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3 実父の遺言

 いつも長いと感じていた廊下はあっという間に過ぎ、気が付けば自室の扉の前に立っていた。


 お父様の言った「何故よりによって皇太子なのだ」という言葉が胸にかかり、じわじわと言いようのない不安が私を侵食し始めた。


 ここで抵抗しなければ二度と引き返せなくなると察した一秒後、侍女に優しく抱えられていた腕を後ろに引き抜き、回れ右をしたところで「セレーネ!」と後から来たお母様に呼び留められた。


 どうやって逃げようか……でも、逃げたところでどうしようもないと自問自答していると、お母様は私に追いつき、後ろから私をギュッと抱きしめた。


「大丈夫……あなたは望まない結婚なんてしなくても良いの。久しぶりの首都での催しなのに、心から楽しめないのが残念なだけよ。心配無いわ」


 大丈夫、大丈夫と言って背中を優しく叩くお母様はまるで自分に言い聞かせているようだ。


 聞くなら今のタイミングしかないと思った私は、この理由が分からない故の不安をお母様に打ち明けた。


「先ほどお父様と話されていた皇太子というのはどのような方なのですか?」


 振り返り、お母様の目を見つめて問うと、お母様は難しい顔をした。


「……私は実際にお会いしたことはありませんが、暴力的で金遣いが荒く、よく皇宮を抜け出し、それを咎める者には無慈悲な最後が待っていると、社交界では有名です。公の場では常に仮面を被っていて、噂では今回の婚約者を探す催しは皇太子が発案したとか……」


 あと……と言葉を続けようとして言うべきか言わざるべきか悩んでいるのか、私の顔をチラリと見やった。


 お母さまの大きく切れ長の目はキツイ印象を与えるが、実際にはそうではない。


 臆病な自分を隠すように強気な態度で他者との間に防壁を作るのだ。


 私はお母様としばらく見つめ合った。


 こうなった私は何が何でも引かないと分かっているのか、一つ溜息をついてお母様は侍女達に「部屋の前で待っていて頂戴」と指示し、私に自室に入るように促した。


 人に聞かれたら良くない事なのかと緊張が走る。


 扉が閉まった事を確認すると、お母様は淡々と静かな口調で話し始めた。


「あなたの実父である前侯爵様が亡くなる寸前に言っていたのよ。『皇室に気をつけろ、セレーネを頼む』と」


 お母様は時折、窓やドアを警戒する素振りをしてより一層声を小さくした。


 お母様の話をまとめると、前侯爵様が亡くなってすぐに、今の皇太子である第二皇子が行方不明になり、数年後にその第二皇子が突如帰還して後継者候補として貴族派に祭りあげられた。


 第二皇子が行方不明となったのは第一皇子の母である皇后による陰謀だったと証明され、皇后は暗殺未遂罪で幽閉されることになり、それに協力したとされる家門は財産の没収と爵位の剥奪が行われた。


 後ろ盾を無くした第一皇子は後継者候補から離脱し、現在は第二皇子が皇太子となっている。


 ここで事件は終息したかと思われたが、幽閉されたはずの皇后の姿が牢屋から消えており、今もなお行方不明……となっているそうだ。


 しかし、前侯爵様の臨終際に言った『皇室に気をつけろ』とはこの事件とは別の事を指しているのではないかとのこと。


 皇室にはまだ何か公にされていない秘密があるとお父様とお母様は考えており、私をできる限り近づけない形で遺言を全うしようと決めたらしい。


「会場ではなるべく私から離れないようにするのよ。まだ政権が安定しているとは言えない状況で、皇太子の婚約者を決めるなんて政治的な事が絡んでいるのは間違いないわ」


 この話を聞いて、私は自分が思っていたよりも家族から守られており、汚い物を知らないで生きてきたのだと初めて実感した。


 皇太子の話を聞いて怖いというよりも、悔しいといった感情の方が大きかった。


 幼いままの自分が恥ずかしい。

 親の愛に浸っているだけの自分が情けない。


 私が知らなかっただけで現実は外にも中にも平和など無く、私が住むこの屋敷の中にだけまやかしの平和を見せてくれていたのだ。


 私は両親にとって、ミスリルの兜を被って喜んでいたあの町の子供たちと同じくらいの子供と思われていたのだ。


 私は唇を噛みしめ、左腕に付いているブレスレットを強く握りしめながら声を絞り出した。


「お母様……今まで私が至らないばかりに、お父様とお母様の気持ちにも気付けず申し訳ございません。私は今、とても自分を恥ずかしく思います」


 今の私に出来ることは、侯爵家の令嬢としての仕事を全うする事だけだ。

 私は顔を上げ無理に声を張り、軽い足取りを演じて見せた。


「さぁ、お母様。早く準備をしましょう!まずはドレスですよね。さすがに格式高い舞踏会に着ていけるようなドレスは持っていませんし……どうしましょうか?あ、いっそのこと貧乏丸出しで行くのも手ですよね。皇太子妃に相応しくないと言われること間違いないです!」


 お母様は私の気持ちを察してくれたのか、潤んだ瞳を隠すように背中を向け両手を叩き侍女を呼んだ。


「お呼びでしょうか」


「今から買い物に行くから、まずはこの子を買い物に行ける格好に着替えさせてちょうだい」


 ノックして入ってきた侍女に命じてお母様がこちらを振り返った時にはいつもの表情に戻っていた。


「何処へ行くにしてもドレスコードくらいは守らないと。メンシス家のレディとして恥をかくことは許されないわ」


 そう言ってお母様も外出の準備のため部屋から出ていった。


 舞踏会は五日後と言っていた。


 首都まで三日はかかる。おそらく、明日には出発することになるだろう。



 お母様と一緒に領地内に唯一ある高級ドレス店を訪れ、ドレスと靴と手袋、そしてネックレスを購入した。


 ネックレスまで買ってもらえるとは思わず、どこにそんなお金があったのかと恐縮したが、お母様曰く、宝石は財産だから買える余裕があるときに買っておいたほうが良いらしい。

 貨幣よりも夫よりも自分を助けてくれる時があるとか……お母様の口から出ると説得力がある。



 買い物を終えて家に帰る頃には夜になっていた。


 私は事前に着て確認しておこうと思い、新しいドレスに身を包んだ。


 黄色と白を基調とした柔らかい色合いで、シルクの艶と中央で流行しているレースの華やかさが私の心を躍らせた。


 最初はミスリルと同じ色をしたドレスに自然と目がいったが、幼い自分と決別するため敢えて選ばなかった。


 それに、私の栗色の髪には温かみのある色の方が似合う気がしたのだ。


 ブレスレットの上から手袋を着けた。


 これで魔石入りのブレスレットを隠せるし、豆でボコボコした手のひらも隠せて一石二鳥である。


 ヒールの高いゴールドの靴と、エメラルドのネックレス、緩く巻いた髪をまとめ、おしろいとアプリコットのリップ。


 デビュタントがまだだった私にとって全てが初めてだった。


 慣れない手付きで見よう見まねで着飾った。


「私って……もしかして可愛いのかもしれない」


 高鳴る心拍は不安からではなく、わくわくとした感情に変わってきていた。


 お母様から聞いた流行のデザインと自分で選んだ新しいドレス。


 そして王城からの招待状をもらった私は、数いる中の令嬢の一人として初めて認められたような気がしてきたのだ。


 気が付くと私の中の王城へ行くという不安は消えていた。

 皇太子の話が余りにも現実離れしており、自分とは無関係な気がしてきたからだ。


 お父様達は心配しているけれど、私が選ばれる事はまず無いだろう。


 可愛くなったとは思うが、絶世の美女というわけでは無い。

 家柄だけは良いが所詮は辺境の田舎娘なのだ。


 当日恥ずかしくない程度にダンスの練習でもしようかと思っていた時、自室のドアをゆっくりとノックする音が聞こえた。


「お姉さま、入ってもいいですか?」


 弟のエリックの声だ。


「いいわよー」


 エリックの後ろにはもじもじと隠れるように弟のエリヤもいた。


「お姉さま、結婚されるって本当ですか?」


 ドアが開いて早々、エリヤの口から発せられた言葉に私は「えぇ!?」と驚きつつ笑った。


「最終候補に残ったら話は別だけれど、その可能性は限りなくゼロよ」


「でも……お姉さまの事を好きにならない男性なんているんですか?」


 私はエリヤのその言葉を聞いて吹き出してしまった。


 私も人の事は言えないが、弟たちは私に輪をかけて世間知らずだ。

 お父様の親バカぶりを産まれた時から見て育ってきたのだから仕方がない。


「いるいる。たくさんいるわよ。皇室の招待ってだけで仰々しいけれど、首都の見学して帰ってくるみたいなものよ。一体どこでそんな言葉覚えたの?」


「「お父様です」」


 双子でもないのに、二人の揃った言葉を聞いて私はやっぱりかと呆れたように溜息を吐いた。

 ここで二人に訂正しても、元凶を絶たないと意味がない。


「明日の事はお父様達もいる食事の時に話しましょうか……」


 そう言ってヤダヤダとごねる二人を部屋から追い出しドアを閉めた。


 ドアの前が静かになったのを確認して、ドレスを脱ぎながら窓から夜空を見上げると半分にかけた月が出ていた。


「上弦の月かなぁ。ってことはもうすぐ満月か~」


 独り言をつぶやきつつ、少し遅れて食卓へ向かうとお父様は「最後の晩餐かもしれない」と嘆いており、エリックとエリヤも「まだ結婚なんて早い!」と好き勝手言っている最中だった。



 その後、特別に香油を入れたお風呂に入り、寝る前にいつものように領地の守り神である月の女神様にお祈りをし、いつもどおりの眠気に身を任せて、出発の日を迎えた。

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