世界でいちばん長い夜/かみさまとおともだち
果たして、ここはどこなのだろう。確か、能力が使えるようになったことに困惑していたら、彩嗣の妹が光り始めて、そして姿を消した。そして気づくと私達は彩嗣の家の前にいて、そして今、私は、地平線まで続く砂漠に居る。
「…砂漠にしては、暑くない…」
不思議なことに、雲一つ無い晴天で、太陽は真上にあると言うのに暑くない。むしろ、涼しいとまで言ってもいい。随分と、過ごしやすい気候だ。
「…瞬間移動、ではないのか」
このような土地は、私が知っている限りでは無い。故に、彩嗣妹の瞬間移動の能力で移動したのではない事が察せられる。それに、私がここに来たときの、あの模様。仮説を立てるとすれば、一つだろう。
「別の、世界か」
我ながら、随分突飛な結論であるとは思う。が、やはりこれがしっくりくる。なにせ、気候はありえないし、そもそも、時折空を飛ぶ鳥も、砂の上を孤独に歩く虫も、断じてみたことが無い。現代において、このような環境が実在しているのであれば、見たことも聞いたことも無いというのは少し不自然だろう。故に、不可思議な結論こそが自然であると考えることが出来る。
とはいえ問題は、ここがどこか、ではない。どうやって、元いた場所に帰るか、だ。たったの一瞬だったけれど、彩嗣妹と、彩嗣の表情を見た。彼らの表情は、何かが違っていた。…もしも、彩嗣達に何かがあったのなら。
「…そろそろ、私にも貴方の力に、ならせて欲しい」
☆
これは、昔々、まだ人間が魔法を使えたときの話だ。…その文明は、大きな海に面していた。対岸の国と、こちらの国。互いに栄華を誇った両国は、時に婚姻によって平和を築き、またあるときは戦争によって傷つけ合った。そして戦争には魔法が使われるものだから、その被害はとても大きかった。仮に、魔法が無かったのなら。きっと戦争は、弓矢だの、槍だの、そんなものを使っていたに違いない。そしてそれは、魔法の存在する世界ほど、いびつでは無いだろう。
魔法の戦争は、人を大きく減らす。だからその分、大国は人的資源を略奪する。魔法が使えれば“教育”するし、ある程度ならば下級労働者に、全く使え無ければそれはもう奴隷だ。そんなことがまかり通る国で、僕は生れた。幸いなことに、市民の階級だった。それも、宮仕えの家庭。それなりに、家格は良かった。ただ問題なのは、僕が魔法を使えなかったこと、だろうか。
「…おい、無能。これ、やっとけ」
「…はい、分かりました」
今日も、使用人として働く。厄介事は皆僕に回して、仕事をさぼる。当然、魔法使いの間でこんなことが起これば大問題だ。けれども、使用人の監督官も、皆黙認する。僕が、魔法を使えないから。
ゴミ捨てだの、掃除だの。そうした仕事──つまり、上流の人間に会えず、感謝されはしないような見えない仕事は僕の役目だ。
「…ふぅ…やっぱり、多いな。…それにしても、なんで美味しそうなのに、こんなに残すんだろう」
独り言を吐きながら、箱に入ったゴミを捨てる。魔法で作られたらしい焼却炉へと持って行き、中身を全て燃やして、の繰り返し。実に単調だ。問題は、ゴミがあまりにも臭いと言うことだ。上流の人間達は、なぜかやたらに食事を残す。こっちは一日の食事さえ、足りるかどうかだというのに。…とはいえ、こればかりは魔法に感謝だ。他の国では、まとまってゴミを処理する監修すら無いところも多いのだから。
思わずため息が出る。こういうときは、一人で良かった、と思う。他人の前で、僕が不満を隠さない態度をとったのなら、僕は懲罰を食らうだろう。…この世界で、魔法を使えない人の人権はほとんど、ないのだから。仮に僕がこの国に生れていなくて、この国の近くにあるような小国に生れていれば、それこそ奴隷だったろうな。
「…そんなに魔法を使えるのが偉いのかな」
「…いやぁ、分かるなぁそれ」
不満を呟いた僕の側に、なぜか一人の少女が現れた。彼女を見た瞬間、僕は戦慄した。彼女は明らかに、最高権力者しか着用できないような衣服を着ていたから。僕は慌てて、顔を見ないようにして謝った。
「も、申し訳ありません。すぐ仕事に戻りますので…!」
「…えー、もーちょい話そうよ。同い年ぐらいでしょ、キミ」
「は、はぁ…」
少女は、笑って言った。その笑顔は、世界をちっとも美しく思えなかった僕の瞳に初めて写った美しいものだった。
「でさぁ、キミ何してんの?」
「えっと、廃棄物を処理してます」
「へえ~。あー、捨てたのってこうなるんだね。知らなかったな」
「まぁ、こうした仕事は我々のやることですから」
「ふーん。でも、暇そうだね」
「…いいえ、そんなことは」
「いや、キミは暇だよ。今、ボクが決めた」
「…ええと」
すると彼女は、僕の手を取って走り出した。本当は、こうして仕事から離れるのは良くないことだ。それなのに僕は、その瞬間、まるで人生ががらりと一変するようなそんな予感めいたものを感じていた。高い身分の人間の誘いを断るのは良くない、という無理のある言い訳をしながら、彼女に手を引っ張られて僕は走った。
物心ついた頃から、僕は宮殿に使えていた。中には使用人の宿舎もあるし、僕のような子どもは、敷地内の仕事しかさせて貰えない。だからその日、僕は初めて、宮殿の外に出た。
辿り着いた先は、小さな丘の上だった。気持ちの良い風が吹いていて、眼下には都市が広がっていた。まるで初めて見る景色。それはとっても新しくて、そしてきっと、美しかった。
「いや、良い場所でしょここ。ボクのお気に入り」
「そう、ですね。良い場所かな、とは」
「うーん、その敬語、やめてよ。なんか、気持ち悪い」
「…しかし、仕事ですので」
「じゃあ命令ね。ボクは偉いらしいから、キミは従わなければいけないでしょ」
「…偉いのですね、やっぱり」
「うん。だってボク、神様だもん」
「……え?」
瞬間、僕は頭を下げた。神様。宗教に現れる、言葉や文章、偶像にのみ現れる存在では無い。この国において時折現れる、最も優れた魔法使いの称号だ。歴史上三人目となる神が現れた、と言う話は聞いていたが、まさか僕と同じくらいの年齢の少女だったとは思わなかった。
「えっと、その、まさか神様だったなんて…」
「うん。だから、敬語はナシね!」
「は、はい、わか…分かった、よ」
「ん」
彼女は満足げに笑った。こうして見ると、育ちの違いを除けば、僕と何等変わらないごく普通の人間に見える。きっと僕は、初めて会ったこの時から、何となく彼女のことが気になっていたのだろう。
「えっと、それで、どうしてここに?」
「あー、なんか魔学徒さん達さあ、勉強しろってうるさいんだよ。だから、さぼってんの」
「え、それいいの? 魔学徒様って、偉いんじゃ」
「いんじゃない? ボクの方が偉いしさ」
「あー、まあそうだね」
「で、キミさ…えっと、名前何?」
「あ、アリス…だよ」
「アリス。うん、良い名前だね。響きが良いよ」
「あ、ありがとう」
僕の名前を小声で復唱する彼女。無邪気だ。そういえば、彼女の名前は何なのだろう。それを聞くのは、恐れ多いかな。
「…なにかききたいことでもあるの?」
「え、なんで分かったの」
「そりゃあ、神様だからね」
「そ、そう。えっと、じゃあさ、君の名前は、なんて言うの?」
「…私は、神様だよ?」
「そうじゃなくて。いや、そうなんだけどさ、神様って役職の名前でしょ? 君の名前、聞きたいんだ」
神様、じゃない彼女の名前。それを聞いても彼女は、ぴんときていないようだった。なぜなら彼女には、神様以外に、自身を表す名がなかったのだ。
「神様、としか呼ばれてないんだよね、ボク」
「お母さんとか、お父さんとかは?」
「…いないよ。ボクが生れてすぐ、ボクを売ったんだ」
「…え?」
彼女が言うには、彼女の両親はもう誰なのかも分からないのだという。彼女が生れてすぐ、その膨大で尋常ならざる魔法の資質は、実質的にこの国を支配している魔学徒達の目にとまった。そして、破格の値段で彼女を“買った”のだとか。それを聞いて、僕は感情の持って行き方が分からなかった。それと同時に、この国はひょっとするととんでもない嘘で塗り固められているのでは無いか、なんて疑問もわいてきた。なにせ神様は、“ある家系に時折生れる”なんてのが常識だったから。
僕が何も言えないでいると、彼女は小さな声で、「やっぱり、変かな」と口を開いた。その表情は、笑っているようでいて、誰よりも深く泣いているようだった。
「…みんな、名前があるんだよ。でも、ボクには名前なんて無い。…魔学徒さん達は言うんだ、神様に名前は要りません、絶対の存在ですから、って」
「…君は、名前が欲しいの?」
「うん。ただ神様、神様ってだけ呼ばれてさ、疲れるよ。…思うんだ、本当のボクってなんなんだろうって」
「そっか。…じゃあさ、僕が君に、名前をあげるよ」
「え? キミが?」
「うん。ダメ、かな」
悲しんでいる彼女を見ると、どうにかしてあげなくては、と言う思いが、強く僕の内にわき上がった。そして僕は、思いのままに、彼女に提案した。しばらく彼女は僕の顔を見て、黙っていたけれど、数十秒ぐらい経ってから笑って口を開いた。
「うん、いいな。じゃあ、キミに名前を付けて貰うよ。それでそれで、どんな名前?」
「…ディーナ、とかどうかな?」
その名前は、至極安直だった。なにせ、神様を意味する異国の言葉、“デウス”のディーをとっただけのようなものだったから。そのときの僕には、彼女のことを全然知らなかったから、それくらいしか考えつかなかったのだ。それでも彼女は、僕の付けた名前を気に入ったらしい。
「ディーナ。…うん、ディーナ! えへへ、良い名前。これからボクは、ディーナだ! ありがとね、アリス!」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ」
「…そっか。いやあ、良い暇つぶしになったよ、ありがとねアリス」
「…うーん、思ったんだけどさ、ディーナ」
「なに?」
「魔法で、自分の代わりに勉強する分身とか、作れないのかな」
その提案は、彼女とただ一緒に居たい、という幼心の発露だった。けれど、今思うと多分、僕から彼女にあげた名前と並んで、僕がディーナの友達になれたきっかけだったんだと思う。
「…あ! 確かに! アリス、頭良いね!」
「え、そうかな」
「うん、それは考えたことなかったけど、確かに出来たら最高じゃん。よし、やってみるか」
「あれ、そういう魔法はないんだ」
「だね。でも大丈夫、ボク神様だし…よゆー!」
そういうと彼女は魔法を発動した。魔法にはおおよそ二つの種類がある。口頭による魔法と、方陣による魔法。前者は言葉を媒介に、後者は図柄を媒介とする魔法だ。方陣の利点は、事前に用意が必要な分、発動が楽ということだ。たいていの場合、方陣を使う魔法では、紙なんかに方陣を着ておく──庶民の目線からすると、随分無駄遣いに思えるけれど──。そして彼女は、方陣を使った。ただ、それは虚空に突然出現した、光の方陣だった。これは、口頭の魔法の一段階上、思念による無口頭の魔法よりも更に難易度が高い。つまるところ、彼女の魔法の練度は、神様の名に違わないものだった。──が、結果はというと、良いとは言えなかった。
「…えっと、泥人形かな」
「く~っ、なんで!? 分身作ったはずなのに!」
「うーん、多分土魔法だけで作ったからじゃ無いかな。元々堅く結束する土魔法は、柔軟に動かす分身とは相性が悪いんだと思うけど。一応、泥になったのもそれでかな…って、ディーナ?」
できあがった出来損ないの泥人形を見て分析していると、ディーナがきらきらした目で僕を見ていた。そして彼女は、身を乗り出しながら、僕に向かって言った。
「…もしかしてアリス、頭良いの!?」
「えっと、そこまでではないけど。でも一応、魔法の本とかは、見たりはするかな」
「ううん、あんなに魔法の知識持ってる人初めて見たよ! ねぇねぇ、その知識でさ、一緒に分身の魔法、作ろうよ!」
「あ、まあ、頑張ってみるよ…?」
「よっし! じゃあ、お願いね!」
結局流される形で、僕は彼女がさぼるための魔法制作に力を貸すことになった。とはいえ、僕はそのとき既に、彼女に薄々惹かれていたから苦ではなかったし、使用人の宿舎にある書庫で様々な本を読みあさった甲斐があったと思っていた。
先ず始めに考案したのは、水魔法で柔軟な身体を作り、こぼれたりしないように油の皮膜で覆って、外見を光の魔法で投影する魔法だった。僕は魔法式──魔法を使うための、レシピのようなもの──をつくって、彼女に渡した。彼女はそれを見て、「…こんなんどーやってかんがえるの?」といいながら、魔法を展開した。
「…あー、これは…」
「少なくとも、人間の動きでは無いね」
できあがったのは、ぶよぶよの人間に見えるなにかで、しかも僅か数秒で重力に負けて、平べったくなった。支えがなかったのがいけなかったんだろう、次は内部に氷の魔法で作った骨を入れてみた。
「お、立った! 見た目もそれっぽいね。風が吹くと、あり得ないくらいぼよんぼよんするけど」
「まあ、そこは水の性質を変えたらいけるとして…ひとまず、動かしてみて」
「よーし…って、あれ? うーん?」
「どうしたの?」
「動かないや」
「…水じゃあ、そこまでの動力は無いのか」
なるほど、確かに水にはそこまでの力は無かった。結局、ある程度は人体を模倣する必要があるらしい。次に僕は、大部分を水で形作りながら、骨と同時に、炎魔法と木の魔法、それと雷の魔法を使って模倣した、擬似的な筋肉を入れてみた。
「これで、理論上は動く筈なんだけど」
「どんどん複雑になってくね。…よし、できたよ。お、今度は動く!」
「よし、これで後は自律性を…って、あれ?」
「うっわ、弾けた。…流石に、人が弾けるのはきもいね」
「…なるほど、皮膜が弱かったね。内部の熱が強すぎたっぽい」
「うへえ…」
それから、皮膜を強くしすぎると熱が籠ってあわや爆発しかけたり、動きが硬くなりすぎたり、勝手に動きすぎて見失いかけてしまったり、自律するようにしたら全く人間的ではない動き方をしたり、と様々なトライアンドエラーをへて、僕らはついに、命令することによって自律的に動く、極めて人間的な分身を生み出す魔法の開発に成功したのである。
「おおお~…!」
「かんせい、したね…!」
「アリス!」
「ディーナ…わっ!」
喜んでいる僕に、彼女が飛びついてきた。支えきれなくて、地面に倒れ込みながら、僕らは笑った。しばらく笑って、僕の上に馬乗りになりながら彼女は言った。
「ねぇ、アリス。…ボクの、友達になってくれる?」
彼女の表情は、親を探す子犬を連想させた。不安そうな、表情。神様と呼ばれる彼女の普段の生活が、うかがい知れるような気がして。僕はきっと、その姿を自分に重ね合わせていたのだと思う。僕も、孤独だったから。だから僕は、迷わずに頷いた。
「うん。僕らは、友達だよ」
「…良かった。友達、友達かぁ。…えへへ、いいね! 初めて、友達が出来ちゃった」
「僕も、初めてだよ」
「…えへへ」
こすいて、僕は彼女の“友達”になったのだった。…この選択が、僕と彼女に悲劇をもたらすことになるのだけれど、僕はそれを知らなかった。けれどもし、それを知っていたとしても、僕はきっと──彼女の友達に、なっただろう。僕は彼女が、好きだったから。
そろそろ帰ろっか、と彼女が言った。そして彼女は僕に、「ねえアリス」と笑いながら言った。
「ここから宮殿まで、すぐに戻る魔法、かんがえてよ」
「…ディーナは人使いが荒いのかな」
「まあ、神様だし? ほら、はーやーく!」
「はいはい。…まあ、それくらいなら、雷の魔法と、光と幻の応用で…後、座標指定は磁力魔法で…うん、できたよ。この魔法式でいけると思う」
「よーし、それじゃあこれで帰ろっか!」
彼女は、僕の魔法式を見て、僕の肩に手を回しながら魔法を発動させ始めた。てっきり小動物か何かで実験してからだと思ったから、焦って「いきなりなの!?」と聞いたけれど、彼女はしっかりとした声で、「だって、キミの魔法でしょ!」と答えた。その表情には、曇りなんかなかった。そして次の瞬間、心配する僕をよそに、僕らは宮殿の、ゴミの処理場所に立っていた。
「…よ、よかったぁ…」
「ね、言ったでしょ?」
「…うん」
「それじゃあ、またね!」
彼女は、僕に手を振って走っていった。僕はその後ろ姿を見ながら、世界が今までとは違って、美しく見えることに戸惑っていた。




