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来望家と王子様

 音楽に、現を抜かしているようですね。母にそう言われたとき、ようやくか、と思いました。これまで散々、私のことを見もしなかったのに、今になって、私が音楽をしていたことに気が付く。…まあ、分かっては居ました。子どもの頃から、彼らは“私”ではなく、“来望(くるもち)家の長女”しか見ていませんでしたから。…しかし、多少の自由が与えられたのは良いことです。ほとんど家から出ることもできませんが、それなりの自室は与えられましたし、こうして机に向かって楽譜を書き殴ることだけはできますから。とはいえ、見せる人が居るわけでもありませんが。


「演良さん達は、どうするのでしょうか」


 窓の外で、煌々と輝く月を見ながら、一人呟きます。一応、四人になった分の改訂版と新たに書き下ろした曲は送りましたが、どうなっているのでしょう。私が抜けたからもうやらない、は好ましくはありませんから、何とかやっていてほしいものです。まあ、事の発端は私なのですが。それでも、彼らの音楽は見てみたい。叶うものなら、この目で。それができないのが、一応の未練と言ったところですね。

 カーテンを閉めたのと同時に、室内に警報が響きました。その後放送で、不審者が侵入したと伝えられました。別邸と違って本邸には警備員が大勢いますから、下手人はすぐに取り押さえられるでしょうね。そう思ってしばらくして、その通りに不審者を捕縛したという旨の放送が鳴り響きました。


「…不審者、ですか。…一体、何の目的だったのでしょうね」


 部屋の中で呟きます。それにしても、悲痛の中でも独り言というのはでるものなのですね。それとも、悲しみに暮れているからこそでしょうか。


「…勿論、先輩を誘拐しに、ですよ」

「…え?」


 聞き間違いでしょうか。背後から、パタンと言う音と同時に、男性の声が聞こえます。何度も聞いた、あの美しく、素晴らしい声が。私の大好きなあの声が。

 まさか、と思って振り向くと──そこには、窓枠に腰をかけた王子様が、月光の下で私に微笑みかけていたのです! ああ、なんということでしょうか。彼は、こんな私に、彼のストーカーであった私に、身勝手にバンドを結成しては抜けた私に、逢いに来たのです。なんという、幸運でしょうか。


「演良、さん? …どう、して」

「久瑠々先輩が勝手にやめるからです。…僕は、貴方とバンドをしたいんだ。他の誰でもない、貴方と。僕からその機会を奪うなんて、貴方本人でも許さないので」

「な…いったでしょう、私のような人間が、貴方たちの側にいてはいけないと!」

「そんなの、貴方が決めることじゃない」


 声を張り上げた私に、彼は静かに、けれど芯の通った声で語りかけます。彼の眼差しが私の心を突き刺して、私を解かしていく。


「…だとしても、貴方は私と居るのが怖いのでしょう!? いつも見ていました。こんな私ですが、人の心ぐらいは分かりますわ。貴方が心の奥底で、私におびえていたこともはっきりと理解しています! だからこそ、私は貴方の隣にいてはいけない人間なのです!」

「だから、それは久瑠々先輩が決めることじゃない。それは、僕が決めることだ」

「物わかりの悪い方ですわね! 仮にそうだとしても、貴方が私を怖がっていると言っているでしょう!」

「それは確かにそうかも知れないけれど、僕はそれでも貴方と一緒にいたいし貴方と音楽がやりたいって言ってるんだ」

「どうして!? 私は、ただ貴方にちょっと優しくされただけで、勝手に好きになって長年ストーキングをしていた悪人でしょう!」


 私がそう言うと、演良さんは初めて、私に怒った顔を見せました。


「…それが、君の本心なの? 僕から離れたいと、心底思っているんだ?」

「だからそう言っているでしょう!」

「だったら!」


 演良さんは不意に、私に近づきます。そして彼は、私の顎を掴んで、至近距離で私の顔を見ます。しかし不思議と、彼の顔がよく見えません。暗いから、でしょうか。


「…どうして、泣いてるんだ?」

「…は? いいえ、私は、泣いてなんて…いる、筈が」


 彼に言われて、私は頬に触れます。するとどうでしょうか、私の頬は確かに濡れていました。こんなに近くて彼の顔が見えないのは、それは──私が、涙を流していたからだったのです。


「君の言葉なんて、僕は信じない。僕は、この涙を信じる。…本当のことを言ってくれないかな、久瑠々先輩。…本当に、僕から、僕たちから離れたい?」


 そんなの、そんなの決まっている。だって、私は演良さんが好きだから。私は、私は──


「…離れたく、ない。貴方たちと、もっと一緒に音楽がしたい! 文化祭のステージで、私の音楽を演奏する貴方たちを、隣で見たい! 芽唯さんと、もっと趣味の話がしたい! エルヴィラさんとも仲良くなって、一緒に運動をしたい! 蕗乃さんのあの言葉遣いを、もっと聞いていたい! 演良さんと、演良さんと…大好きな演良さんと、もっとお話がしたい! もっと、もっともっと…卒業した後も、時々集まって、皆と遊んでみたい! もっと、もっと、もっと…ただの“来望久瑠々”として、生きていたい…」


 涙と共に、思いが、こぼれます。そんな私を、演良さんは何も言わずに、ただそっと抱きしめてくれます。何度もしゃくり上げながら、私が言う本心に、彼は何度も頷いてくれました。

 ようやく落ち着いてきた頃に、彼は私に、「じゃあ、先輩」と優しく声をかけました。


「…先輩は、まだバンドはやりたいって事でいいですか?」

「…ええ、その通りですわ。ただ、それが許されるかどうか」

「先輩を縛ってるのは、何ですか?」

「母、それと婚儀、でしょうか…」


 私は、演良さんに向けて今私を取り巻いている状況をなるべく簡潔に話しました。縁談が差し迫っている私に対し、母が“教育”をし直そうと呼び戻したこと。そして同時に、先方で何事もないように、学校に金を払って、卒業という形だけ作ろうとしていること。妻として家に行くのだから、音楽等を嗜み以上にすることを禁じられたこと。


「…なるほど。先輩のお母さんは、今この家にいますか?」

「え、ええ…一応は、いますけれど」

「それだったら、とりあえずお母さんに話してみませんか? 先輩が、本当はどうしたいのか」

「…けれど、お母様は多分、いいえきっと、許してはくれませんわ」

「大丈夫、そのときはもう、僕が先輩さらっちゃうんで!」

「へ?」

「それじゃ、芽唯達にレインしてっと…うん、よし。じゃあ、行きましょう!」


 演良さんは、スマホに文字を打ち込んだ後、私の手を取って歩き始めました。慌ててついて行きながら、私はどのようにここまで来たのか彼に聞きました。


「結構無茶しました。芽唯とエルヴィラ、それに蕗乃ちゃんに陽動して貰って、こっそりこっちに。屋敷の見取り図は、青海さんがくれました」

「学生が侵入できる程度のセキュリティではないと思うのですが」

「あー…言ってませんでしたっけ? 先輩と同じで、僕らも皆能力持ってるんですよ」

「そうなのですの!? …もしかして、蕗乃さんが言っていたこと、割と事実だったり?」

「結構そうですよ」

「はあ…そうなのですか」


 随分驚きでした。まさか彼女らも能力を持っていたのですね。しかし、こんなに一度に能力を持った人間が集まるのは不思議ですね。しかも、演良さんのもとに。まるで、彼がこの宇宙の主人公であるようにも思えてしまいます。

 芽唯さんが鉄を作る能力、エルヴィラさんが炎を操る能力、蕗乃さんが幻覚を制御する能力、と聞き、演良さんの能力を聞こうとしたところで──スーツを着た男性が、私たちの前に現れました。


「感心できないな、久瑠々お嬢様。…そうして男を連れていると、一秒一秒商品価値が下落していきますが」

「…間都樹」


 目の前に現れたのは、来望の企業で若くして幹部になっている、間都樹(まつき)円枯(まるか)。彼は、私のことをいつも、冷徹な目で見ます。正直なところ、会社の人間ではあまり、好きではないです。


「…お母様に会いに行きます。邪魔をしないで下さい」

「…あ、そうですか。…随分とまあ、親不孝ですね。それではお母上からの信用は目減りしますよ?」

「相も変わらず、いちいち経済で例えるのですね。随分語彙が貧相なものだから、もう大体は覚えてしまいましたよ。新しい例えはないのでしょうか」

「…あ、喧嘩は買いませんよ。リターンゼロなので。…ま、行きたければ行けばいい。それが、更にお母上に心労をかけると分かった上でならば」

「…ッ」

「…行きましょう、先輩。時間の無駄です」


 彼の言葉にいらだちを覚えましたが、演良さんの言葉で我に戻り、彼の隣を通り抜けます。彼の目線が、不意に敵意を感じられるものに感じたのが少しだけ気になりましたが、構わず進んで、私たちは母の部屋にたどり着きました。


「…何か用? 久瑠々と、彩嗣演良君」

「…その、お母様に、言いたいことが…」

「言葉ははっきり言いなさい」

「…っ」


 いざ母を前にして、随分私の体は強張ります。子どもの頃から母の纏うぎらぎらとした雰囲気が苦手でしたから、仕方のないことかも入れません。すると、隣に立つ演良さんが、私の手を優しく握って、小声で「大丈夫」と言ってくれました。ああ、こうした気遣いができるから、私は貴方を好きで居続けてしまうのです。彼に勇気を貰って、私は母をまっすぐと見据えます。…久しぶりに見た母の顔は、思い出よりも幾分か老けて見えました。


「私は、彼らと文化祭に出たいです。そして、学校に通って、卒業したいです。…だから私を、卒業するまでの間だけでも、別邸に戻してはいただけませんか」

「…そう」


 母はじっと黙って、ふう、とため息をつきます。彼女がため息をついたとき、いつも私はその後の言葉におびえていました。しかし、今は違います。


「卒業した後、あるいは文化祭の後でも、私は家のために生きます。結婚も甘んじて受けます。…音楽も、やめてかまいません。…だから、どうか」

「言いたいことはそれだけ?」

「…はい」

「結論から言うわ。貴方が学校に戻ることは認めないし、卒業までは本邸にいて貰います」

「…無理なのは理解しています。…文化祭だけでも、なんとかはなりませんか」

「なりません。そもそも、この婚儀は貴方の爲なのよ。貴方は、来望家を取り仕切るのには向いていない。しかし、来望家の長女であることを逃れられないのなら、せめて他家に嫁ぐのが、貴方にとっては最大の幸せよ」

「っ…」


 母は、淡々と言い放ちます。次第に、私の中で、子どもの時以来の母への恐怖が生まれだした頃、隣にいる演良さんが「あの…」と声を出します。


「…それって、当事者の同意は得てるんですか?」

「…当然でしょう。夜川家と来望家で決めたことなのですから。…そもそも、なぜ貴方がここにいるのですか。貴方は、ただの久瑠々の友人の筈よ」

「ただの友人が、口を出したら駄目でしょうか」

「…いい? 貴方に分かりやすくいうけれど、私たちの世界は貴方たちとはちがうの。私たちの一存で、数十万と言う人間の人生が決定するの。その特権の対価として、私たちの人生は自由ではありえません。…貴方と久瑠々は、生きる世界が違うの」

「何も、違いませんよ」


 演良さんは、力強い言葉で母に言い返します。


「僕にとって久瑠々先輩は、普通の、音楽が好きな女の子です。…それに、夜川君…久瑠々先輩が結婚する夜川紅葉くんだって、ごく普通の学生ですよ」

「…そういえば、貴方はあの子と同じクラスだったかしら」

「はい。…もう一度聞きます。その結婚は、久瑠々先輩と夜川君に、同意を得たのですか?」

「…いいですか、家同士の結婚では、当事者は親です」

「…そうですか。だったら、仕方ないですね。こっちも、秘密兵器を使います」


 そう言うと、演良さんはスマホを取り出し始めました。私と母が不審に思っていると、スマホから音が流れ始めます。それは、私が初めて投稿した音楽でした。


「それは…」

「これは、久瑠々先輩が初めて手がけた楽曲です。基本を抑えながらも、大胆な転調に、難しい音程でも歌いきるスキル、そしてその美しい声から人気を博します」

「…そう」

「そして、これが、僕らのバンドの歌です。こっちは、映像も見て下さい」


 演良さんは、スマホを持って、母の近くに行きます。母は表情を一切変えずに、その映像を見ています。


「こっちは、演奏が僕らだから、さっきの曲に比べれば大分下手です。久瑠々先輩は完璧ですけれど、一緒に歌う僕はまだまだ音程が不安定だし、他にも足並みがそろってないし、欠点ばっかりです」

「…結局、言いたいことは何? 今更、こんなもの見たところで…」

「でも、先輩の表情は…とっても、楽しそうですよ。…久瑠々先輩のお母さん、貴方は彼女の笑顔を見たことがありますか」

「笑顔…」


 演良さんの言葉に、母は黙って、目をつむります。そして、一言、静かに零しました。


「…そう、貴方はこんな風に笑うのね」

「お母様…」


 母のその言葉に、私が向けるべき感情は怒りだったのでしょう。この年齢になるまで、なぜ笑顔すら知らなかったのか。どうして、私を見てくれなかったのか。けれど、私はこの時、ただ──ようやく見てくれたと、思ってしまいました。


「…貴方がしようとしているのは、彼女の笑顔を奪うということです。…本当に、それで良いんですか」

「…けれど、あの子にとっての幸せは…」

「演良さん、少し母と話させて下さい。…お母様、私たちはただの親子ではありませんでしたわ。貴方は私に家を見て、私は貴方に母を見ていた。…この家で、それが叶うはずもありません」

「久瑠々…」

「けれど。私は、来望の長女としてではなく、来望久瑠々として生きたいのです。…だからもう、私はこの家を出て行きます。…そうすれば、お母様も私を勘当して、汚点を隠せるでしょう?」

「…そんなこと、認めません」

「認められなくても、構いません。私は出て行きますわ」

「待ちなさい、久瑠々」


 そう言うと、初めて母は立ち上がりました。子どものころからずっと大きく見えていた母が、私よりも背が低いことは初めて知りました。そして母は、私の方に歩いて、私を抱きしめて言いました。


「大きく、なったわね。…長女として、貴方を認めはしないわ。けれど──娘として、貴方を愛してる」

「お母様…ありがとう、ございます…」


 私の目から、ぽつりぽつりと涙がこぼれて。けれど、出ていく涙とは裏腹に、私の心は満たされていきました。

 どれぐらいそうしていたかは分かりませんが、私が泣き止んだ頃、母は眼を腫らしながら、「婚約は破棄するわ」と言いました。


「…貴方が家を継ぐか、他家に入るか、来望を出て行くか。それは、貴方が決めなさい。これから、“来望久瑠々”として生きる上で」

「お母様…!」

「…文化祭、楽しみにしているわ」


 母が、くすりと笑いました。そうか、お母様はこうやって笑うのか。不意に、笑いがこみ上げてきます。


「どうしたの、久瑠々?」

「いえ、ただ…この年まで、互いに笑うところを見たことない親子なんて、と思うと…少し…」

「…そうね。ふふ、可笑しいわ。…ふう、夜川家への言い訳も考えないとね」

「あ、それなら大丈夫ですよ。夜川君、結婚する気ないらしいので」

「え?」

「え、どういうこと?」

「なんか、もう好きな人いるらしいですよ」

「…ふふっ、もうこれからの時代は、私たちの家格でも政略結婚は古いのかしらね。…それにしても、何故それを最初に言わなかったの?」

「いや、卑怯かなと」


 演良さんから飛び出た情報に驚きながらも、肩の力が抜けます。母に認められて、私は完全に油断していました。


「…なぁに、気が抜けた会話してるんですかぁ?」


 スーツを着た女性が、部屋に入ってきました。それは、青海音(おうみおと)、私の教育係でした。


「…青海、何をしているの」

「あ~、安心して下さい。奥方に用はないのでぇ。用があるのは、そこの久瑠々お嬢様っすよ!」

「音、何言って?」

「つー訳で、今から久瑠々様誘拐しますよぉ」

「…君は言葉が足りないな。しかし、がっかりしましたよ、社長。まさかこの期に及んで、跡目の可能性をその女に持たせるとは」

「…間都樹…!」


 青海に続いて、間都樹がやってきました。母は、彼を睨みますが、それを意にも介さず会話を続けます。


「折角洗脳したのに、解きやがって。今、アンタの価値は下落したよ。…また、洗脳するしかないな」

「ま、仕事はさっさとやろう! じゃあ──ゲームスタート!」


 彼女がそう言うと、背後に機械が出現しました。それは金属が輪のようになっていて、中心に光りが灯っています。そして私は、その光に押し込められました。

 こうして、私たちの第二の事件『来望久瑠々誘拐事件』は幕を閉じます。そしてそれは同時に、第三の事件『篷樋学園浮遊事件』の幕開けを意味するのです。

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