キルループと王子様
言われるがままに杖を握った僕は、光りに包み込まれながら昔のことを思い出した。誰かから、王子様になってと言われた日。確かあのとき、僕は返事をしなかった。けれど、その約束だけは覚えていて──そして、久瑠々先輩と出会ったんだ。そうして僕は、彼女とひとつ、約束をした。「いつか、王子様として迎えに行く」。どうして、今の今まで忘れていたのだろうか。
目前の景色が変わる。そこには、久瑠々先輩がいた。彼女は、張り裂けんばかりの声で、歌っていた。その歌声は悲しくて、彼女の顔は泣いているようで、それでいて──どうしようもなく、美しかった。
彼女に、手を差し出す。何度も、何度も。彼女に怖がられようと、拒絶されようと──手を、差し伸べる。だって僕は、あの日迎えに来ると約束した王子様なのだから。
「演良、さん…」
「さ、先輩帰りましょう」
ゆっくりと落ちてくる彼女を抱き留める。ちょうどお姫様抱っこの姿勢になって、久瑠々先輩は顔を赤くしている。彼女の体重はかなり軽い。流石に、何も食べていないのでは無いかとちょっと心配になる。先輩は身長も高い方だから。余計に。ただそれを言うと、彼女はふいっと目をそらした。…女の子に体重の話は、ちょっとデリカシーが無かったな。反省しなければ。
「あ、あの…そろそろ、降ろして下さりません? その、流石に…恥ずかしいので」
「えー、もう少しこうしていたらだめですか? 先輩みたいに美しい人をお姫様抱っこするの、結構嬉しいんですよ」
「なっ…う、うつく…だ、だとしても降ろして下さい! 流石に心臓が持たないので!」
「…仕方ないですね」
先輩が顔を真っ赤にしながら頼み込んでくるので、僕は仕方なく彼女を抱っこするのをやめて、立たせた。本当はもう少し堪能していたかったけれど、まあ仕方ない。
離れた先輩はふう、とため息をついた。すると突如、がくん、と大きく地面が揺れた。もしかして、と思って外を見てみると──どうやら、学校が落下し始めているらしい。
「あ…浮かせるの、失念してましたわね」
「と、とりあえず僕に捕まって…あ、でもそしたら芽唯達が…ど、どうすれば」
「大丈夫、どこかに捕まっていて下さいな。…ここを浮かしたのは、誰だとお思いで?」
慌てる僕に、久瑠々先輩は優しく、されど力強く声をかけた。彼女はにこりと笑って、柵まで近づいていった。そして、すうっ、と大きく息を吸って、歌い始めた。それは先ほどまでとは違い、とても優しく、包み込まれるほどに明るい歌だった。
「なんて、優しい歌…」
「陽だまりの瞳、そこに写る私はだあれ? くるりんくるりん世界は回る、ぐるぐるぐるりと貴方も回る♪」
彼女が歌を歌い始めて、学校が落下していくのは緩やかになっていき、まるで木の葉が地面に落ちていくように、ゆっくりと下降していった。
「だから、最後まで目を離さないでね…♪ ふう、これでよろしいでしょう」
「…やっぱり、久瑠々先輩の歌は最高に素敵だな…」
彼女が歌い終わるのとほとんど同時に、ずずん、と音がして、学校の降下は止まった。外を見ると、しっかり学校は地面に建っている。
「…何とか、元には戻せましたわね」
「久瑠々先輩、凄いですね。さっきの歌、最高でしたよ!」
「ふふ、そうでしょう?」
彼女に駆け寄って、褒め称える。彼女は鼻を高くして、胸を張って笑っている。その笑顔にはひとつの翳りも無い。よかった、彼女をようやく救えたのだ──と思うと、つい目頭が熱くなる。
彼女を眺めていると、ふとこちらを見た彼女が、不思議そうに首をかしげる。
「そういえば演良さん、ここにはどうやって来ましたの? あと、持っているその杖、のようなものはいったい?」
「あーえっと…まず、芽唯に戦闘機作って貰って」
「戦闘機!?」
「で、それをエルヴィラに動かして貰ってたんですけど、撃ち落とされちゃって…僕だけ、学校の下に落ちたんですよ」
「落ちた!?」
「で、そこでこれ見つけて、ぜ…なんか握ったら、ここにワープしたんですよね」
「じょ…情報量が多い…!」
僕の説明に、彼女は驚愕しながら、手で額を押さえる。まあ確かに、一回聞いただけではわかりにくいかな。
「…まあ、一応は分かりましたが…では、あと三人は?」
「あ、そうだ! 途中で分かれて、屋上で会おう、とは言ってたんですけど…もしかしたら、結構危ないかも」
「え?」
僕らの戦闘機が墜とされたのは、ほとんど確実に猪谷の攻撃だし、間都樹と青海さんがここにいないはずが無い。もし、彼らと皆が出会っていたら、かなり危ないかも知れない。
「先輩、僕探してくるんで、そこで待ってて下さい!」
「え、わ、私も行きますわ!」
「…その必要は無いっすよ」
かけだした僕らの背後で、一人の女性の声がした。振り返ると、そこには楕円状の光りの中から現れてきた、青海さんが立っていた。
「お、音!」
「…青海さん。探す必要が無い、とは?」
「おっす。いやま、言葉通りッスよ、だってここにいるんで」
そう言うと彼女は、右手を光りの中に突っ込む。すると中から、倒れた芽唯とエルヴィラ、蕗乃ちゃんが出てきた。
「…皆に何をした」
「安心して下さいよ。別に、殺しちゃいないんで!」
「…その言葉の、何処を信用しろと?」
青海さんに向かって、久瑠々先輩が語気を強める。すると、青海さんは肩をすくめながら、「だって~」と間延びした声で答えた。
「大事な交渉材料なんで」
「交渉…?」
「そ。──この娘ら渡すんで、その杖くれません?」
彼女は、僕の持つ杖を指さして、低い声で呟いた。彼女から、重苦しい威圧感が放たれ、久瑠々先輩はびくりと震える。威圧感に耐えながら、言葉を返す。
「…三人を、無事にこっちに渡す根拠は?」
「うーん…別に無いけど。それにこっちは、いつでもこいつら殺せるし。ね」
そういうと、彼女は手を何か握るような形にする。すると、そこに大きな刀が出現した。刀身は、まるで紋様のようになっていて、黒く光っている。
彼女は、それを芽唯の首に近づけながら、「ほらほら」と告げた。
「主導権は既にこっちが握っているんすよね、これが」
「音! やめなさい!」
「…いくら久瑠々様でも、それはちょっと…無理ッスね」
「…分かった、杖は渡す。…だから絶対に、彼女たちを傷つけるな」
僕は、杖を突き出しながら、青海さんに告げる。すると彼女は、にやりと笑った。
「うーん…どうしよっかな~」
「早くしてくれ。これ以上、芽唯の体にそんな危なっかしいもの近づけてられない」
「…ふーん…君、やっぱおもろいね。うん、冗談冗談!! こんなの嘘だって、ごめんごめん」
僕の言葉に、神妙な顔をした彼女は、次の瞬間には一転して笑いながら刃を上げた。するとそれは、宙に消えていき、後には何も残らなかった。呆気にとられていると、彼女がどこか懐かしげな顔で、口を開く。
「…うん、きみになら、頼めるかな。──彩嗣演良君、君に頼みたいことがある」
そう言うと彼女は、座り込んで、地面に頭を付けた。困惑する僕たちに構わず、彼女は続ける。
「虫の良い頼みだとは思っている。だけどどうか、頼む。──私たちのボスを、止めてくれ」
「貴方たちの、ボス?」
「音、一体何の話をしているの…?」
「彩嗣君は知っているだろう? 私たちは、キルループという組織だ。“プレゼント”──特殊な能力を持つ人間が、その力を悪用する組織。けれど、実際は違うんだ。本当は、最初のキルループは…能力を持つ人間を、互いに助け合う団体だったんだ」
「──今更、そんなことを信じられると?」
彼女の声色からして、彼女が言っているのは真実なのだろう。けれど、分からない。なぜなら僕が見たキルループは、エルヴィラを攫って、ふみさんを唆して、蕗乃ちゃんを襲って、久瑠々先輩を拉致した悪人の集団だ。
「うん、分かっている。私も、貴方たちに酷いことをしてきた。当然、猪谷も、仮名波羅さんも。…ごめんなさい。でも、ほんの十数年前まで、私たちはただの、相互共助しか行っていなかったんだ。…けれど、社長──私たちのリーダーがおかしくなっちゃったんだ。優しい人だったのに、奥さんを失って──そして今、彼は世界を滅ぼそうとしている」
「えっと…どう、いう」
「“神”の復活。キルループが集めている道具は全て、そのためにある。“神”と呼ばれた魔法使いを再び世に顕現させることで、社長は──」
「音君、敵に媚びるのはよくないな」
突然、僕らの後ろで声がした。その声には、聞き覚えがあった。その、人物の名は──
「炉ノ路、露那…!」
「おや、またあったね少年。ま、こうなることは分かってたけどさ」
炉ノ路さんは、ヘラヘラと笑いながら歩いてくる。そして、僕と久瑠々先輩の間を通り抜けて、がくがくと震えている青海さんのもとへとたどり着いて、しゃがみ込んで口を開いた。
「…あのさ。ぺらぺらと喋りすぎだよ、内部情報。それに、僕の目的、言ったろ? “プレゼント”の完全消滅による、不幸の最小化だってさ。世界の滅亡なんて、望んじゃいないよ?」
彼は、まるで世間話でもするかのような口調で、話し続ける。けれどどこか、とてつもない威圧感が、彼からは放たれていて、僕らは一歩も動けなかった。
「…なあ青海。君の“オーパーツオーシャン”もさ、随分苦労しただろ? 子どもの頃、盗みを疑われて、殴られたって。──それに猪谷も、言ってたろ? イーターが間違えて何でも食っちゃうから、村から捨てられたってさ」
彼は、不意に上を向いた。するとそこには、ぼろぼろの服装で宙を飛び、炉ノ路さんに攻撃をしかける猪谷の姿があった。炉ノ路さんは、ため息をつきながら腕を掲げる。二人の間に黒い壁ができて、猪谷の攻撃は届かなかった。
「…残念だが、社長。私は二度負けたんだ、彼らに。だから私は、賭けることにしたよ。貴方が、止まってくれることに」
「…あのさあ、君らを拾ってやったのは僕じゃなかったかな。…何度も言ってたじゃん、こんな能力、欲しくも何ともなかったって。アレは嘘?」
「…確かに、こんな力要らんさ。面白くも何ともないからな。…だが、調べたんだ。“神”について」
「社長、あれは…あれは、災害だよ。あんあもの、私たちの救いにはならない。…奈津子さんだって、こんなの望んじゃいないはずだよ!」
青海さんの言葉に思うところがあったのか、炉ノ路さんは押し黙る。そしてすっと立ち上がって、二人を見た。ここからは彼の顔は見えないけれど──猪谷も青海さんも、彼を見て酷くおびえているのだけは分かった。
「二人とも、変わっちゃったね。昔はあんなに可愛かったのにな。…変えたのは、君?」
ぐるん、と首を回して炉ノ路さんが僕を見る。その瞳は、まるで深い闇のように一切の光りは無く、その顔は僅か一瞬で僕に恐怖を覚えさせた。前を向き直った彼は、右手を挙げて、言い放った。
「うん、じゃあいらないや。君ら、クビね。…うーん、なんで邪魔するのかな?」
腕が振り下ろされる。咄嗟に、僕と久瑠々先輩は間に割って入った。かなり痛いけれど、猪谷は無事なようだ。久瑠々先輩は、攻撃を重力でそらしたらしく、青海さんとともに無傷だ。
「…私は、君にとっては敵だろう?」
「だとしても、目の前で傷つけられている人をそのままにするのは、王子様っぽくはないんで」
首をかしげる猪谷にそう答えると、彼はふっと笑って、「そうか」と小さく呟いた。横を見ると、青海さんもまた、久瑠々先輩の好意に疑問を抱いているらしい。
「…何故です? 私、久瑠々様裏切ったんすけど」
「…後で、その真意が聞けないからですわ。別に、貴方に哀れみを感じたとか、そう言うのではありませんわよ」
「…はは、素直じゃ無いなア」
二人の周りの空気は、どこか朗らかとしている。すると、目の前に立つ炉ノ路が、異様な笑い声を上げた。まるで、おとぎ話に出てくる悪魔のように。
「そっか。本当にお前達は、僕を裏切るのだな。…ならばもういい。ここで死ね。全員殺してから、杖は回収する」
そう言うと、炉ノ路は後ろに下がった。そして、「こうすればいいか? “グラヴィティグルーヴ”」と言って、大きく息を吸った。それを見て、青海さんが青ざめる。
「まずい──社長は、他者の“プレゼント”をコピーできるんです! 多分、あれ久瑠々様の力コピってます」
「なっ…だと、すると…!」
「BREAK!!」
炉ノ路さんがそう言うと、彼の目前から、大きな力の塊が飛び出た。ビリビリと感じるそれは、向こうからこちらへとやってくる重力の波。当たれば、まずいことになる。
「はっ!!」
久瑠々先輩も力を出して応戦する。けれど、押し負けているらしく、次第に剥がれた床板が、僕の頬をかすめて飛んでいく。このままでは、まずい。なんとかしなくては──と思った瞬間、頭の中で声がした。「皆を守りたいなら、杖を翳すんだ。そして叫べ」。僕は夢中で杖を構えて、久瑠々先輩の隣に立つ。そして一言、頭の中に流れてきた呪文を発した。すると、久瑠々先輩の力が増して、炉ノ路さんの攻撃を完全に押し返した。そして、炉ノ路は後方へと吹き飛ばされた。
「ほう、それが“杖”──良いだろう、今は君にやる。だが、“器”を手に入れた後は君だ!!
次会うときは、君を殺しに行くよ!」
捨て台詞を吐きながら、彼は後方へと飛んでいった。なんとかなった──と思いつつ、僕と久瑠々先輩は、そろって地面に倒れ込んだ。
「ふう、ありがとうございます演良さん。貴方が力を貸してくれたのですよね?」
「あー、多分…そうだと思います。ただ…」
「ただ?」
「ちょっともう、動けそうに無いです」
「…ふふ、それは私も、ですわ。おそろいですわね」
「ええ、そうですね」
久瑠々先輩と笑い合っていると、青海さんと猪谷が、のぞき込んでくる。
「少し複雑だが、今日はありがとう。…私たちは今から、とりあえず間都樹を縛り上げてここを逃げる」
「…すみません久瑠々様、教育係は辞めさせていただきます。…またいつか、オンゲーでランキング上位目指しましょうね」
そういうと二人は、返事を待つ間もなく屋上を去って行った。残されたのは、まだ寝ている三人と、僕と久瑠々先輩だけ。二人で、夜空を見上げながら、ただ何も言わずにじっと寝転がっていた。夜空には、眩いほどに星が瞬いている。
「ねえ、演良さん」
すると、彼女が口を開く。視線は向けないで、僕は彼女に答える。
「なんですか、久瑠々先輩」
「…いろいろ、ありがとうございます」
「そんな礼言われるようなこと、しましたっけ?」
「おや、貴方らしい。ねぇ、演良さん」
「なんですか?」
「…綺麗ですわね、星」
「…そうですね。でも、先輩の方がもっと美しいですよ」
僕はそう言って、久瑠々先輩の方を向く。久瑠々先輩は僕を見ていて、ちょうどぴったり目が合った。彼女は微笑んで、「お上手ですわね」と呟いた。
「そうだ、演良さん。ひとつ、お願いしたいのですけれど」
「僕にできることなら、なんだって」
「…一度、私の別邸でやった『俺モード』、またやっていただけません?」
「…あれ、恥ずかしいんですよね」
「えー、良いじゃ無いですの! ちょびっとだけ、ちょびっと…先っちょだけで良いので!」
「先っちょって何ですか…まあ、そこまで言うなら」
「やった!」
そうして、僕は起き上がって、久瑠々先輩に、俺様風で迫った。きゃあきゃあと嬉しそうにする彼女を見てテンションが上がってしまい、終には目が覚めた芽唯達に見とがめられ、三人にもせがまれるのだが、それは別の話だ。
こうして、第三の事件は幕を閉じ──そして、いよいよ文化祭の幕が上がる。




