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滅びゆく人類に花冠を  作者: 花摘猫
第三章・花冠
13/14

手を差し出す者

朝、必ず鳴く鳥がいた。


腐臭が強くなっても、湿気を含んだ空気にでも、どこかで鳴いて起こしてくれていたのに、もう鳴き声は聞こえなかった。


「……昼……」

自然に目覚めて、寝転んだまま丸くなる。

空腹はピークを過ぎて今はなにも感じない。そのかわり、思考能力が低下していることと、酷く身体がだるくなっていることが寝ていても分かった。


(死ぬかもしれない。)


おそらく、このまま動かなければ、自然に起きられなくなるだろうという予感があった。恐ろしいとか不安だという感情は、ずっと昔に捨ててしまった。今ある感情は、生への執着、それだけだ。


(……自分が人間だと実感できるからかもしれない。)


流し台まで歩き、残った水を少しだけ飲む。

ラジオで聞くかぎり、自分の生活と他者の生活とでは大きな差があった。

ラジオから聞こえてくる人々の生活は、恋を楽しんで、結婚をして子供を産み、平日は学校や会社での出来事に悩み、休日は趣味や遊びに興じる。自分とは違う世界の話を聞かされているようだった。子を産むことさえ、自分は恋も結婚も省略している。自分が動物のようではないかと、思ったことは一度や二度ではない。


「外に……出よう」


自分に言い聞かせるように呟くと、食料品の入っていたビニル袋にペットボトルと枯れた花冠を入れて、玄関のドアを開けた。


(……酷い匂い。)


開けた途端、嗅覚を麻痺させるほどの臭気が少女を襲った。


(……どのくらい人が死ねば、これほどの匂いになるのだろうか。)


考えながら、ドアのすぐ近くに設置されているトイレにかけこむ。どこかに行く前に用を足しておこうとも考えていたが、それ以上に吐き気を抑えることができなかった。

 それでも何度か吐いているうち、なんとか匂いに慣れることができた。慣れたというより鼻がおかしくなったのだろうと思う。汲み取り式のトイレに入った時の感覚と似ているのかもしれない。一人だけなら匂いに慣れることもないが、大量の死体から出ていると考えられる匂いは、人の嗅覚を麻痺させるには十分だった。


(……ここは二階だから、まずは一階に下りないと。何回も下りたことがあるし、大丈夫。)


細い鉄の手すりにつかまりながら、一歩一歩確実に下りていく。

段が変わるたびに靴が鉄の階段を鳴らして、きちんと踏みしめている感覚があった。


 ……金木犀。

足が地面についた時、安心したのか鼻に金木犀の匂いが香った。満開なのだろう。腐臭より甘い香りは強く、少女を誘導してくれた。


「っつ!」


上半身になにかがぶつかって立ち止まる。

手さぐりと嗅覚で、それが金木犀の木だと気付いた。


(……すごい、こんなに大きいなんて……)


細かく枝分かれして増えた枝を覆うたくさんの葉。

大きさを測ろうと抱きしめるように手を広げてもそれは半分も届かず、少女を改めて驚かすに十分だった。


周囲を探って、自分の立っている場所がアパートの入り口だということを気がついて、近くに死体がないことを確認してから、腰をおろす。腐臭を隠すほどの香りにしばらく酔っていたかったし、栄養をとらず、外出もしない足は早くも疲れはじめていた。

 

(……この近くにずずらんと行った広場があるはずだけど……)


春の記憶は曖昧すぎて、道順をすべて思い出すことはできない。それに今は花の季節ではない。思い出に溺れても自滅するだけだ。


(……これから、どこに行こうか。)


生きようと思ってここまで出てきたが、具体的な計画は立ててこなかった。よく考えればお金も持っていないし、この周辺の情報さえない。安易に考えすぎていた。

足を丸めて、膝におでこをつける。早くも諦めだけが頭にあった。


「……あの」


突然聞こえた声に驚いて、身体が震えた。


「……誰」


声の方向に顔をむけて話すと、なにかが近づいて、小さな手が足に触れた。


「ワタシはゼロです。メ、みえナイ? アノコですか」

「目はみえないけど……あの子なんて名前じゃない」


人間ではないことは確かだった。赤ん坊のような手なのに、高くしゃがれた声で口調はラジオで聞いた日本に慣れていない外人のようだった。今は私の言葉に悩んでいるらしい。小さく唸る声だけが聞こえた。

「……ホシのユウエンチ、シッてる?」

 間をおいて投げかけられた問いに、今度は私が悩んだ。聞いたことがあるような気がするが記憶が定かではない。頭を整理しながら少し考えると、その言葉は前にすずらんにあげた絵本の中にでてきたものだと思いだした。


「……知ってる」

「ヨカッタ。なら、ナマエがチガウだけ。ナマエはナニ、いうの」


つぶやいた答えに、ホッとした声で彼は質問を続けた。正体は分からないが、悪いことを考えているようには思えない。人間ではなくても、久しぶりの会話は楽しく思えた。


「……明子」


言いたくなかった名前を口にする。明るい人生であるように、と本当の父親がつけた名前。あまりに不釣合いで滑稽で人に教えたいと思ったことはなかった。


「アキコ? アノコとアキコ、ニテルね」


由来も知らない生物は、人の名前を聞いて能天気に笑い出した。その声があまりに楽しそうのなので、私もつられて笑ってしまった。

こんなことは始めてだった。


「……初めて会ったのに、失礼ね」


笑いながら話すと、彼は笑うのをやめて、少し考えたあとに意外な言葉を口にした。


「ハジメテじゃない。マエにアッタ」

「……え?」

「このアパート、トオルときマド、アケテたアキコをミタの…だからムカエにきた」

「……むかえに?」


弱々しい彼の言葉で、習慣でしていた空気の入れ替えが人にみられていたことを知り、同時にむかえに来たとという事実を知って驚いて聞き返した。いくら一回姿を見たからといって義理もない人間をむかえにくるなんてこと、他の生物だったとしても考えられなかった。


「アキコのハナシをカズトからキイテ、タイセツにサレテナイならヒツヨウとサレテナイ、おもって。ワタシもヒツヨウナイモノだとイワレタ。けど、ナミがヒツヨウだとイッテクレテ……ウレシカッタ。ソレデ……アキコをヒツヨウだとおもって、ムカエにきた」

「なんで……必要だと思ったの?」


正直、信じられなかった。

カズトという名前も記憶にないし、自分が大切にされて嬉しかったからといって、目もみえない他人の面倒をみてくれるなんて考えられない。

疑う私の質問に、彼は優しい声で答えた。


「アキコはワタシとニテル。タイセツにすれば、アキコもゼロをヒツヨウとシテクレルとおもった……だから。マチガッテル?」

「間違っては、いないよ」


素直な言葉だと思う。自分が大切にされたいから、誰かを大切にする……間違いではない。私に与えられなかった、人間のあるべき生き方だとも思った。

だけど、一方的に知られている、知り合いでもない人間に求める言葉でもないとも思った。


(ああ、だけど)


私は、親にも知り合いにも、大切にされていないではないか。そんな人間が何を求めるというのだろう。


「ソレなら、イッショにきてくれる?」


 言葉と共に、自分の手に、彼の手が触れる。


「……うん」


迷うことはなかった。それがどんな道でも助けてくれるという手を取る方が、今の自分にとっては生き残る道だとも思えた。

久しぶりに触れた手は暖かく、出会ってから一時間も経ってないのに、不思議と今まで握った手の中で、すずらんの次に嬉しいとも感じる。


手を引かれたところで、初めてゼロが二十センチほどしかないことに気がつく。しかたがないので抱き上げると、すまなそうに何度も謝ったので、思わず声にだして笑った。


(……ああ、そうか)


歩きながら、初めて自分の気持ちに気がついた。

彼に付いていこうと思ったのは、今まで感じたことのない優しさ……好意……それを感じることができたから、信じる気持ちになれたのだ、ということに。


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