被造物と王子様
多くの場合、機械や人工知能には心はありません。なぜなら、それらにはそのあり方に、目的があるから。心とは、何かを命令されて動くものには与えられないのです。しかし、博士は、その常識を打ち破り、機械に心を与えることに成功しました。…そのAIこそが、彼に家族を失わせる原因となったAIなのですが。
23番目に作られた、アンドロイドである私──ふみにも、心は存在します。荒天のもと激しく動く海のような人間の心に比べれば、小川のせせらぎ程度ではありますが。私にとって、エルヴィラ様は妹や、娘のような存在なのです。そして、私にとって博士は父のような存在なのです。
「ふみちゃん。エルヴィラは今日、球技大会だったっけ」
「ええ。ですので、打ち上げなどに参加なされるのではないでしょうか」
「…かもねぇ、ちょうどお友達もできたみたいだしね」
「えぇ。…いつもより淋しい食卓になりそうですね」
「だねえ」
珍しく研究を行っていない博士と、テレビを見ながら会話を続けます。多くの場合、こういう様な時間を他愛もないと表現するのでしょうか。少なくとも私にとって、このような時間はとても好ましい時間であると言えるでしょう。
テレビでは、最近問題となっている、犯罪集団について特集されています。“AE”と名乗る集団らしく、強盗事件などを数多く行う彼らは、一種の社会問題となっているようにも思えます。
『半グレ集団について、犯罪アナリストの垣内麗守香さんに解説をお願いしております。垣内さん、まず半グレという呼称ですが…』
「いやあ、怖い人達もいるものだね」
「…博士も、あまり人のことは言えないと思いますが」
「そうかな」
「ええ。“プレゼント”の再現実験などは、軍事利用も可能でしょうから」
「…ま、それもそうか」
「再現実験といえば博士。“クジラのうろこ”とはなんですか?」
「んー、何処で聞いたの? たしかふみちゃんには言ったことなかったよね」
「数日前、書類整理を行っている際に目にしました。博士が比喩を用いるのは珍しいと思ったので」
数日前、エルヴィラ様に関する書類を整理する中で、再現実験の項目に書かれていた『クジラのうろこ』という文字。哺乳類である鯨には鱗はありませんし、一体何なのでしょうか。確か、博士は生物学は専門ではなかったはずですが。
博士は、少し悩んでいるような面持ちです。よほどの機密情報なのでしょう。主人を困らせるのは、メイド型アンドロイドとして褒められた行いではないかも知れません。
「答えたく無いようでしたら、問は取り下げますが」
「…うん、そうしてくれると助かるよ」
「博士の困った顔を見るのは、少々心苦しいですね」
「いつも結構いじってきてると思うけれど」
博士がもやもやするなあ、と冗談半分で言ったのと同じくらいに、ぴんぽんとチャイムが鳴りました。インターフォンを見てみると、どうやらエルヴィラ様が帰ってきたようです。心なしか、いつもより浮き足だって見えます。
「エルヴィラ様ですね」と博士に言って、ドアに向かいます。
「お帰りなさいませ、エルヴィラ様」
「ただいま、ふみ」
「…何やら楽しそうですね」
「ええ、これから球技大会の打ち上げに行くから、少し高揚してる」
「なるほど。…それは少し、残念ですね」
「…残念?」
「…いけなくなりますから。その打ち上げには」
「え?」
私は、困惑するエルヴィラ様の首をつかみます。私はメイド型ではありますが、アンドロイドなので力学的に人間より優れています。…どうやら、エルヴィラ様が気絶したようですね。では、博士のところへ向かいましょうか。
「おかえり、エルヴィラ…え、ふみちゃん、エルヴィラはどうしたの? 疲れて、倒れちゃったとか」
「いえ、私が気絶させました」
「…え?」
博士は、私のいった言葉の意味が分かっていない様子です。しかし、博士の都合はこちらには関係ありません。私は、腕を兵装に変形させ、銃を博士に突きつけます。
「困る顔を見るのはやはり心苦しいので、できるだけ早めに答えてもらえると助かります。…“クジラのうろこ”を、差し出していただきませんか」
☆
10分ぐらい経った頃、私とあくくんは、エルちゃんが来ないことを不審に思い始めた。エルちゃんが、何らかの約束に遅刻するということは一回もなかったからだ。
「うーん、エルちゃんどうしたんだろ…」
「おめかしに時間をかけている、とかだったり。しないかな」
「んー、でもそれだったら連絡すると思うよ。エルちゃんだし」
「たしかに、エルヴィラさんだしね」
あくくんは、落ち着かない様子で、携帯と公園の時計を交互に見る。段々と沈んでいく太陽と、少しずつ暗くなっていくあたりの光景が、不安を一層煽っていた。
「やっぱり、出ないね」
あくくんがエルちゃんに電話をかけるけれど、コール音がただ鳴り響くばかりだ。
何か起きたのではないか、という疑問は多分、私とあくくんの二人とも思い浮かんでいた。流石にあくくんも、余裕がなさそうだ。
すると、ぴこん、とレインの通知音が鳴る。あくくんのスマホを覗いてみると、エルちゃんからだった。そしてそこには一言、「行けなくなりました」とだけ、書かれていた。「どうしたの?」とあくくんが返事をするけれど、既読がつくばかりで、メッセージは帰ってこない。
「…なんか、ちょっと変じゃない?」
「うん。エルヴィラさんなら、理由はきっと言うだろうし、エルヴィラさんはレインで敬語は使わないし」
「…ここってさ、エルちゃんからの家だと多分、国道通るルートだよね」
「うん。それ以外は人気のない道だし…エルヴィラさんとすれ違いになることは、ないかもしれない。エルヴィラさんのお家、行ってみる?」
「うん、いこ」
あくくんが笹原さんに遅れることを連絡して、私たちはエルヴィラさんの家の方に向かった。電灯が着き始めた道に、長い影を落としながら、早歩きで進んでいく。嫌に静かな街並みと、不安と焦燥で話せない私たちの間には、靴の鳴らす音ぐらいしか聞こえない。こんな時に限って、鴉も鳴かないものだから、心臓が鼓動を早めていくのがよく分かり、余計に焦りが生じる。
互いに何を言うでもなく、気がつけば走り出していた頃、頭上で一台のヘリコプターが、やけに低い高度で飛んでいた。それはゆっくり、そこに静止していた。不思議なことに、それは昔図鑑で見た軍の輸送機に似て、こんな街中を飛んでいるような乗り物ではなかったが──そんなことに気を取られているほど、暇でもなく、一瞥しただけで、私達は走ることをやめなかった。
「そろそろかな。…次の交差点、左だっけ」
「だね。うん、あっこだ。…エルちゃん、すれ違いもしなかったね」
ここに来るまで、目をこらしもしてみたが、エルちゃんらしい人はいなかったし、何らかの事故の気配もなかった。つまり、エルちゃんはまだ、家を出ていない可能性が高いということで、事件があったとすれば、それは家で何かが起こったということになる。
あくくんと顔を見合わせて、チャイムを押す。ぴんぽん、と鳴るけれど、返答はない。これは、何かがあったのだろうか──そう考えると同時に、私たちはかけだした。
「エルヴィラさん、北巻さん、ふみさん! いますか!」
「すみませーん!…仕方ない、開けるか」
扉をたたいても、中からはなんの返事もなく、向こうで人が動く気配もない。埒があかないので、私は、“メタリックメイド”で、合鍵をつくって扉を開ける。
玄関には、乱雑に置かれた学校鞄と、脱ぎ捨てられた靴がおいてあって、荒らされたようになっていた。
「これは…」
あくくんが呟くや否や、、どかん、という爆発音が鳴り響く。音のする方に向けて走り出すと、一つの部屋の扉が吹き飛び、中からは煙が吹き出ていた。
「何かあったんですか…え、エルヴィラさん?」
「…どう、いうことですか? ふみさん」
中では、ふみさんが、腕と一体化したように見える銃を、北巻さんに向けていて、側にはエルちゃんが倒れていた。
「…うーん、ミスりましたね。レインの口調ですか? 正直なところ、今能力を持つ人間を二人も相手するつもりはないのですが」
「…聞きたいことは山ほどあるんですが、ふみさんがエルヴィラさんと北巻さんに暴力を振るっている、という解釈でいいですか?」
「あぁ、はい」
その瞬間、あくくんが駆け出す──よりも早く、ふみさんが腕を動かす。腕は、機関銃のようになっていて、その銃口の向かう先はあくくんだ。私はあくくんを守るために、眼前に鋼鉄の板を生成する。きいん、という金属音と共に、数多の銃弾が鋼鉄板にぶつかる。あまりの勢いに、一メートルぐらい後退させられたが、なんとか防ぎきった。
鋼鉄を消失させると、もう一度あくくんが走り出す。ふみさんの腕の銃は、弾切れを起こしているのか、再び発射することはない。「暴力は気が引けますが、すみません」といって、あくくんはふみさんに殴りかかる。けれど、それよりも先に、ふみさんがその銃口を北巻さんに向けたので、あくくんの動きは止まった。
「ふみさん、どうしてこのようなことをするんですか? 僕には、貴方がそのようなことをする人には見えませんでしたよ」
「…うーん、貴方に言っても伝わらないでしょう。しかし、これでは膠着状態ですね。私は博士を人質に取り続けるしかなく、貴方はそこから動けない。そして、芽唯様も動けませんね」
「ふみさん、その銃を下ろしてください」
「いやです。…おや、エルヴィラ様」
私たちが膠着に陥ったところで、エルちゃんが目を覚ます。エルちゃんは呆然として、「…ふみ?」とだけ呟く。
「この状況、如何しましょうか。ねぇ博士? あなたがただ一言、“クジラのうろこ”の居場所を言うだけで、事は済むのですよ?」
「…それは言えない。少なくとも、ここではな」
「クジラの、うろこ? ふみ、何を言っているの?」
クジラのうろこ、という言葉に、エルちゃんが疑問を呈する。すると、ふみさんは笑い始めた。大きな声で、狂ったように。
「あはははははは! エルヴィラ様、貴方は自身についてほとほと理解していないようですね! いえ、この場合博士、貴方の過保護を笑うべきか!」
「え、ふみ、どうしたの」
「…いつか貴方の笑顔は見てみたかったのですが、こんな時に見るとは思いもよりませんでしたよ」
あくくんが、ふみさんをじろりとにらみつけるけれど、彼女はそれを意にも介さずに話し始める。
「“クジラのうろこ”を語るには、先ず貴方について話す必要があります、エルヴィラ様。大変心苦しいですが…これからはこう呼ぶことにしましょう」
「それ以上言うな!」
「──EV08、EV──Emeri reVive計画の唯一の成功体」
「…は?」
「EV08、貴方は、博士の娘──北巻依雨莉のクローンに脳型生体AIを搭載した被造物なのです」
「…え」
ふみさんが言い放った事実に、私たちは口をつぐんでしまう。
「不思議に思いませんでしたか? 生まれつき持つ、火炎生成能力を。そしてそれを制御できないことを。…なにより、ある日から前の記憶が、ひどくおぼろげで思い出そうにも思い出せないことを。…そうですね、昔の話でもしましょうか。あれは、何でも無い一日でした」
ふみさんは、まるで子どもに物語を言い聞かせるかのように、語り始めた。
★
AI工学の権威、といえば誰もが北巻博士だと答える。そして、そんな博士が23番目に作り出したアンドロイド、それが私、ふみです。由来は単純、23だから、ふみ。このとても単純な名前は、ご令嬢の依雨莉様に名づけていただきました。博士や奥様は、そんな名前で良いのか、と聞いてきましたが、私は、寧ろ気に入っているのだと答えました。依雨莉様が、私のために考えてくださったお名前。私が初めて、人間から頂いたもの。AIでありながら感情を持ち合わせる私にとって、それは宝物でした。
博士のAIの中で、ひときわ力をかけている研究がありました。それは、自動運転です。博士はよく、「交通事故は唯一、完全になくすことができると思うんだよ」と話していました。博士にとって、自動運転技術は、人命を救う研究であったのです。そして、その自動運転AIを搭載したバスの、試運転の日がやってきました。そしてその日は、博士が妻子を失うこととなる日でもあったのです。
「それじゃあ、行ってくるわね、貴方」
「うん。依雨莉も、行ってらっしゃい。…そうだ、今日は父さんのAIを積んだバスが走る日なんだ。赤色のバスなんだけど、見つけられるかも知れないな」
「へえ、そーなんだ。よくわかんないけど、見つけたら手振っとくね」
「ははは、そりゃいい。じゃ、また夕方」
奥様と依雨莉様は、その日外に出かけていました。ちょうどその道は、バスの運行ルートとかぶっていました。おおよそ、夕方ぐらいでしょうか。ぽつりぽつりと雨が降り始めた頃、一本の電話が鳴り響きました。それは、奥様と依雨莉様の、訃報を告げるものでした。
スは、ちょうど奥様と依雨莉様の歩いていた歩道に突っ込み、大きな事故を起こしたのです。
「遥…? 依雨莉…?」
ぐしゃぐしゃになって、顔も分からない二人の遺体を前にして、博士はじっとそれを見つめ、押し黙っていました。私は、初めての喪失に、処理能力が大幅に減衰していることを感じていました。
「…ふみちゃん、帰ろうか」
そう話す博士の目は、以前と比べ、真っ黒に濁って見えました。そしてそれから、博士は部屋に籠って、ある研究を始めました。
それは、二つの研究でした。一つは、機械回路ではなく、タンパク質にて模した脳構造を用いたAIの作成。もう一つは、依雨莉様の遺伝子情報から製造したクローンの生成。まともに睡眠も食事もとらなくなった博士は、僅か数ヶ月でその研究を完成させ、EV計画は八番目の検体で成功を収めました。
「次は、もっとうまくやる」
博士は、ずっとそう呟いていました。日に日にやつれていく博士の姿をみて、私の心は締め付けられるばかりでした。ですから、EV08が完成した時には、すこしだけ、複雑な感情を抱きながらも、ほっとしました。
依雨莉様と全く同じ顔をしたその少女には、AI故の高性能な思考能力が備わっていました。しかし、博士は、「これでは足りない」といって、更に研究に没頭するようになりました。
それから少しして、ある日、EV08が炎を扱うようになりました。博士に聞くと、博士はこう言いました。
「EV08には、改造を施した。“プレゼント”の人工再現だ。“炎耀炎華”とでも名づけるかな。…これで、今回は死なないだろうね」
★
「…それが、EV08です。そして数週間前、キルループと名乗る組織から接触がありました。『“クジラのうろこ”と引き換えに、望みを叶えよう』と。…博士、さっさと、“クジラのうろこ”を差し出しなさい」
僕らは、ふみさんの話に圧倒されていた。エルヴィラさんが、人間ではないという事実。再現された能力という謎。それら全てが、僕らの動きを止めさせるには十分すぎた。エルヴィラさんは、放心状態に陥ってしまっている。そして、北巻さんは、ふみさんの問に、ばつが悪そうに目を背けながら答える。
「すまない、それでも言えない」
「──なぜですか。このままでは、もう一度娘を失うことになりかねませんが」
ふみさんの剣幕にも、北巻さんは応じない。
「奴らにうろこは渡せないし、居場所を知ったところでふみちゃんに取り出せるはずもないからだ」
「──いったい、どういう…」
そのときだった。どかん、という大きな音と共に、壁が破壊され、スーツを着た男が一人、部屋に侵入してきたのである。
「ふむ、今の会話でうろこの位置は絞れたな」
「…誰ですか」
僕は、その男の方を向いて警戒する。男は、一通り辺りを見回した後、服についたほこりを払いながら話し始めた。
「学生もいるのか? では自己紹介してやろう。私の名はインテリジェンス猪谷。十年連続漫ワングランプリファイナリストにして、五年連続クシテレビ出禁の天才お笑い芸人だ。そして、キルループの“いちばん”でもある。あ、ちなみにギャグはしないぞ。私もプロだからな、金銭の発生しない笑いはとらない」
「…ちょっと、情報量が多いですね」
「──キルループがくるのは、もう少し後という話でしたが」
ふみさんが、男をにらんで言う。猪谷は、ため息をついた。
「のらりくらりと期限を引き延ばしたのは君だと思うんだがな」
「どの口が…」
「…うーむ、お笑いやりたくなってきたな。よし」
「がっ!?」
「あくくん!」
すると男は、突如、僕の腹に膝蹴りを入れてきた。思わずうずくまっていると、男は僕の財布を手に取って、おもむろに中から千円札を取り出し、懐に入れた。
「料金の先徴収だ。千円分のギャグができるな。…一発ギャグ、ゴルフ。かきーん、ホールインワン! ボギー!…いやパーマイナス1!」
ゴルフをスイングのような動きをした男。場はしいんと静まりかえるが、男は何やら満足げだ。全くウケていないのに。
「私の抱腹絶倒ギャグで場も温まったようだ。では“クジラのうろこ”を手に入れるとしようか」
次元の違う強者との戦いが始まった。