光のない少女
耳に寄せたラジオからは、もう誰の声も聞こえてこない。
空気には死臭を感じる。閉じた空間でも分かる外界の変化に、私は身を縮こませて耐えるだけだ。最後にあの人が部屋を訪れてから、何日が経ったのだろう。
六畳一間の部屋、外付けの共同トイレ。それだけが自分に与えられた空間だった。
電気も水道も通ってはいない。産まれつき眼球がない自分には明かりは必要なく、水はあの人……母親がペットボトルで大量に買いためた物を使用していた。母親はここには住んでいない。金持ちの男性と結婚して今は大きなお屋敷で生活している。そして、障害がある自分は母親の私欲のためだけに、ここで生かされていた。
「……ッ」
換気をするために窓を開けた瞬間、強い匂いを感じて窓を閉じる。
(腐敗臭が昨日より強くなっている)
慣れてきたはずの匂いに吐き気がした。ラジオの声が途絶えて二日ほどたってから、どこからか匂ってきた腐敗臭は、日に日に強くなっている。
発生源はどこなのか、なにが原因なのかさえ視力のない自分には分からない。だが、漠然と片付ける人間がいないのなら、死臭を発しているのは当の人間たちではないかと心の中で考えていた。
現に最後にラジオで聞いた情報では、生物に入りこんで発育する虫が、一斉に人間にも発生して、解決策もないままたくさんの人が死んだそうだ。もうラジオからはなにも聞こえてこないが、結婚生活を続けたいがために私を生かしている、欲深いあの人が来ないことも考えると、外の人間は生き残っていないのではないかと考えずにはいられなかった。
(……すずらんは無事なのだろうか)
冷たくなる心の中、自分が産んだ子供のことを考える。自分が母親のことを「あの人」と呼ぶのは理由があった。
思い出しても恐ろしい五年前、母親は自身に子供が作れないからと、娘である自分に再婚相手の子供を産ませたのだ。役にたたないのだから、そのくらいは役に立てと十一歳の自分に。
方法は父親に合法の薬を飲ませたことで誰に知られることもなく簡単に終わった。残ったのは傷付いた自分の心と身ごもった身体だけで、その時初めて自分が屋敷ではなく、ここに住まわされていたのか理由を悟った。
母親が「あの人」に変わったのはその時からだ。あれから五年。母親に対する怒りは変わってはいない。なのに産んだ子供はかわいくて、身を案じてしまう自分がいた。
(すずらんは悪くない。むしろ良い子だ。身を案じることは悪いことではない。)
窓辺に腰を下ろしながら自分に言い聞かせて、左側の壁から大きな輪をたぐり寄せる。触れば崩れる枯れた花冠。数ヶ月前この部屋にすずらんが来た証であり、初めて嬉しいと感じた贈り物だ。
ふと、義理の父親が帰ってくる日にだけ連れていかれる、お屋敷生活を思い出す。行く度に話さなければならない架空の静養所の話は、柔らかな布団や豪勢な食事と引きかえても辛いものだった。風呂は週一回の銭湯通いに、時々もらえる少量の食料品だけで生きているアパート生活の自分に、山奥の看護の行き届いた静養所の生活なんて分かるはずがない。毎回、どうにかラジオで集めた情報を使い話していたが、お屋敷にいる時に心休まる時は全く無かった。
……娘と会っているとき以外は。
すずらんは、当然私を義理の姉と思っていたが、純粋で無垢な彼女と遊んでいると気持ちが軽くなるように思えた。だからすずらんに住んでいる場所を聞かれた時、香りの強い金木犀を思いだし、近くに大きな木があるかもしれないと教えたのだ。
もちろん日本中に同じような特徴がある場所がいくつもあることは知っていた。それでも自分は可能性にかけたくて、幼い彼女に特徴を教えた。
結果、花冠がここにある。
すずらんがここに来たのは全部で二回。一年前の秋と、今年の春だ。去年尋ねてくれた時に、自分は一冊の本を彼女にあげた。昔、子供を作る前に身体を慣らさせようと母が連れてきた男が私を不憫に思って「読んでくれる人が現れたら読んでもらいな」とくれた本だ。
希望もないのですずらんにあげてしまったが今でも本にとっては有意義だったと思う。そして春、もう一度ここを訪れた彼女から、本の題名が「くまのタムとりんご」だということと、本の内容を教えてもらった。男が言った読んでくれる人とは意味が違うと思うが、私にも本を読んでくれる人が現れたのだ。
「……星の遊園地」
つぶやいて、寂しくなる。
あのあと、すずらんに手を引かれて近くの野原で花摘みをして、花冠を貰ったが……それは遠い過去の話ではないだろうか。今、外から匂うのは死臭と腐敗臭だけで、金木犀の香りさえ嗅ごうとは思えない。彼女から貰った花冠も今ではカサカサに干乾びている。あの頃とは差がありすぎていた。
(……最初から、何もなければ寂しくもならなかったのに。)
思い出して膝を抱える。泣きたくても涙腺はない。触ってみると瞼があるはずの場所は少しだけくぼみ、頬と同じ感触だけがあった。涙が出るはずもない。
(……これからどうしよう。食料がなくなって三日目だ。水も、飲みかけのものが一本しかない……あの人は本当に死んだのだろうか。それなら外に出ることも許されるのだが。)
花かざりを胸に抱えて流し台まで歩く。なにもないシンクの上に、飲みかけのペットボトルがあった。振ってみると軽い音がする。残りは三分の一くらいだろう。
昔から、母は自分が外に出ると手がつけられないほど怒った。すずらんが来た春の日も、花冠を頭に飾ってもらったところで母にみつかり、部屋にもどされてから酷い目にあった。
以前は、なにか鋭い物で何度も叩かれるだけだったのに、その時は紐で首を絞めたり気絶しそうになるまで殴られた。見つかることを思えば外に出る気も失せてくる。
(運良くばれずに外に出たとしても外が安全だとは思えない。ここで死ぬことも選択肢として考えたほうがいいのかも知れない)
ペットボトルから手を放し、片付けておいた布団をひいて横になる。起きていれば空腹に耐えられなくなることは目にみえていた。
死を思う時、必ず生にしがみついている自分がいる。母親を思いだして死んだほうが楽になるだろうと考える時も、自殺をおしとどめる自分がいた。
弱い自分に吐き気を覚える。
しかし、吐いてしまえばよけい空腹になるだろう。
なにも考えないように頭を抱えると、そのまま眠りについた。