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相合い傘と王子様

 毎年来ているはずなのに、こんなに湿気ているものだったか、と思う。梅雨が来ると、いつもそう思っているのだろうけれど。湿った空気のせいか、気圧のせいか、どことなく気分は重い。


「あー、じめじめしてて食欲が全然無いよぉ…」

「…その量で?」


 芽唯も梅雨の湿気にやられているのか、弁当の量が普段より少し──大凡、六分の一ぐらい──少なく、箸の進みも遅い。まあ、それでも当然のように量は多いから、エルヴィラに突っ込まれているのだけれど。


「えー、これでも結構ギリなんだよ?」

「…瑪奈川にしては少ないのは認めるけれど、その量は普通に、多いの部類に入ると思う」

「えー!?」

「まあ、それはそうだよね」

「あくくんまで!?」


 芽唯は、橋を片手に、大げさに驚く。その仕草はとても可愛らしく、見ているだけで、梅雨の湿気が吹き飛ぶような思いだ。


「…それにしても、雨強いね」

「ええ。朝は、降っていなかったけれど」

「やっぱり梅雨は、すぐ雨降るね…あれ、芽唯どうしたの?」


 僕とエルヴィラが話していると、「雨」という言葉に反応したのか、芽唯の動きが止まった。心配そう聞いてみると、彼女ははっとした顔で、「…傘持ってきてないや」と話した。


「…朝降ってないから、いいやって…」

「…まあ、傘なら借りれば良い」

「いやまあ、うん、そうだよねぇ。…あー、またやっちゃった」

「また?」

「うん、昔もね、傘忘れてさ…走って帰ったんだけど、風邪引いちゃって…」

「あ、あったあった。小学校の時だったっけ」

「あの時は困ったな」


 懐かしい思い出だ。確か、一緒に帰らなかった日、雨の中を「速く走れば大丈夫」だと思ったらしい芽唯が全力疾走で下校した結果、風邪を引くことになったのだった。あのときは結構風邪が長引いて、何度も看病したんだっけ。


「…今日は、雨に打たれないようにしないとね」

「うん。まー、誰かに入れて貰うよ、あくくんとか」

「あー、そうだね」


 そうして、放課後。僕と芽唯はその通りに、相合い傘で帰ることになった。


「ごめんねぇ、あくくん」

「いや、大丈夫だよ。それに、芽唯とこんなに近くに居れるのは、嬉しいし」

「もー、そういうことばっか言ってぇ」

「あはは、ごめんってば。…そういえば、二人で帰るのは久しぶりだね」

「そうだね」


 エルヴィラは、少し用事があるらしい。待とうかとも言ったのだけれど、「遅くなるから先に」と言われたから、今僕らはこうして、雨の中を、二人で歩いている。


「なんだか、懐かしいな」

「そうだね。最近は、誰かしらいたから。…こんなに静かなのは、久しぶりだ」

「あはは、そうだよねぇ。皆いたら、騒がしいもんね」

「うん」


 傘の下で、雨音を聞きながら、二人でゆっくりと歩く。一つの傘に二人だと少し狭くて、芽唯と肩が触れあう近さだ。──子どもの頃から、こんな近い距離にいることなんて、結構あったのに。ここ数年は、こうしているだけで、心臓の鼓動が早くなって、顔が少し、熱くなる。


「それにしても、驚きだよね。去年は、こんなことになるなんて思ってなかったよ」

「…こんなこと?」

「うん。私達の周りが、ここまで賑やかになるなんて、思ってなかったからさ」

「確かに。僕と、芽唯と、それぐらいだったよね」

「そうそう。…やっぱり、あのユスタ、かな」

「…うん、そうだね」


 ユスタのことを、思い出す。芽唯と、デートに行った場所。そして、僕が能力に、目覚めた日。あのときから、僕の運命は動き始めた。


「あの日、ユスタに行ってなかったら、私達どうなってたんだろうね」

「どうだろう。…その場合は、今日を迎えられてないのかもね」

「え?」

「ほら、ディーナさん。…彼女、人類というか、地球、滅ぼすつもり、だったじゃん?」

「あ、そっか。確かに」

「まあ、ちょっと恥ずかしいけど、僕らはいたから、あれは止められたようなものだしさ」

「…改めて言うと、ちょっと恥ずかしいね。世界を救った、なんて」

「うん、そうだね」


 芽唯の口から、改めて思う。僕らは、案外大きな事を、やってのけてしまったのかも知れない。とはいえ、僕らがいなくても、なんとかはなったのかも知れないけれど。…僕がやったことは、そこまでたいしたことでもないし、そもそも、芽唯はあのときより前から、能力に目覚めてはいたっぽいし…って、あれ。


「あのさ、芽唯」

「ん、なあに?」

「芽唯はさ、いつから“プレゼント”持ってたの?」

「あ、確かに」

「え、なにその言い方」

「いやさ。それがね、私もよく分からないんだよねぇ。いつだったかなぁ」

「…そういうものなのかな」


 結局、芽唯は思い出さず、この謎は、ついぞ解かれることはなかった。まあ、そういうものなのだろう。僕も、昔のこと、全てを覚えているわけでもないし。

 物思いにふけっていると、芽唯が「そうだ、あくくん」と口を開いた、「なにかな、芽唯」と返すと、芽唯は「あのさ」と続けた。


「なんか、お母さんとお父さんが、あくくんのお父さんのことで、書いて貰わないといけない書類があるみたいなんだよね」

「あれ、そうなんだ。もう、大体全部済ませたと思ってたけど」

「だよね。だからさ、また今度、家来てよ。久々にさ」

「そうだね、そうしよう」


 芽唯の家か、懐かしいな。昔は、結構な頻度で行ってたけど、最近はあまり行ってないな。


「…それにさ、その…やっぱり、私も、あくくんのこと…いやその、お、幼馴染だからさ、なんていうか…ひ、久しぶりに、一緒にゆっくり、過ごしたいなって」

「そうだね。そうしようか」

「うん。…あ、あれ覚えてる? あくくんが昔好きだった、パソコンみたいなおもちゃ」

「あー、覚えてるよ。おままごとで使ってた奴でしょ? 僕がお父さん役で、仕事だなんて言って、いじってた奴」

「そうそれ。それ、こないだ部屋片付けてたら出てきたんだよ」

「え、まだあったの?」

「うん。お母さんが、取っといてくれたみたい」

「そっかぁ、懐かしいな。あ、じゃああれは?」

「あれ?」

「ほら、芽唯が好きだった、お菓子の形のさ」

「あー、思い出した、アニメの変身ステッキだったよね」

「そうそう。あれ、まだあるの?」

「うーん、どうだろ」


 芽唯と、ああだこうだ、昔の思い出を語らいながら、一緒に道を歩いて行く。だんだん雨足は弱くなっているけれど、それでも、近くにいたいから、僕は傘を差し続けるし、芽唯はずっと、僕の隣にいてくれる。…僕の周りには、魅力的で、素敵な女の子が多いけれど、やっぱり芽唯は、一緒にいて、一番安心する。


「…なんか、こういうの、いいよねぇ」


 芽唯が、呟く。まるで雨にかき消されそうな、小さな声。けれどそれは、僕の耳に、しっかりと届いた。


「そうだね。芽唯と一緒にいると、なんだか安心するよ」

「そう? それは良かったな。実はね。私もそうなんだぁ」

「そうなんだ」

「うん。やっぱりさ、あく君と一緒にいるときが、私は一番、ほっとするんだ。なんていうのかな、とっても、温かくて、優しい気持ちになれるんだ。…だからね、私は、あくくんが笑ってられる今が、一番好きだよ」

「芽唯…」

「去年なんか、気が気でない時ばっかだったからね!」

「ごめんね、芽唯」

「ほんとだよ、もう」


 芽唯は、頬を膨らませて続ける。


「あんまり、危ないことはしないでよね、あくくん。私は、君が傷ついてるときが、一番嫌なんだから」

「…うん、分かった。王子様として、誓うよ。もう、君を嫌な気持ちにはさせないから」

「約束だよ?」

「もちろん」


 芽唯に向かって、傘を持っていない方の手を差し出し、小指だけを立てる。すると芽唯は、それを見て、少し笑いながら、同じようにして、小指を絡み合わせた。


「ゆびきりげんまんだからね?」

「もちろん」


 そうこうしているうちに、もう家のすぐ側まで来た。その頃には、もうほとんど雨は小降りだった。


「そろそろかあ。名残惜しいな、あくくんとの相合い傘もここまでかぁ」

「あはは、いつでもやってあげるよ」

「わーい…って、あれ? なんか、あくくんちの前に誰かいない?」

「え?──あ、本当だ。誰かな」


 芽唯に言われて、家の方を見ると。僕の家のすぐ真ん前に、一人の女性が立っていた。その人は、ビニール傘を被って、小さな鞄を持っていた。遠目に分かるのは、それぐらいだった。


「うーん、父さんの知り合い、とかかな」

「えー、でも、若すぎるような…」


 二人で、ああでもないと言いながら、近づいていく。その人は、少し明るい髪色で、真っ黒なロングスカートと、シャツを着ていた。そして、僕らを見て、振り返った。


「えっと…なにか、家に用ですか?」


 女性に、声をかける。すると女性は、僕と芽唯をじっと見て、そしてにこり、と笑った。


「…うん、大きくなったね、二人とも」


 その、少し低い声は、なぜか僕の記憶に、引っかかった。どこか、知っているような。そんなきがする。


「えっと…どこかで、会いましたっけ」

「ああまあ、あの頃はちっちゃかったもんね。そりゃ、覚えてない、か。私だよ、私。彩嗣麗守香(れすか)。ほら、お姉ちゃん」

「…え?」


 瞬間、記憶が、蘇った。彼女は、僕の、姉だ。覚えている。姉は、こんな風に笑う人だった。少し低い声で、明るくて、とっても優しかった、姉さん。


「…ねえ、さん?」

「あれぇ、思春期? 昔はお姉ちゃんって呼んでくれてたのに。…あ、芽唯ちゃん、覚えてる?」

「あ、え…はい、覚えて、ます」

「わ、良かった! もーね、お姉ちゃん忘れられてたらどうしよって。芽唯ちゃんのこと、私妹だって思ってたからさ。良かったぁ。…あ、そうだ。芽亜君は、今中学一年生だよね? どうかな、やっぱり格好良くなった?」

「えっと、まあ、はい」

「そっかそっか。うん、良かったよ。実はね、私、赤ちゃんのときの彼見てね、これは将来イケメンになるな、なんて思っててね」


 姉は、ただ話し続ける。けれども、嫌悪感を感じさせない。一方的に話しているのにもかかわらず、どこかその話し方は、声は、心地が良かった。


「…んで。なんか、言いたげだね? 演良くん。いや、聞きたげか。何でも聞いていいよ、お姉ちゃんだからね!」

「…その。ねえさんはさ…」

「うん、なになに?」


 それを聞くのが、怖い。なぜって、本当になってしまうから。…けれど、僕は、聞いた。否定して欲しくて、そんなことないって、信じたくて。


「…母さんを、殺したの?」

「うん。そーだよ」

「…え?」


 姉は、僕の問に──驚くほどあっさりと、肯定して見せた。まるで、夕食の献立を決めるときの、会話のように、至極自然に、あっけらかんと、答えた。


「…なんで?」

「それは、勿論。お姉ちゃんテスト、不合格だったからです!」

「──は?」


 姉は、人差し指を交差して、クロスさせて──ばつ印を作りながら──答えた。そのときの僕は、彼女が、なにか悍ましいものにしか見えなかった。


「あのクソ淫売淫乱女。私の演良くんには、ふさわしくないもんね! だから、殺しちゃった!」

「…え?」

「お姉さん、本気で言ってるんですか?」

「うん。あ、安心して、芽唯ちゃんは、お姉ちゃんテスト合格だし、殺しの対象じゃないからね!」


 地面が、ぐらりと揺れていく。僕は、どんな答えを望んでいたのだろうか。正当防衛だろうか、それとも、なにか、やむにやまれぬ事情があって? 少なくとも僕は、姉が母を殺したことを吐露してもまだ、姉を、同情的に見ていた。だって、母親を殺すなんて、辛い筈だから。けれど、目の前の人は。…楽しそうに、母を殺したことを、冗談めかして話している。

 膝に力がひらなくなって、よろけた僕を、芽唯は力強く抱き留めてくれた。芽唯に寄りかかって姉を睨む僕に、彼女は、「あ、そうだ」と言う。


「演良くん。ちゃんと、王子様やってるんだね。──私の、言ったとおりに」

「…え、なん、で。それを」

「そりゃあ、そんなの勿論。私が、君に言ったからじゃん。王子様になって、ってさ」

「…は?」


 思考が、追いつかない。ただ──頭の中で、歯車がかみ合う感覚は、あった。最悪のピースが、最悪の場所に、はまったように。彼女の言っていることは正しいのだと、僕は理解していた。


「あ、忘れちゃったか。まー仕方ない、直後だったもんね。…で、今日はこれだけ言いに来たんだ」

「…何ですか」


 隣で、芽唯が姉に、低い声で問いかける。しかし、彼女はそれを意にも介さぬように、明るい声色で、親指を立てながら言った。


「受験、今年でしょ? 頑張ってね!」

「…はぁ?」


 彼女はそういった瞬間、道路に飛び出た。そして丁度、背後から来ていた黒塗りのバンに半ば飛び乗って、その場を去って行った。

 僕と芽唯は、しばらく呆気にとられて。姉が消えた方向を、ただじっと、見ていることしかできないのだった。

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