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2. 神様に嫁ぎます

私の祝言は花婿不在のまま、須佐家の大広間で粛々と行われた。


嫁ぐと言っても相手は神様であり、その神様に認められるまでは仮の婚姻に過ぎない。16歳を迎えた私に水神様の片鱗がまったく現れなかったこともあり、送り出す側にもどこか諦めのような雰囲気が漂っている。風守様に嫁ぐことは大切なお役目であり一族の悲願でもあるが、未だかつて本当に嫁いだ娘がいないことも、また事実であった。


「これで全部だな」


屈強な村人たちの手で、嫁入り道具代わりの献上品が積み上げられる。白無垢ではなく薄桜色の着物に着替えた私は、一泊分ほど荷物を抱えたまま、風守様の社を守る正門の前に足を下ろした。


高天村を囲むようにそびえる山々に比べるとひときわ小さい、半日あれば村人でも往復できる山頂に風守様を祀る社がある。


小さいとは言えど山は山だ。斜面に沿って作られた長い階段は、大人の足でも登りきるまで数刻を要する。もちろん神様の許嫁である私は、村の男衆の籠に乗ってここまで来れたが、それでもかなりの重労働だった。振り向けば眼下には高天村の端まで見渡せる絶景が広がっているが、明日は徒歩で帰ることになるのかと思うと心が曇る。


興味津々に見守る村人たちに別れの挨拶を告げると、私は正門に向き直って一礼した。そして、厳かな雰囲気を纏う門戸に二度、拳を軽く打ちつける。


「須佐家七代目が長女、神楽が嫁ぎ奉りまいりました」


そう言い終わる間もなく、少し軋んだ音を響かせて閉ざされし門がゆっくりと内側に開いた。しかし中には誰もおらず、門を開けたであろう人影さえ見当たらない。このまま奥に進んでいいものか少し躊躇したが、待ったところで誰も姿を現さないので仕方がない。


意を決して中へと踏み入れる。


奥には見通しの良い小さな庭が広がっていた。門から続く小道を少し辿れば、屋敷の表口まで簡単に辿り着けた。


「ようこそいらっしゃいました、お嫁様。私は風守様の従者、ウンミリと申します」


真っ白な肌と髪色を持つ、どう見ても異形の青年が屋敷の手前で丁寧に頭を下げた。幼さも残る外見は自分とあまり年齢が変わらないように見えるが、両目の脇にそれぞれ一本ずつ入った太い刺青が、そうではないことを物語っている。しかし何よりも、その友好的な笑顔に私は胸をなでおろした。


「初めまして、ウンミリ様。須佐家七代目が長女、神楽と申します」

「私に敬称は不要ですよ。……七代目、そうですか。(かえで)様がお帰りになられてから、もうこんなに月日が過ぎたのですね」


「楓は私の叔母です。今は三児の母として元気に暮らしております」

「それは善きことです。水神様の子孫が健やかであることはシナトベ様の喜びでもありますから」


「……シナトベ様?」


私の小さな呟きに慌てて口を押えた風守様の従者は、苦笑いを浮かべながら「門前の荷物は後で運び入れますので」と、私を屋敷の中へと案内してくれた。


家の中に足を踏み入れると、小さな土間と木の香り、そして柔らかな光沢を放つ板張りが迎えてくれた。神様が暮らす屋敷とはいえ、さほど我が家と変わらないらしい。むしろ調度品の数は少なく、上品ながらもやや無骨な内装が奥に広がる中庭の美しさを一層引き立てていた。


風守様の社は意外にもこじんまりとしていて、中庭を囲むように張り巡らされた廊下に、それぞれの部屋に続く扉が並ぶだけの簡素な造りのようだった。


「夕餉は風守様とご一緒しましょう。お茶の用意もございます。しばらくはお部屋でお寛ぎください」


そんなウンミリ様の言葉とともに、客室に一人残された私は、半刻もしないうちに暇を持て余していた。


領主一族の長女といえ、お姫様のように過ごしてきたわけではない。働かざる者食うべからずを家訓とする須佐家では、日が高いうちは魚釣りや山菜取り、畑仕事や家畜の世話と、忙しく動き回っているのが常だった。そのため、何もすることがない今の状況は、私にとって苦痛でしかなかった。


ウンミリ様に手伝いを申し出よう。


ひらめいた理由に心が躍り、私は意気揚々と神の従者を探し求めて廊下に飛び出した。部屋数はそれほど多くないので、人の気配を辿れば炊事場なら簡単に見つかりそうだ。


目星をつけた一つの格子戸の前に歩み寄り、声をかけるべく咳ばらいを一つ――瞬間、目の前の引き戸がひとりでに開き、私の全身を荒々しい風が駆け抜けた。


開かれた扉の奥は、炊事場ではなかった。

なんなら部屋でもなかった。


外だ。広々とした庭だった。

中央には静かに水面を揺らす池もあり、その奥には竹林が青々とざわめいている。そして池にかけられた小さな橋の上に、端正な顔立ちの男が佇んでいた。上品な絹の着物を身に纏い、袖を通していない羽織を肩にかけ、腕組みをしてこちらを睨んでいる。


……睨んでいる?


「し、失礼いたしました!」


ぱしっと音がする勢いで格子戸を閉めたが、手を触れることなく再び扉が開く。そして、見えない力で背中を押されるように縁側へと引きずり出されると、思わずその場で尻もちをついた。


「歴代の須佐家の中で一番礼儀のない娘だな。大人しく部屋で待つことさえできないのか?」


自分を睨んでいた男が腕組をしたまま近づいてくる。

風が轟轟と鳴り響き、まるで局所的に嵐が訪れたかのようだ。


ああ、これは――。

一日を待たずして出戻るかもしれない。


冷ややかに見下ろす風守様らしき男性の前で、私はウンミリ様の夕餉を食べ損ねるであろう行く末にそっと肩を落としたのである。



* * * * *



「言い訳をしないのか?」

「言い訳がございませぬので。改めて無礼をお詫び申し上げます」


「……なるほど。それで僕に何の用だ?」

「用は、ございませぬ」


「用もないのに図々しくも僕の領域を踏み荒らしたのか?」

「ウンミリ様を探しておりました。風守様にお目通りするつもりは……」


「僕はまだ名乗っていないぞ」

「風守様でいらっしゃいますよね?」


「お前には教えない」

「……面倒くさいなあ」


しまった、緊張のあまり声に出てしまった。


自分の過ちに気付いた瞬間、轟音を響かせた風が足元から私の髪を掻き上げ、弧を描きながら天へと昇っていった。


「め、め、面……」

「失礼いたしました。風守様らしきお方。私は須佐家七代目が長女、神楽と申します」


「面倒くさいと言ったのか、今?」

「いいえ。風守様らしきお方の空耳かと思います。ほら、風が轟轟とうるさいですし」


「信じられない。楓の姪と聞いたが、彼女はもっと慎ましやかだったぞ!」

「ええ、残念ながら父に似たのかと」


縁側に三つ指をついて頭を下げる私の前まで歩み寄ると、風守様はジロジロと不躾な視線で私を威圧した。


なんだろう。本当に風守様ではないのかもしれない。神様ってもっと、こう、なんというか……そう包容力、それなりの包容力をお持ちのような気がするし。


「お前、本当に失礼な娘だな。僕にだって包容力ぐらいある」

「……風守様らしきお方。いくら神様でも勝手に心を読むのは失礼かと存じます」


「なっ、お前が勝手にあれこれ言ったんじゃないかっ!心を読むなんて、僕にそんな芸当はできない。風に乗せて小さな音を拾える程度だ」

「なるほど。……ではどうぞ」


私は覚悟を決めて目を閉じた。


「何のつもりだ?」

「水神様の生まれ変わりではない娘は、記憶を消されて追い出されると聞きました。さあどうぞ」


潔く顔を上げた私を見下ろすと、風守様は怒りで震わせながら声を荒げた。


「何を言ってるんだ!まだウンミリの夕餉を食べていないだろうがっ。一生懸命作ってるんだぞ。きちんと食べてから帰れっ」


神様の包容力とやらを見せたのかもしれない風守様は、それでもドスドスと足音を響かせながら屋敷の中へと入っていった。これが花嫁審議だったとしたら、私が選ばれないことは確定した。ウンミリ様の夕餉はともかく、夜道を帰ることになるのだろうか。


――せめて明日の朝まで居させてもらおう。


そう心に決めると、静かに後を追いかけたのである。

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