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運動と王子様

 放課後が嫌いな学生は、あまり居ないような気がする。夕方の誰も居ない教室はなんとなく感傷的だし、当然部活動だってある。それに何より、友達と話しながら下校するひと時は、なんでもないように見えて、面白い。

 夕暮れ時、暮れる街を3人で歩く。いつもなら、芽唯(めい)と二人だけれど、今日はエルヴィラさんも一緒だ。何だかんだと彼女が転校してきて二週間ぐらい経ったけれど、こうして一緒に下校できるくらいには仲良くなれた…と思う。少し前には、三人で映画館にも行ったりしたし。


「いやぁ、やっぱり持久走は疲れるね。これは、今日の晩御飯が美味しく食べれそうだよ」

「うん、もうお腹ペコペコぉ。それにしても、あくくん結構早かったね」

「まあ、王子様になるために日々鍛えてはいるからね。走れるようにはしたよ」


 王子様であるためには体力も当然必要だ。万能である必要はないだろうけれど、努力してできることはできるようになっておきたい。それが、王子様というものだ。


「…王子様とは?」

「うーん、私もよくわかんないなぁ」


 何やらエルヴィラさんと芽唯がこそこそと話している。まあ、聞こえてはいるけれど、わざわざ口を出すようなことでもないだろう。


「まあ、そもそも運動は結構好きだしね」

「私はあんまり好きじゃないなー」

「でも芽唯かなり早くなかった?」

「得意かどうかと好き嫌いは別だしぃ」

「…瑪奈川瑪奈川(めながわ)は運動が上手で羨ましい」


 そういえば昔から、芽唯は体を動かすのはあまりしていなかったなと感慨に耽っていると、エルヴィラさんが小さな声で呟いた。


「エルちゃんは運動は好きなほう?」

「…ええ」

「なんか意外だねぇ、あんまりエルちゃんが運動してるとこ見たことないし」

「確かに。でも、エルヴィラさんが走っているところはとても綺麗なんだろうな」


 エルヴィラさんが転校してきてから何度か体育の授業があったけれど、エルヴィラさんはどれも見学だった。エルヴィラさんは時間に追われることもないので、せいぜい歩いているところぐらいしか見たことがないのだ。


「…そう言ってくれるのは嬉しいけれど、褒められるようなことはできない。瑪奈川が、得意だけれど運動が嫌いなら、私は運動が好きだけれど苦手だから」

「そうなんだ。もしかして、体育見学してたのも?」

「ええ。かなり、見苦しい姿を晒すことになってしまうから。それに、チームスポーツなら足を引っ張ってしまう」

「…苦手なことなのに、好きになれるのはすごいことだよ。やっぱりエルヴィラさんは、本当に綺麗な人だ」

「うん。…頑張ってる人を馬鹿にするような人は私達のクラスにはいないし、エルちゃんも一緒に体育出てみない?」


 エルヴィラさんは、俯いていて、表情も変わっていないけれど、ほんの少しだけ、肩が震えているように見えた。


「だとしても…怖いものは、怖い。それに、もしかしたら炎が出るかもしれない」

「だったら、練習でもしない? ちょうど、今の体育はサッカーだから、練習して自信をつけてみたら? 勿論無理にとは言わないけれど、みんなとする運動も、きっと楽しいと思うんだ」

「うん、練習していけるなって思ったら、体育出たらいいんじゃないかなぁ」

「…一理はある。練習に付き合って欲しい」

「もちろん!」

「とーぜんだよ!」


 帰り道にある公園で、僕らは練習をしてみることになった。ちょうど、サッカーをしている子どもたちがいたので、ボールを貸してもらうことにした。150円のジュース三本は、軽い出費だったと思いたい。


「とりあえず、リフティングかな。こういう、明確な尺度があるやつは体育だとありがちだからね」


 とりあえず見本として、リフティングをやってみる。王子様を目指す以上、やはりリフティングはできないといけないので一時期猛練習した。結局、サッカー部の友人に勧誘されるぐらいには上達したので、少なくとも手本になることぐらいはできるだろう。


「よっ…とっ…まぁ、コツは目線かな…ボールのてっぺんを見て…こう…」

「…おお」


 とりあえず、ボールを蹴り上げて、普通にリフティングをしてみる。こういうのは、目線と強さが重要だ、というような事を喋りながらやっていると、心なしかエルヴィラさんの瞳が煌めいているように思えた。


「…思っていたより凄い」

「…あくくんのそーいうとこズルいんだよなぁ〜」


 50回ほど続けたところで、ボールを高く蹴り上げてキャッチする。そして、ボールをエルヴィラさんに手渡した。


「それじゃあ、とりあえずやってみよう。まぁ、とにかく蹴り上げて…」

「…よし」


 エルヴィラさんが、ボールを抱えて、右足を少し前に出す。どこかぎこちない動きなので、少し緊張しているらしい。肩の力抜いて、と言うと、エルヴィラさんは少し微笑んだ。


「…やる」

「がんばれ!」

「がんばー」

「…はっ」


 エルヴィラさんが、ボールを蹴った。が、そのボールは摩訶不思議な軌道を辿り、何故か僕の顔の真ん前に来て、ぶつかった。


「っ…」

「…! 彩嗣、ごめんなさい」

「あくくんだいじょぶ?」

「…エルヴィラさん、ナイスキック。結構パワーあるんだね。次は…コントロールをもう少しあげないとね」

「…申し訳ない」


 エルヴィラさんは、見るからにしゅんとしている。それほど気にすることでもないし、エルヴィラさんや芽唯の顔でないのだから全く問題ではない──というのは、僕の意見だから、エルヴィラさんに言っても伝わらないだろう。このままだとエルヴィラさんがサッカーに苦手意識を持つかも知れないし、どうやって勇気づけようかと思っていると、芽唯が口角を上げながらエルヴィラさんに話しかける。


「だいじょーぶだよエルちゃん、あくくん不死だから、どんだけボール当てても問題ないって」

「あーうん、そうだ」

「…そういう問題では」

「まあまあ、とにかく練習練習! 謝るのはあくくんが鼻血出てから!」

「…ボールが汚れると思うんだけど、それは」


 結局、半ば無理矢理に芽唯がエルヴィラさんにボールを渡してやらせることで、一先ずの問題は解決した。それから、何度もボールを蹴り続け、何の因果か僕の顔には二桁回数ボールが当たったり、終いには本当に鼻血が出るなんかの一悶着もあったけれど、次第にエルヴィラさんのコントロールは向上していった。そして、夕日が沈み始め、時間的にもそろそろ最後の挑戦だ。


「行けるよエルヴィラさん! 頑張って」

「…ええ」


 エルヴィラさんが、ボールを蹴る。そして、まっすぐに上がっていく。次第に落下に転じたボールを再び蹴る。繰り返すこと20回、一切のブレはない。


「すごいよエルちゃん!」

「その調子だ、エルヴィラさん!」

「なん、とか…このぐらいなら…あっ」


 そのとき、エルヴィラさんの蹴ったボールが、僕の顔の方に飛んでくる。何度目か分からないほどに食らったのだから、流石に対処ができる。右手で、ボールをキャッチする。


「─完璧だよ、エルヴィラさん!」

「エルちゃんすごい!」

「…彩嗣も、上達したらしい」


 僕と芽唯は、エルヴィラさんに駆け寄る。エルヴィラさんは、硬く拳を握っている。嬉しそうだ。

 芽唯はエルヴィラさんに抱きついて、僕はエルヴィラさんの手を握る。王子様として、不躾ではあるけれど、喜びを共有することは大事なはずだ。


「ありがとう、彩嗣、瑪奈川。…久しぶりに、楽しく運動ができた」

「良かった。少なくとも、リフティングはもう完璧と言っていいね」

「うんうん!」

「それで、その…」


 エルヴィラさんが、少し躊躇しながら、僕たちに話しかける。実はエルヴィラさんは、感情が表に出にくいのだけれど、割とわかりやすいということに、最近になって気づいてきた。


「二人とも、これからも練習に協力してくれないだろうか。烏滸がましい、と分かってはいるけれど」

「とーぜん、やるよ! 友達なんだから」

「芽唯の言うとおりだよ。友達には、どれほど頼ったっていいんだ。まして僕は王子様だから、どんどん頼ってほしい。地球の裏だって、雲の上だって、駆けつけるから」

「…ふふ。なら、頼りにさせてもらおうかな、王子様」


 喜びを分かち合っているうちに日が暮れはじめたので、僕らは公園を後にした。

 鴉の鳴き声を聞きながら、帰路に着く。エルヴィラさんは、なんだか申し訳なさそうに俯いているけれど、そこまで気にかけることの程でもないように思う。

 色々と話しながら歩いていると、ちょうど、僕らとエルヴィラさんが別れる交差点にさしかかる。


「エルちゃんはここ真っ直ぐだったよね」

「ええ」

「いつものことながら、名残惜しくはあるね。せっかく、夕焼けの空の下でいつも以上に綺麗になったエルヴィラさんと、いつも以上に可愛い芽唯を独り占めできるのにな」


 僕が率直な、王子様的感想を言うと、二人の顔は、心なしが赤くなった。それが、夕焼けの空のせいなのかどうかはわからないけれど、きっと僕の顔も赤いのだろう。

 別れの挨拶を言って、曲がろうとすると、エルヴィラさんが僕らを呼び止めた。


「彩嗣、瑪奈川…この後、何か用事はある?」

「ん、僕はないよ」

「私もないけど、エルちゃんどしたの?」

「…その、私の家に来てくれない?」

「え、エルヴィラさんのお家に?」


 エルヴィラさんが、遠慮がちに言う。芽唯は驚きながらも、「行く行く」と話すけれども、僕は少し、戸惑ってしまう。すると、それを気にしたのか、エルヴィラさんが、「迷惑だった?」と伏し目がちに言う。女の子を困らせるのは王子様としては望むべくもないので、「そんなことはないけれど」と、とっさに否定して、遠慮する理由を話す。


「その、なんと言うか…芽唯以外に、女の子の家に行ったことはないから…少し、恥ずかしいかもしれない」

「そーだっけ? あくくん、女子の友達も割と多いのに」

「いや、お家に行くのは、ちょっとこう、心理的に憚られるから…」

「…嫌なら、別に構わない」


 エルヴィラさんの一言には、明らかに悲しさのようなものが見てとれた。王子様として、女の子を傷つけるというのは絶対にダメだろう。


「全然!嫌ということは!ないよ!」

「…そう、なら良かった」


 大きな声を出してしまったので、少しびっくりとさせてしまったけれど、エルヴィラさんはほっとしている様子だ。


「にしても、けっこー急だねエルちゃん。全然楽しみだからいんだけど」

「二人の話をしたら、父が、ぜひ礼を言いたい、と」

「へぇ、お父さんが。それだったら別にあくくんだけでもよかったんじゃ?」

「…瑪奈川も、彩嗣も、私にとっては恩人だから。という話を、父にした」

「…そっか」


 エルヴィラさんの言葉に、芽唯は嬉しそうにしている。うん、可愛い。


「それと、彩嗣を瑪奈川抜きで家に呼ぶのは、瑪奈川もいい気はしないと思って」

「あー、なるほ…えっ、それはどういうことかな⁉︎」

「…嫉妬、という意味だけれど」

「し、嫉妬⁉︎ そんなんないけどね!別に!」

「えー、芽唯は嫉妬してくれないの? 僕だったら、嫉妬しちゃうけどなぁ」

「もー、二人して私を揶揄って!」


 芽唯が、僕の肩を軽く叩く。なんだか可愛いな、と思っていると、エルヴィラさんがくすりと微笑んだ。綺麗な笑顔だ。

 話しながら歩いていると、コンクリートが打ち放しにされた建物の前に来た。エルヴィラさんがいうには、ここが家なのだという。塀をよくみてみると、インターフォンの上に“北巻研究所”と書かれてあった。北巻、という名前には、少し見覚えがあった。


「へえ、ここがエルちゃんのお家かあ。きたまき研究所?」

「…ええ、ここが私の家」

「きたまき…なんか、聞いたことあるような…あ、もしかしてエルヴィラさんのお父さんって、北巻唯紀さん? AI学の権威って聞いたことあるんだけど」

「ええ」

「え、そうなの?」


 意外なことに、エルヴィラさんのお父さんは高名な科学者の人らしい。なるほど、どうりで聞き覚え──というよりも、見覚え──があったわけだ。


「エルヴィラさんのお父さんは、すごい人なんだね」

「ええ、私もとても尊敬している」

「そっか」


 チャイムを鳴らすエルヴィラさんを見ていると、お父さんのことにしか言及がなかったことや、苗字が違うという些細な疑問が湧き上がったけれど、知らないふりをすることにした。そういうセンシティブなことを聞くのは、王子様ではないからね。



 私たちは研究所─エルちゃんの家に入っていった。

 ドアを開けて玄関に入ると、メイド服を着た女性が立っていた。


「お帰りなさいませ、エルヴィラ様。博士がお待ちですよ…そちらは?」

「ただいま、ふみ。彼らは、この前話した彩嗣と瑪奈川」

「彩嗣演良です、エルヴィラさんにはお世話に…」

「瑪奈川芽唯です、エルちゃんとは友達で…」


 エルちゃんに紹介されたので、自己紹介をしようとすると、あくくんと被ってしまった。少し恥ずかしいな、と思っていると、エルちゃんは少し微笑んでいる。ただ、ふみさんと呼ばれたメイドの人は、表情ひとつ変えていない。エルちゃんもあまり感情を表に出さないけれど、この人はもっと感情を出さない人らしい。


「彩嗣演良様、瑪奈川芽唯様。初めまして、当研究所でメイドをしております、アンドロイドのふみと申します。…エルヴィラ様、ご友人を連れてくるのであれはあらかじめ言ってください。用意が大変です」

「ごめんなさい」

「アンドロイド…」


 エルちゃんは、ふみさんに注意されて項垂れている。意外とエルちゃんも、叱られると落ち込むんだと思うと、やっぱり真っ直ぐな子なのだろうと思う。

 アンドロイド、と言われても、完全に人間のように見えるので、科学はすごいなあ、と子供のようにいうと、エルヴィラさんが少し嬉しそうにしていた。


「いえ、こちらとしても先に確認させてもらうべきでした。配慮が足らず申し訳ありません。…それにしても、アンドロイド、と聞いて腑に落ちました。人並外れた美貌をお持ちなのは、そういう訳だったのですね」


 すぐさま、あくくんが頭を下げる。つられてわたしも謝って頭を下げながら、こういうことをスマートにできるあくくんのかっこよさを再確認した。とはいえ、その後にふみさんに投げかけた言葉はちょっぴり妬けてしまうし、軽薄だと思う。そういうところも含めて、やっぱりあくくんは王子様だ、あくくんの言う王子様像はいまだによくわからないけれど。


「お客様の前でする行為ではありませんでしたね。失礼いたしました。…お聞きしていた通りですね、彩嗣様、瑪奈川様」

「…どういうことを聞いてたんですか?」


 エルちゃんが私たちをどう思っているのか気になったので聞いてみると、エルちゃんがストップをかけるまでふみさんは色々と教えてくれた。


「彩嗣様も瑪奈川様も、どちらも優しい方だということはよく聞きますね。それ以外にも、彩嗣様は特に機敏で色々なことによく気づく、と言っておられました。王子様だともおっしゃっていましたね。また、瑪奈川様はとても親身になってくれるということも耳に挟んでおります。笑顔が可愛らしい方であると、エルヴィラ様は良くお話になって…」

「…それ以上はやめてください、ふみ。恥ずかしいから」

「…ご学友は大変楽しそうにしておられますが、エルヴィラ様がそう言うのであるならば、この程度にとどめておきましょうか」

「エルヴィラさん…僕らのことをそんなによく思ってくれていたんだね。嬉しいな」

「エルちゃん…!」


 エルちゃんが私たちのことをどう思っているのか─その答えは、想像以上だった。私と違って、エルちゃんは分かりやすい方ではないから、仲良くできているとは思っていたけれど、私たちがエルちゃんにとって大切な友達かどうかはわかっていなかった。だから、ふみさんの話はとても嬉しかった。

 思わず玄関で話し込んでしまっていたところ、ふみさんがあがってください、と言うので、ふみさんとエルちゃんに続いて中へと入っていく。

 廊下は、研究所という言葉には似合わず、普通の家のようなフローリングが張られていた。ただ、かなり長い一本道で、そこかしこにドアがある。壁には、等間隔で額縁が飾られていて、ダヴィンチの人体図や、記憶の固執といった絵画、加えて“北巻依雨莉”という名前が書かれた賞状や、三人の人物が写った家族写真など、中身はさまざまだった。少し歩いて、ドアに“色々する部屋”と書かれている部屋に案内された。中は、奥の方にダイニングテーブルが置かれ、手前の方にはテレビとソファがある、まるでごく普通の家のリビングのような空間が広がっていた。

 ソファに座るように促されて、革張りの高級そうなソファに恐る恐る座る。かなりふかふかだ。あくくんなんかは、座った瞬間に気の抜けた声を発していた。それにしてもなんだか、研究所、というイメージには全然そぐわないように思えてしまう。


「なんだか、一般家庭みたいだね。研究所っていうから、もっとなんかSFチックなの想像してたよ」

「ここは、父の住居も兼ねているから。…瑪奈川の想像するような部屋も、あるにはあるけれど」

「…エルヴィラさんは、ここで普段暮らしていたりするのかな?」

「ええ、そうだけれど」

「…それじゃあ、このぬいぐるみはエルヴィラさんの?」


 あくくんが、ソファに置かれたぬいぐるみを指差して、エルヴィラさんに訊ねた。うさぎのぬいぐるみで、見たところ結構古そうだ。それに、ところどころに縫い直された痕がある。


「…いいえ、それは…」

「それは、私が愛用しているものです。肌触りが良いので」

「可愛いぬいぐるみですね。これ、チャールズラビッツのやつですか?」

「…よくご存知ですね、瑪奈川様。はい、少し古いものですが、チャールズ社製のぬいぐるみです」

「ぬいぐるみも可愛いのに、芽唯もいるんだから、可愛すぎて目に困るね」

「もー」

「…エルヴィラ様の言う通り、確かにこの掛け合いは面白いですね」

「でしょう?…ところでふみ、父さんは?」

「博士はいつものように実験室にこもっていますが、先ほどエルヴィラ様のご学友がいらっしゃっていると伝えたので…そろそろですね」


 あくくんに照れ隠しで怒っているふりをしていると、突然どかん、という大きな音が響いた。結構大きな音──あくくんがものすごくびくっとするぐらい──だったので、なんだろう、と思っていると、ふみさんが「博士の仕事が終わったようですね」と言った。


「…爆発音ですけど、大丈夫なんですか?」

「これは父の癖」

「癖?」

「父は、仕事を終える時に毎回何かを爆発させることをルーティーンにしているから」

「…凄まじいルーティーンだね」

「爆発落ちは定番だろう?」

「博士、いつものことながら客人を待たせるのはいかがなものかと思います」

「ごめんなさい…」


 がちゃり、とドアを開けて、一人の男性が部屋に入ってきた。白衣を着ているが、少し煤けている。博士、とふみさんが呼んだので、この人がエルちゃんのお父さんらしい。ふみさんに叱られている姿を見ると、どことなく似ている。


「おや、君たちがエルヴィラの友達かな? 父の北巻です。娘が大変世話になっているようで」

「どうも、彩嗣演良です」

「瑪奈川芽唯です、こちらこそエルちゃ…エルヴィラさんには大変お世話になってます」

「最近の子どもは随分礼儀正しいね。僕のとこに尋ねてくる馬鹿どもにも見せてやりたいよ」

「ええ、私も同感です。博士も、彼らに礼儀を教えていただいてはいかがですか」

「ふみちゃん厳しくない?」

「…ふみはいつもこうですよ、父さん」

「なんだか、エルヴィラさんってお父さん似なんだね」

「…そう、嬉しい」

「ふむ、親としては嬉しい言葉だね」


 北巻さんはそう言うと、壁際の棚に置かれた写真立てを眺めていた。遠目には、三人の人物が写った家族写真のように見えた。

 時計を眺めて、北巻さんが「そうだ」と言って、私たちに話しかけた。


「こんな時間だし、二人とも家で晩ご飯を食べては行かないかい。無理だったら構わないが」

「それじゃあ、お言葉に甘えさせていただいてもよろしいですか」

「私もお願いします~」


 晩ご飯、と聞いて胸がうきうきして、つい声がうわずってしまった。ただ、仕方ないとは思う。だって、ご飯を食べるのはとっても楽しいことなのだから。


「では、夕食の支度をして参ります」

「あ、ふみ。私も手伝う」

「おや、珍しいですね。良いでしょう、一緒にご友人のためにおいしい食事をつくりましょうか」

「ありがとう、ふみ」

「エルヴィラさんの手料理か。これは期待してしまうな」

「うん、楽しみ~」


 ふみさんとエルちゃんが、一緒に席を立って、部屋を出て行く。私達と北巻さんの三人だけになったところで、北巻さんが重々しく口を開いた。


「彩嗣君、瑪奈川君。娘の友達になってくれて、どうもありがとう」

「そんな、頭を上げてください。そんな、礼をされるほどのことでも…」


 北巻さんが、深々と頭を下げる。


「その、私は随分昔に、妻を、失ってね…以来、男手一つで──まぁ、ふみちゃんとかもいたけれど──育ててきたんだが、どうにも、エルヴィラが心から笑えていないようだったんだ。私は、父親失格だと思ってた。でも、ある日、エルヴィラが随分嬉しそうに帰ってきてね。久しぶりに、娘の笑顔を見ることができたんだ。本当に、ありがとう」

「北巻さん…いえ、僕らも、エルヴィラさんに随分助けられてます。それに、エルヴィラさんと友達になれたおかげで、毎日楽しいんです。今日だって、一緒にサッカーをして、とても楽しかったんです。だから、僕からもお礼を言わせてください。エルヴィラさんのお父さんでいてくれて、ありがとうございます」

「彩嗣君…」

「私も、同じ気持ちです。それに、エルちゃん、すごくいい人なんです、だから、北巻さんは、しっかりお父さんが出来てたんじゃないかな、て思ってます。ちょっと、上から目線ですけど」

「瑪奈川君。二人とも、ありがとう。おかげで、少し救われたような気分だよ。…本当に、ありがとう」


 私にはお父さんもお母さんもいるけれど、あくくんは昔、お母さんとお姉さんが出て行ってしまったらしい。そんなあくくんを見てきたから、エルちゃんがどういう風に、お父さんのことを思っているのかは何となく分かるつもりだ。しんみりとした気持ちになっていると、北巻さんが思い出したように「ところで」と言う。


「二人は、特殊な能力─“プレゼント”を持っているんだったよね」

「あ、はい」

「…なら、君たちは『空飛ぶクジラ』をみたことはあるかい?」

「空飛ぶ、クジラ? すみません、聞いたことがないですね」

「ふむ…では、『箱を持った少女』は?」

「…それなら、見たことがあります。僕が“プレゼント”を貰ったときに」

「私は、ちょっと分からないですね」

「私の見立て通り、“プレゼント”の由来は少女なのか。しかし、個人差はどうする? クジラは一体…?」


 北巻さんが、ぶつぶつと何やらつぶやきはじめてしまい、どうすればいいのか分からなくなっていると、あくくんが「あの」と遠慮がちに声をかけた。


「…すみません、先ほどから何の話を?」

「ああ、すまないね。実は、私は能力についていくつか研究をしててね。まあ、さっきの質問は流してくれて構わないのだが…ただ、一つだけ、覚えておいて欲しいことがある」


 

「能力者の中に、力を悪用する集団が存在する。そして、その集団は、“プレゼント”を与える少女に干渉することを望んでいるようなんだ。つまり、その少女とであった経験のある彩嗣君は」

「その人達から狙われるかも知れない、ということですね」

「ああ。そして、そうでなくとも、瑪奈川君も狙われる可能性もある。…そして当然、エルヴィラも」


 重々しく、うつむく北巻さん。たしかに、エルちゃんも能力を持っている以上、そういった悪い大人達に狙われる可能性は高いし、お父さんとしては心配でならないだろう。


「こんなことを君たちに頼むのは、間違っているのかも知れない。けれども、お願いをしたい。…エルヴィラを、守ってやって欲しい。君たちも狙われる可能性があるわけだから、あまりよいこととも言えないが…」

「頭を上げてください、北巻さん」


 あくくんが、明るい、けれどとても力強い声で、語りかける。


「たとえ頼まれなくたって──いいえ、そんなことするなって言われたって、僕らはエルヴィラさんを守ります。力が及ばなくたって、危険にさらされたって。だって、僕たちは友達なんですから。それに、僕は王子様ですよ。きっと、エルヴィラさんを守って見せます」


 あくくんの眼差しはまっすぐで、輝いていた。あくくんは、普段はどことなく軽薄に見えるところがあったり、結構びびりがちだったりするのだけれど、やっぱり、いざというときは本当に頼りになるし、かっこいい。

 そして、あくくんの言うことには、全く以て同意だ。仮に今日、この場でエルちゃんとは関わるな、と言われたって、私はエルちゃんの助けになることをやめはしない。


「はい、私も同じ気持ちです。私たちは、友達ですから」

「彩嗣君、瑪奈川君…ありがとう。娘にこんな言い友達が出来て、ちょっと泣きそうだな」


 私たちの決意は、北巻さんにしっかりと伝わったらしい。少ししんみりとしてしまったので、話題転換に、エルちゃんの小さい頃の話を聞いたり、数学を教えて貰ったりしていると、ドアの向こうから、とても良い匂いがほのかに香ってきた。


「…良い匂い~」


 思わず、頬が緩んでしまう。


「お料理が完成いたしました。ご友人様方、博士、手をあらってから食卓に着いてくださいね。エルヴィラ様も、配膳は行いますので、先に座っていてください」

「彩嗣、瑪奈川、期待して欲しい、今日は、かなり自信作だから。…割と、ふみの比重はおおきいけれど」


 ふみさんとエルヴィラさんが、続けて部屋に入ってきた、エルちゃんの顔は、如何にも自信満々です、というかのように口角が少し上がっている。これは、期待できそうだ。

 手をあらって、食卓に座る。私、あくくん、えるちゃんの順番だ。


「エルヴィラさんの手料理が食べられるなんて、僕はなんて幸せ者なのだろうね。正直なところ、この事実だけで、お腹いっぱいだと言ってもいいぐらいだよ」


 あくくんが、いつもの調子でよく分からないことを言うと、エルちゃんが「…それは困る」と呟いた。


「…折角作ったのだから食べて貰わないと悲しい」


 そういうエルちゃんの顔は、ほんの少し眉をひそめて、擬音を付けるなら「ぷんぷん」だろうな、と感じさせる表情で──つまり、結構()()()ときた。


「…エルヴィラさん…!」

「エルちゃん…!」

「…そんなにじろじろ見られると困るのだけれど」

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