妹と王子様
真っ白な空間。そこに、僕はいた。目の前には、ディーナさんがいる。先ほどまでは、でぃーと同じような少女の姿だったけれど、今は少し背が大きく、そして着ている服も少し違っていて、大きな布をかけたような格好をしている。
「…どうも、ディーナさん」
「なに、ここ? きみに、そんな力は無いはずだけど」
「貸して貰ったんです」
「そう。 で、なに?」
彼女が、僕を睨む。…アリスさんの記憶で見た、大人になったディーナさんなのだろうけれども、随分と目つきが鋭い。ともすると、でぃーも成長したらこのようになるのだろうか。
「とりあえず、世界の破壊を止めて貰えません?」
「…はぁ? なんで?」
「いや、その、困るので」
「…あのさぁ。ボクは、アリスに会いたいんだよ。別に、君に興味なんて無い」
彼女の言葉と同時に、背筋の凍るような威圧感が、彼女から放たれる。それと同時に、真っ白だった空間の景色が変っていく。どこか幾何学的な中に、無数の光が瞬くような、美しくも恐ろしい空間が、次第に広がっていく。
「この空間を塗り替えて、君を追い出せばそれで終わり」
「…じゃあ、こっちも言いますけど、僕はでぃーに会いに来たんですよ。貴方に会う用事なんて元から無いんです。別に僕は、貴方が好きでもなんでもないし、知り合いでもない」
「じゃあ、用は終わりだね。あの形代にはもう会えないから」
「…それでも、ここに来たのは。彼が、いるからだ」
僕はそう言うと、彼女の後ろを指さした。「彼?」と怪訝な顔で振り向く彼女。そしてその瞬間、彼女の動きは止まり、空間の浸食が停止した。
そこにいたのは、アリスさんだった。気づくと彼も、少し背が大きい。恐らく、彼が死ぬ直前の姿なのだろう。
「…アリス」
「久しぶり、ディーナ。…あんまり、変わってないね。三千年くらい経ったのに」
「アリス。久しぶり」
二人は、にこやかに、けれどもどこか暗い表情で、挨拶を交わす。
「うん。それで、ディーナ。僕からも、君に頼みたいんだけどさ。世界の崩壊、止めてはくれないかな」
「…そう、キミも、そんなこと言うんだ。キミのためなのにさ」
「僕のため?」
彼女が語り始めるのと同時に、空間の景色が移り変わっていく。彼の記憶で見た、はるか過去の国家の光景。けれども彼女の内心を反映しているかのように、それは暗く、そしてどこか、悍ましい。
「…キミがいない世界なんて、美しくも何ともない。だからボクは、キミといる世界を生きていたい。…でも、人間はキミを殺した。だからボクは、人類を滅ぼすんだ。…いいや、この際地球も滅ぼす。そして、ボクとキミだけの世界を──キミが殺されることのない世界を作る。きっとその世界は、何よりも美しいはずだから」
「…ディーナさん、それは──」
「大丈夫だ、彩嗣演良くん」
彼女の言い分に反論しようと声を上げた僕を、アリスさんが制する。そして彼は、静かに、ディーナさんに近づき始めた。
「…ディーナ。なんで、この世界を滅ぼすんだ?」
「さっきから言ってるじゃん。聞いてなかったの」
「いや、そうじゃなくてさ。僕は、君のここに、聞いているんだよ。本当はどうして、世界を壊したいのか。…その感情は、どこからくるのかってね」
アリスさんは、ディーナさんの胸を手で叩きながら問いかける。…いくら親友とは言え、そういった行為を軽々とするのは、随分と距離が近いな。僕が見ていなかっただけで、本当はこの二人は恋人同士だったんじゃないだろうか。
僕がとりとめの無いことを話していると、小さな声で、ディーナさんが答えを返した。
「…どうもこうもないよ。ボクは、この世界を壊す。キミのために」
「そうか。じゃあ聞くけどさ。何で君は僕が人間に殺されたって言うんだ? 僕が魔学徒に殺されたってのは、君も知っているはずだろ?」
その点は、僕も引っかかっていた。先ほど、僕もその問を彼女にしたけれど、返答される暇も無かった。彼のこの問に、彼女は何と返すのだろう。
「…そうだけど。でも、別に人類と変わりないだろ。人類は、君が死ぬのを見過ごしたわけだしさ」
「それは、無理があるんじゃないか。魔学徒が、イコール人類って事にはならないだろ」
「…でも、人類は君を見殺しにしたんだよ。そんな奴ら、生きてたって…」
「見殺し、か。それは、理由としては弱いね。だって、魔学徒と一般人の力の差は、魔学徒と君の差と同じくらいには大きいんだから」
「…だから何だよ。魔学徒は、人類の中から生れただろ。だったら、人類が生きてたって、どうしようもないじゃないか!」
アリスさんに言葉を投げかけられて、ディーナさんは激昂する。それに従って、辺りの景色も、もっと暗く、そして血塗れたようになっていく。けれども、アリスさんは平然と、言葉を返す。
「つまり君の言ってることだと、僕を害する可能性を根拠に、人類を滅ぼすって事?」
「そうだ。キミが死ぬかも知れないような、殺すかも知れないような奴らを生きながらえさせておくなんてできない」
「…でも、僕も人類だよ」
「…それが何だよ。キミは、醜い人類とは違うだろ」
「違わないよ。僕の親は人間で、僕も普通の人間だ。至って普通の、ね」
「さっきから、何が言いたいんだよ」
「人類に、善も悪もない。だって、魔学徒を生むこともあるし、僕を生むこともある。…それに、君も知ってるだろ? ドールさん、それ以外にも、良い奴は沢山いたって。どうして、そこから目をそらすの?」
アリスさんの言葉は正論だ。けれども、それはディーナさんには響かない。
「…煩いな! そうやって、口論だったらボクが勝てないっって知ってるだろ! もうキミとは話さない! 先に、何もかも壊してやる!!」
空間に、ひびが入る。恐ろしい威圧感に、鳥肌が立つ。しかし、あくまで冷静に、アリスさんは話し続ける。きっと彼は、信じているのだ。ディーナさんが、変わってくれるって事を。
「…ごめん、ちょっと大人げなかったね。って、今はキミの方が、大人だったっけ。三千才ぐらい、になるのかな。…君に聞く前に、僕が君に、止まって欲しい理由を言うよ。ねえ、ディーナ」
「何だよ…今更、何言ったってボクは止まりはしない…!」
「僕は、君が好きだ。…だから、もうこんなことは、やめて欲しいんだ」
「…へ?」
「え、今?」
思わず呆気にとられていると、ディーナさんもそうだったらしい。空間の崩壊が止まり、そしてだんだん、景色の不穏さが消えていった。
「彼の中で見ていて、分かったんだ。僕は、君のことが好きなんだ。だから、君に苦しんで欲しくない。悪いことを、して欲しく、ないんだ」
「…アリス。…遅すぎるでしょ、それ…ボク、その言葉、待ってたんだよ…? 三千年、遅いよ…」
ディーナさんが、ふらりと彼にしなだれかかる。そしてアリスさんも、彼女の背に腕を回す。空間の光景は、ほとんど真っ白に戻っていた。
「…ねぇ、ディーナ。僕が死んで、悔しかったのは分かるよ。…でも、僕らはもう、過去の人間なんだ。…だからもう…こういうのは、終わりにしよう」
「…アリス…アリスは、ボクが今やっていることが、駄目なことだって…思ってるの?」
「うん」
「…ボクさ…ボクさ、悔しかったんだ。こんな、力を持ってるのに。キミ一人、救えない。ボクは、ボクは…!」
「そうだね。大丈夫だよ、ディーナ。僕も、君の罪を一緒に背負うから」
二人は互いに抱き合って、涙を流す。これ以上見るのは野暮だから、僕は彼らから目をそらした。そして、それから十数分くらい経った頃、僕はディーナさんに話しかけられた。目の下が少し腫れている彼女は、先ほどまでとは打って変わって、か弱い印象を受ける。
「…ごめんなさい。こんなことをして…」
「分かってくれたなら、大丈夫です。もう、世界を壊すのはやめてくれるんですよね?」
「…うん。それと、あの娘…でぃーちゃんも、戻すから…」
「そうですか、なら、良かったです。…ねぇ、ディーナさん」
「なに、かな」
「アリスさんとまた出会えて、良かったですね」
「…うん、そうだね」
「アリスさんも、色々、ありがとうございます」
「いいや、僕の方だよ。…これからは、頑張ってくれ。もう僕は、君の中に居ないから」
「…そう、ですか。それじゃあ最後に、ディーナさん。…僕はきっと、でぃーの前からはいなくなりませんから」
「そう。それは、良かった」
彼女は、にこりと笑った。そして直後、空間が崩壊し始める。すると、ディーナさんは手を合わせた。すると、緑色の光が、彼女の掌に集まり始める。それと同時に、ディーナさんとアリスさんが、落下し始めた僕に向かって、口を開いた。
「…やってしまったことは、ボクが全部、戻すよ。…じゃあね、彩嗣演良。ボクの形代を、よろしく」
「ありがとう、彩嗣演良」
そして、一瞬の後に、緑色の光がディーナさんの腕から放出され、それは僕と、世界を、包み込んだのだった──。
☆
◇
気づくと、僕は病室の前に立っていた。窓の外は薄暗く、曇っていて、星は見えない。…なにか、長い夢でも見たかのような、そんな気がするけれど、思い出せない。あれ、僕はディーナさんを説得した後、どうなったんだったっけ。…とにかく、今は何時だ。もう、夜だけれど。というか、あれ。ここって、確か…芽亜くんの、病室じゃなかったっけ。
時間を確認する。すると、そこには信じられないことがかいてあった。今の日付は、12月24日。…芽亜君を巡る戦いが始まって、ユスタに瞬間移動して、そして世界の崩壊を止めた夜…その、直前だ。そしてそれを確認した瞬間、僕は、病室の扉を開けた。
「でぃー!」
中には、ベッドで眠る芽亜君と、そのそばで、椅子に座っているでぃーがいた。僕は思わず駆けだして、強くでぃーを、抱きしめた。
「…お兄ちゃん? どうしたのです?」
「…でぃーだ。でぃーなんだね…!」
「…さっき出て行ったと思ったら、またすぐはいってきて、忙しい人なのです。…でぃーはでぃーなのですから、泣く、理由なんて…って、あれ?」
でぃーが、首をかしげる。そんなことにお構いなしに、僕は彼女を抱きしめた。すると突然、でぃーも、涙を流し始めた。その理由は、彼女にも分かっていないようだった。
「…どうして、涙がでるのです?」
「…でぃー、ごめんね…でも大丈夫、僕はずっと、君の側にいるから」
「あれ…涙が、止まらないのです…でぃーは、悲しくなんて、ないのに…」
そうして、二人でひとしきり涙を流して。彼女の涙で、僕の方が少し濡れだした頃、ようやく僕も、でぃーも、泣き止んだのだった。
「ごめん、でぃー。ちょっと、強かったよね」
「はい、少しいたかったのです」
「ごめんね」
「でも、お兄ちゃんのほうようは、とっても大好きなので!」
「そっか…大丈夫、これから何度だって、君を抱きしめるよ。何度でも」
「えへへ、良かったのです! …それで、なんでお兄ちゃんは、また入ってきたのです? さっき、部屋をでたら家にもどれって言ってたのです?」
「…ああ、そうだった」
「…? 忘れてたのです?」
そうだ。いろいろなことが一気に起こりすぎて忘れていたけれど、そういえば僕はでぃーに、芽亜君を安全な場所に運んで欲しかったのだった。じとっとした目で僕を見てくる彼女に、もうそうする必要は無いと伝える。
「うーん…?」
「まあ、とにかく。この後は、一緒におうちに帰ろうか」
「…あれ? じゃあ、手続きはもう終わったのです?」
「手続き…? あっ」
そうだ。僕は、炉ノ路さんを迎え撃つために、部屋を出たのだった。…あれ、もしかして、時間がまき戻ったと言うことは、危ないのか? そう思った瞬間、扉が開いた。思わず身構える僕の目に映ったのは、見知った顔だった。
「あくくん! でぃーちゃん!」
そこには、芽唯とエルヴィラ、蕗乃ちゃんに久瑠々先輩が立っていた。芽唯が、でぃーちゃんに抱きつく。
「わっ…」
「でぃーちゃん、良かったぁ…!」
「きょうは、よく抱きしめられるのです」
エルヴィラに、状況を聞いた。するとどうやら、彼女たちも、さっきまでの夜の記憶があるらしい。
「月を動かしていると、突然光に包まれた」
「そして気づくと、病院にいたのですわ。…はたして、何が起こったのでしょう」
「あー、話すと、長くなるんだけど…でも、皆無事で良かったよ」
「そうだ、先ほどキルループの、炉ノ路にあったぞ。どうやら、あの場におった者は、皆記憶を持っているらしいのだ」
「そっか。じゃあ、芽亜君は大丈夫なんだね」
「うむ。もう悪事は働かぬ、と言っておったよ。それとな、もうあの男の身体に、魔学徒は憑依していなかった」
「そっか。…まぁ、それなら、良かったのかな」
少し、複雑な気分だ。いくら魔学徒が、コーギルが入っていたとは言え、彼が僕の父を殺したことに変わりは無い。けれどそれでも、もう恨む気持ちは、無くなっていた。
そうして、皆で話していると、むくり、と芽亜君が起き上がった。
「…あの、ちょっと寝れないんだけど…」
「あ、ごめんね芽亜君! ちょっと、でようか。あ、芽唯は?」
「ん、私は今日はめあくんと一緒にいるよ」
「…うん、それがいいね。それじゃ、芽亜君」
「あ、はい…?」
「あ、明日には芽亜君退院できるんだって!」
「へ?」
驚く芽亜君と芽唯を病室に残して、僕らは部屋を出た。僕はそこで、とりあえず、電話をかけることにした。相手は勿論、彼だ。
『もしもし』
「ごめんね泉充、デート中に」
『あー、まぁ問題ないよ』
「えっとさ、泉充。ありがとね!」
『…え、俺何もしてないけど』
「いいや、君のおかげで、僕はなんとかなったからさ。ありがと、泉充」
『…まぁ、礼は受け取っとくわ』
「それじゃあ、いい夜を! あ、大丸さんにもお礼言っといてくれたら助かるよ」
案の定、泉充は困惑していた。どうやら彼には、記憶が無かったらしい。だとしても、彼のおかげ僕はコーギルをどうにか出来たし、芽亜君を助けられたし、回り回って世界を救えた。だから彼と、大丸さんは僕の恩人なのだ。
病院から出て帰ることにした僕らは、照明の灯る廊下を歩いて行く。すると、蕗乃ちゃんが「それにしても」と口を開いた。
「まさか今宵を、二度も経験するとは。随分と、不思議な経験だな」
「あー、確かに。でもまあ、良かったよね。さっきまで、ほとんど世界滅んでたし」
「全く、その通りですわね。…もう、あのようなことは御免被りたいものです」
「…ええ。もう、月を押し返すのはこりごり」
そうして、病院を出て、僕らは帰路についた。そして、最初は久瑠々先輩が、続いて蕗乃ちゃん、そしてエルヴィラが、それぞれの帰る場所へと歩いて行って。僕とでぃーは、二人で夜道を歩いて、家まで帰ることになった。
「…うーん、もうけっこう眠いのです…」
「ごめんね、こんな遅くまで付き合わせちゃって」
「もんだいないのです! お兄ちゃんと、手を繋いで歩けるので!」
「そっか」
彼女の手は、温かい。とっても、優しい。彼女とずっと、こうして手を繋いで入れるような関係でありたいな、なんて。僕は、流れ星にそう願った。
「そうだ、でぃー。明日は、一緒にお買い物に行こうか」
「やった、いっしょにお出かけできるのです! でも、なにを買いにいくのです?」
「ほら、クリスマスパーティをしようって言ってたでしょ? その準備だよ」
「…わぁ! それは楽しみなのです!」
隣ではしゃぐ彼女を、僕はただ眺めて。そすして僕らは家に帰って、軽く晩ご飯を食べて、風呂に入って。そうして、一緒のベッドに入って眠った。とても、心地よく眠ることが出来た。そうして、世界一長かった12月24日の二度目の夜を、僕はでぃーと一緒に、ごく普通に、そして特別楽しく過ごしたのだった。




