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最初のお姫様と王子様

 散歩に行ったのだったか、遊ぶ約束をしていたのかあまり覚えていない。ただ、僕は公園に行って、一人でぼうっとしていた。その頃ちょうど、母と姉がいなくなって、父は何やら忙しそうにしていたから、僕は父に半ば放っておかれていた。

 夕方で、どこかから、独特なメロディが放送されていたぐらいの時刻で、空は橙色に染まっていた。遠くを見ると、夕日が沈みかけていて、あちこちで烏が飛ぶ。ふと、ベンチを見ると──ハーモニカ片手に静かに座っている、同い年くらいの女の子がそこに座っていた。


「ねえ、弾かないの?」

「…どなた?」


 僕は、その子に話しかけた。夕日に照らされて、肩ぐらいの大きさに、宝石のような美しい髪を揺らしていた彼女が、儚げで、まるで消えてしまいそうだった。

 その子は僕を、上から下まで見て、意外そうに口を開いた。


「あなた、これが楽器って分かるんですのね」

「うん…ええと、ハーモニカだよね?」


 女の子は、僕の返答に頷くだけ頷くと、僕から目線を外して、遠くの空を眺め始めた。つられて見ると、青くなりつつある空と、だんだんと黒くなっていく山の間に、白く光る月が出始めて、ちらほらと星が見え始めていた。

 少女は、ぽつりと零す。


「…貴方、私の音楽が聴きたいですか?」

「…うーん…」


 正直なところ、僕はあまり音楽に興味はなかった。その頃の僕は、聞いたことのある音楽と言えば、児童向けアニメのOPだけ──エンディングは興味がなかった──だから、ハーモニカも名前を知っているだけで、別にどんな音色かも知らない。

 ただ、そのときぐらいだろうか、僕は誰かと、王子様になる約束をしていた。だから、なんだか悲しそうな彼女に向かって、「聞いてみたいな、君の音楽」と言った。

 彼女は、驚いたような顔をして、そして──返事をする代わりに、ハーモニカを構えた。


「…わぁ、すごい…!」


 別に音楽の知識もなかった。その女の子が上手なのかも、何という曲なのかも分からなかった。ただ、そのとき僕は──まるで、音楽が作り出した別世界にいるような気分になって、星空とその子を交互に眺めていた。


「…どう、でしょう?」


 吹き終わった彼女は、息を切らしながら、不安げに僕を見た。僕は、ただ一言、「すっごく、良かった…」とだけ言うと、彼女は満足げに頷いた。


「ありがとうございます…最後のお客さんに満足して貰えて、うれしいですわ」

「最後?」

「私は今日…音楽をやめるために、ここに来ましたの。これを、捨てるために」


 彼女は、ハーモニカ片手に、くすりと笑ってみせる。けれど彼女の瞳は、夕日に照らされてきらりと光っていた。


「…とっても上手なのに…やめちゃうの?」

「…全然、上手ではありませんから。だから、やめるのですわ」


 彼女はそう言って、ハーモニカを宙に放り投げた。それを見て、僕の体は、反射的に動いた。そのまま僕は、こけて膝をすりながらも、ハーモニカをキャッチしていた。彼女はそれを見て、声を荒げる。


「なっ…何をしているのですか!? そ、そんなもののために、あなたがなぜ…」

「いてて…えっと、まだこれ、吹けるかな?」


 僕は、狼狽する彼女に、ハーモニカを手渡した。彼女は黙って、ただ、「壊れてはいません」とだけ答えた。僕はそれを聞いて、良かった、と思った。

 それからその人は、もう一度ベンチに座って、じっと黙って、ただうずくまっていた。僕はそれを見ながら、何も言えないで、ただ彼女を眺める。だんだんと日は落ち、辺りの電灯が点滅しながら着き始めたころ、彼女は漸く口を開いた。


「…もう夜ですわよ。早く家に帰った方がよろしいのでは?」

「…君が帰るまで、僕はここにいるよ」

「…なんで」

「だって僕が帰ったら、また君は、それ捨てるでしょ?」

「それがなんですの。別に私一人がハーモニカを捨てたところで、貴方には何の関係もないでしょう」

「…まあ、正直どうだって良いよ」

「…はあ?」


 僕の答えが意外だったのか、彼女は顔を上げた。彼女の瞳は、涙で赤くなっていた。そのとき、始めて思った。泣いている女の子を笑顔にさせるのは、王子様の仕事なんじゃないか…って。


「でもさ、君が音楽をやめたら、僕は悲しいな」

「…どうして?」

「だって、感動したから。きみの音楽。…もう一度、聞きたいから。だから君が捨てずに帰るまで、僕はここから離れない」

「…さっぱり、分かりませんわ。私のこれに、そこまでの価値なんてない。誰も、私の音楽なんて興味がない。お父様だって、お母様だって…皆、私の事なんて見てもくれない!」

「…そんなことない! 僕は、きみの音楽を聞いていたい。例え、世界中の皆がきみのハーモニカが嫌いだって言ったって、僕だけはずっと、君の音楽が好きだ!…僕が、君というお姫様の、たった一人の王子様になる!」


 彼女は、目を見開く。そして、ぽつりぽつりと、涙を溢れさせ始めた。僕は慌てて、何してしまったのか、謝らないと、と考えたけれど、彼女が笑い出して、どうすれば良いか分からなくなってしまった。

 彼女は、立ち上がって言った。


「…分かりました。では、私は音楽をやめませんわ」

「本当に!? 良かった」

「ただし!」


 彼女は指を立てて、僕の方に近づいている。もう彼女の瞳に、涙はなかった。まるで宝石のように美しい瞳が、僕を突き刺す。


「一つだけ、条件があります」

「じょう、けん?」

「はい。いつかきっと、貴方には約束を果たして貰いますわ。それは──」


 ああ、どうして忘れていたのだろう。僕は、彼女ととっくに出会っていたし、古びたハーモニカも、何なのか分かっていたんだ。僕が初めて出会った、お姫様、それは──




 誰かの呼ぶ声で目が覚める。目を開けると、久瑠々(くるる)先輩の顔で、天井が見えない。ただ、長い髪が顔に当たって、ほんの少しくすぐったい。それにしても、なんだか柔らかい感触だな──と思って、ふと口に出す。


「…膝枕?」

「~~ッ!! 目が覚めたのであれば、とっとと起きてくださいまし!」


 彼女は、顔を赤くして怒りながら、僕の上体を無理矢理起こす。床に座りながら、僕は辺りを見回して、記憶を整理する。

 だいたい思い出してきたところで、僕は部屋の光景について、勇気を出して質問する。


「それで、えっと…これって、僕の写真、ですよね?」

「んぐっ…!」


 壁に掛けられた、いくつもある写真を指さして聞いてみると、彼女は顔をしかめて、声にならない声をだした。見てみると、やはり僕の写真で、小学生の頃から、中学生に入ったばかりまでぐらいのものが、いくつも飾られている。見たところ、高校生になってからの写真はなく、そして画質が写真によって違うので、どうやらいくつかはトリミングされた物らしい。実のところ、そこそこ背筋は凍っている。


「…はい、貴方の見立て通りですわ。…ここにあるのは、全て貴方の写真です。…引き、ますわよね…?」

「ああ、まあ、その、少し、怖くはあります」

「…はぁ~…ですわよねえ…」


 彼女は、頭を抱えてため息を吐く。


「あぁ、えっと…とりあえず、ここでませんか? なんか、自分の写真に囲まれてるのは怖っ…恥ずかしいんで」

「恐っ…まあ、そうですね…とりあえず、上がりましょうか。…そこを動かないでくださいね、今上げるので」

「上げる?」


 すると彼女は、目をつむって、歌を歌い始めた。それは、先ほどとは違って、心が軽くなるような曲調だった。まるで、音楽の世界に入り込んだかのように、僕はなんだか懐かしく感じるその歌に聴き入っていた。重力がほとんどなくなったようだ…と思っていると、実際に僕の体は浮いていた。


「えっ、これは?」

「…私、少し特別な力が使えますの…さあ、着きましたわ」


 彼女が言ったとおり、僕らは彼女の自室に座っていた。不思議なことに、先ほど壊れたはずの床も、落ちてきたはずのシャンデリアも元通りに、天井からぶら下がっていた。

 絶望しているとでも言わんばかりの表情をしている彼女に、改めて、声をかける。


「あぁ、えっと…言いたいことは色々あるんですけど…とりあえずその、音楽、やめないでいてくれたんですね。ありがとうございます」

「…へ?」

「あれ、えっと…僕ら、会ってますよね? 小さい頃、ここからちょっと遠い公園で」

「…あ、え、その…」

「あれ、違いました? だったらごめんなさ──」

「会ってますわ!」


 謝ろうとした僕を、彼女が制止する。彼女の瞳には、あの日と同じように、涙が浮かんでいた。


「覚えていて、くれたんですね…!」

「いやまあ、思い出したのはついさっきなんですけどね」

「そんなこと、些細な問題ですわ! では、あの約束も…?」

「…約束? ごめんなさい、ちょっと完璧には思い出せてないみたいです」

「そ、そうですか。ま、まあ別に問題ありませんわ」

「そうですか?」

「はい、ですから無理に思い出そうとしないでくださいまし。…私も、アレはちょっとはずいので…」


 彼女の表情はころころ変わるので、見ていて飽きない。ただ、聞かなければいけないことは一つあるので、目をそらさずに、聞く。


「それで、僕の写真は?」

「…その、あの日会ってから…私は、貴方の写真を収集していまして…その、なんというか…いいえ、今言いましょう。彩嗣演良(あづきあくら)さん」

「はい?」


 彼女はあちらこちらに目をそらした後、僕に向かって正面に座り直して、それから静かに、けれどもはっきり言った。


「私は、貴方に出会ったあの日から、貴方をお慕いしておりました。あの写真も、私が貴方を好きだったから収拾していたのです」

「え?」

「申し訳ございません。貴方の気持ちも考えず、勝手に盗撮と、追跡を繰り返しておりました。…本当に、申し訳ありません。どのような処罰も受けますわ。…警察に行けというのなら、自首も致します。何だって償います。…消えろというのなら、今すぐにでも──」

「あ、えっと、とりあえず顔を上げてください」


 彼女は、深く深く、頭を下げる。けれど、その言葉はまっすぐだ。あまり人に謝られるのは好きではないし、そこまで謝られるほどでもないから、僕は慌てて彼女に、顔を上げるように促す。彼女は、渋りながらも、顔を上げた。


「えっと、まあ見たときは、なんかちょっと怖いなとは思いましたけれど…貴方のような美しい人にここまで思われて、嫌な気持ちにはなりませんよ」

「そう、ですか。…お優しいですのね」

「ええ。王子様ですから!」

「…ふふ、そうでしたわね」


 彼女は、僕の言葉に微笑んだ。その微笑みは、とても高貴で美しく、そして上品だった。それから僕らは、アニメの話をしたり、ゲームの話をしたり、音楽の話を聞いたりして、楽しく過ごした。

 出された茶菓子がなくなったあと、神妙な面持ちで、彼女は口を開いた。


「ねえ、演良さん。一つだけ、お願いしたいことがあるのです」

「僕にできることなら、何でも聞きますよ」

「…私は、高校を出た後は、許嫁と結婚して、向こうの家に入ります。それから私は、一生そこで暮らすのでしょう」

「…え?」

「私は、貴方に対して許されざる行いをしましたわ。けれど、もし、もし許されるのなら──最後にたった一つだけ、貴方との思い出が欲しいのです。何だって構いません、ちょっと遊ぶだけでも、一緒にどこかに行くだけでも、一緒に何か、するだけでいいのです。…私に、貴方との思い出を、下さいませんか?」





 確かあれは、小学生ぐらいの頃でした。その頃私は、来望(くるもち)の家に生まれ、ただ後を継ぐか、あるいは政略結婚の道具として他家に嫁ぐか、『来望家の長女』としてしか見られていませんでした。

 私は、そこまで頭が良い方ではありませんでしたし、運動神経も良くはなく、体も丈夫ではありませんでしたから…物心ついてすぐは、期待の眼差しを向けてくれていた父と母も、次第に私を見てくれなくなりました。

 仮に勉強で良い成績を取っても、体育で必死に頑張っても、父と母は通知表の成績しか見ずに、そしてただ、数字を上げるように、としか言いませんでした。ならば、と思い、作文コンクールにでてみたり、絵画を嗜んでみたりしましたが、形に残る結果は出ませんでした。


「どうすれば、お父様とお母様は褒めてくださるのでしょうか…」


 毎日机に向かっては、そんなことを呟いておりました。家事をするお付きの人々は、私語を禁じられていたのでしょうか、それとも恐れ多かったのでしょうか、私には一切声をかけません。ですから、仮に部屋の中に誰がいようと、私の言葉はただの独り言だったのです。

 ただ、その日はいつもと違って、最近入ってきたばかりの教育係の女性がいました。そして彼女は、私の独り言に反応したのです。


「ゲー…音楽は如何でしょう? 久瑠々お嬢様」

「おんがく?」

「はい。私は良く、音ゲー…音楽を嗜むんですが、まあ結構泣けるんですよ。…お嬢様声良いんで、音楽とか良いと思いますよ。あと、上流階級って音楽できないとなんかやばそうだし」


 その教育係に言われて、私はぴんときて、その後すぐに、ハーモニカを買いました。私のお小遣いなら、高い楽器も買えたのでしょうけれど、私が買ったのはかなりの安物。そして持ち帰って、来る日も来る日も練習して、次第に、お付きの人にも褒めて貰えるようになり、そして喜び勇んで、両親のところへ見せに行きました。これで褒めて貰える、ようやく“私”を見て貰える──なんて、思いながら。


「…で、賞は取ったの?」

「…それを聞かされてどうしろと?」


 父と母は、私の方に一度も目をやることなく、仕事をする手も止めずに、片手間に私の演奏を聴きました。帰ってきたのは、たった一言だけ。思わず、「…私の演奏は、どうでしたか?」と聞くと、父母はちらりとこちらを見て、ただ一言──「娘の遊びに付き合えるほど暇ではない」と言われました。

 絶望なんて言葉、物語でしか知りませんでしたから、私は自身で言い表すことすらできない感情のままに、ふらふらと、家を出ました。


「あはは、お父さんおっそーい」

「はあ、はあ…全く疲れるなァ。…おーい、そろそろ帰るぞぉ」

「わたしをつかまえられたらいいよー」

「ったく…」


 夕焼けに照らされながら遊ぶ親子の姿が、妙に目に焼き付いて、離れませんでした。結局公園にたどり着いて、私はハーモニカを捨てようとして──そして、王子様に出会ったのです。


「僕が、君というお姫様の、たった一人の王子様になる」


 その言葉を聞いた瞬間、私は恋に落ちました。そしてあろうことか、金を使って、彼の情報を探らせ、盗撮し続けたのです。彼の姿を見るだけで、私は勇気がわいてきました。ただ、私は彼を、遠くから眺めているだけで良かったのです。

 中学二年生ぐらい、でしょうか。私は、彼との約束を果たすために、音楽活動を始めました。『ぐるりん』はすぐに、インターネットで有名になりました。ただ、私は要領が悪く、学業と両立はできずじまいで、結局不登校になり、彼の写真を撮りに行くことはめっきりなくなりました。

 その頃、私はストーカー、と言う言葉を知りました。そしてそれから、彼にしてきたことを知って、毎晩、罪悪感にうなされるようになりました。本当の被害者は、演良さんですのに。

 不登校になれば、両親も見てくれるだろうか、なんて淡い考えもありましたが、両親はただ、


「客人に姿を見られたくない。離れをやるからそちらに住め」


 とだけ言い、私は別邸に移り住みました。ただ、もうその頃は、父と母のことは正直どうでも良かったのです。

 高校に上がって、相も変わらず引きこもって、最低限進級だけは必死に頑張って──それから一年、私は運命を感じました。──王子様が、私と同じ学校にやってきてくれたのです。すぐさま会いに行こうと思って、そして精悍で、けれどどこか中性的で、艶やかな貴方の顔を見て、私は動けませんでした。盗撮もして、身辺調査もして──そんな犯罪者が、どうして貴方と会えるというのでしょう。

 それからは、芽唯さんに演良さんの話を聞いて、相も変わらず推しながら、けれど、彼に向かって犯罪行為をしていた罪悪感にさいなまれ、そうして蛆のように、日々を過ごしておりました。


「高校を卒業したら、夜川家の次男と結婚して貰う」


 父の死者が、ある日そう、告げました。こんな私でも、いつかはあの日の、王子様と…そう、叶わない夢を見ていましたから、私は二度目の絶望に、陥りました。

 それから、考えて考えて、私は思いつき、芽唯さんに、彼を家に呼んで欲しい、とさりげなく頼みました。…のらりくらりと書類を受け取らず、彼女が弟に見舞いに行く日まで計算して、私は貴方と出会いました。ただ、貴方と出会った緊張と、「何故私だけの王子様ではないのか」「何故、私に気づいてくれないのか」そう思って、意味不明な態度を取ってしまい、その上、私の罪まで暴かれ、赦されてしまいました。


「思い出を、下さいませんか?」


 私の、分を弁えない、身勝手で傲慢な願いに、演良さんは押し黙って、考え込みます。当然です、私のような気持ちの悪い犯罪者、話をしているだけでも苦痛なことでしょう。すると、演良さんは、ぽんと手を叩いて、口を開きます。


「久瑠々先輩って、音楽が好きなんですよね?」

「ええ…その通りですわ」

「だったら、文化祭で僕と一緒にバンドやりましょう!」

「…へ?」

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