微笑むと、足につかまっていた少女は、泣いていた目を両手でこすってうなずく。嫌いな母の子供でも、すずらんは素直ないい子だ。

二人は手を繋いで台所へと向かった。


台所に行く途中、獣のような声が絶え間なく聞こえていた。

低い、意味のなさないその声は女性の声のようにも聞こえた。


「……なんの動物かしらね、この鳴き声」


落ちこむすずらんを笑わせようと語りかける。

裏山から聞こえてくるのか、屋敷中に獣の声が響きわたっていた。


「動物じゃないよ。お母さんだもん」

「お母様?」

「お母さんの髪にもね、すずらんとおんなじのがあって……そしたら変になっちゃった……」


下を向いて話す少女の言葉に声を失う。


……あの、プライドの高いお母様が、近所に聞こえるような大声で叫ぶなんて。


だが、使用人もここにはいないし、すずらんが嘘をつくとも思えない。事実なのだろう。仮にも身内が狂ったというのに、不思議と自分の心にはなんの寂しさもなかった。


「そう……悲しかったでしょう。でも、お姉ちゃんがここにいるから、もう大丈夫よ。ほら、もう台所についてしまったでしょう」

「ほんとうだー! すずらん、暗いの怖いから、さっきまで歩けなかったんだよぉー」


台所の明かりをつけて努めて明るくいった自分に、妹はすぐに笑顔で返して台所を飛びはねた。自然に顔が綻ぶのがわかる。これまでも、今も、すずらんという妹がじぶんの近くにいて本当に良かったと思う。

だからこそ、これから訪れる苦しみを、避けさせてあげたかった。


「さぁ、すずらん。これを飲んで」


嫌がる妹の前に、甘いゼリーを置いて、砕いた錠剤を混ぜこむ。

「えー、イヤだよ。すずらんお薬キライ!」

「大丈夫よ、この中に入れて飲んでしまえば苦くはないわ。髪の毛についている丸いのを取るお薬なのだから、我慢して」


姉の言葉に、すずらんは自分の好きなゼリーと嫌いな薬を見つめてしばらく考えていたが、少し食べて味を確かめたあと、大きくうなずいて、すぐに全部食べ終えた。


「これで大丈夫?」

「大丈夫よ。今くっついているのは、お姉ちゃんが取ってあげるわ」


やはり不味かったのか、顔をしかめたまま自慢げに目を閉じるすずらんに笑うと、小さな頭に付いている球体をすべて取った。


「さぁ、これでいつもの可愛いすずらんよ」

自分の髪も確かめたあと、すべてを水で洗い落としながら言うと、幼女はこちらをみてエヘへ、と笑った。


「すずらん、今日のお姉ちゃんは大サービスよ。すずらんと一緒に寝て、好きな本も読んであげるわ。どちらも大きいからとお母様に禁止されていたでしょう?」


加奈子の言葉に、一人で部屋に帰されることを恐れていた妹の顔が喜びに輝く。

すずらんはまだ七歳だ。まだ甘えたいと思うのは悪いことではない。


「ありがとう! でも……でも、大丈夫かなぁ」

「大丈夫よ、今日のお母様なら気付かないでしょう……ほら」


前にきつく叱られたことを思いだしたのか、不安に怯えている妹の手を引いて廊下に出た。暗い廊下には、先程の叫び声は聞こえないかわりに、ブツブツと呟く声だけが響いている。


すずらんは自分の親と知っていても気味が悪いのか、小さく身震いして加奈子の手を強くにぎると自分の部屋を指し示した。


「……お部屋に行きましょうね」


確認すると、小さくうなずく。

加奈子が妹に食べさせたものは睡眠薬だ。昔、飲み残してしまっておいたのを思いだし、子供なら身体に巣食っている生物のまわりも早いだろうと考えて飲ませたのだ。不必要な苦痛をすずらんに味あわせるくらいなら、なにも知らずに死ぬまで寝ていた方が良いのではないか、と……。


途中、尿意に起きて母に会うことがないように、手洗いに寄ってから妹の部屋に入った。


「お姉ちゃん、ここだよ! 一緒に寝てね」


ぬいぐるみが大半を占める部屋の中心に布団がひかれている。

すずらんがかけ布団をめくり、嬉々として寝転がって手まねきする。笑って布団に入ると、一冊の

本を手渡された。


「くまのタムとりんご?」

「すずらんね、これが一番すきなの」


枕に本をのせると、妹が嬉しそうに表紙を開く。中身は絵本が成長したような低学年用の児童書だった。

大好きなりんごを神様にもらった熊のタムは、好物のりんごを誰にも分けたくなかったので一人占めしようと思った……だが、あとで本当は友達全員がりんごを貰っていたことを知り、自分の心の狭さにタムは反省する。そのあと、りんごが星の遊園地に行くための切符と知ったタムたちは、大好きなりんごと引きかえに楽しい遊園地で遊ぶことができた。……本は、そんな夢物語だった、


しばらくして、ふと意識がとぎれたことに気付いて時計を見ると、時刻は五時をまわっていた。どうやら眠っていたらしい。隣をみると穏やかな寝息をたてて、すずらんが眠っていた。


「いい子ね……寝ているのよ」


クレパスで書いた手紙に予備で持ってきた睡眠薬をのせて、枕元に置く。目につきやすいようにまわりに人形やぬいぐるみを飾ったのでおそらく気付くだろう。手紙には、起きて薬が効いていないようなら、この薬を飲みなさい、と書いた。

これなら妹は混乱することなく薬を口にする。


「ゼリーを忘れてしまったわ」


もうろうとした意識の中で思い出して、台所まで走る。

視界が霞んでうまく走れない。もう、時間が残されていないのだろう。

急いでゼリーを持ち帰ると妹の枕元に置いた。


「……これで、大丈夫」


息をついて、穏やかな寝顔を撫でてやる。気付かないはずのずずらんの表情が、少し笑った気がした。


「さようなら」


戸口で囁いてから襖を閉める。廊下に出ると夜が白々と明けていた。


……離れに、帰りたい。


朝日に目を細めると、無性に離れに帰りたくなった。

足がもたつくので、壁に手をついたまま歩き出す。

視界は、すべてが二重に見え白い膜がかかっているようだ。

それでも、なぜか今まですごした場所に帰りたかった。

 

……お母様……だわ。


帰る途中、散乱した居間で少女が見たものは、部屋のすみで息たえる継母の姿だった。

頭をかきむしって引きぬいたのか、血に汚れた髪のほとんどが少し離れた畳に散らばっている。血みどろの頭皮のまま息絶えた彼女のまわりには、手首を切った時に飛び散ったのだろう、おびただしい量の血液が天井と周囲を汚していた。


……これだけ貴方が苦しんだなら、もう私に悔いはないわ。


あお向けで口を開けながら、だらしなく死んでいる母の姿を見て、少女は鮮やかに笑う。その瞬間、加奈子は初めて自分が継母を憎んでいたのだと気付いた。

居間と離れはそれほど離れていない。壁をつたって離れに到着すると、ゆっくりと障子を開けた。


 日の射しこむ和室の片隅に、たくさんの孵化した生物がいた。視線を下げると殻

から出ずにうごめいている卵もある。


「愚かね、貴方は失敗作よ」


足元にある卵をつついて、少女は笑った。孵化できない卵は爪の組織を殻につくられているらしい。出ることは不可能だ。


外に出られない卵たちを指で弾いて、汚れた壷から、黄色い万華鏡を取り出して外に出る。


……すべての人間に平等に死があたえられるのなら、私たちも行けるのかしら、星の遊園地に……。


死の瞬間、夢物語のようなこと考えて少女は空を見上げた。雲ひとつない青空が加奈子の瞳に美しく映る。


瞬間、大きな眼が卵となって両目からこぼれおちて、意識の失った身体が光溢れる庭に倒れ落ちた。

手から転がった万華鏡が一周まわって主の元に帰る。






生気のない加奈子の顔は継母から開放された喜びからか、ほんの少しだけ微笑んでいた。






第一章・完

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