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世界でいちばん長い夜/神様と王子様

 クジラが崩壊し、光りが消えて、僅か数秒後のこと。僕は、声を聞いた。以前にも聞いた、少年の声。…僕の前世と名乗った、彼の声は、低い声で言い放った。


「…来るよ、気をつけて」


何がだろうか、と疑問に思う間もなく、僕の目の前に、一人の少女が現れた。それは──でぃーだった。紫色の髪に、幼さの残る可愛らしい顔。とっても似合っている洋装。どこからどうみても、でぃーだ。僕の妹だ。だと言うのに、疑問が頭から離れない。


「でぃー、なんでここに? …でぃー、だよね?」


 なぜ僕は、目の前のこの少女を、でぃーじゃないなんて思ってしまうのだろうか。姿形も、その瞳も、纏う雰囲気さえ、彼女だというのに。まるで何か、違う風に見えた。

 僕が問いかけると、彼女はくすりと笑って、言った。喜びと悲しみと、怒りと呆れと、あらゆる感情はその表情には見え隠れしていた。不可思議なことに、彼女のその表情は、ただの一度も見たことが無かった。でぃーには、決して出来ない表情だった。


「…そーいえば、キミは覚えていないんだったっけ。でも、名前を間違えられるのは傷つくよ。ボクの名前は、キミが名付けてくれたって言うのにね」


 彼女は、ため息を吐いた。そうして彼女は、窓に近づき、外を物憂げな瞳で眺めながら口を開いた。


「あーあ…やっぱ、だめだ。うん、とっても醜いや。ね、キミもそう思うでしょ?」


 彼女は、僕の瞳をまっすぐ見る。吸い込まれそうな眼差しだった。なぜだろう、彼女の言葉を聞いていると、まるで自分が、大きな指で撫ぜられているような不安感を覚えてしまう。


「えっと、無視するのは嫌だなぁ」

「…あ、ごめん、えっと醜いって、何が…?」

「あ、ここからじゃ見えないかな。うん、それじゃあ見える場所に移ろっか」

「えっと…え…?」


 景色が変わった。直後、僕とでぃー──のように、見える少女──は空に居た。足もとを見ると、ユスタに、近くの町並みが一望できる。


「危な…」


 思わず身構える。しかし、懸念していた落下は始まらない。脚の感覚に注意してみると、どうやら透明な足場に僕らは立っているらしい。でぃーを見ると、彼女は笑いをこらえているようだった。


「ぷっ…あはは、何それ面白…やっぱりキミ、面白いなぁ…!」

「…ええっと、その…」

「あぁごめんごめん。でさ、どう? これ、どう思う?」


 ひとしきり笑った後、彼女は下を指さして言った。つられて下を見る。ユスタのあちこちはライトアップされていて、近くの町も、ビルには光りが灯り、道は自動車が、ライトの軌道を描いて走って行く。僕は、率直に言った。


「まぁ、綺麗だなとは、思うけど…?」

「…あぁそう。…まぁ、キミの意見だから否定はしないけどさ。ボクは嫌いだよ、これ。だってさ、キミと一緒に、昔ここに来たときはこんなんじゃ無かったよ。森があって、川が走っててさ。勿論人もいたけれど、慎ましやかに、動物を狩ったり、果物を採ったり、釣りしたりするだけだった。…決して、自分勝手な景色は作らなかった。ボクは、そんな世界が好きだったんだよ」


 彼女は、下を見下ろしながら言った。その表情は暗く、睨んでいるようでも泣いているようでもあり、そしてどうしようも無く美しかった。


「…もしかして、君は…でぃーじゃ、ないのかな」

「だから、そうだって言ってるだろ? って、キミは忘れてるんだったっけ。…うん、その通りだよ。ボクは、ディートリンデでも無ければ、でぃーでもない。ディーナだよ。…あの塵芥どもの言葉を使うのは癪だけど、ボクが、君たちの言うところの神だ」

「神…君が…?」

「むー、ディーナって呼べよぉ~、君が付けた名前なんだぞ~!」


 彼女は年相応に、僕に文句を付けてくる。けれどその仕草さえも、でぃーとは違っていて。本当にでぃーでは無いのだと、はっきりと分かった。


「…じゃあ、ディーナちゃん。でぃーは、どこにいるの?」

「…ちゃんって…。説明が難しいけど、ボクがボクとしてこの身に宿ってからは、ボクの中に溶けたよ。そうだな、例えば、透明な水に塗料を入れたら、透明じゃ無くなるだろ? でも、それは変わらず水なんだ。あ、この場合ボクが塗料ね。つまり、そーいうこと。…って、たとえ話はキミの方が得意なんじゃん…」

「そっか。うん、分かった。…それで、ディーナちゃんは何をしに来たの?」

「あ、そーだよ。本題、忘れるとこだった。それじゃあまずは、今のキミの、友達のところへ行こうか」


 再び、景色が変わった。そこは、道路だった。けれど、見覚えがある。見回してみるとどうやら、僕の家の前らしい。そして数秒後、目の前に、芽唯(めい)にエルヴィラ、蕗乃(ふきの)ちゃんと久瑠々(くるる)先輩が現れた。彼女たちは戸惑っていたけれど、僕とでぃー、ではなくディーナちゃんの姿を見て、顔をほころばせた。


「あくくん、でぃーちゃん! 良かったぁ、無事だったんだねぇ!」

「…彩嗣(あづき)、良かった」

「む、しかしなぜ演良(あくら)がでぃーとおるのだ」

「演良さんにでぃーさんも、無事で何よりですわ…!」


 彼女たちが、駆け寄ってくる。しかしなぜか、僕らのすぐ目の前で動きを止めた。そして、ディーナちゃんが、僕と彼女たちとの間に立って言った。


「…いい人達だね。皆、キミのことを心配してくれてる。うん、決めたよ。彼女たちは、殺さないでおいてあげる。…今のキミの、大切な友達だもんね」

「殺…え、何を言ってるのディーナちゃん…?」

「でも、これからは要らないよね。だから、こうすることにしたよ」


 彼女が、指を鳴らす。すると、紫色の魔方陣の模様をした光りが、四人の足もとに出現した。そして次の瞬間、四人は光を放つ魔方陣に吸い込まれて、消えてしまった。


「え…芽唯、エルヴィラ、蕗乃ちゃん、久瑠々先輩…?」

「これでいいよね。…ねぇ、ボクの友達。ボクさ、あのときからずうっと思っていたんだよね。キミが、あのクソ魔学徒達に殺されてから、ずっと考えてたんだ」

「ディーナちゃん、何をやって…っ!」


 ディーナちゃんに詰め寄る。しかし彼女が腕を振るった瞬間、僕は光る膜に包まれた。それはまるでバリアのようで、優しく僕を包んでいた。そんな僕に、彼女が話しかける。この時、僕は彼女が、人間では無いように思えた。まるで自然現象を無理矢理人の形に縮めたかのような、そんな存在に見えてしまっていた。

 彼女はただ、笑って言った。その笑顔は、ただ無邪気で、子どものようだった。親に、上手にできた絵を自慢する子どものように、無垢で、可愛くて、そしてそれが、何よりも不気味だった。


「世界には、ボクとキミさえ、いればいい」


 瞬間、彼女は飛び立った。バリアに包まれた僕を置いて。僕はただ、彼女が飛び去った方向を見て、そしてそれからすぐに、気を失った。幼い頃、母に一緒に寝て貰っていたときのように、安心する感覚が僕を包み込んでいたのだった。





 超国家組織。この世にはいくつかあるけれども、その多くは、名ばかりの各国の代理戦争の舞台と化している。ただ一つだけ。超機密、実質的に世界を動かしていく先進国のトップクラスにもその存在を秘匿されるほどの、超国家組織、あるいは国家連携機構が存在している。その名は、「反神対策部局」。そしてその現場は、空前の状態だった。


「くっ…なぜ、日本で復活したのだ! 神の力は、大西洋の海溝にあると言う話では無かったか!」

「ふん、我等が予測できる程度なら、ここは組織されてなどおるまいよ」

「何だと!」


 言い争うのは、互いに表舞台であれば、人類の歴史を間違いなく変えたであろう二名。そんな優秀な彼らが、落ち着きを失い、まるで居酒屋で泥酔状態にある人間がするかのような喧嘩を演じているのには訳がある。


「落ち着け、今言い争っていてもしょうが無い。今すべきは、神の捕捉と、全世界に向けた避難勧告の発令だ」

「ちっ、分かってんだよ」

「ならば急げ。もはや猶予など無いのだ。我等の対応如何で、人類が存続できるかどうかは決まるのだから」


 神の復活。この呼び方は不適切だろうか。実在した、一人の魔法使い──いや、特異能力者と呼称しようか。それが、再びこの世界に姿を現したのだから。

 この組織に配属されたとき、私は耳を疑った。確かに、魔法の実在、という噂は国家の要職に就く前から聞いたことはあった。当然、『怒った神様のせいで人類は魔法を使えなくなった』という童話にも満たない伝承も、既知ではあった。しかしまさか、神等というものが実在しているとは。しかも、あらゆる先進国が協力して、神を監視しているだと。陰謀論にしては質が悪いものだと、当初は思った。

 しかし、大西洋の海溝、一般人にも、学術機関にも隠蔽されるそれ──神の作った海中宮殿と、空を飛ぶ神格生命を見て、私の考えは変わった。神は実在し、そして世界は、その存在が干渉しないから、このような状態を保っているのだと。


「君、何をぼうっとしている。日本国との渉外は君の役割だろう」

「すみません、すぐにかかります」

「全くもって、軟弱なものばかりになったものだ…まあ、それも仕方がないか。…奴が飛び立った一瞬で、日本の一地方都市は消滅したのだから」


 この機構を取り仕切る、初老の男性が話す。実際その通りで、神の探知をしていた衛星が送ってきたのは、日本の地方都市が、壊滅的な被害を受けていたのだから。…身が強張る。全員が、同じ思いを抱いたことだろう。あれが、故郷で無くて良かった、と。

 日本国に向けた声明を緊急送付している最中一人の女性が、モニターを見て、張り裂けんばかりの声で言った。


「“神格特異能力者”発見! 繰り返します、神を発見しました!」

「何、どこだ!」

「…中華人民共和国、首都です」


 モニターを見る。中国の首都、そのはるか上空に、神はいた。ゴシックロリータを着て、空を飛んでいる以外には、ごく普通の少女。これが神のようには、見えなかった。


「…見た目には、普通の少女だな」

「…何をするつもりだ? 推測では、地中海付近に現れるものと予測していたが」


 次の瞬間、神は腕を振るった。直後、はるか上空から、下向きに濁流が発生した。そしてそれは、首都をまるごと飲み込んだ。


「…通信、断絶しました」

「この、一瞬でか…! 神は!?」

「移動を開始しました! 進路は西です!」


 そして、神は移動した。途中途中で進路を変えて、いくつかの国の、数百万人の人が住む都市を破壊しながら。

 アジア、中東。一時間か、二時間程かけて、神はヨーロッパに到達した。あらゆる人類文明を、片手間で破壊しながら。流石に迅速とも言うべきか、ヨーロッパ圏ではいくつかの国が、現状出せる最大限の軍事力を発動させていた。


「…ここが、正念場だな。はたして我等の数千年は、魔法を凌駕したのかどうか…!」


 数百台並べられた戦車、地対空ミサイル、自走砲が一斉放火を開始した。ただ一人の少女を相手に戦争規模の戦力が動くというのは随分と酷い絵面だな。


「少なくとも、90%は命中したようです」

「…これならば、流石に無傷では居まい」


 だが。神は、死ななかった。それどころか、神が発生させた光線によって、軍隊はなすすべも無く、なぎ払われてしまったのである。

 そして、神は数体の神格生命を生み出し、先進国家の都市を蹂躙した。後には、破壊された跡だけが残った。そして神は、およそ人間とは思えない速度で大西洋を渡る。


「…これまでの、被害は」

「おおよそ八十カ国が通信断絶。…人類の五割から六割程度は、既に全滅したと、考えて良いでしょう」

「僅か三時間で、これか…はは、流石に神だな」


 もはや、諦めの空気が漂っていた。その最中、初老の男が言い放った。


「核弾頭を手配しろ。…神が上陸し次第、奴に打ち込む」

「な、正気か…! 恐らく奴の上陸ポイントは、アメリカだぞ…!」

「関係ない! 奴を殺しさえすれば、世界は復興する…! だが、奴を殺せなければ、世界は終わりだ!」


 そうして、核の配備は決定された。…三十分後、神は東海岸に到達した。


「今だ、核を発射しろ!!」


 だが、核は…はるか上空で、制止した。そして、弾頭は神によって圧縮され、その場で爆発した。


「…ふ、終わりだな。結局人類は、神を越える力を手にすることは出来なかった」

「…神が、接近してきています。我々の居る今ここも、予測軌道上に…」

「ふむ、そうか。…諸君。結果として、我等はただ、神を監視していただけの高給取りになってしまったな」

「そうですね。全くもって、無意味でしたよ」

「えぇ、そうですね。とんだ貧乏くじを引いてしまったものです」

「…はは、全くその通りだ」


 私達は、笑っていた。それは神へのささやかな反抗か、あるいはただの現実逃避か。僅か数秒後、我々は破壊に巻き込まれ、死ぬこととなる。…結局、神が人類のほぼ全てを滅ぼすまでにかかった時間は、僅か三時間だった。こんなことなら、映画の一本でも見た方が、有意義だったのかも知れない。

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