動物園と王子様
「でぃー、ちょっとお出かけしようか」
「お出かけ?」
「うん。ここなんだけど」
土曜日の朝、僕はでぃーをお出かけに誘った。首をこてんと曲げて問い返す彼女に、僕はスマホの画面を見せる。
「…動物園?」
「うん。でぃー、図鑑とか好きって聞いたからさ。折角だし、実物見に行かない? ここってさ、実は動物の数が日本一らしいんだよ」
「…それは楽しそうなのです!」
「はは、良かった。それじゃあ、行こうか」
「はい! ではじゅんびをしてくるのです!」
「うん。──僕も、着替えようかな」
でぃーは、目を輝かせて、階段を駆け上がっていった。彼女が来て以来、長い間物置にしていた一室を彼女の部屋にしていた。部屋の備品は、ほとんどが姉さんか僕のお下がりだからいつかは買い換えたい。しかし、でぃーが言うには「お兄ちゃんのが貰えて嬉しいのです」と言っているから、まだしばらくはあのままだろう。
久瑠々先輩やそのご両親、それに蕗乃ちゃんが“Dolls”に掛け合ったり、いろいろな尽力があって、でぃーは僕の妹としての戸籍を手に入れて小学校にも通い始めた。芽亜君と同じ学校なのだが、どうやら同じクラスらしい。まだ彼は学校には来れていないけれど、いつか二人が出会ったときに、仲良くなってくれたら良いなと思う。──芽唯曰く芽亜君の退院も近いそうで、二人が出会うのもそう遠いことではないのかもしれないな。
「──よし、と」
着替え終わって、リビングで待っていると、でぃーも着替え終わったらしい。最近は寒くなったから、ふかふかの生地のワンピースに、タイツをはいて、温かそうな帽子を被っている。
「わあ、可愛いねでぃー。とっても似合ってるよ。こんなにお洒落な女の子と一緒にデートできるなんて、嬉しいな」
「えへへ、褒められてしまったのです」
彼女を撫でながら褒めると、とても嬉しそうな笑顔を浮かべている。やっぱり、僕は女の子の笑顔を見るのが好きだな。
「それじゃあ行こうか、でぃー」
「はい、行ってきますなのです!」
でぃーと手を繋いで、家を出る。動物園までは、四駅ほど電車に乗るから、ひとまずは駅に向かう。道中、でぃーは鼻歌を歌っていた。なんて可愛らしいのだろう。やっぱりでぃーは、見ているだけで癒されるとても素敵な魅力がある。
土曜日の午前中だけれど、不思議と電車は空いていた。でぃーと一緒に座ると、彼女は僕の袖をくいと引っ張って、「おひざの上にのせてほしいのです」と小さな声で、恥ずかしそうに頼んできたから、僕は彼女を自分の膝の上に乗せた。
「…お兄ちゃんのおひざのうえは、やっぱりおちつくのです」
「そっか。僕は、落ち着かないかなあ。でぃーみたいな素敵な女の子がこんなに近くにいると、緊張してしまうな」
「むぅ…からかうのはやめてほしいのです」
「ええ、本心なんだけどなあ」
「…もう!」
でぃーと話していると、彼女は頬を膨らませてすねてしまった。ただ、僕の手はしっかりと握っているし、僕の胴にしっかりともたれている。結局、僕は彼女をなだめながら、動物園の最寄りまで電車に乗っていたのだった。
電車を降りて、十分ほど歩くと、動物園に着いた。大きなゲートには、パンダやら象やらの写真が貼られていて、顔ハメパネルなんかも沢山置いてある。
「学生一枚、こども一枚お願いします」
「はい。子どもは無料ですので、600円ですね」
「ええと…はい」
「600円丁度お預かりいたします。…それでは、お楽しみくださいませ」
チケットを買って、ゲートをくぐる。手を握っているでぃーが、緊張と高揚を感じているのが分かる。そうして僕らは、動物園に入った。
「おお、フラミンゴがいるのです!」
「わ、ほんとうだ…しかも、凄いたくさんいるね」
園に入って、最初に目に付いたのは、数十匹のフラミンゴだった。水場にいるフラミンゴたちは、片足を上げてまっすぐ立っている。なんでだったかな、と思うと、でぃーが僕を見て、「フラミンゴはたいおんをいっていにたもつためにああしているのです!」と自慢げに言った。
「そう図鑑にかいてあったのです!」
「へえ、そうなんだ。でぃーは凄いね、物知りなんだね」
「そうなのです! ボクは凄いのです!」
「うん、凄いよでぃー。それじゃあ、今日は一杯でぃーに動物のこと、教えて貰おうかな?」
「もちろんなのです!」
次に僕たちは、この動物園の目玉でもある、パンダを見に行った。ここには六匹ほどパンダがいるらしいけれど、運の良いことに、六匹とも外に出ていて、タイヤで遊んでいたり、寝転がっていたりしている。
「お、パンダだ。やっぱり可愛いなあ」
「うんうん、パンダは可愛いのです。ボクも、パンダはさんばんめに好きなのです!」
「そうなんだ、じゃあ、一番は何かな?」
「いちばん好きなのは、鯨なのです!」
「へえ、そうなんだ。確かに、大きくて格好良いもんね」
「はい! 特に、あのつぶらなひとみがとってもキュートなのです」
「そうなんだ」
でぃーと好きな動物について話していると、パンダの前に、かごを持った飼育員がやってきた。かごには笹の葉が大量に摘まれていて、飼育員はそれを真ん中の方に置いた。すると、パンダがむくりと起き上がって、笹の葉を食べ始めた。
「やっぱり、パンダと言ったら笹の葉だよね」
「そうだ、お兄ちゃん。パンダがなんでささのはを食べるのか、知っているです?」
「うーん、言われてみたら分からないなあ。好物だから、じゃないんだ?」
「はい! じつは、パンダは“せいぞんきょうそう”に勝つために、ささのはをたべているのです」
「生存競争?」
「パンダは、本当はおにくのほうが好きなのです。でも、ほかのどうぶつさんとのたたかいに負けて、ささのはしか食べられないのです」
「そうなんだ…意外と、切実なんだね」
「そして、ささのはは“しょうか”にじかんがかかるのです、だからパンダはほとんど寝ているのです」
「へえ、パンダって何となく結構のんびり屋だと思ってたけど、意外に真剣なんだね」
でぃーは、胸を張って誇らしげに、パンダについて解説している。僕はあまり動物に詳しくはないから、結構ためになる。それにしても、でぃーの動物を語っているとき、動物を見ているときのあの笑顔、ほんとうに動物が好きなんだな。やっぱり、今日、ここに来て良かった。──本当は、もう一つ目的はあるけれど。
パンダのところから離れていくと、象の檻があった。ただ不思議なことに、二匹の象が互いに鳴き合って、ぐるぐると回っている。これは、動物に詳しくはない僕でもよく分かる。一触即発、喧嘩が始まりかねない雰囲気だ。辺りの来園客も、ざわざわと騒ぎながら、カメラを向けたりなんかしている。
「うーん…どうしたんだろう」
「……そういうことですか」
すると、隣で象を見ていたでぃーが、いくらか小声で呟いた後、うんうんと頷いた。「どうしたの」と聞くと、「ゾウが怒っているりゆうが分かったのです」と言い、群衆の方へと歩き始めた。
彼女の後を追っていくと、でぃーは一組のカップルの前で立ち止まり、彼らを指さして大きな声で言った。
「ふらっしゅのせいでゾウが怖がっているのです! 早くやめるのです!」
「…ああ、なんだよお嬢ちゃん。こんあ真っ昼間にたくわけねえだろが」
「しっし、あっちいきな。構ってる暇ねえんだよ」
でぃーは、カップルに注意した。なるほど、確かにフラッシュは禁止だと柵にも書かれているけれど、この人達がフラッシュをたいているのは昼間だからあまり分からなかった。ただカップルは、でぃーが気に食わないようで、少しいらついている様子だ。
「…はやくやめるのです!」
「この…」
「とりあえず、落ち着いてください」
声を張り上げようとしたカップルと、でぃーの間に割って入る。彼らから攻撃的な目線が向けられるけれど、そんなのはどうでも良い。重要なのは、背後にいるでぃーが、僕の服の裾を、震えた手で握っていることだ。
「まず最初に、妹がいきなり声をかけてしまって申し訳ありません。ただ、フラッシュ禁止というのは事実なので…昼間なので気づきにくかったとは思いますが、一旦カメラの設定を見て貰えませんか?」
「…んだよ…あ? おいおい、ガチでフラッシュモードなってんじゃねえか。…悪かったな、お嬢ちゃん」
「…ごめんねー妹ちゃん」
「いこうはきをつけてくださいなのです」
「おう、すまんな。…兄ちゃんも、ごめんなあ」
「いえいえ、分かっていただけてありがとうございます。デート、楽しんでくださいね。実はここ、つがいを見たカップルは幸せになれる、なんて噂もあるらしいですよ?」
「おう、そうなんか。そりゃ良いねえ」
カップルは、笑顔で去って行った。良かった、ぱっと見は少し柄が悪そうに見えたけれど、ちゃんとした大人だった。
「でぃー、大丈夫?」
「…怖くはないのです」
「そっか…でもね、でぃー」
僕は、複雑そうな顔をしているでぃーに、しゃがんで目線を同じにして話しかける。
「さっきの行動は、あんまり良くはなかったかな。結果的にいい人だったけどさ、怖い人だったら危なかったよ。…僕は、でぃーに何かあったら嫌だな」
「…ごめんなさいなのです。でも、ぞうが…光りがこわいって言ってたから」
「うん、その気持ちは大切。僕も、でぃーが優しい子でいてくれて嬉しいよ。…だから次からは、ちゃんと僕か、周りの人に相談してから、するようにしようか」
「…はい、きをつけるのです」
「うん。…叱っておいて言うのはなんだけど、実はね、さっき大人の人に話しかけてたでぃー、格好良かったよ!」
「…えへへ」
「よし、それじゃあ行こうか」
「はい!」
心を鬼にして、でぃーを叱ると、彼女は少ししょんぼりとしながらも、ちゃんと聞いてくれた。それから僕は、次の動物を見に行こう…と、したのだが。
「…いやあ、先ほどはありがとうございます」
「ええと、スタッフさんですか?」
「はい…いや、あのお客様を注意しようとしたのですが…昨今はあまり動けないものですから…大変ありがとうございます」
作業着を着た人に呼び止められた。どうやら彼は、この動物園のスタッフさんらしい。帽子を深く被っているから目元は見えないけれど、かなり感じるところがあるようだ。
「はは、例なら妹に言ってあげてください。注意したのは彼女ですから」
「そうなんですか。…お嬢さん、ありがとうございます。おかげで、ウチの象たちも落ち着いたようです」
「…ボクは、ゾウがまぶしいって言ってたからしただけなのです」
「そうなんですか。君は、象とお話しできるんですね。羨ましいなあ、自分もこの仕事をしていると、動物と話したくなるときがよくあるんですよ」
「へえ、そうなんですか」
「ええ。やっぱり、動物は察するしかないですから。人間とは違って。…まあ、そこが動物の良いところでもあるんですけどね」
彼は、立ち上がって、「そうだな…」と呟き、胸元につけたマイクで誰かと通話し始めた。でぃーは、人見知りして僕の袖を握って隠れている、いちいち可愛らしいなあ。しばらく待つと、彼は「分かりました」と言って、こちらに向き直った。
「実は今日、バックヤードツアーを行っているんですが…キャンセルが出まして、空きが出ているんです。良ければ、参加なされますか?」
「え、良いんですか?」
彼の申し出を聞いて、でぃーはそわそわし始めた。確かに、こういった特別なことは珍しいし、彼女にとってはなおさら、興味がわいているのだろう。
「ええ。…ただ、参加できるのはお一人なのですが」
「そうなんですか…でぃー、どう? 行ってみたい?」
「…はい」
でぃーは、こくこくと首を振った。僕は、スタッフさんに「ではお願いしてもよろしいですか」と聞いた。
「ええ、勿論! では、少々お待ちください、すぐ係のものが来ますので」
そう言うと、彼はこの場を離れた。僕はでぃーに、「良かったね」と告げると、彼女は少し不安そうな顔を浮かべた。
「あれ、どうしたのでぃー?」
「…その、お兄ちゃんと一緒じゃないから…その、ボクだけたのしむのは…なんか…」
「あー、なるほど」
どうやら彼女は、僕が参加できない、と言うことに多少の罪悪感を感じているらしい。このままでは、彼女はちゃんと楽しめないだろうな。
「でぃーはさ、僕が楽しいことをしてて、笑顔をしてるとき…どう思う?」
「…? お兄ちゃんが嬉しいとき?」
「うん。僕が嬉しそうにしてるのを見て、でぃーはどうなるかな?」
「…ボクも、嬉しくなるのです」
「そっか。じゃあさ、僕が笑ってなかったら?」
「…あんまり、嬉しくはないのです」
「だよね。実はね、僕も、同じなんだ。でぃーが楽しそうにしていると、とっても楽しい気分になってくるんだよ?」
僕がそう言うと、彼女は目を見開いた。うん、ちゃんと伝わってるね。
「だからね。でぃーには、僕の分までちゃんと楽しんできて欲しいんだ。…できるかな?」
「…はい! しっかり楽しんでくるのです!」
「よく言えました!」
僕は、彼女の頭を撫でた。でぃーは打って変わって笑顔になり、それから数分後にやってきた係員の人に連れられて、バックヤードガイドに行った。
「…一人になったし、観覧車でも乗ってみるかなあ」
僕は、少しわざとらしく独り言を呟いて、観覧車の方へと向かった。この動物園は、ちょっとした遊園地が併設している。中でも観覧車は、かなり大きく、辺りを一望できて人気だ。
観覧車の方まで行って、入口に近づいたところで、僕は振り返って、言った。
「…どうせなら、一緒に入りませんか? あなたも、話したいことがあるでしょう?」
「…いいでしょう」
そこには、先ほど僕らに話しかけてきた、帽子を深く被ったスタッフが立っていた。僕は彼に声をかけて、一緒に観覧車へと乗った。ドアが閉まると、彼は帽子を取り、僕を見た。その眼光は、鷹のように鋭い。
「…なぜ、気づけたのかな。彩嗣演良」
「貴方のお仲間から聞いたんですよ。貴方はここに、長年勤めていると。…ねえ、キルループ“いちばん”、浮木羽真さん?」
「……だから、人間は好きじゃないんだ」
動物園に来た、もう一つの目的。それは、この人からキルループの情報を引き出すこと。──敢えて言うなら、世界が崩壊したあの事件のきっかけは、この時になるのだろうか。




