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決心と王子様

 来望家。戦後以来、この国における主要産業の大半に関わり、来望家と間接的にでも関わらない企業は数割程度とまで言われるほどの存在。加えて、古くからの貴族の血筋でもあり、名実ともに、この国における最高位の名家、とまで言ってもよいのだろう。


「…久瑠々先輩の家、こんなに凄かったんだな」


 パソコンを開いて「来望」と検索して、今更そんなことに驚く。ここまでの家に生まれたのだから、彼女の重責はとてつもなかったろう。


「…許嫁、か。…随分、遠い世界だなあ」


 ベッドに寝転んで、独りごちる。久瑠々先輩の家に練習をしに行って、青海さんに言われて帰ったあの日。あれから、もう二日だ。


「…久瑠々様は、高校卒業後、夜川家に嫁ぐことになるのですが…お母上様が、彼女の学生としての生活をお聞きになり…激昂なされ、本邸に呼び戻されました」


 応接間で、僕らの問に、青海さんは伏し目がちにそう答えた。結局、僕らは失意のまま、先輩の家を去った。青海さんの、申し訳なさそうな顔が、酷く心を打った。

 それから、僕らは互いにほとんど何も話せていない。時折、久瑠々先輩も入ったレインのグループチャットで、蕗乃ちゃんが色々と話しているけれど、先輩からの返事は帰ってこない。

 バンドの練習もできないままに、ただただ、休みを過ごしていた。


「…バンド、やりたかったな」


 思わず、心の声が漏れ出る。どうにも、最近は身に力が入らない。勿論、彼女を無理矢理に連れ出す、というのは不可能なことではないだろうし、彼女自身、嫌なことであったのなら、僕は王子様として、強引に彼女を救う。最初はそう思っていた。けれど、彼女を取り巻く環境は、それを許しはしないだろうし、彼女が最後に僕らに残したレインのメッセージに、僕らはどうすれば良いのか分からなくなっていた。


『皆様、突然のことで申し訳ありません。しかし、ずっと考えておりました。私のような人間が、演良さん達と一緒に居て良いのか、と。結論として、私は貴方たちから離れることを選びます。一人抜けた分の変更を施した楽譜と、皆様へのアドバイスも送っておきますね。皆様、どうもありがとうございました』


 彼女の真意が分からないから、僕は動けない。蕗乃ちゃんの時のように、エルヴィラの時のように、半ば無理矢理に救おうと思う心は、どうしても湧かなかった。なぜだろうか、彼女の罪悪感が、何となく分かるからだろうか。…僕自身が、彼女のことを心の奥底では、怖いと思っているのだろうか。


「…とりあえず、外に出ようかな」


 気分転換に散歩にでも出かけようかと思って、着替えて外に出る。そういえば、芽唯はどうしているだろう。インターフォンを鳴らしてみると、芽唯がパジャマのまま、寝ぼけた眼をさすって出てきた。


「あ、あくくん…おはよぉ~」

「おはよ、芽唯。…まあ、もう昼だけど」

「あれ、そだっけ…まあ良いじゃん、夏休みだし」

「…だね。あ、これから散歩行くんだけど、芽唯も来る?」

「んー…もうちょっと寝てようかな」

「そっか。それじゃ、起こしてごめんね」

「んーん、あくくんの顔見れたし全然良いよ」

「…そっか」


 芽唯は、僕に手を振りながら、ふらっとした足取りで家の中に入っていった。久瑠々先輩との付き合いは、多分芽唯が一番長いから、彼女はきっと僕らの中で一番辛い筈だ。

 先輩とバンドをする。それは、僕の中では決まっている。ただ、その方法が分からない。彼女を連れ出しても、彼女の心はどうにもできない。きっと、久瑠々先輩自身にもう一度バンドをやりたいと、学校に行きたいと思わせなければいけないし、それができなければただの僕の我が儘になってしまう。


「…喫茶店。こんなとこにあったんだな」


 歩いていると、ふとコーヒーカップの絵が描かれた看板が目にとまる。そこには、「喫茶新月」とだけ書かれていた。

 からんころん、と言う音を聞きながら店に入ると、コーヒーの良い匂いが鼻腔をくすぐった。テーブル席に座ってメニューを見ると、珈琲と紅茶、それにサイドメニューがいくつも古びた紙に書かれている。


「すみません、ブレンドとホットサンドを一つお願いします」

「…はい」


 店主さんらしき男性は、髭を蓄えた初老の男性だった。彼の手際はとても良く、年期を感じさせた。店を見回すと、三人ばかり座っていて、原稿用紙に向かっていたり、カレーを食べていたり、パソコンを広げていたりと、三者三様だ。


「お待ちどう」

「ありがとうございます…わ、良い匂いだ」


 小さなお盆に、珈琲とホットサンドが載せられてやってきた。ホットサンドの中身は、シンプルに卵とレタスだが、焼けたパンの香りとパンチのある卵の匂いが食欲をそそる。珈琲も、とても良い香りだ。

 飲んでみると、ほんの少し酸味がするけれどコクがあって美味しい。加えてサンドの方も、パンが柔らかくてとても美味しい。ただ何となく、僕の方が味を感じられていないような、そんな気がしていた。

 ふと気が付くと、店の中にはクラシックが流れていた。カウンターの奥の方にはレコードを流す機械があり、多分そこから流れているのだろう。…音楽を聴いていると、久瑠々先輩のことを思い出す。彼女とする音楽は楽しかった。…久瑠々先輩もそうだと思っていたのは、僕の勘違いだったのだろうか。


「…随分と物憂げだねえ、少年。その年齢に、そういうのは似合わないぞ」

「…ええと、貴方は?」


 突然、声をかけられたと思ったら、帽子を被ったサングラスを掛けた男性が僕の目の前に座ってきた。その男性は、からからと笑いながら、グラスに入ったアイスコーヒーを飲んでいる。


「私が誰か? それは最後でも良いんじゃないかな。君が聞きたいのは、多分そこじゃないだろ?」

「…はあ…?」

「いやいや、如何にも人生相談したそうな顔じゃないか。こう見えてもね、私は結構いろいろな経験してるんだよ。ほらおじさんに相談してみな?」


 いつもなら、こういう人物のことは信用しないけれど、彼の言葉が妙に耳に残って、気づくと僕は、口を開いていた。


「ええと、文化祭でバンドを一緒にやろう、って言ってた先輩がいて、最近結構練習してたんですけど」

「お、いいね。青春じゃないか。羨ましいな、おじさんはそういうの経験してこなかったよ」

「…その先輩の家、結構特殊で。それで、バンドを禁止されたらしいんです」

「ふぅん、なるほどね。ま、そんな親も居るかあ」


 彼は、ストローをいじくりながら、僕の話を聞く。


「…先輩と、バンドはしたいんです。でも、そのためだけに、僕が先輩をどうにかするって言うのも、なんか違う気がするんです」

「そのコはなんて言ってんの?」

「…バンドをやめるのは、自分の判断だって言ってました」

「ほうほう。…それ、何か悩むことある?」

「へ?」


 男性は、全く不思議なことのように首をかしげた。


「いや、だって…先輩の真意も分からないのに、先輩を連れ出すって言うのは、駄目じゃないですか?」

「そうかな。いくつかの点で、その理論は違うかなあ。まずさ、子どものやりたいこと無視する親はろくなもんじゃないよ。いや勿論ね、その中には子ども思いな親も居るよ? でもさ、強硬手段に訴える──親と子の力の差を意識しない親は駄目だ。だからその点で、その先輩の意志がどうか。については疑問が残るね」

「…そう、でしょうか」

「そして、こっちが重要だ。…そもそも、助けるなんてのは百%、自己満だよ。…僕はね、プレゼントって言葉が嫌いなんだ。だってあれって、相手の意志は無視して、渡したいものを無理矢理渡すだろ? しかも、プレゼントっていったら、受け取らない方が悪いみたいになる。あーいうのは独善だ。そして、助けるって言う行為も、プレゼントと全く同じだよ」

「そういうものでしょうか」

「だからね、少年。助けたければ、相手の意志なんてガン無視して助けなよ。…助けるべきか、なんて偉そうなことは言っちゃ駄目だ。助けたければ助ける。仮にそれが、相手にとって迷惑だったら、まあそのとき謝れば良い」

「…助けたかったら、助けるべき」


 男性は、言葉をやめて、一度グラスの飲み物を飲み干して氷をバリバリと食べた後、グラスを机に置きながら言う。


「…おじさんもね、一度、あったんだ。助けた方が良いのか、どうなのか。…僕がそうやって逡巡して居る内に、その人は死んじゃった。それからはもう、どんだけ自己満でも、僕は助けようとすることに決めたんだ。…ちょうど今みたいにね。どうかな、君は助かった?」

「…すみません、まだあんまり、よくは分かりません」

「…そうか」

「でも、なんとなく、自分が何をしたいのかは、分かった気がします」

「そうか、それは良かった!」


 そう言うと、男性は立ち上がった。そして、ポケットから、小さな紙を取り出した。


「じゃあね、少年。君とはまた会う気がするよ」


 彼はそのまま、しっかりとした足取りで、店を出て行った。呆気にとられながらも、紙を確認すると、どうやら名詞らしいそれには『作家 炉ノ路(ろのみち)露那(ろな)』と書いてあった。確か、彼と言えば『シノビウィザード』の作者だったはずだ。思いがけず、凄い人物と話してしまっていたらしい。

 煙に巻かれたような気がしたけれど、僕の中にあったもやもやはだんだんと晴れてきていた。僕は、久瑠々先輩と、皆と一緒に演奏したい。学校の皆の前で。先輩が、僕らと一緒に居ることがいやだったとしても、家に居たかったとしても──そうじゃない可能性のためだけに、僕は彼女を助ける。


「…よし、やるぞ」


 気合いを入れながら、これからの事について考える。するとふと、「夜川」という名前を思い出した。そういえば、僕のクラスにも、夜川君がいたな。…もしかすると、彼だったりするのだろうか、先輩の許嫁は。

 そうじゃなかったら、僕は謝らないといけない。ただ、もしその通りで、僕のクラスメイトに、先輩の結婚相手がいるのなら──やりようは、ある。


『…珍しいな、彩嗣。君とは電話をするほどの親友ではなかったと記憶しているが』

「あー、うん、いきなりごめんね。ちょっと、夜川君に聞きたいことがあってさ、今時間大丈夫?」

『…さっさと本題に入ってくれ、後がつかえている』

「分かった」


 僕は一度深呼吸をして、彼に本題を聞く。


「夜川君ってさ、来望久瑠々先輩って知ってる?」

『…ああ、知っている』

「…それは、君と先輩が、結婚する取り決めがあるから?」


 僕の言葉に、夜川君は黙る。そして、十秒ぐらい経って、息を吐く音が聞こえてきた。


『察しのとおりだ。僕は来望久瑠々と結婚することになっている。が、それと君と関係はあるか?』

「その、実は…僕さ、先輩と、あと何人かで文化祭バンドやろうってなっててさ」

『急に何の話だ』

「けど、先輩のお母さんが怒っちゃって、先輩を呼び戻して、学校にも行かせてないんだ。…だから、このままじゃ先輩とバンドはできない」

『ま、それはそれで良いんじゃないか。ただでさえお前は顔面偏差値が高い、あの来望久瑠々と一緒にステージに出たらやばいだろ』

「…でも、僕は先輩とバンドをやりたいんだ。だから。その…」


 言葉に詰まった僕に対して、夜川君はからからと笑って、一言。『僕に婚約を破棄しろと?』と聞いてきた。電話越しだから、彼の表情が見えてこない。彼は、怒っているのだろうか、呆れているのだろうか。正直なところ彼とは学校であまり話さないから、人となりが分からない。


「…うん、その通りだ。ぶしつけだとは分かってる、部外者なのも分かってる。だけど…」

『ふん、君に頼まれなくても元から結婚するつもりはない』

「…え? 今、なんて?」

『結婚するつもりはない。もとから』


 彼の言葉があまりにも予想外だったから、僕はうまく言葉をまとめることができず、ただ一言、「どうして?」とだけ聞いた。すると彼は、突然声の調子を上げながら答えた。


『だって僕は、ウチのメイドを娶るからな』

「め、メイド?」

『ああ。僕のウチでは、住み込みでメイドを何人か雇ってるんだが、その中に一人、僕の四歳上の奴がいてな。初めて会ったのは、三歳ぐらいだったか。その時一目惚れして速攻結婚の約束を取り付けた』

「え、ええと…でも、それだったらなんで久瑠々先輩との縁談が持ち上がったの?」

『あのなあ、彩嗣…メイドと僕じゃあ家格が釣り合わないだろ? だから、両親が認めてくれるわけないんだよ』

「そ、そういうものなんだ」

『王子様名乗るんならそのぐらい勉強しときなよ。で、まあだから僕両親に隠して、成人したらすぐにメイドと駆け落ちすることにしてる。そのために、兄弟には家を頼むって根回ししてるし。当然相続を放棄する算段もついてる。ただ、そのときのためにできの悪い息子装ってたら、縁談持ちかけられたのは予想外だった』


 急に饒舌になった彼と、その話の内容の突飛さに追いつけないながらも、要点だけはなんとか理解できた。要するに彼は、先輩と結婚するつもりはないらしい。


『ま、だから彩嗣、別に無茶苦茶やってもいいぞ』

「そっか。ありがとね、夜川君。メイドさんと式挙げる時は呼んでよ」

『あのな、駆け落ちで式は挙げないだろ。…ま、さっさと姫でも救ってくることだな、王子様』

「うん、ありがとう。じゃあね、夜川君」


 電話が切れてもう完全に、僕の心の中で、先輩を連れ戻すことが決まった。先輩の意志なんて知ったことではない。僕は王子様だ、我が儘なんだ。あの人の音楽を、あの人と一緒に、僕の大好きな友達と一緒に、大勢の前で演奏したい。可愛くて、綺麗で、格好良くて、美しいバンドを、文化祭でやる。なぜなら僕は王子様なのだから。欲しいものは、何だって手に入れてやる。


「…もしもし、芽唯? ちょっと、話したいことあるんだけど、今これる? うん、先輩の家の前。エルヴィラも、蕗乃ちゃんも呼ぶつもり。…分かった、ありがとう」


 宿命のゆるふわプリングラーヴェ、第二の事件。僕が起こすことになるそれに、あえて名前を付けるなら──『来望久瑠々誘拐事件』となるのだろうか。

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