27 第一皇子アベル
カイン様に皇宮内を案内してもらうという名目で、何処が何の部屋か、どういうルートで皇帝の書斎に忍び込み、ドゥンケルハイトと月の女神について詳細を調べるかを頭の中で整理していたら気がつけば夜を迎えていた。
夜は形式的に皇帝陛下とカイン様、そして第一皇子であるアベル殿下と共に食事をする事になった。
アベル殿下はあまり人前に出てくることはなく、出てきたとしてもカイン様同様に仮面を被っているため、噂ですら馴染みが無かったが、今日は皇帝陛下と共に入ってきた上に仮面を付けておらず、皇帝陛下とそっくりな顔つきだったため、すぐに彼が第一皇子のアベル殿下だと察する事ができた。
アベル殿下はカイン様よりも年が一つ上だが、童顔なのか少し幼く見える。皇帝陛下と違って元皇后と同じ真っ赤な髪色をしており、大きく綺麗な二重とスッと伸びた鼻筋でカイン様とはまた違ったイケメンだ。
私はアベル殿下と目が合うと、慌ててカーテシーで二人を出迎えた。
「皇帝陛下、アベル殿下にご挨拶申し上げます」
「待たせてしまったね。遅くなって申し訳ない、どうぞ座ってくれ」
皇帝陛下はにこやかにそう言って席に着いた。
続いてアベル殿下は表情を変えず、黙ったまま座った。
私とカイン様も席に付き、メイド達は皆のグラスにワインを注いでいく。
「では、カインの婚約を祝して。乾杯」
皇帝陛下はそう言ってグラスに口をつけた。それに倣って皆も口をつける中、私は口をつけ、飲むふりをした。
「ところで……」
そう言って皇帝陛下はカイン様へ顔を向けた。
「国民への正式な発表はいつにするんだ?」
「ひと月後の建国祭での発表を考えております」
「確かに、それが良いだろうな」
カイン様と皇帝陛下が婚約式に向けて話をしている間、アベル殿下の様子が気になり、視線を向けた。
アベル殿下は表情のないまま、無言で食事を進めている。
よくよく考えれば、アベル殿下も親に振り回された被害者の一人なのだ。
アベル殿下を皇帝にするためにアベル殿下の母である元皇后がカイン様のお母様を殺害し、カイン様をも殺害しようとし、逃れていたカイン様が皇宮に戻ってきた事によって、自分の母である皇后は罪に問われ、自分自身も居場所を無くしたといってもいいだろう。
今まで聞いた事が無かったが、二人はやはり仲が悪いのだろうか。
どちらかが日の目を見ればどちらかが影を見る。
政治上そうならざるを得ないだろうが、少しだけ、アベル殿下に同情する。
会食の間、結局アベル殿下は一言も喋らなかった。
会食が終わって、カイン様に誘われて中庭で散歩をする事になり、聞いて良いのか悪いのか分からないが、逆に聞かない方が不自然な気がしたため、隣を歩くカイン様に話しかけた。
「……カイン殿下は、アベル殿下の事をどのように思っているのですか?」
カイン様はいつもの仮面をつけているため表情が分かりにくいが、少し悩んだように、言葉を返した。
「私も、兄が私の事をどのように思っているのか気になっているよ。話した事はほぼ無いからね。記憶に残ってないくらい子供の頃話したきりだからーー」
皇太子カイン殿下としては今はこのように返すしか無いのだろう。
本音を話せないここで何を聞いても意味は無い事は分かっている。
しかし、私たちは今、何と戦っているのか分からなくなる。
それを調べるために来たのだといえばそうなのだが、ここまで上手くいっているため、気持ちが少し緩んできたのかもしれない。
戦争を永遠に続けるのが目的のドゥンケルハイト。戦場から離れたここにいると、何も問題は無いような錯覚を覚える。
それよりも、婚約者としてひと月後に発表される事の方が大事件な気がしてくるのだ。
私は余計な事を考えるなと言い聞かせるように首を勢いよく振るった。
その時だった。
どこからか矢が飛んできて足元に刺さった。
反射的に飛び退いたから無事だったが、気が付かなかったら頭を貫いていただろう。
「何処から!?」
「セレーネは屋根があるところまで走れ!」
私は動きにくいドレスのスカートを持ち上げ一生懸命に走った。
突然夢から覚めたようだった。
首都からルナーラへの帰り道で襲撃にあった時の事を思い出し、嫌な記憶がフラッシュバックしてきた。
「――お嬢様!」
庭園の出口で待機していたラホール卿が現れ、出口付近に潜んでいた暗殺者らしき二人へと切り掛かるのが見えた。
私はその横を真っ直ぐに走り抜け、皇宮の中へ入った。
……まさか、ここまで読み通りに事が運ぶとは思っていなかった。
***
五時間前。
カイン様に皇宮内を案内してもらう前に、泊まる予定の部屋へ連れて行ってもらった時のこと。
カイン様が机に両手を当てると机の上に皇宮の地図が浮かび上がった。
魔力で水色に光るラインが間取りを表しており、私たちが今いるだろう場所は赤く点滅している。
「すごいわ……」
思わず口から感嘆の声が漏れた。
これ程正確な縮尺で立体的な地図と私が付けているブレスレットの技術が合わされば世の中は大きく変わる事だろう。
「皇宮は中央、北棟、東棟、西棟に別れていて、私たちが今いるのが西棟の別宮と呼ばれている場所だ。北棟にある皇帝の書斎まで行くには中央を経由しないといけない。
子供の頃は私も北棟に部屋があったから書斎までは忍び込みやすかったが、北棟に入れるか入らないかで今回の進捗は大きく変わる。
魔法を使うのは逆に忍び込んでいると皇帝にバラしているようなものだから正攻法で入り込むしか無い。
十中八九、セレーネが皇太子妃の可能性がある以上、皇宮にいる間にまた襲撃されると思う。
私とラホール卿で襲撃犯への対応をするから、どさくさに紛れて北棟の皇帝の書斎へ向かって欲しい。頼んだよ」
***
私は走りにくいヒールの高い靴を脱ぎ捨てた。
暗殺者から逃れる名目なら許されるだろう。
頭に叩き込んだ地図を辿り、北棟の三階までやってきた。
警備兵は皆、暗殺者が現れた中庭へ向かっており、びっくりするほど簡単にここまで来る事ができた。
宝物庫や皇家の自室は今ごろセキュリティがすごい事になっているのだろう。
私は静かに且つ急いで書斎へと向かった。
書斎は鍵がかかっていたが、カイン様から預かった鍵を使って入る事ができた。
静かにドアを開け中に入った。
窓のカーテンは開けられたままで、月明かりで部屋の輪郭が何となく分かる。
正面には仕事用の机があり、左側には本棚、通路、本棚と本を読むための部屋になっているかのようだ。
私はカイン様が昔見たと言っていた一番奥の本棚へと向かった。
下から二段目、確かに子供の目線では見つけやすいだろう位置にその本はあった。
そして、大人の私だから目に入る位置にも気になる本があった。
〈月の女神の神隠し〉
私は静かにその本を開いた。
〈闇の帝王ドゥンケルハイトに敗れた月の女神は太陽の裏へと隠れた。
闇の帝王は太陽に嫉妬した。
時の止まった国は同じ時を繰り返した。
戦いが始まり、終わると忘れたようにまた始まる。
それに嘆いた月の女神は使者を遣わせた。
神の子として月の女神を信仰する民の元へと預けた。
しかし、闇の帝王はそれを見つけるとすぐに殺した。
月の女神は見つからぬよう何度も隠した。
この戦いに終わりがくるのはいつになるのだろう〉
読み終わり、本棚に戻そうとしたら、本の後ろに二枚ほど千切れた本のページを見つけた。
〈ドゥンケルハイトは暗い魔国に住んでいた。
一人静かに本を書くのが好きだった。
ドゥンケルハイトは友だった。
彼は恋をして、家に戻らなくなった。
魔国は愛が無いと暮らせない。
彼は帰れなくなったのか〉
このページが付いていた本を探したが、どこにもそれらしき物は見当たらない。
タイトルも誰が書いたのかも分からないが、やけに記憶に残る文章だ。
他にも何かそれらしいタイトルを探していた時だった。
本を読むのに夢中になりすぎていたらしい。
誰かが部屋に入ってくるのに気づけなかった。
私が振り返ると、大きな手が私の肩を掴み、床に押し倒された。
「誰だ」
初めて聞く声だったが、揺れる赤い髪に見覚えがあった。
「あ……」
私と目が合うと、アベル殿下は眉間に皺を寄せ、怪訝な表情で私を見下ろした。




