球技大会と王子様
男女で競技が分かれている上に、男子の競技は前半に、女子の競技は後半に行われ、なおかつ互いに観戦が自由、という篷樋学園の球技大会のやり方は、初代理事が「だって異性の格好いいとこ見たいじゃん」と言って決めたらしい。なるほど、かなり理にかなっている。運動をしている女性の姿はきらめいて見えるから、結構好きなのだ。もちろん、同性であっても、懸命に頑張っている姿を見ることは嫌いではない。
つまり、今僕がフットサルをしている以上、周りには今試合じゃない男子の他に、女子も観に来ていると言うことだ。そして、決勝戦のこの仕合は、かなり多くの人だかりに囲まれていた。王子様として、衆目にさらされることは何らの精神的障壁にはなり得ない。むしろ、人から見られるというのは、かなり僕にとっては好ましい体験だ。
そんなことを考えて走っていると、僕らの試合を観戦している人達から、「彩嗣くん頑張れー」という声援が聞こえるので、そちらに目を向けて手を振ると、きゃあきゃあと観客が騒ぐ。こうして応援されるのは、王子様として喜ばしいことだ。
「よそ見しやがって!」
「おっと、危ない」
ボールを持っている僕めがけて、相手選手のひとりがスライディングを仕掛けてきたので、フットワークで躱す。流石に、フットサルはかなり練習しているから、そう簡単にはとらせない。
ドリブルを続け、敵ゴールのすぐ近くまで来た。
「二点目、いただくよ!」
「くっ!」
右上をめがけてシュートを放つと、ゴールキーパーの反応よりも早くボールはゴールに突き刺さった。泉充のゴールとあわせて二点目、そしてそれからすぐに、試合終了を知らせるホイッスルが鳴った。二対一での勝利だ。泉充とハイタッチする。
「ナイスやな、演良」
「泉充もね」
泉充と、チームメイトと一緒に勝利の喜びを分かち合っていると、声援を挙げる観客の中から、三人が歩み出てきた。芽唯とエルヴィラさんに、大丸さんだ。芽唯はドリンクを、大丸さんはタオルを手に持っている。
「ありがと、芽唯」
「…どういたしまして」
芽唯からドリンクを受け取る。心地良いぐらいにひんやりしていて、芽唯は気が利くなあと思っていると、心なしか芽唯の顔が、むすっとふくれている。
「あれ、芽唯どうしたの?」
「…良かったねー、女の子に応援されてもらえてー」
「…もしかして、妬いてくれてるの?」
どうやら芽唯は、僕が観客の女の子たちから黄色い声援をもらっていたことで、不機嫌になっているらしい。こうして頬を膨らませる芽唯は可愛いなあ、と思っていると、エルヴィラさんが口を開く。
「瑪奈川、彩嗣の顔は良いから、応援されるのは仕方ない」
「ええ、なんか照れるなあ。でも、エルヴィラさんの顔もすごく整っていると思うよ。もちろん、芽唯も」
「そんな言葉でごまかされないしい~」
「うーん…でも、王子様として、応援されたら答えるのは当然だと思うんだ。でもね、芽唯。僕にとって、特別なお姫様は、ずっと芽唯だよ。…それじゃ、ダメかな?」
僕がそう言うと、芽唯は真っ赤な顔をして少し黙って、それから小さな声で「それでごまかされてあげる」と言った。
「…私はお姫様ではないのかな、彩嗣」
「そんなことないよ!勿論、エルヴィラさんもお姫様だよ…あ」
悲しそうな顔をしてみせるエルヴィラさんに、慌てて言葉を繋ぐと、そばにいた芽唯を怒らせてしまった。
「やっぱりあくくんは誰にでもそんなこと言うんだね!」
「い、いやそんなことは…」
「じゃあ、私はお姫様ではないのか。悲しいな」
「え、エルヴィラさん!?」
エルヴィラさんと芽唯に挟まれて慌てふためきながら、なんとか場を取りなそうとするけれども、あちらを立てればこちらが立たずで、どうにもこうにもうまくいかない。そうこうしていると、側にいた泉充が、呆れた顔をして言った。
「…なんか二股バレたやつみたいやな、演良」
「…貴方に同意するのは少し悔しいですが、確かに言い得て妙だとは思います」
「泉充、それに大丸さんまで、その言い方は少し酷くないかな!?」
「しかし、私と瑪奈川の両方にお姫様と言ったのは事実だと思うけれど」
「そうそう。そー言う軽薄なとこは直した方が良いよ、あくくんは」
「手厳しいなあ、みんな…」
そうこうしているうちに、女子競技の開催の放送が鳴る。あと三十分ほどで、女子のトーナメントが始まるらしい。
「おや、女子の方が始まるみたいだよ。早めに準備しておいた方が良いと思うんだけれど」
「露骨に話題そらすやん」
「まあしかし、言っていること自体は全うです。移動しましょうか、エイトさんに瑪奈川さん」
「そうだね~」
大丸さんに続いて、エルヴィラさんと瑪奈川が体育館の方に向かっていく。頑張って、と声をかけると、エルヴィラさんがくるりと振り向いて、僕に近づく。なんだろう、と不思議に思っていると、耳元でエルヴィラさんが囁いた。
「彩嗣。貴方のお姫様が活躍するところ、しっかりと見ておいて欲しい」
そう言ってエルヴィラさんは、僕に微笑んで見せた後、芽唯と大丸さんの方へ、少し早足で歩いて行った。
エルヴィラさんの、いたずらっぽくはにかんだ顔は、これまで見てきたエルヴィラさんの表情の中で、一番と言って良いほどに綺麗で、まるで世界の彩度が一気に上がったように、僕の視界をきらめかせた。そんなエルヴィラさんの笑顔に魅入られて、僕は何の返事も返すことができなかった。
☆
女子のバスケットボールは、かなりの盛り上がりを見せた。特に、僕らの三組は、破竹の勢いでトーナメントを進んでいった。というのも、クラスメイトの松ヶ原さんが、女子バスケ部のエースで的確なパス回しを見せ、芽唯がその身体能力で翻弄し、正確無比なエルヴィラさんのスリーポイント──時折あらぬ方向に飛んでいくけれど、ゴールの方向にさえ飛べば必中──が点をもぎ取っているからであった。そうして、芽唯とエルヴィラさんのチームは、決勝戦にまで駒を進めていた。
そして、決勝戦。球技大会なので、八分間の1クォーターで勝負は決まる。開始から四分間、ほとんど互角の戦いが繰りひろげられていた。
「流石に決勝戦は、かなりレベルが高いね。…正直球技大会レベルとは思えないんだけど」
「まぁ、両方とも全国レベルのバスケ部おるしな。しかしまぁ、エルヴィラちゃんもすごいうまなったな。しょうみパス受けたときとか死ぬか思うたもん」
「エルヴィラさんは運動が好きだからね。好きこそものの上手なれっていうことだろうな」
「やな。スリーとか、最初は全然入っとらんかったのに、今とかバカスカ入れとるもんな。──お、エルヴィラちゃんがボール持った」
エルヴィラさんが、チームメイトからのパスを受け取り、綺麗な所作で、シュートを放つ。しかし、ボールはコロコロと地面を転がっている。観客を含めた全員が呆気にとられていたけれども、一番最初に動いた芽唯がボールをキープし、動きの遅れる相手チームの合間を縫ってレイアップを決めた。
「…ま、失敗するときは派手に失敗するし、結局シュートとパス以外は練習できんかったけど」
「でも、それはそれで、ある意味強いよね。相手からすると、警戒しないといけない事が増えるし」
ちょうど芽唯やエルヴィラさん達は自分のコートに戻っていく。
「芽唯すごい、かっこいいよ! 最高! エルヴィラさんもフォーム完璧だったよ! 次頑張ろう!」
「大丸ちゃんも審判がんば~。背伸びしてちゃんと見いやー」
「審判業務に支障を来すほど身長低くはありません!」
芽唯とエルヴィラさんに声援を送ると、芽唯はサムズアップで答え、エルヴィラさんはこちらを見て、こくりと頷いた。隣では、泉充が、この試合の審判を務めている大丸さんをいじっている。
「泉充は、本当に大丸さんが好きだよね。まあ、確かに彼女の物事に真摯に取り組む様子は好意が持てるし、可憐な女性だとは思うけれど」
「いやそんなんちゃうって。別に。俺はでかいほうが好きやねん」
「…ええと、でかいっていうのは」
「んなん胸と尻やろ」
「あぁ、そういうことか…」
「相変わらず純やな、高校生らしくないで」
「いや、どうしてもそういう話題は苦手意識があるんだよね。…あ、試合が始まったみたいだ」
「露骨にそらしたな。─ん? フォーメーション変えてきたな。あらら、エルヴィラちゃん割とマークされてんな」
試合が再開すると、泉充の言葉通り、どうやらエルヴィラさんが相手選手にマークされているらしい。結構動きにくそうにしている。
「…シュート以外打てない私にマークするのは、悪手に思えるけれど」
「そのシュートの精度がやばいじゃん、あんたは」
エルヴィラさんが、相手選手といくつか会話を交わしている。確かに、エルヴィラさんのスリーがこれまでも、今チームの得点源だったから、理にかなった作戦だ。クラスメイトの松ヶ原さんも、攻めあぐねている様子だ。
そこから、一進一退の攻防が続いた。互いに攻め手にかけ、三組チームが一点負けた状況で、時間的に恐らく最後であろうオフェンスが始まった。
「頑張れ、最後まで諦めずにいこう!」
「二点でも三点でも勝てるで!」
泉充と一緒に声援を送る。会場の熱気は、ここに来て最高潮に達した。松ヶ原さんからパスを貰った芽唯が、とてつもない速度のドリブルで相手を翻弄していく。
「さすがに、本気で行くよ~」
「な、コイツ家庭科部のくせに早い…!」
「調理家庭裁縫園芸パソコン部なんだけど~」
「なんだその全盛り部活! ごめん、抜かれた!」
芽唯は、とても運動部所属でない人とは思えないほどの技量を見せる。何故かはよく分からないが、昔から芽唯は結構やんちゃな方で、運動神経もかなりいい。体育の時は、いつも毛だるそうにしているのであまり知られていないけれど。
芽唯が、ゴールの直前に立つ。するとそこで、壁に阻まれた。短期留学している、四組のスチュアートさんだ。この学年で一番背の高い彼女に、芽唯の動きが止まる。
「ワタシの国の競技で勝てると思うナ」
「…じゃ、逃げよ~っと」
すると、芽唯はドリブルをやめ、真後ろに向かってボールを投げた。ワンバウンドしたその先には、スリーポイントラインの外側に立ったエルヴィラさん。エルヴィラさんはボールをキャッチし、シュートの姿勢に入る。
「いっけぇエルヴィラさん!」
「ぶちかま…はあ!?」
「打たせるかよ、大砲!」
しかし、エルヴィラさんの前にひとりの選手が立ちはだかる。全国選抜にも選ばれたという、篷樋学園女子バスケ部のエースの彼女だけが、この策に反応していた。完璧にブロックされ、エルヴィラさんのシュートコースが完璧に塞がる。まずいな、と言う空気感が、会場に広がる。
「これで、私らの勝ちだっ!」
「…最後の一手は、私じゃない」
そのとき、エルヴィラさんがシュートを打つ姿勢を崩し──目の前の選手のすぐ横を通して、目前にボールを放った。そしてそのボールの行き先に、芽唯。
「──かんっぺきだよ、エルちゃん」
誰も反応できない空白の時間。静寂が支配した体育館に、芽唯のレイアップがネットを揺らす音だけが響いた。ぱさり、と少し遅れて得点板がめくられて、試合終了のブザーが鳴る。その音とほとんど同時に、大歓声が巻き起こった。
「すげえやんエルヴィラちゃんに瑪奈川ちゃん! なあ彩嗣…」
「うぅ、二人とも格好いい…とっても頑張ったねぇ…」
「泣いてる…」
二人の努力、特にエルヴィラさんとの練習の日々を思い出して、思わず涙がこぼれてきてしまった。最初は、動きながら狙ったところに出すのもなかなか難しかったのに、今ではこんなに鮮やかなパス回しをするなんて!
「やったねエルちゃ~ん!」
「わっ」
芽唯が、その喜びを全身で表現しながら、エルヴィラさんに抱きつく。エルヴィラさんは驚きながらも、どこか嬉しそうに、ほんの少し口角が上がる。
「流石瑪奈川。私ならあのシュートは決められなかった」
「エルちゃんのパスが完璧だったからだよ!」
二人は、互いをたたえ合っている。なんと美しい光景だろう、見目麗しい二人の少女がお互いを抱き合っている光景は。すると、そこに相手のチームのエース選手が歩いてきた。
「いや、完敗だね。まさか、球技大会で負けるとはな、しかも松ヶ原以外に」
「…けれど、貴方も本気ではなかったようにみえる」
「ま、そりゃ球技大会だしね。本気の私とやりたかったら、バスケ部に来なよ。そんときは…本気で潰してあげるから」
「…ええ、考えておこう」
互いをたたえ合うエルヴィラさん達。それから少し話した後で、エルヴィラさんと芽唯が、一緒に僕らの方に歩いてきた。
「ダブル優勝だね、あくくん」
「うん、最高だったよ…感動しちゃったな。本当に素敵で、まるで女神がバスケをしているかのように錯覚してしまったよ。エルヴィラさんも、練習の成果が完璧にでていて、とってもかっこよかった。やっぱり、綺麗な人がスポーツをやっているところは見とれてしまうな」
「えへへ」
「…ありがとう、彩嗣」
僕がエルヴィラさんと芽唯に、思うことを素直に言うと、芽唯は笑顔で、エルヴィラさんは少し照れた顔で答えてくれた。すると、横の方で泉充と大丸さんがこそこそ何かを話している。何を話しているかまでは聞こえなかったけれど。
「…なんかこう、この空気感は絶対変やとおもうんよ」
「まあ、なんとなくその気持ちは分かりますが」
それから、会場の後片付けやら何やらがあって、表彰が終わって、すぐに放課後になった。帰り支度をしていると、クラスメイトの笹原さんに話しかけられた。
「ねえねえ、彩嗣くん。クラスで打ち上げ行こうって話になってんだけどさ、彩嗣くんたちは参加する? まあ、別に全然どっちでも良いっちゃいいし、強制じゃないけれど」
「うーん、僕は特に用事はないけれど…。ねえ芽唯、エルヴィラさん、どうする?」
「私は行こうかな。もうお腹すいてるし」
「その、私は…」
エルヴィラさんは、言葉に詰まっている。もしかすると、エルヴィラさんはあまり大人数での集まりが苦手なのかも知れない。
「──エルヴィラさん、無理しなくても大丈夫だよ。何人かで、一緒に行ったっていいし、勿論行かなくたっていいよ」
「あー、エルヴィラさんこういうの苦手だったりする?」
「いえ、私も、行ってもいいだろうか? その、彩嗣と瑪奈川も同行してくれるのなら、だけれど」
エルヴィラさんのその言葉に、僕は涙が出てきそうになりながらも、ぐっとこらえて「もちろん」と答えた。
「じゃあ笹原さん、三人参加でよろしくお願いするよ」
「はーい。そいじゃ、次は委員長ズに聞いて来よっかな。ま。なんか二人っきりで行きそーな気がするけど」
「うーん、そうだといいんだけれど、彼らは結構奥手だからなぁ」
「だよねー。じゃ、店と時間はあとでクラスレイン(メッセージアプリで、会話が降りしきる雨のように止めどなく会話できる、という由来)あげるからよろしくね」
笹原さんは、そう言って教室を出て行った。「僕らもとりあえず帰ろっか」と二人に声をかけると、二人とも席を立った。
これまでの特訓の思い出や、球技大会の感想──僕のシュートがかっこよかった、という感想は少し面はゆかった──を話ながら、帰り道を三人で歩いた。それから、いつものように、僕らとエルヴィラさんが別れるところにさしかかった。
「それじゃあ、彩嗣、瑪奈川。私はここで」
「うん、五時半に公園でね、エルちゃん」
「ええ。…その、彩嗣、瑪奈川。ありがとう、私と友達になってくれて」
エルヴィラさんが、僕らを見つめてそういった。風にたなびくエルヴィラさんの髪は、ぞっとするほどに美しく、綺麗で、どこか儚かった。
「そんな、礼を言われることの程じゃないよ~」
「うん。それにエルヴィラさんみたいに綺麗な人が僕と友達になってくれたことのほうが、お礼を言いたいぐらいだよ」
「…ふふ、そうかな。ねえ、彩嗣」
「何かな、エルヴィラさん?」
「いいえ、やっぱり、なんでもない。じゃあ、二人ともまた後で」
「…ん」
「じゃあね、エルヴィラさん」
別れの挨拶をして、僕と芽唯はエルヴィラさんと分かれた。無性に、最後のエルヴィラさんの発言が気にかかっていた。
「エルヴィラさん、最後に何か言おうとしてたけど、なんだったんだろう」
「…まあ私は、ちょっと分かるかな。エルヴィラさんの言いたかったこと。ま、あくくんには…言わないけれどね」
「ええ、困るな」
芽唯が、少し淋しげに言うので、追求するのはできなかったけれど、女性にしか分からないことなのだろうか、──あまり、よくは分からない。
「それにしても、打ち上げ楽しみだなぁ」
「あはは、そうだね。僕も、芽唯と一緒にご飯が食べれるのは楽しみだな」
僕らは笑いながら家に帰った。そして、エルヴィラさんとの集合場所に、少し早めについて、彼女を待った。
けれど、エルヴィラさんは──その場所に、来なかった。