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食事と特訓と委員長ズと王子様

 母が死んだあの日は、こうして楽しげな食卓を囲めるとは思っていなかった。父は、人が変わったように塞ぎ込みがちになったし、ふみも、どことなく鬱屈としているように見えていた。多分、母が事故で亡くなったあの日からの数年間は、この家の時間は止まっていたように思う。だから、と言っては何だけれども、今私の目の前でやたらと流暢に、食事のおいしさを語る彩嗣と、いつもの如くに途方もなくおいしそうにカレーを頬張る瑪奈川には、それなりに感謝はしている。しては、いるのだけれども。


「エルヴィラさん、おいしい…おいしいよ! このカレー!何杯でも食べられるよ!」

「うん、おいしいぃ~お肉が柔らかくって、コクが深くて…それでいて、野菜の甘みがしっかり効いてて…すごいよぉエルちゃん、とっっってもおいしいよ!」

「そう、それは良かった」

「…でも、少し残念だな。料理している時のエルヴィラさんは、とても綺麗だったろうに、その姿を見ることが出来ないなんて。女の子の料理している姿はとっても魅力的なんだよね、芽唯もそうなんだけれど」

「…そこに言及する必要はないはず」


 こう、料理以外を褒められるのは困ってしまうから、やめて欲しい。そういった抗議の目線を向けてみても、彩嗣は意に介さないし、瑪奈川は食べることに夢中なので取り合おうとしない。父も、にこやかに笑っているので、味方はどうやらいないらしい。すると、無表情で無口を貫いていたふみが、口を開く。


「そうですね、確かに料理をしているときのエルヴィラ様を御覧に入れられなかったのは少々ばかり残念と言えますね」

「ふみ?」

「エルヴィラ様は、とても真剣にお料理なされていましたから。エルヴィラ様は素材が大変良いので、私にもし感情があれば見とれていたでしょうね。そして、エルヴィラさんは先ほどの料理中、なんと鼻歌を歌っておられました」

「え…? エルヴィラさんが、鼻歌を…?」

「はい。『健気でかわいらしい』と思う姿でした」

「ふみ、もうやめて」

「…エルヴィラさん。今度、一緒に料理とかしてみない? エルヴィラさんの料理してるところ、やっぱり見てみたい」


 彩嗣が、とても真面目な表情で、私を見つめて言う。…その誘い自体は、私としては好ましくないわけではないけれど、こういうのは結構恥ずかしい。


「…まあ、気が向いたら」

「本当? 嬉しいな、台所に立つエルヴィラさん、綺麗なんだろうなぁ」

「照れるからそう言うことを言うのはやめて」

「大丈夫! エルヴィラさんは、照れた顔も素敵だよ」

「そういう問題じゃない…」


 恥ずかしいので、瑪奈川の方を見やると、いつものように、満面の笑みで食事を続けていた。そこまで小柄な方ではないけれど、あの体型のどこにあの量の食べ物が消えていっているのだろう。私と比べると、確かに胸部や臀部は多少なりとも大きいけれども、それだけでは到底納得できないぐらいには栄養を摂取していると思う。


「ん、エルちゃんどしたの?」

「…いや、多めに作って正解だったと思って」

「そう? じゃあ、もっかいおかわりもらおっかな~」

「ええ、どうぞ」

「やった~」


 瑪奈川は、ふんふんと鼻歌を歌いながら立ち上がって、おかわりをよそいに行く。最初の数回は、私とふみが、客人なのだからそれぐらいはやると言ったけれども、「何回も行くから自分でやる」と聞かなかった。実際に、代わりによそうのが少し億劫になるぐらいには瑪奈川はおかわりをしていた。

 それから、数回おかわりをして、瑪奈川は満足した面持ちになっていた。どうやら足りたらしい。彩嗣は、何度か瑪奈川に対して料理を振る舞ったことがあるらしいが、一人であの量を作るのは、それなりに負担だろう。瑪奈川が本当においしそうに食べるから、精神的な苦痛は全く感じない、と言う彩嗣の意見には全面的に賛成だけれど。


「そうだ、折角作って貰ったんだから、皿洗い手伝うよ。五人分の食器は、結構大変だと思うしね」

「…それは、少し申し訳ないような」

「まあまあ、食後はゆっくりしててよ。あんまりエルヴィラさんの綺麗な手が荒れるようなのももったいないしね」

「…ふむ、では手伝って貰いましょうか。客人の好意をむげにするのもいけませんし。エルヴィラさんは、少し休憩していてください。…馴れない調理にお疲れでしょうし」


 そう言って、ふみと彩嗣は台所へ向かって行ってしまった。瑪奈川は、「私も行った方が良い流れかな」と言っていたが、彩嗣がさせないだろうと答えると、それもそうだと笑った。

 ちょうど、私と瑪奈川がソファに座ったぐらいで、それまで静寂を保っていた父がふう、とため息をついた。


「…父さん、なにか?」

「いや、少し懐かしくなってね。あの頃は、二つも椅子が余ることはなかったからさ」

「たしかに、母さんと、あの子もいた」

「ま、父親として嬉しいんだよ。あんなに笑顔が溢れる食卓は久しぶりだ」

「うん、私もそう思うよ、父さん」


 テレビから流れる音だけが、部屋に響く。すると、瑪奈川が、あの、と口を開いた。


「…迷惑じゃなかったら、たまに来ても良いですか? その、大分美味しかったので、料理が。また食べたいな~って…だめ、ですか?」


 瑪奈川の提案に、父が驚いた表情をした後、優しく笑った。


「はは、そうだね。うん、いつでも──というと、実際には難しいけれど、また、エルヴィラと一緒に、ご飯を食べてやってくれると嬉しいよ。な、エルヴィラ」

「…ええ。瑪奈川も、彩嗣も、また一緒に食卓を囲もう」

「わ、ありがとうございます。…じゃあさエルちゃん、次は炒め物とかがいいなぁって思うんだけど」

「…ええ、練習しておく」

「ありがと~!」


 瑪奈川はそう言うと、私に飛びついて、私に抱きついてきた。じんわりと暖かいのは、瑪奈川の体温のおかげなのか、私の心がそうさせているのか、はっきりとは分からない。けれど、瑪奈川の存在は、私にとって、一つの救いともいえるような気がする。そして、彩嗣もそうだ。私の、初めての友達。私の中の止まった時間を動かしてくれた二人には、どうやっても、恩を返すことが出来そうにないと思えてしまうのは、大げさだろうか。

 皿洗いが終わった彩嗣が帰ってくると、時計の針は大分遅くを指していた。さすがにそろそろ帰らないと、ということで、彩嗣と瑪奈川は連れだって、帰路につくことにした。


「エルちゃん、今日はありがと」

「…わたしこそありがとう、瑪奈川」

「エルヴィラさん、それじゃあね。また明日、綺麗なエルヴィラさんを見れたら嬉しいな」

「…綺麗かどうかは分からないけれど、彩嗣も、また明日」


 門の前で、二人を見送る。いつものように、瑪奈川は無邪気に笑って、彩嗣は余計な一言を話す。そうして、二人は帰っていった。二人は時折立ち止まって、私の方に手を振るので、その度に私も手を振り返す。暗い道を歩いている二人は、隣同士で、ぴったりくっついている。

 そんな二人の姿をみて、ほんの少し、心に痛みを感じた理由は、私にはまだ分からない。




 球技大会。僕らが通う篷樋学園では、その行事は五月末に行われる。つまり、大体あと一ヶ月程度なわけだ。そして、球技大会に出場したい──というエルヴィラさんのために、僕と芽唯、それに泉充と大丸さんで、練習会を行うことにした。


「ほんで、球技大会、女子はバスケやっけ? まー、ちゃっとドリブルしてぱっぱシュート決めたら勝てるで、エルヴィラちゃん」


 泉充が適当なことを言うと、大丸さんが呆れた様な顔で、泉充を注意する。 


「…もう少しきっちりしてください、小太刀さん」

「えー、大体こんなもんちゃう? スポーツは感覚やって」

「委員長として、級友の悩みを解決することは重要な責務です。あなたも委員長なのですからしっかりやって貰わなければ困りますね。貴方は、運動は得意でしょう?」

「…ごめんて~」


 大丸さんが軽く説教をして、泉充が謝るといういつもの流れだ。この流れは学校にいるときもよく見るのだが、実際の所、泉充が大丸さんに寄せている好意は意外と分かりやすいので半ば二年二組の暗黙の了解となっている。

 二人の掛け合いを見ていると、エルヴィラさんが小声で話しかけてくる。


「ねえ、彩嗣」

「なに? エルヴィラさん」

「あの二人は懇ろな関係なの? どうにも距離が近いように見えるけれど」

「あー…うん」


 どうやら、二人の──というより、泉充の──懸想は、エルヴィラさんにもすぐ分かるものだったらしい。しかし、どう答えたものだろうか。泉充は大丸さんのことを好ましく思っているし、芽唯から聞いたところでは、大丸さんも割と良く、泉充のことを愚痴る体で話しているらしいから、言ってしまえば脈ありの両片思いなのだけれど、それをこの場で言うのは野暮だろう。


「まあ、喧嘩するほど仲が良い、みたいなものじゃないかな、とは思うけど」

「うん、夫婦げんかみたいだよねぇ」

「ふっ!? 瑪奈川さん、そのような戯言はよしてください」

「そんなんちゃうわ!…俺はグラマラスな体型のが好きやし。大丸ちゃんみたいなちんちくりんは正味タイプちゃうって言うか」

「…そのような不埒な発言は同じ委員長としては許せませんね」

「…でも、大丸ちゃんてほら、何処がとは言わんけど…小さいし」

「あ、貴方は女性をそのような目で見ているのですか! 委員長としての責務を自覚してください!」


 二人は、芽唯の放った『夫婦』という単語に過剰に反応して、息ぴったりに否定する。正直なところ、二人の息は、普段から結構あっているし、このような場面に出会う度に、彼らはお似合いなのではないか、と感じる。ただ、好ましく思っている人間を相手にしているのに、悪態をつくというのはあまり良いこととは思えないけれど。


「槇葉ちゃんってさ、割と分かりやすいよね」

「泉充は、もう少し素直になってもいいと思う」

「…やはり親密な関係なのでは」

「…まあ、そう捉えても良いような気はするよね」


 言い合いを始めた二人を見ながら、あの二人はお似合いだな、と思う。僕は、あまり人に強くあたることは得意ではないから、本音を言うことが出来なかった経験がそこそこあるから、あの二人のような、本音をさらけ出し合える関係は、少しうらやましいと思ってしまう。とはいえ、“好き”という本音は、互いに隠し合っているのだけれど。

 二人の言い合いは、事情を知った上で見ると微笑ましいけれど、今日はエルヴィラさんの特訓のための集まりだから、そろそろ止めた方が良いだろう。


「仲良くしているところ申し訳ないんだけれど、そろそろ特訓を始めたいな。さっきウォームアップした身体が冷えてしまいそうなんだ」

「仲良くはしてへん!──あぁ、すまんすまん、ちょっとあつなってもうたわ。んじゃ、初めよか」

「申し訳ありません。委員長として、斯様な失態をさらしてしまうとは…」

「槇葉ちゃん落ち込みすぎ~」

「それだけ真剣になってくれるのは喜ばしいよ。ね、エルヴィラさん」

「ええ」

「じゃあ、とりあえずパスから始めよう」


 僕は、ボールを持って、手本として泉充に対してボールを投げる。


「バスケットのパスは、こんな風に手を構えて、押し出すように投げるんだ。ただ、足には気をつけてね。歩いちゃうと、トラベリングになっちゃうから。それじゃ、行くよ泉充」

「お、──っと。まあ、キャッチするときもてはおんなじで、ちゃんと足に意識しとかんといかんよ。まあ、ルール面は大丸ちゃんが細かに教えてくれるやろけど」

「…なるほど、参考になる。ありがとう」

「…あれぇ、もしかして私なんの割り振りもない?」

「芽唯はいるだけで場の空気が一段と華やぐから、可愛い担当かな。まあ、いつものことだけれどね」

「もー照れるって」


 ちょっとしたジョークも交えつつ、エルヴィラさんにやり方を教える。エルヴィラさんが、「理解は出来たから、やってみたい」と言うので、とりあえずコンクリートの壁に向けてやらせてみようと思っていると、小太刀が「ほな俺がキャッチするわ」と言う。


「泉充、エルヴィラさんは、コントロールが失敗しがちなんだ。はっきり言って、怪我をする可能性もある」

「…私も、一回目から人に向けて投げるのは…」

「おいおい、それ…俺のこと、舐めてる?」


 泉充が言葉を発すると、一瞬温度が下がったような錯覚に陥った。そういえば泉充は、剣術を習っていたのだった。


「“高校生最強の剣士”やで、俺の通り名。…クラスメイトのパスくらい、とーぜんうけれる。…つーわけで、心配せんで投げや、エルヴィラちゃん」

「…分かった。じゃあ、投げる」


 不敵に笑う泉充に対して、エルヴィラさんは覚悟を決めた表情で、ボールを構える。まるで命のやりとりをするような雰囲気でバスケットボールを構える二人組という、端から見ると少しおかしな状況だったけれど、僕たちは真剣だった。そして、エルヴィラさんのボールが、その手から放たれる。ひゅっ、と空気を切り裂いて進むそれは、泉充の手に吸い付くように動き、そして泉充の手の直前でその軌道を変え、急落下。バウンドしたボールが、無防備な泉充野原に突き刺さる。そして、泉充が捕り損ねたボールは、ころころと転がって、僕の靴に緩やかにぶつかった。


「…あ、やってしまった。申し訳ない。小太刀」

「…うん、キャッチできていないね」

「あちゃあ~」

「こ、小太刀さん!? 大丈夫ですか!?」


 ばたり、と前に倒れて、四つん這いになった泉充のもとに、大丸さんが心配そうに駆け寄る。続いて、僕らも泉充に近づくと、何やら小声で呟いていた。


「いや、恥っっず。あんな大見得きっといて、結局キャッチできひんって…俺ダサすぎん?」


 どうやら、怪我をしてしまった、ということではないらしい──身体の方は。ひとまず安心して、僕らはほっと胸をなで下ろす。すると、大丸さんがしゃがんで、泉充に声をかける。


「…結果が失敗に終わろうとも、挑戦した小太刀さんは十分格好良いと思いますよ。少なくとも、私は」

「え?」

「エイトさんのために、全力を尽くそうとしたのでしょう? 他者のために奉仕する姿勢は、賛辞の対象となることはあっても、決して侮蔑されるようなものではありません。…私は、貴方の今回の行いは、多少、好意が持てますよ。普段の貴方と差し引きして、ほんの少しだけですが」

「…大丸ちゃん」

 

 大丸さんの言葉に、泉充は顔を上げて、驚いた顔をしている。そんな泉充に、大丸さんは手を刺しのべる。


「ほら、立ってください。手は、貸しますから」

「ありがとうな、大丸ちゃん。なんか俺、泣いちゃいそう」

「…泣くのは早いですよ。なにせ、まだまだ特訓は始まったばかりなのですから」

「え?」

「ん?」


 大丸さんが放った一言に、泉充だけでなく、僕と芽唯、エルヴィラさんまでもが、ぽかんとした表情をしている。しかし、そんなことおかまいなしとばかりに、大丸さんは続ける。


「普段のふざけた態度の矯正には良い機会です。エイトさんのボールは、勢いじたいは怪我をするほどのものではありません、それなりにその根性もたたき直されるでしょう。ほら、何を突っ立っているのですか。さっさと始めますよ、日が暮れたら危険ですからね」

「え、ぶつかるとこぶつかったら危険やない…?」

「瑪奈川さんは言わずもがな、彩嗣さんも発言こそ少々怪しいですが、生活態度は真面目そのものです。そのような人を相手に投げて痛がらせては、気が引けると思いませんか? ねえ、エイトさん」

「え、ええ…そうかもしれない」


 大丸さんの圧に、エルヴィラさんもたじたじだ。先ほどの、泉充の出した殺気にも勝るとも劣らない剣幕に、僕らは気圧されてしまう。


「では、始めましょうか。…エイトさん、少々強く投げてしまっても投げ損じても()()()()()()()から、徐々にコントロールを学んでいきましょう」

「…分かった。じゃあ小太刀、始めさせて貰う」

「え、マジで?」


 結局その日は、夕暮れまでスパルタコーチ大丸さんのもと、エルヴィラさんはパスを泉充に出し続け、パスの技術と力加減がかなり向上したのだった。ただ、泉充は、何度も意識外からボールがぶつかるものだから参ってしまったようだった。

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