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滅びゆく人類に花冠を  作者: 花摘猫
第一章・すずなり
1/14

加奈子

季節は秋。

木造平屋建ての母屋から、廊下をへだてた離れの一室に一人の少女が床に伏せっていた。

十五歳の誕生日を迎えた少女は、肩で切りそろえた漆黒の髪に同色の澄んだ瞳を持つ美しい少女で、名を加奈子と言った。六畳ほどしかない離れに一人布団をひいて寝ている姿は、白い着物を身につけていることもあり、死出の旅に向かう人間のようにも思える。


「風邪、早く治らないかしら」


一人つぶやき、窓の外を見る。

開けた障子の向こうに細い廊下を挟んで擦りガラスの戸がある。

四枚のうち下から二番目だけが普通のガラスになっており、庭を覗き見ることができた。

庭では、パタパタと小さな足音が聞こえる。少女は、その足音の主を知っていた。


「加奈子お姉ちゃん、お花あげる」


カラカラと木枠のガラス戸を少し開けて、ひょっこりと顔を出したのは妹のすずらんだった。

年は数えて五つ。息を弾ませて走ってきたのだろう、手に持つ桃色の花に負けないくらい小さな頬が紅潮していた。


「すずらん……お見舞いは嬉しいけれど、ここに来てはダメ。病気がうつってしまうから」


差し出された贈り物を廊下まで出て受け取ると、加奈子は少し笑って妹を諭す。

姉がこの離れに来てからというもの、すずらんは日課のように離れに遊びに来ていた。誰かについてまわりたい時期なのだから仕方ないだろうとも思うが、そうして甘やかして風邪を移してしまうことの方がよほど問題だ。

すずらんも、姉の考えることがわかるのだろう、姉の言葉に小さくうなずいた。


「分かった……じゃあ我慢するね……でも、お姉ちゃんはいつごろ治るの? 」

「すぐに治るわ。だから……ね、それまで待ってて」


声を柔らかくして妹の問いに答えた瞬間、加奈子はゲホゲホと咳きこんでその場に座りこむ。

二日前、不注意で川に落ちてからというもの、ずっとこの調子だ。今日明日に治るとも思えないが、妹に病をうつさないためなら、嘘も止むを得ないだろう。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「……大丈夫よ」


心配そうに廊下に身を乗り出すすずらんを止めて無理に笑う。

妹は一瞬安心したのか、表情を緩めたが、やはり心配なのか、すぐに困った顔に戻ってしまう。そし

て、何を決意したのか小さく頷いて、口を開いた。


「お姉ちゃん…髪に何つけてるの?」


小さな口から出た質問は、加奈子の予想を越えたものだった。


「……? 何のこと?」

「髪の毛の先に、白いのがいっぱいくっついてるよ…ほら、これ」


ゴミか何かかと思い聞き返すと、幼い手が加奈子の髪にのびて、ぷつりとなにかを掴み、目の前にそれを差しだす。幼い手のひらにあったのは、一センチほどの白い球体だった。


「これが、私の髪に……?」


驚いて、自身の髪に手を伸ばすと、ボツボツとした感触が手のひらに伝わって、少女は短い悲鳴をあげた。


「お姉ちゃん、大丈夫? すずらん、いけないこと言った?」

「いいえ、大丈夫よ…さ、早く母屋に帰りなさい。早くしないと、お母様が頭につのを生やして怒りに来るわよ」


妹を心配させないように、おどけて頭に指をたてながら鬼のふりをして笑う。

先ほどまで心配していた妹も「こわーい」と笑い、姉に背を押されるまま、母屋へ帰っていった。


「……」


妹の去った庭をみつめて息をつくと、ガラス戸と障子を閉めて、化粧箱にしまった手鏡を取りだす。


「何かしら、これ」


こわごわと覗いた手鏡の中に映るのは、毛先に付着している無数の球体。ひとつ手に取って力を加えてみると、弾力のある表面が破れて、中から黄色の液体が流れでた。


「嫌! ……気持ち悪い!」


どろりとした液体を、破れた表皮ごと鼻紙で拭きとって、くずかごに投げ捨てる。

自分の頭に付いている球体が、何かの卵のように思えて、しかたがなかった。 


(こんな気持ち悪いもの、早く取ってしまわないと)


あせるまま半月型の櫛を取りだして、髪をとかしてみる。

毛先だけについていた球体は、少しの抵抗後、簡単に取れて床に転がった。よく見れば、それは真白では

なく乳白色に近い色で爬虫類の卵のようにもみえる。そう思うと、よけい背筋が寒くなった。


朝に鏡を覗いた時は、こんなものはなかった。それから変わったことはしていないし。

そうなると、私の身体から出てきたものなのかしら? でも、なぜ? 

川に落ちたことと関係があるのかしら……新種の病だとか……。


咳を繰り返したせいか、ぼやける頭を振って原因を考えてみるが、思い当たるのは川に落ちたことだけだ。ほかの理由は考えられない。しかし、それなら他に同じ症例の患者がいても、おかしくはないと思うのだが、髪に卵が発生するような奇妙な症例は聞いたことがない。


「お嬢様、起きていらっしゃいますか?」


突然、障子のむこうから声が聞こえて、驚いて顔を上げる。

考えているうちに、日が暮れたらしい。

周囲は暗く、障子をへだてた廊下だけが照明によって明るくなっていた。


「ごめんなさい、起きているわ。でも、少し待ってちょうだい」


髪から転げ落ちた球体を集めると、くずかごでは誰かに知られてしまう危険性があったので、板の間にある大きな壷に隠してから、廊下にいる人間に声をかけた。


「まぁ、……目が悪くなりますよ」


待っていましたとばかりに、体格の良い老女が部屋に入り、暗い部屋に電灯をつける。

呆れた声で世話をしてくれるのは、産まれた時からこの家にいる乳母の登紀子だった。優しい乳母は、加奈子がどんな病であろうとかまわず、毎回部屋まで来て食事と身の回りの世話もしてくれている。

加奈子は、そんな優しい登紀子が大好きだった。


「ねぇ、登紀子さん……聞きたいことがあるのだけれど……」

「なんですか? この登紀でよければ聞いて下さい」


布団を直しながら微笑んでくれる乳母は、少女にとって信頼のおける人間だ。そのうえ報道関係のニュースをみることが趣味だと前に聞いたことがある。病のことを聞くには最適な人間だろう。

加奈子は決意を固めて乳母に質問した。


「最近、テレビや新聞で、新しい病が報じられた話は聞いていない?」

「いいえ? 最近そんな報道があったって話は聞いた事がありませんよ? 何か気になる事でもあるんですか?」


決意も空しく乳母はあっさりと答を返して、お茶の用意を始めた。


「そう…ちょっと思うところがあっただけだから…気にしないでね」


ため息をついて、力なく箸を持つと、盆にのった食事に手をつける。元気のない加奈子の様子に、乳母もため息をつくと盆に湯のみをのせた。


「一人じゃ、寂しいでしょうに……他の仕事がなければ、登紀がそばにいられるのにねぇ……」


それは優しい勘違いだった。しかし子供に言い聞かせるような乳母の言葉が優しくて、少女の目に涙が滲んだ。


「いやだわ、そんなこと言って……登紀子さんに病気がうつってしまったら、私は悲しいわ…ね、だから、お願いがあるの……明日からのお食事は、離れの廊下に置いておくことにしてくれない?」

「お嬢様、私に遠慮することはありませんよ! 私に病がうつったって、かまやしないんですから」

「そんなこと言わないで……お願いよ」


 誰かの優しさに触れる時、同時に申し訳なく思うのはなぜだろう。

 自分を育ててくれた人に、こんな奇妙な病がうつっては堪らないと、必死に頼みこむ加奈子に、登紀子はとうとう折れて承諾した。


「分かりました。お嬢様がそんなに言うのなら、無理に押しかけるようなことはしません。食事を持ってきたら、廊下から声をかけますから取りに来てくださいね……それと、何かあったら、すぐに私を呼んでください。分かりましたね?」

「分かったわ……ありがとう」


畳み掛けるような登紀子の言葉。

加奈子が箸を持ったまま力なく微笑むと、それをみた乳母も答えるように寂しげに笑った。


「それじゃ、登紀は行きますよ……食べ終わった食器は、廊下の外にいつもどおり置いておいて下さいね。夜中に取りに来ますから」

「出しておくわ……ありがとう登紀子さん」


心配をさせまいと笑う少女に、老女は寂しさを覚えながら障子を閉める。

茶髪に短いスカートが定着している現代に、加奈子のような風貌や、言葉づかいは珍しいだろう。親のしつけや家のため……理由は様々だが、乳母である登紀子は、時々この状況を悲しいと思うことがあった。


「この家で産まれなければねぇ……」


廊下を歩きながら老女は一人ごちる。

幼い頃から身体が弱く、よく寝こんでいた加奈子。最近になってやっと丈夫になっていたというのに、いたずらな風が彼女の帽子を川に飛ばした結果、また布団へ戻るはめになってしまった。

使用人の中には川に落ちた少女に対して、家が金持ちなのだから帽子なんて無理にとらずに代わりを買えば良かったのにと陰口をいう者もいた。

屋敷にすむ奥方の浪費癖が、海外で働く夫の財産を食いつぶすと噂されるほどなのだから、それも仕方のないことだろう。実際、幼いすずらんの服でさえ、タンス二つでは収まらないほど所有していることは、近所でも承知の事実だった。月の多くに運びこまれる包みが、家から出られない加奈子のために買われた品物だと、使用人が思うのも無理はない。


だが、乳母である登紀子は、今の奥方が後妻だということを知っている。

前の奥様に似ている加奈子が疎まれている、ということも。

離れで一人寝る少女は、タンス一つ分さえ持ってはいない。持っているのは父親と会う時のよそいきの服と、不憫に思った自分が買いあたえた安物の洋服だけだ。

量産ものの洋服をプレゼントした時の、輝くような少女の笑顔を今も鮮やかに覚えている。感謝の言葉も知っている加奈子は、間違いなく素直な良い子なのだ。


……それなのに。と登紀子は思う。


何もしていない、純粋な少女に対して、継母が初めて彼女に贈ったものは、死者に着せるための経帷子だった。少女が断れないのを承知の上で「病気の時は、左前にこれを着なさい」という言葉まで添えて、病床の彼女に手渡したのだ。


「……親子の縁は、どうやっても切れないものだしねぇ……」


思い出しただけで腹が立つ場面に息をつく。

これからの少女の運命を思うと気が重かった。成人する前に継母に殺されてしまうのではないか、という危機感さえ覚える。結婚してもなにをしても、自分の子供が加奈子の下にいるかぎり、継母は彼

女をいたぶり続けるのだろう。逃げても、家系がつながっているという事実が彼女を放さない……そんな気がした。

だからこそ自分は思うのだ。少女が離れにいる時くらいは好きなことをして生きられるように、と。


さきほど加奈子が髪につけていた白い球体は、お世辞にもかわいいといえる物ではない。むしろ奇妙だと思えた。それでも、少女が楽しんでいることを止めるなんて野暮なこと、登紀子にはできなかったのである。


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