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2 舞踏会への招待状

 天然パーマのかかった髪と繋がるように伸びた茶色い髭をしたお父様の、クリクリとした丸い緑色の瞳が、不安げに揺れたのを感じた。


「セレーネ……久しぶりに一緒に庭でお茶でも飲まないか?ネラがプレゼントしてくれた美味しい茶葉があるのだが」


「はい、是非」


 私の了承の返事を聞くとお父様はニッコリと優しく笑った。


 控えていた使用人に「あのお茶を頼む」と告げると、そのまま庭に向けて歩き出した。


 私も黙ってその後を着いて歩いた。



 長い廊下は終わり、庭園への重たい扉が齢五十の執事のサイモンの手によって開けられた。

 今日もサイモンの白髪の交じった口ひげは、お父様を真似た八の字に綺麗に整えられている。


 正面から風が廊下に向けて吹き込み、一つに束ねていた私の髪を揺らし、春と初夏の入り混じった匂いが鼻腔を駆け抜けた。


 庭には花よりも手入れの頻度が少ない木々を中心に植えられており、今の季節の青々としたこの空間が気持ち良い。


「さあ、こっちに座りなさい」


 お父様に促されて庭の中央にあるテーブルについた。


 お父様も向かいに座り、すぐにサイモンは予め準備してくれていたお茶をカップに入れてくれた。


 父は「ありがとう」とサイモンに声をかけ、お茶を一口飲んだ。


 私も続いて一口飲む。


 訓練の後で喉が渇いていたのもあり、美味しそうに飲む私を見てお父様はにこりと目尻を下げた。


「気に入ったか?ネラはこういったセンスがあるからな。お前もこれから人との付き合いが増えていくだろうし、分からない事があれば聞くと言い」


 お父様は静かな口調で言った。


 確かにプレゼント選びはセンスが問われる。


 良い贈り物をくれる相手というのは取引の上でも信頼たり得るように感じるのは、やはり人心把握とかそういうのに長けているからだろうか。


 余計な事を考えながら素直にお茶の感想を答えた。


「香りも良くて爽やかで美味しいです。冷たいお茶にも合いそうですね。お母様は何でも出来る方で尊敬します」


「あぁ、私には勿体ない妻だよ。彼女のような人はこんな辺境ではなく、首都に居たほうが良かったのだろうが……私との縁談が運の尽きだったな」


 そう言ってにやりと笑みを浮かべた。


「ネラと結婚式を挙げて、いよいよ家業の引継ぎとなった時、“腐っても侯爵家だと思って嫁いで来たのにー!”と帳簿を見ながら叫んでいたよ」


 お父様が冗談っぽく言って笑うので、私もつられて笑ったが、お父様の後ろに控えているサイモンにチラリと目をやると笑っていなかったので、私は慌てて口角を水平に戻した。


 その時のお母様がさぞかしショックを受けただろうことは想像に難くない。


 お父様も笑ってはいるものの、ずっと申し訳ないと思って今に至るのだろうと私はフォローするように答えた。


「確かに、お母様は中央に居れば社交界でも中心となっていたでしょう。でも、理解あるお母様がお父様と結婚して下さったおかげで今のルナーラが一時の平和を手に入れられ、メンシス家が皇室からの信頼を得られているのも事実です。私も、お母様のようになれれば良いのですが……」


 嘘ではない。


 本心ではあるが、ある程度の定型文というかこう言われたらこう返すというお決まりの返事をしたつもりであって、特に深い意味は無かった。


 しかし、お父様は私の目を見つめて眉を下げた。


 何やら感傷的になったらしく、こみ上げてくるものを抑えているようだ。

 お父様はゆっくりと言葉を紡ぎ、私と目を合わせ、教会で懺悔する人のように少し潤んだ目をしている。


「セレーネにとっての家族は私しかいないのに、まだ幼いセレーネにあまりかまってやれず、寂しい思いをさせていたと思う。戦争が続く中でネラと結婚して、お前の弟たちが産まれて、領地の守備が完成し、冷戦状態となった今、ようやくこうして好きな時にお前とお茶を飲めるようになった」


 お父様はこの十年を思い返しているのか、少し切ない表情をした。


「自分が軍備に対して過剰な事も自覚はある。お前がドレスではなく武具を着たがるようになってしまったのも私のせいだと思う」


 お父様はそう言って少し冷めたお茶を一口飲んだ。


 私も、お父様の話を聞きながらこの十年の事を思い出していた。


 新しくできた母、弟のエリックとエリヤはもう十歳と九歳だ。


 貴族の長女として最低限の教育を受けつつも、私らしく居られるように好きな事をさせてもらい、愛情は領地に住む皆から貰って育ってきた。


 私は何も不足していないし、何も後悔していない。


 机の下で重ねていた右手で左手首につけられたブレスレットを撫でた。

 今の私は、この魔石入りのブレスレットがミスリルの武具よりも高価な物だという事も分かっている。


 ただ、何故突然このような話をするのだろうか。

 お父様の様子がいつもと違うように感じた。


 思い出話をしているだけかと思っていたが、まるで嫁入り前夜のような会話だ。



「何が言いたいかと言うと……その……」


 お父様は口ごもり、目を伏せたまま自慢の髭を触る。


 言葉は喉まで出てきているのに、噤んだ口がそれを発するかどうか迷っているようだ。


 私が先に何か言ったほうが良いのだろうかと考えていた時だった。


「お話中失礼します」


 庭の入り口から透き通るような上品な声が聞こえた。


「ネラか、どうした」


「あなたの事ですから、セレーネに言えないまま今日を終えてしまうのではないかと思いまして」


 お母様はティーポットに手をかけたサイモンに「お茶は結構よ」と断りを入れながら優雅な素振りでお父様の隣に立った。


 真っ直ぐに伸びた背筋、しなやかな所作、赤い髪をきっちりと結い上げ、後れ毛など見たことが無い。


 私のイメージする心身共に貴族の女性とは目の前にいるお母様のような人だ。


「もう時間が無いのです。あなたが言えないのなら私から言わせていただきますが、よろしいですか」


 そう言って、狼狽えるお父様を後目に、淡々と教えてくれた。


「先日、皇室より招待状が届きました。五日後、皇太子の妃を探す舞踏会が開かれるそうです。皇室からの直々の招待を断るわけにはいきません。先に言っておきますが病欠なんて古い手法は通じません。今すぐに準備を始めますよ」


 最後はお父様に視線をやりつつ、お母様が言い終わるか終わらないかのタイミングで両手を叩くと、どこに控えていたのか、三人の侍女達が現われ、私がリアクションをとる暇もなく「失礼します」という言葉と共に両腕を抱えられた。


 たかが舞踏会へ行くだけなのに何故お父様はそんなに躊躇っていたのだろう。


 過保護にも程があるのではないか?


 理解が追い付かないまま、私は大人しく侍女と共に庭を出ようとした。


 すると、後ろで両親たちが騒ぎ始めた。


「やはり断るわけにはいかないだろうか?何故よりによって皇太子なのだ」


「まだ選ばれてもないのに心配しすぎです!行かずにひんしゅくを買って目を付けられるくらいなら、大人しく行って目立たないようにしておくほうが賢明です!」


 嘆くようなお父様と、いつも冷静なお母様が頭を抱えたところで庭園の扉がゆっくりと音をたてて閉まった。

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