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22 皇太子の訪問

 いつも通り、朝の訓練に参加していたが、やけに屋敷が慌ただしかった。


 遠くから私を呼ぶ声が聞こえるような気もするし、そうではない気もする。


 とにかく今日はやけにラホール卿が手厳しくて、もう剣が握れないくらいにはフラフラだ。


 何か日頃の鬱憤でも溜まっていたのだろうかと考えると、思い当たる節しかなく、私は考える事を止めた。


 私が訓練場から離れた木陰に座り込んでいると、リリーが慌てた様子でやってきた。幻聴では無かったようだ。


「お嬢様!こんなところにいらっしゃったのですね!」


 リリーは余程急いで来たのか、膝に手をついて荒くなった呼吸を落ち着かせる事もなく、息も絶え絶えに言葉を紡いだ。


「た、大変ですっ!こ、皇太子殿下が!」


「殿下がいらっしゃるって?」


「そうです!いらっしゃるんです!」


「それで、いつ来るって?」


「ですから、もう、いらっしゃるんです!」


「もう、って?」


「先程、殿下が、ご到着されたんですぅ!!」


 リリーは最後の力をふり絞って私に強く訴えた。


 そのような事を予想だにしていなかった私は、疲労のままにニコニコと話を聞いていたが、急に自分の表情が真顔になるのを感じた。


「どっどっどっどこに!?」


「もう応接間にいらっしゃるかと!」


「お父様とお母様は!?」


「旦那様には別の者が知らせに行っています!おそらく今は奥様がご対応されているかと!」


 私はさっきまで全身に感じていた疲労も忘れ、慌てて立ち上がり、応接間に向かおうとしたが、リリーに全力で止められ、自室で身支度をしてもらった。


 私が慣れないドレスに着替えて応接間に着く頃には、お父様も既に部屋に入っており、私は一度深呼吸をして息を整え、扉をノックした。


「失礼致します」


 私が部屋に入り目に入ってきた光景は椅子に座るカイン様と、その横に大量に積み重ねられているプレゼントの山だ。


 カイン様は舞踏会で会った時と同様に仮面を付け、淡い水色の髪をしていた。


「大変お待たせし申し訳ございません。先日の舞踏会では素晴らしい時間をありがとうございました」


 私が深く頭を下げるとカイン様も立ち上がり、私に対して敬意を示すようにお辞儀を返した。


「こちらこそ、あまりにも待ちきれなくて早々の訪問をしてしまい申し訳ない。フォン・メンシス侯爵にも小言を言われていたところです」


 私がお父様の方へ視線をやると、顔は見えないが、背中から不満や不服といったオーラがあふれ出ているのが分かる。


 この調子だと、本当に文句を言っていただけで本題に関しては何も進んでいないのだろう。


 お父様から小言を言われたと言うカイン様ではあるが、どういうわけか機嫌は良いように見える。


 私は父の首が繋がっていることに安堵しつつ、愛想笑いをして誤魔化し、お父様の横に座るお母様の隣に座らせてもらった。


 部屋にはカイン様、私、お父様、お母様、新しいお茶を持ってサイモンが出入りし、扉のこちら側にはマスポーネ卿、外側にはラホール卿が立っている。


 カイン様の付き人が見当たらないが、まさか一人で来たのだろうか?


 私はイマイチ把握しきれないこの空気をなんとか読もうと、無意識に目の前のお茶を一口飲んだ。


 カイン様は仮面を付けていても分かるくらいニコニコと笑っているのに対して、お父様は誰がどう見ても落ち着いて話ができるような雰囲気ではない。


 私は初手をお母様に託すことにし、お母様も自分がせねばならないと理解しているのか、切れ長の大きな目が静かに目の前のカイン様を捉え、強い眼差しに気が付いたカイン様も自ずと姿勢を正した。


 これから始まるのは、前回してやられた私が心強い味方と共に行うリベンジ戦である。



 最初に口を開いたのはカイン様だった。


「フォン・メンシス侯爵。手紙を返して下さり感謝します。セレーネ嬢もご無事で何よりです。最初は単純にセレーネ嬢に会いたいと思い手紙を書かせていただきましたが……どうやら状況が変わってしまったようで」


 カイン様は相変わらずの軽い口調ではあるが、傍若無人という程の態度ではない。


「そうですな、誰かに眼を付けられたばかりに私の家族たちが犠牲になるところでしたな」


 お父様は棘を隠すつもりも無くムスッと言い切った。

 おそらく私が来る前からこの調子なのだろう。


「私のせいという点に関しては否定できないのが現状ですね。しかし、私が関わらずともルナーラの皆さんは遅かれ早かれ同じような事が起こっていたと思います」


 カイン様は突然真剣な顔をして私達の顔を見渡した。


 もう少しお互いに様子を伺いつつ本題に入るかと思っていたので、完全に先手をとられてしまった。


「本日は腹を割って話をしようと思い、私一人で来ました。皆さんもそのつもりだと思ってよろしいでしょうか?」


 仮面の奥の青い瞳がお父様の目を射抜き、無限にも思えるような時間が続いた。


 この沈黙はただの沈黙ではなく、心の読み合いだという事を皆わかっており、この間誰一人として音を立てる者は居なかった。


 私は息をするのを忘れていたのか、苦しさを感じ始めた頃に、お父様は一言「そのつもりです」と目を反らさないまま答えた。


「……今から話す事は皇室の秘密とも言える重要事項です。これを話す条件として、侯爵と、セレーネ嬢以外はご退出願いたいのですが、よろしいでしょうか」


 芯の通った声だった。

 カイン様の表情は舞踏会の時とも、あの夜ともまるで別人のそれで、有無を言わせない威厳があった。


 言われているように、護衛も引き連れず一人で来られた以上、こちらにその提案を拒否する権利はない。


 それよりも……お父様は分かるが、お母様が退出させられ、私が残る理由が分からない。


 これからその理由も含めて話されるのだろうか?


 ここにいる皆、いろいろな思惑を想像しつつ、私とお父様以外は静かに礼をし、お母様は少し心配そうな眼差しを私たちに向けて部屋から出て行った。


 部屋の中には三人となり、もともと誰も話していなかったが、更に静かになったような気がした。


「では、念のため音が漏れないように結界も張らせていただきますのでご了承下さい」


 そう言ってカイン様は付けていた仮面を取り、人差し指を上へ向けた。


 カイン様が仮面をとると、水色の髪の毛は私の知っている黒い髪色へと変わり、掲げた指先からは水のようなオーラを放ち、私たちの周りを球状に覆った。


 魔法使いということを知っていた私でさえ、ついつい見入ってしまう光景だったが、何も知らなかったお父様は私をかばうようにして立ち上がり警戒する姿勢をとった。


「驚かせてしまい申し訳ない。こちらが本来の私の姿なのです。分かる人にとっては魔力が大きすぎて萎縮させてしまうので普段はこの仮面を付けて隠しています」


 カイン様は取った仮面をひらひらと顔の横ではためかせ、そのまま握りこむようにすると仮面はどこかへ消えた。


「……先日、娘から殿下は魔法使いだと聞いてはいたのですが……想像以上の魔力に驚きました」


 お父様はそう言って、険しい顔をしつつも問題ないと悟ったのか、もと居た場所に大人しく腰を下ろした。


「それで……今回の事件の事情について知っている事をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」


「あぁ、その前にまずセレーネ嬢に問いたい」


 カイン様が私を見つめ、何故か少し、泣き出しそうな顔をして私に問いかけた。


「会うたびに、何度も同じ事を聞いて申しわけない。君は……紺色の髪をした生意気な少年に会う事はできましたか?」


挿絵(By みてみん)


 前までの私はその顔を見ても何も思わなかったかもしれない。


 何故、青い海のような彼の瞳が泣き出しそうだと思ったのか。


 私はカイン様の目を見つめたまま、数日前まで一緒に居たリヒトとの日々が走馬灯のように脳裏に思い浮かんだ。


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