13 紺色の髪の少年
突如現れた少年を見て驚きが九割を占めたが、残り一割の安堵が私の涙腺を刺激した。
まだ声変わりのしていない子供の声に安心感を覚える程、私は切羽詰まっていたらしい。
腰が抜けたように座り込み、ぽろぽろと涙を零す私を見て少年は面倒くさいと困惑が入り混じった表情をした。
「え、なんで泣いてんの?俺のせい?」
「ち、違う。少しびっくりしちゃっただけよ!」
私は袖で涙を必死に拭い取り、擦れて赤くなった目を少年に向けた。
森に馴染む土色のマントから覗く小さな人差し指が私を指差した。
「ならいいけど……その恰好、どうした?獣用の罠にでもかかったのか?」
「ち、違うわよ!いろいろあって悪い人に捕まるところだったのよ!」
「そっか、お腹空きすぎて餌に釣られたのかと思った」
「そんなわけないじゃない!」
上ずった声で否定したら、少年は眉間に皺を寄せて両手で耳を塞ぐ仕草をした。
「最初にも言ったけど、お前ちょっとうるさいよ。もう少し静かにしてくれない?普通に話してくれれば聞こえるからさー」
「……だって、無理にでも元気出してないと、なんか、嫌な事ばっかり考えちゃって……」
私はまた鼻の奥がツンと刺激され、涙腺が再び崩壊しそうになった。
いつだって簡単に最悪な状況は想像できる。
自分の判断が間違っていて、みんなが殺されていたらどうしようとか、無事だったとしてもあれだけの高位魔法使いを動かせるなんてただ物ではないし、何かしらの大きな陰謀があるのかもしれない。
そこに巻き込まれてしまったルナーラはこの先無事ではいられないかもしれない。
助けを待つ判断をしたけれど、助けなんて来る状況ではないかもしれない。
私は鼻をずずっと吸い込んで、大きく息を吐いた。
「ごめんなさい、私の状況なんてあなたには関係ないのに……」
「いや、別にいいけど……それよりいつまでその網被ってるわけ?」
「被りたくて被ってるわけじゃないわよ。私だってこれ邪魔なんだから」
「じゃあお前が持ってるそれで切ればいいじゃん」
そう言って少年は私の腰元を指差した。
私はあの無精ひげの男から奪い取った短刀を持っている事を今の今まですっかり忘れていた。
「あっ……」と声が漏れたが、すぐに表情を取り繕い、何事も無かったかのように紐を切って煩わしさから脱出した。
「え、もしかして忘れてたの?……お前っておっちょこちょいとかよく言われなかったか?」
「うるさいわよ!あなたもそろそろデリカシーってものを知りなさいよ!」
私が言い返すと同時にお腹が鳴る音がした。
自分のお腹が空気を読まずに鳴ったのかと思ったが、どうやら目の前の少年のお腹が鳴ったらしい。
少年は無表情のままで特に何も言わない。
私は「はぁー」とため息をつき、ポケットからチョコレートを一つ差し出した。
「はい、しょうがないからあげるわよ」
貴重な食料だが、なんだかんだ、目の前の少年という存在に救われたのは事実だ。
少年がチョコレートを受け取ったのを見て、私も自分の分をポケットから取り出し、口に入れた。
少年は私がチョコレートを咀嚼するのをじっと見つめ、私がチョコレートを飲み込み「何よ、食べないの?」と聞いたところで、ようやくチョコレートを口に入れた。
「……美味しい。もっと食べたい」
「もう無いわよ。でもまぁ、こんなんじゃお腹は満たされないわよね。とりあえず水を確保して、明日はウサギでも狩りに行けたらいいんだけど」
私がそう言うと、少年は少し考え込み「こっち」と言って歩き始めた。
行く当てもない私は立ち上がり、黙ったまま歩く少年の後ろを大人しく着いて行った。
しばらく歩くと、蔦が外壁に絡まった古い小屋があった。
少年は小屋の扉を開け、入れとでも言うように目で合図した。
私がゆっくりと足を踏み込むと床が軋む音がするし、小屋の中は月明りが届かず真っ暗だ。
少年が後から入りドアを閉め、暗闇の中で迷わず歩き、かまどに火をつけた。
小屋の中を見渡すと、猟銃やシカの角、簡易なかまどとベッドがあり、どう見ても猟師が狩猟の季節に仮住まいとして住む小屋だった。
「君はここに住んでいるの?」
さっきは良く見えなかったが、かまどの前に座る少年を見ると、マントの隙間からチラリと見える服は猟師のそれとは違い、汚れてはいるが質の良いシルクと細かい刺繍でデザインされており、私の弟たちよりも良い服を着ている。
「ここにはもう住人がいないみたいだから拠点にしてる」
「一人で?」
「他に誰かいるように見えるか?」
「いつから?」
「……一週間前くらい」
「それまではどこにいたの?」
「……お前さぁ、いろいろ聞いてくんなよ、うるさい上にデリカシーの無い奴だな」
「あー!もうムカつく!覚えた言葉すぐに使いたがるのは子供の特徴よね!あなたいくつよ!」
「……言いたくない」
「何も言いたくないお年頃ってことですか」
「そういうお前こそ、何者だよ」
「言いたくなーい」
「うっぜ!真似すんな!大人げない奴だな」
「あははははは!」
雨風がしのげる家と、温かい灯りと話し相手ができて気が緩んできたようだ。
自分の声がいつもの調子に戻ってきた事がわかる。
「はー、思い切り笑ったらなんだか、すごく眠たくなってきたわ……悪いけど、一晩泊めてもらうわね……」
私は大きなあくびをして、壁にもたれかかるように座り、瞼の重みに逆らうのを止めた。
「……お前、本当にそこで寝るのか?」
意識が飛ぶ寸前に聞こえたが、もう一度瞼を開ける気にはならなかった。
朝日を感じて目を覚ますと、座って眠る私には毛布がかけられていた。
ベッドを見てもわずかな温もりがあるだけで本人はおらず、私は小屋の外を見に出た。
小屋の裏には古ぼけた井戸があり、少年は井戸の前で水を汲んでいる最中のようだ。
声をかけようとしたが、明け方の陽の下で光を纏う彼の髪色を見て、目をこすりもう一度凝視した。
黒でも青色でもない、太陽光を跳ね返すその色は紺色だった。
本当に、こんなに早く会う事になるなんてと驚いたが、別にそれだけだ。
寧ろこの状況の中、知り合いに会えたかのようで心強くすら感じる。
「おはよう、何か手伝おうか?」
私が声をかけると少年はパッチリとした青い目を細め、呆れたような顔をした。
「お前さぁ、そんな警戒心でこの先大丈夫か?なんで俺の方が早く起きてんだよ」
「君に警戒する無駄な時間があったら休息をとる方が有意義だからね」
私がニヤリと言い返すと、少年はじとっとした何か言いたげな目で私を見る。
少し疲れを感じる表情を見るに、まともに眠れなかったのだろう。
「そういえば、いつも何食べてるの?」
「日によるけど……木の実とか、蛇とか」
「そっかー、それはお腹空くよねぇ。じゃあ今日は私に任せなさい!お肉捕ってあげる!」
小屋に戻り弓と矢を数本持って支度する私を、少年は疑うようにして見ていたが、その疑いはすぐに払拭された
三十分程獲物を探し、ものの十分くらいでウサギを一匹しとめたからだ。
その後も手慣れたように血抜きをして、ウサギを捌く私を黙って見ていた。
「ねぇ、かまどに火をつけてくれない?火打石が見当たらなくって」
いよいよウサギを焼く段階になったところで私の手が止まり、少年に助けを求めると、少年は何故か少し悩むような顔をした後にかまどに近づいた。
私の視線を気にしつつも、諦めたようにかまどに手を伸ばした。
その瞬間、薪は火種を得てパチパチと音をたてはじめた。
私は一連の流れを見て驚き半分、納得半分の口が半開き状態だった。
私と目が合った少年は私から何か発せられる事を覚悟しているかのように「何?」とぶっきらぼうに言葉を吐いた。
「いや、最近驚く事がたくさんありすぎて、今素直に思う事があるとすれば……私一人で料理できないわ、どうしようって事かしら」
私の困ったような顔を見た少年は予想外だったのか目を丸くし、「プッ」と噴き出すと、そのまま堰を切ったようにお腹を抱えて笑い出した。
声を出して笑う姿は子供そのもので、私も釣られて一緒に笑ってしまった。