彩嗣演良と少女達と・下
着替えて食卓に着くと、僕の前に山盛りに盛られたカレーが、芽唯の手によっておかれた。そういえば父さんが死んだ日、カレーを作ろうって言ってたっけ。机の上にはカレーと、サラダ、それにちょっとした惣菜が並べられている。
「…これ、芽唯が?」
「うん、あくくんとご飯食べたいな、って思ってさ」
「…ありがとね、芽唯」
座りながら、芽唯が僕に向かって微笑む。するとでぃーちゃんが、手を上げて言った。
「サラダのもりつけはボクがやったのです!」
「そうなんだ。…おお、凄く綺麗に盛り付けられてるね、ありがとうでぃーちゃん」
「えへへ、お兄ちゃんに褒められてしまったのです~」
「良かったねえでぃーちゃん。それじゃ、たべよっか」
「だね。いただきます」
「いただきます」
「いただきますなのです!」
手を合わせて、スプーンを手に取る。カレーをすくって食べると、口の中に旨みが広がる。ご飯も炊きたてなのだろうか、柔らかくて、甘い。少し前は、自分で作ったご飯の味なんて何にも感じなかったのに、芽唯のカレーは、とっても美味しい。
「…どう、あくくん?」
「…うん、凄く美味しいよ。ありがとう、芽唯」
「えへへ、良かったぁ」
食べ進めると、僕が作ったものより、ほんの少し、コクがあって美味しい。なにか、隠し味でも入れているのだろうか。そう思って芽唯を見ると、彼女は誇らしげに「実はね」と口を開いた。
「お母さんにレシピ教えて貰ってさ、それで特製のソースを入れたんだよねえ。ほら、あくくん、子どもの頃は私のお母さんが作ったカレー、美味しそうに食べてたでしょ?」
「あー、そういえば…うん、たしかにおばさんの味がするね」
確かに、昔食べた、芽唯のお母さんが作ってくれたカレーの味がする。小さい頃はよく芽唯の家にご飯を食べに行っていたから、なんだか懐かしい。
「でしょお? いや、結構大変だったよぉ、お母さん厳しくってさあ」
「はは、そうなんだ。ありがとね、芽唯」
「ううん、美味しく食べてくれるなら全然! …と言うわけで、私はおかわりに行ってきます」
そう言うと、芽唯は皿を持ってキッチンの方へと歩いて行った。…僕よりも全然食べていたはずなのに、かなり早いな。そう思っていると、でぃーちゃんが芽唯を見ながら、「お姉ちゃんはふしぎなのです」と呟いた。
「…お姉ちゃんはあんなに食べているのに太ってないのです、謎なのです」
「うーん、まあ…言われてみれば、そうなのかな」
「あんなに食べたら、牛になっちゃうのです」
「はは、それは困るね」
でぃーちゃんと話していると、おかわりを盛り付けた芽唯が帰ってきて、「何の話?」と聞いてきた。
「お姉ちゃんが一杯ご飯を食べると言う話なのです」
「あー、まあそうだねえ。食べるの好きだしねえ」
「…なんで食べるのが好きなのですか?」
でぃーちゃんが、眉をひそめて芽唯に聞く。そういえば確かに、小さい頃は芽唯は食べるのが好きだったけれど、なぜなのか、というのは考えたことがない。
「うーん…あくくんのおかげかな」
「え、僕?」
「うん。子どもの頃さ、あくくんが言ってくれたの。芽唯はご飯を食べてるとき、可愛い顔をするよね、って。…その頃からは、もうずっとかなあ」
「…そうなんだ。ごめん、忘れてたよ」
「ううん、別にホントに何でも無いときだったし、覚えてる方が凄いよ。…まあ、それが嬉しくってさ」
芽唯は、昔を懐かしむような眼差しで、僕を見る。するとでぃーちゃんは、僕らを交互に見て、「お兄ちゃんとお姉ちゃんはとっても仲良しなのです」と呟いた。
「あはは、そうだねえ」
「うん、そうだね」
僕と芽唯は、その言葉に頷いた。それから僕らは、楽しくカレーを食べた。結局僕は、美味しくて二杯もおかわりをしたけれど、芽唯はそれ以上に食べていた。ただやっぱり、芽唯が美味しそうにご飯を食べているときの笑顔は、何にも代えがたいほどに、可愛くて、心が軽くなる。
食べ終わって、でぃーちゃんがソファで転んでいる間に、僕と芽唯は、一緒に流しで皿を洗っていた。
「二人でこうするのは久しぶりだね、芽唯」
「そうだね。昔は、おじさんが仕事の日はいつも家に来てたよね」
「…うん。小学生の頃なんて、ほとんど毎日通ってた気がするよ」
「あはは、確かに。中学校に上がったらあんまり来なくなったけどね」
「あー、その頃からは流石に、思春期だったし…」
恥ずかしくて、芽唯から目線を外して、皿を流す。カレーの汚れは、時折落ちにくい。すると芽唯が、思い出したように口を開いた。
「知ってる? あくくんが来ない日、めあくん結構だだこねたりしてたんだよ」
「え、そうなの?」
「うん。めあくん、小さいころは私よりあくくんになついてたじゃん? …まあ、今もそうかも知れないけど…」
芽唯が苦笑する。そんなに芽亜君に好かれてたとは知らなかったな。また今度、お見舞いに行ってあげよう。
「あはは、まあでも芽亜君もちゃんと芽唯のこと好きだと思うよ」
「だと良いんだけどねえ」
僕らは互いに押し黙る。ただ、皿とスポンジのこすれあう音と、水の流れる音だけが、キッチンに響く。そうしていると、芽唯が、皿に目を向けたまま、静かに話し始めた。
「…ねえ、あくくん。私さ。あくくんには、本当は、危険なところには行かないで欲しいって思ってるの」
「危険なところ…?」
「…私さあ、悪い子なんだ。…あくくんが、私以外のために必死で頑張ってるのを見ると、どうしても…どうしても、嫌な気持ちになっちゃうの」
「芽唯…でも、それは…」
「…バカだよね、私。だってさ、あくくんは私のものでも何でも無いのにさ。…ただちょっと、他の女の子より付き合いが長いだけなのにさ、私はあくくんにとっての一番なんだって、勘違いしているんだよ」
「そんな、こと…」
「…うん、あくくんは優しいから、否定してくれるよね。…でもさ、あくくんは知らないだろうけどね。私が自分をけなすのって、そんなことないよって、あくくんに言って貰いたいからなんだよ。あくくんに、褒めて貰いたいから。そんな、ずるい女の子なんだよ、私」
「でも芽唯、僕は、本当に…」
「だからさ、あくくん」
芽唯が、こちらを見る。彼女の瞳は、ただまっすぐに、僕を見ていた。
「…私はあくくんに、何もかも投げ出して、ただの普通の、ちょっと格好良い男の子でいて欲しいって思ってる。…でも、でもね。そんなのってさ、あくくんらしくないじゃん」
「僕らしく、ない。…そう、かな。僕だってさ、何でも投げ出したくなるときくらい、あるよ?」
「…でもさ、あくくんはそうしないじゃん? 私はさ、あくくんに、あくくんらしくいて欲しい。私は、あくくんがあくくんらしくいてくれるのが、一番嬉しいんだから」
「僕、らしく、か。…僕に、できるかな」
「きっと、できるよ」
芽唯が話し終わる頃には、皿洗いは終わっていた。芽唯は手を拭いてから、でぃーちゃんと一緒にお風呂に入りに行った。ソファに座って、僕らしさについて考える。頭の中には、ずっと、王子様という言葉が、浮かんでは消えていた。
☆
風呂から上がって、パジャマに着替えると、芽唯とでぃーちゃんはもう芽唯の家に行ったらしい。家はがらんとしているけれど、ただ、これまで程むなしさも、孤独も感じないのは、僕のことを思ってくれている人達のおかげだろうか。
「お休み、父さん」
仏壇に手を合わせて、二階に上がる。部屋の電気をつけると、違和感に気が付いた。僕のベッドの上、布団が少し、と言うかかなり盛り上がっていた。まるで中に人が入っているようだ。
「ええと…」
恐る恐る、布団をめくる。するとそこには、もこもこのパジャマを着て、ベッドに寝転んでいるでぃーちゃんがいた。
「えっと…でぃーちゃん?」
「…ほら、さっさと寝転ぶのです」
僕が近づいていくと、でぃーちゃんは僕の手を引っ張った。よろけてそちらに寝転ぶと、悪戯が成功した子どものように、でぃーちゃんは口角を上げた。
「えへへ、お兄ちゃんとどうきんするのです」
「あの、でぃーちゃん…芽唯と一緒にねるんじゃ」
「お兄ちゃんはボクの魔法を忘れたのです?」
「あー…だからここに」
「もちろん、芽唯からのりょうかいもえているのです。さあ、一緒にねるのですお兄ちゃん」
彼女はそう言うと、ぎゅうっと僕に抱きついてきた。仕方ないか、と観念して僕も、でぃーちゃんの身体に手を回すと、彼女は嬉しそうに、「えへへ」と笑った。
「…お兄ちゃんと家族らしいことができて、ボクは嬉しいのです」
「…そっか、ごめんね、でぃーちゃん」
「なぜ謝るのです?」
「いや、その…僕が、塞ぎ込んでたからかなって」
「むぅ…ボクはそんなに心が狭くないのです」
「そっか、ごめんね」
「分かれば良いのです」
でぃーちゃんの身体は温かい。段々と、心に張られた氷が溶けていくような、そんな錯覚までも覚えてしまう。…母さんや姉さんに、こうして貰ったこともあったっけ。
「…お兄ちゃん、もう少し強くしてもいいのですよ?」
「あ、うん」
でぃーちゃんに言われて、抱きしめる手に力を込める。すると彼女の手も、しっかりと僕を捉えていたのだった。
そのまま、暗くなった部屋の中で、ただ時計の針が進む音を聞いていると、でぃーちゃんが静かに、口を開いた。部屋が暗くて、彼女の表情は見れない。
「ねえ、お兄ちゃん。…お兄ちゃんは、なんでボクのことを、受け入れてくれたのです?」
「…えっと、どういうことかな」
「…ボクには、あの駅で目覚めた後の記憶しか無いのです。でも、少しだけ、覚えていることもあるのです。…ディーには、お父さんと、お母さんがいたのです」
「…そう、なんだね」
「でも、めがさめて、めのまえには誰もいなくて…だから、お兄ちゃんに、なって欲しかったのです。…ごめんなさい」
彼女の手は震えている。きっと彼女は、心細かったのだろう。だから、僕を頼りにして、けれど僕はすぐに、不幸に見舞われてしまったから。
「…大丈夫だよ、でぃーちゃん。確かに、最初会ったときは驚いたし、ちょっと戸惑ったりもした」
「…ごめんなさいなのです」
「でもね、君が困っていることには、なんとなくだけど気が付いていたと思うんだ。だから、僕は、君を笑顔にしたかった。だって、僕は…」
言葉に、詰まる。僕に、その言葉を言う資格は、きっと無い。…でも、どう言えば、いいのだろう。僕はずっと、それにすがっていた。本当の自分なんてものは無くて、ただ、成田言う自分を思い描いていただけで。そうして言葉に詰まっていると、小さな声で、でぃーちゃんが言う。
「…王子様だから、なのです?」
「…うん、そうだ。…でも、もう僕は、王子様じゃない」
「なんでなのですか? お姉ちゃんからも、お兄ちゃんはずっと王子様になりたがっていたって聞いたのです」
「…僕は、父さんを救えなかったから。…父さんが僕のことを恨んでいないとして、僕が僕を許したとして、その事実は、変わらない」
静寂が場を包む。否応なしに流れる針の音は、まるで僕だけが、前に進んでいない事実を一音ごとに知らしめているようにまで思えてくる。するとでぃーちゃんが、僕を抱きしめながら、「なぜ、お兄ちゃんは」と口を開く。
「王子様になりたいと、思ったのですか?」
「…約束、したんだ。王子様になるって」
「…じゃあ、人に言われたから王子様になるのですか?」
そう言われて、はっとした。今まで僕は、王子様になるって言うことの理由に、誰かも覚えていない人との約束を挙げていた。でも、それだけなのか。…約束したから、なってと言われたから──それだけ、なのだろうか。
「お姉ちゃん達から、聞いたのです。お兄ちゃんは、皆のために、ひっしでがんばっていたって。…人に言われたから、お兄ちゃんはそんなことをしたのですか?」
「誰かに、言われたから…だけじゃ、ないきがする。僕は…泣き虫じゃ、無くなりたかった。…泣くのが、いやだったんだ」
母さんと、姉さんがいなくなって。そのとき僕は、ずっと泣いてた。でも、そんな自分が嫌だった、だから、僕は、泣きたくなくって、誰かが泣いているのを見たくなくって、王子様になったんだ。なろうと、したんだ。
「…僕は、誰かが泣いているのを見たくないし、泣きたくもない。──そのために、僕は王子様になったんだ」
「…そうなのですか、それは、すごくかっこいいのです」
「…うん、当然だよ。だって、僕は──」
王子様、だからね。
「ありがとね、でぃーちゃん」
「ボクは何もしてないのです?」
「ううん。でぃーみたいに、可愛らしい妹と寝られるなんて、凄く嬉しいんだよ」
「可愛らし…そういうのは、恥ずかしいのです」
「はは、照れてるディーも素敵だよ」
そうして、僕は、気が付くと眠っていた。父さんが死んでから、初めて──とても気持ちの良い、睡眠だった。
☆
朝起きると、隣にでぃーが眠っていた。彼女を起こさないようにすっと抜け出して、リビングに降りる。朝ご飯を、二人分作っていると、寝ぼけ眼のでぃーが降りてきた。
「おはようでぃー、ごはんできてるよ」
「…うん…ありがとうなのです…」
二人で朝ご飯を食べる。ご飯、炊きたてだから甘くて美味しい。味噌汁、だしが利いていて、葱がしゃきしゃきとしていて美味しい。卵焼き、甘くて、柔らかくて美味しい。ほうれん草の和え物、ごまの風味が利いていて美味しい。我ながら、良いできだ。でぃーも、「美味しいのです」と褒めてくれる。
てきぱきと準備すると、インターフォンが鳴った。返事をして、でぃーを連れて外に出る。気持ちの良い朝だ。
「おはよう、あくくん」
「…おはよう、彩嗣」
「うん、おはよう芽唯、エルヴィラ。今日も二人とも素敵だね。二人と一緒に学校に行けるなんて、僕は幸せ者だなあ」
いつものように、二人に挨拶をする。すると二人は、驚いたような顔をした後、くすりと笑った。
「…うん、ありがと、あくくん。あくくんも素敵だよ」
「…少し照れるけれどありがとう、彩嗣」
「それじゃあ、行こっか。でぃー、おじさんところでおとなしくしてるんだよ?」
「はい、分かったのです!」
でぃーを芽唯の家に送って、僕らは学校へと向かった。雲一つ無い青空の上で、父さんが笑っているような、そんな気がした。




