世界でいちばん長い夜/友達が死んだ
膨大な数の蔵書に、更に数十の本が加わるというのははっきり言って憂鬱だ。一冊一冊確認しなければならないし、そもそもの装丁すら異なる。表紙まで付けられた物もあれば、紙束かと見まがうようなもの、そもそもなんらかの木片をつかっているもの、多岐にわたる。とはいえ、こうしたあらゆる本の収拾という事業は素晴らしいものであるだろう。さしずめ、わが国の図書館は世界の記憶と言って差し支えない。
「しかし、この本の言語は何なんだ。一体、どこまで手を広げたものやら…というかこれ、本当に文字か?」
「お、司書官!精が出るね」
「…これはこれは、神様。よくぞお越しに」
僕が図書館の整理をしていると、一人の少女──そろそろそう呼べなくなってきているかも知れない──が、僕に声をかけてきた。あえて恭しく挨拶をすると、彼女は頬を膨らませた。
「アリス、敬語はダメって随分前に言ったよね」
「はて、なんのことやら。私は国家に仕える司書官でありますから、貴方様のようなお方に砕けた言葉遣いなどとても…」
「…アーリース?」
「はは、冗談が過ぎたかな? や、ディーナ。君がここに来るなんて珍しいね」
流石に怒りを強く感じ始めたのでからかうのをやめて、少女、ディーナにいつものように話しかける。実際のところ、彼女をからかうのは結構楽しい。
「いやあ、結局ここがいちばんサボりには向いてるんだよね」
「一応、図書館はさぼる場所では無いんだけどな」
「えー?」
彼女は、僕の椅子に座って、手足をだらんと伸ばしている。僕と彼女が出会ったきっかけは彼女の勉強のサボりだったけれど、こうして彼女が執政に携わるようになった今でも、ディーナは変わらない。詰まるところ彼女は、一所に留まることが苦手なのだろう。人並み外れた力を持つ彼女にとっては、感じる窮屈も人一倍なのかも知れない。
「それで、アリスは何してたの?」
「蔵書が増えたからね。どこの棚にしまうのか、読んで確かめて、あと目録に書き加えて…っていうのを、しようとしてたんだけど」
「うっわ、聞いただけで退屈じゃん」
「…いや、楽しいよ」
僕の説明に、露骨にげんなりするディーナ。…ただ単純に、面倒くさいことが嫌いなだけなのかも知れない。
彼女に付き合ってばかりも居られないので、仕事を再開する。今の僕は、この国の大図書館を管理する、司書官だ。ディーナが、僕の作った魔法式を気に入り、そしてそれが魔学徒様達に評価された。それを聞いた両親が僕を“買い戻し”たので、結果司書官という要職に就けたわけだ。まあ、そこまで権力が強いわけでも無いけれど。実際、ここを使う人間はほとんどが学者か、あるいは中級以下の役人で、身分の高い人間はほとんどが私的な蔵書を有している。だから、あまり階級が上の人間はここを利用しない。──とはいえ、そうした事情があるおかげで、僕と彼女がこうして友好を築く場所として使えている側面もある。
目録を書き足していると、彼女はわざとらしく、あくびをした。構わずに作業を続けていると、またあくびだ。仕方ないから、彼女の方を向いて「どうしたの」と呆れながら聞くと、彼女はため息をつきながら、「暇」と言った。しかしいつも、彼女は暇そうにしているな。
「なんかさぁ、ボク来てるのに仕事しかしないってさぁ…」
「…一応、任命したのは君だし、君に仕えている訳なんだけどな」
「いーや、ボクを構え。仕事なんかよりそっちが重要だ」
「えー、相変わらずわがままだな。でも、あと二冊だから待ってくれないかな」
「やだ」
「…神様も地団駄ふむんだね」
なぜだろう、公務に就いているときの彼女は威厳があり、本当に神様と言って差し支えないのに、僕と居るときはなんでこうも子どもっぽいのだろうか。彼女のお付きの魔学徒様、ドールさん──唯一、魔法が使えない僕に優しい魔学徒──も、「ディーナ様は貴方と居るときだけ本当の自分に戻れるのです」と言っていたけれど、中身があまり成長していないんじゃ無いかな。
とはいえ、こうまで意固地になられると、結局は僕が折れるしか無いわけで。仕方なく僕は、仕事を中断して彼女に向き直った。そうすると彼女はにやりと笑ったので、ともすると僕ははめられたのかも知れない。
「…それで、今日は何かしたいことでもあるの?」
「んー、ない」
「…えー、僕仕事あるんだけど」
「え? ボクの暇つぶし以上に重要な仕事があるの?」
「…はいはい、分かりましたよ神様」
「んー、なにしよっかな。そーだ、新しい魔法つくってよ。面白いの!」
「面白い魔法かぁ…うーん、そんなほいほい思いつくものでも無いんだけどな。…そうだな、空中浮遊、高速移動…あとは、生命の生成に、ランダムに人間一人を呼び出して使役する魔法とかぐららいなら、今からでも作れるけど」
「後半こっわ。でも、前二つは面白そうだね。んじゃ、つくって」
「りょーかい。ええと、紙…よし、ちょっと作るか」
最近、彼女に無茶降りされることがふえたので、魔法を作ることはかなり上手くなったし、初見の魔法の分析も上達した。僕自身魔法が使えないこともあって、多くの魔法使いにはいい目をされないけれど、それでも僕の成果物は評価されてきている。ドールさんの学派なんかには、結構気に入られているので、嬉しい限りだ。
できあがった魔法式を彼女に渡すと、彼女は「あー、こうするんだ…凄いなぁ」と小声で呟いた。…結局、こうして彼女に褒めて貰うのが、いちばん嬉しいかも知れないな。
「よし、それじゃあどっか行こう! なんか、面白いとことか知ってる?」
「そうだな、だったら東の方はどうかな」
「東?」
「うん。一説によると、東の方に、まったく違う様式で生活する文明があるんだ。しかも、龍って言う、大きな蛇みたいな生物がいるんだって、この探検口述の記録にあってさぁ。一回見たいって思ってたんだよね」
「へぇ…まあ全然興味ないけど、アリスが行きたいなら行こっか。それじゃ、高速移動開始!」
僕の手を握った彼女は動き始めた。空を飛んでいくと、眼下の景色はめまぐるしいほどに変化する。
「うひゃあ、早いねえ」
「まあ、少なくとも僕らの国ぐらいの距離は、四半刻もかからないぐらいには設定してるからね」
「あはは、快適だね」
「飛んでるとき、空気から身を守らないといけないから、周りに隔壁を薄く張ってあるんだ」
「そうなんだ。アリスは賢いね」
結局、二刻ぐらいかかって、僕らはずっと東の、大きな島に辿り着いた。そこは、ほとんど自然のままだったけれど、ところどころに、木で作られた家があって、人がいた。
「すっごい、ここらへん木ばっかだ」
「うん。それに、家も木だね。…でも、そこまで発展はしてないのかも?」
「…いいな、凄い良い景色だ。キミも、そう思うでしょ?」
彼女は僕の方を向いて、そういった。僕らは互いに、国というものが好きではなかったから、こんな景色は、特に僕らの胸を打った。自由で、何にも縛られなくて。争いは無い。勿論、過酷な生活でもあるのだろう。けれどそれは、言葉で言い表せない感情を、僕らに抱かせた。
「うん。…いいね、国が無いから」
「…だね。神様もいないし」
「図書館も無いね」
「…えへへ」
「あはは」
僕らは、空からそこを見ながら笑った。結局それから、もっと東に行って──彼女に、僕らが住む大地が球状だと話すと酷く驚いていた──国に帰ると、もう夕方だった。
「それじゃあね、アリス」
「ん、また」
こんな日が続くと良いな、なんて。彼女に出会う前なら思いもしなかったようなことを、僕はただぼんやりと思っていた。
☆
朝起きると、すぐにお付きの人がボクに声をかける。しかし、彼らも暇だな。声に従って服を着替えると、朝食が用意されている。
「今日は?」
「は、西方より取り寄せた珍しき果物と、家畜の乳でございます」
「ん」
静かに食事をする。神様というのは案外窮屈だ。なにせ、食事もやることも、ほとんど全て決められている。ただのおかざりだ。ボクが出来ることと言うのは、案外少ない。それに、魔学徒とか名乗る連中も、ボクのことを崇めるだけで、実務はほとんど彼らが行うものだから気持ちが悪い。まあ、ボクのお付きであるドールは、話が違うけれど。とはいえ、こうした実態を知る人間は少ない。アリス、ボクの唯一の友達で、この国で数少ない美しい人間である彼も、ボクの神様としての執務は多いと信じているから、彼の前だけでは神様らしく振る舞いたい。
さて、今日は何をするのだろうか。聞いてみると、今日はそれほど、仕事が多いわけでは無かった。
「朝より、対岸のエルネイア国の皇太子との謁見、そして日の入りの後、魔学徒コーギル様が謁見を求めております」
「はーい。…それじゃあ、その間は暇なのかな?」
「…はい、その通りでございます」
「んー、下がって良いよー」
さあて、今日も仕事をしようかな。流石に、皇太子との謁見は分身じゃ無くて、本人で行った方が良いだろう。…分身、瞬間移動、生命投影、光弾、甘雨、高速移動、浮遊、不可視壁、引き寄せ…アリスが作った魔法は、大好きだ。彼がボクの爲だけに作ってくれた魔法。ボクはキミが作った魔法を使う度に、キミのことが好きになるんだ。…キミだけが、この世界で、ただ一人美しい。
謁見の間に行くと、既に皇太子が来ていた。彼と、一言二言挨拶を交わして、それで終わりだ。後は、ただ魔学徒の執政官と、皇太子とともに来た大臣の話を聞くだけだ。
「…では、これで失礼いたします」
「…はい。エルネイア国皇太子は勇猛果敢にして聡明と聞いていましたが、噂通りのようですね」
「は、恐れ多きお言葉。…しかし、昨夜この国を遊覧いたしましたが、大図書館は素晴らしいですね。まるで、世界の本全てがあるようでした」
「…ありがとうございます」
皇太子はそのまま下がっていった。ボクはと言うと、一人で玉座の上でニヤニヤしていた。図書館を褒められると、まるでアリスが褒められたように感じてしまう。
そうだ、このことを彼に伝えに行こう。そう思って部屋を出ようとすると、ドールに引き留められた。そうやら歓迎の宴が饗されるらしく、流石にボクも臨席しないといけないらしい。面倒だな、アリスと食べる食事の方が何倍も美味しいのに。
「…アリス様から教えて貰った魔法で、ディーナ様ご自身が抜け出すのもいけませんよ?」
「えー、厳しくないドール」
「貴方様のためです。それに、アリス様もこうした公務を抜け出してまでお会いに来ることを望まれませんよ」
「…分かったよ婆や」
まあ、ドールに言われたら仕方ないか。彼女は、ほとんどボクの親みたいなものだしね。それに、ほとんど唯一と言って良いぐらいに、アリスに嫌な目を向けないから。…あと、ディーナって、呼んでくれるし。
そうして、食事が終わって。ようやく解放されたボクは、意気揚々と図書館に言った。土産話を手に持って。歩いて行くと、不思議なことに図書館の近くに、人だかりが出来ていた。彼らは何やら言い騒いでいるようだった。
「キミ達何してんの?」
「か、神様!」
「どいてどいてー」
まあ、なんであれボクはアリスに会いに来ただけだ。別に、人だかりに興味があるわけでも無い。大方、泥棒を袋だたきにしたとか、喧嘩とかその類いだろう。そう思って、ボクは通り過ぎようとした。そう、通り過ぎようと、したのだ。…けれどボクは、見てしまった。
「…アリ、ス?」
誰かが、死んでいた。…そんな筈無いといい聞かせて、人混みを抜ける。そうして、ボクの目に映ったのは。血を流す、一人の人間の死体。…唯一の友達の、亡骸。
「…嘘。なんで、アリスが…?」
アリスが、死んでいた。…頭が、真っ白になる。嘘だ、そんな筈が無い。だって、ボクの友達なのに。なんで。
死体を見る。アリスは、なんで死んだのか。…神様だったから、ボクには分かった。分かって、しまったんだ。彼は、誰かに魔法で、殺されていた。
「…アリス、嘘だよね…嘘だって、言ってよ…」
ボクは、彼を見ることしかできなかった。人を蘇らせる魔法なんて、この世界には無い。アリスに、作って貰ってもいない。
もう動くことも、話すことも無いアリスと一緒に、自分の部屋まで行って。ボクは、ただ彼を抱いて、黙っていた。どれほど、そうしていただろう。…朝言われた、魔学徒との謁見の時間が来た。ボクは、分身の魔法を使おうとした。けれど、できなかった。なぜならその魔法は、彼との最初の思い出だったから。だからボクは、心が死んだ状態で、彼との謁見に行った。
「…なにかな。コーギル」
「いえ。ささやかながら、お祝い申し上げようと思いまして」
「祝い?」
「はい。…神様にまとわりつく、愚かな無能者をようやく殺害いたしましたので」
「…は?」
言っていることが分からなかった。無能者。彼らは魔法が使えない人間のことを、そう呼ぶ。そしてボクの側にいる、魔法が使えない人間なんて、たった一人しか、いない。
「アリス司書官のことですよ。彼は、愚かにも貴方様に近づきましたから。至上の魔法使いたる貴方様に、無能なる者が近づくなど、不敬の極みです。貴方様も、そうお思いでしたでしょう」
「…キミが。キミ達が、アリスを殺したの?」
「はい。我々魔学徒で、あれを抹殺いたしました。見物でしたよ、最後まで貴方様を呼んでましたから。…しかし、あれは不敬にも貴方様に名を付けていましたね。随分不愉快でした」
彼は、笑った。…ボクは気になって、彼の記憶を覗いてみた。するとどうだろう。むごたらしく殺される彼は、ただ「ディーナ」と、ボクを案じていたのだ。もう、怒りで頭がどうにかなりそうだった。…いいや、きっともう、どうにかなってしまったのだろう。ボクは、この世界が酷く醜く、まるで糞と吐瀉物で塗り固めたもののようにしか見えなくなってしまっていたのだから。
「…そっか。うん、決めたよ」
…彼を殺したのは、魔法。それと、人間。…その二つは、不要だ。そんなのがあるから、美しい彼が、醜いこの世界に汚されてしまったんだ。
「…人類に、魔法なんていらない。…いや、そもそも人間なんて、この世界には邪魔だ」
ボクは、怒りのままに暴れた。国を滅ぼして。人類から魔法を奪って。大体半分ぐらいの人間を殺し尽くして、世界を燃やして、ふと気が付いた。彼が昔話していた、“輪廻”。死んだ人の魂は、再び生れて来る、と言う思想。
「…そうだ、そういう世界にすれば良いんだ」
ボクは、人類にルールを課した。魂は、転生する。彼の魂の特定は出来なかったけれど、彼の魂もきっと、そうなったはずだ。そうしてボクは、海の底におうちを建てて、彼を待ってみることにした。人類を滅ぼすのは、まだ後で良い。彼が転生してくる器が無くなってしまうから。
やっぱり、と言うべきだろうか。僅か千年も立てば、ボクが滅ぼした世界の半分は元通りになっていた。人間は醜いな。ボクの友達にあんなことをしておいて、身勝手に増えるなんて。
「…遅いな、アリス。さっさと戻ってきなよ」
もう千年待っても、彼は帰ってこなかった。そして、一つの事に思い至った。彼の転生に気づく前に、彼がまた死んでしまったら? だからボクは、思いついた。転生した人間に、死なないように、力を与えれば良い。ボクの、力を小分けにして。そうすれあ、ボクが彼に気づくまで、彼はきっと、死なない。
「“プレゼント”でいっか。…あーでも、自動化したほうが…よし、力と魂を分けようか」
そうしてボクは、身体を分けた。転生した人間に、“プレゼント”を与える、力の魔法生命と。力のほとんど無い、世界を流れていくボクの魂との二つに。
「…待ってるよ、アリス。だから、早くボクに、会いに来てね」




