歌手と王子様
「へえ、そんなこと言われたんだ」
「うん。まあその後は、茶菓子頂いて帰ったけれど…なんか釈然としないんだよなぁ」
「うーん、私があくくんの話したときは、そんなこと言ってなかったんだけどな」
結局あの後、来望先輩に「王子様と認めない」と言われ、僕は帰った。ただ、眠る前にもう一度、ふつふつと僕の中で湧き上がるものがあった。
「あれ、そうなの?」
「うん。私があくくんのこと王子様だって言ったら、『それは素晴らしいですね』なんて笑ってたもん」
「けれど、前々から思っていたみたいな口ぶりだったよ。解釈違いなんて言われちゃったし、芽唯から聞いて思ってたことなんじゃないかなあ」
「うーん…でもまあ先輩オタクだし、理想の王子様像とかあるんじゃ無いかな」
「…だとしても、王子様では無いなんて言われると、ちょっとくるものがあるな。全然怒っているとかでは無いけれどね」
「あはは…」
ただ、僕がわりと頭にきていることは芽唯に見透かされているらしく、彼女は苦笑しながら、僕のことを見つめる。そして、あ、と手を叩いて話し始めた。
「だったら、書類受け取りに行ってきてよ。今度は、王子様らしいところ見せつけてきたら?」
「王子様らしいところ、か…言われてみると、ちょっと難しいな」
改めて言われると、確かに僕の中での“王子様像”は少々、と言うか割と不明瞭だ。ただ、“困っている人を見放さない”“人を笑顔にする”“女の子はお姫様”あたりはしっかりとある。勿論、これと言ったイメージは無いから、明確に言語化はできない。ともすると、僕のそういう、不明瞭なイメージを目標として掲げているところを、来望先輩は見透かしていたのかも知れない。
すると、芽唯が僕に、「だったら聞いてみれば?」と言う。「誰に」、僕は聞き返す。
「エルちゃんとか、ふっきーちゃんとか。ほら、大分仲いいじゃん?」
「なるほど…それは名案だね。…じゃあ、まずは芽唯に聞いてみようかな?」
「うーん…長い付き合いすぎて、よく分かんないや」
「そっか」
「あ、でも、強いて言うなら…やさしいところ?」
芽唯は、宙を見ながら、顎に手をついて言った、聞き返すと、彼女は「ほら」と言って、話を続ける。
「王子様になるって言いだしてからさ、あくくんって、泣いている人にはいつも手助けしてたじゃん? ほら、小学校のときにも、楽器もって泣いてる子を笑顔にしてきた、なんて言ってたじゃん」
「…そうだったっけ? あんまり、覚えていないかも…」
「まあとにかく、あくくんは優しいんだから、それでオッケーじゃ無いかな。まああとは、エルちゃんとふっきーちゃんにお任せって事で!」
芽唯の助言を得て、僕は先ずエルヴィラに訊ねに行った。彼女は、何やらイヤフォンを付けて、音楽を聴いていた。最近流行の、『ぐるりん』という、正体不明のアーティストだ。たしか、年齢だけは、僕らと同世代だなんて言われてたっけ。
経緯を教えると、彼女は怪訝な顔をしながらも、考え始めた。
「…彩嗣の王子様らしいところ、か。…正直なところ、私は創作物にあまり触れていないから、よく分からない」
「そっか。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
「…ただ、私が彩嗣の何処を好きになったのかは言える。それは、笑顔」
「笑顔?」
「貴方は、ずっと私に笑顔を向けてくれたから。だから、私にとっての王子様は…笑顔だと思う」
「…そっか。ありがとう、エルヴィラ。確かに、笑顔は大事だよね。…僕も、エルヴィラの笑顔は好きだよ、じゃあね」
「…そう」
顔を赤くしているエルヴィラに別れを告げて、蕗乃ちゃんがいるだろう文芸部室に行く。すると、蕗乃ちゃんは椅子に座って、なにやら教科書とノートを広げていた。
「…演良か。よく来たな」
「あれ、もしかして忙しかった?」
「いや、勉学をしておった。これまでは、あまり熱心に取り組めなかったがな」
「そっか。…そういえば、“Dolls”はどうなったの?」
「うむ、どうやら組織の様々な資材やらは全部、後援者から殿上が買い取ってな。探偵事務所とやらを開くらしい。あやつは今まで無職だったからな」
「そうなんだ。じゃあ、夢川くんは?」
「彼奴も余と同じで孤児だった故、殿上の所に戸籍をなんやかんやしたらしい。詳細はよく知らぬが…ゴミ屋敷の掃除が大変で心が折れそうだと言っておった」
「あはは…まあ、あの家は流石にね…」
そこで彼女は、ペンを置いて顔を上げた。彼女の瞳は、きらきらと輝いている。彼女は「一つ言えるのは」と話した。
「余達は、もう普通の、学生に社会人になった、ということだ。…怪我で入院していたエージェントなんかも、社会復帰したしな。…演良達のおかげだ、ありがとう」
「はは、大丈夫だよ。それに、僕はただ、君にそうやって、普通に勉強していて欲しかっただけだしね」
「ふふ、其方らしい。して、用向きはなんだ? 雑談しに来たというのなら、応じるが…」
「あぁ、それがさ…」
僕は、事の顛末を伝えた。すると彼女は笑いながら、「王子様らしいところか」と呟いた。
「まあ、余にとって其方は確かに王子様だ。惚れてもいるしな。だが、どこが…と言われると、少し難しいな」
「うーん、そうだよね…僕もなかなか答えが見つからなくてさ」
「あえて挙げるなら、まあ…言葉だな」
「言葉」
「うむ。其方の言葉は、まあ時折浮ついてはいるが…余にとっては、随分と心地よいからな。誰彼構わず褒めちぎるというのは、其方を好きなものとしては少し、複雑ではあるが…ともかくだ、其方を王子様と認めぬものがいるのなら、王子様らしき言葉をかければ良いだろう。なんなら口説けば良い」
「口説きはしないよ、流石に。というか、口説き方分からないしさ」
「…ふっ、まあ詰まるところいつも通りで良い。…あれ、口説いてなかったのか…」
蕗乃ちゃんは自信満々に言った後、何やらぶつぶつと呟いていたけれど、小さくてあまり聞こえなかった。
蕗乃ちゃんに例を言って、文学部室を去る。「笑顔」と「言葉」が、王子様らしいところらしい。なるほど、確かに大事なことだ。その二つを心がけて、彼女に、僕が王子様らしいと認めさせよう。…なぜ、僕がここまで彼女に反発しているかはよく分からないけれど、とにもかくにも燃えてきた。
そして僕は、再び来望家の門の前に立った。インターフォンを押すと、マイク越しに、『彩嗣さん?』と、昨日も聞いた来望先輩の声がする。そこで、精一杯笑顔を作りながら、
「どうも、王子様の彩嗣演良です。来望先輩は、声もお美しいですね。できれば、その声を直接お聞きしたいのですが」
と言うと、来望先輩は『…いや、用件は?』と聞き返してきた。…あまり、お気に召さなかったようだ。書類を受け取りに来たと伝えると、『…そうですか』とだけ言って、ぷつりと途絶えた。前と同じように門がガチャリと開いたので、再び足を踏み入れる。
玄関まで辿り着いて呼び鈴を押すと、今度はゆっくり扉が開いて、来望先輩が顔を覗かせた。
「…何故貴方が? 芽唯さんではなく…?」
「…もう一度、美しい貴方と会いたかったから、では駄目でしょうか?」
「…っ、浮ついた世辞を…そんなことで、王子様とは認めませんわ」
「そうですか。それは残念ですね、世辞のつもりは無かったんですが」
「ぐっ」
すると彼女は、一度顔を隠した後、ドアの向こうから、「とりあえずお入りください」とだけ言った。僕は言葉に甘えて、家の中へと入る。昨日とは打って変わって、家の中は薄暗い。
「お邪魔します。それにしても、広い家ですね」
「…そうですか? けれど、これは別邸ですから、本邸はもっと大きいですのよ?」
「え、そうなんですか。これより…?」
「ええ、まあ。さほど驚くようなことでも無いと思いますけれど」
「いや、驚きですよ。ここでも、家ってレベルじゃないですし」
彼女と雑談しながら歩いて行くと、前とは違い、大きな階段を通る。スリッパ越しでも、どれほど手触りが良いのかよく分かる絨毯が敷かれた階段は、手すりもぴかぴかで、この階段だけでも自動車ぐらいの値段はするのでは無いか、と思われた。
二階を歩いていくと、『くるるーむ』と書かれたドアの前で彼女は立ち止まった。その文字を見るに、もしやと思って聞いてみると、案の定、彼女の自室だった。
「…えっと、流石に女性の部屋に入るのは…」
「…別に、問題ありませんわ。貴方なんて、男性としてちっとも意識していませんし? 王子様でも無い殿方なんて、部屋に入れたところでなんとも思いませんの、私は高貴ですから」
「…そうですか」
彼女は、美しい瞳で、僕のことを見下すように睨む。その目線は、嗜虐心をくすぐられるようだったけれど、王子様では無いと言われたことに加えて、男性としてみていない、と言われて、悪戯心が芽生えた。僕は、気持ち眼を細めながら、彼女の顎を手で掴んで、こちらを向かせる。目を見開く彼女に、顔を近づけながら、少し怒ったような表情をして、低い声で語りかける。
「久瑠々…可愛い顔、してんな…」
「え、は、なに…? か、顔良…」
「…眼、閉じろよ。したいことあるからさ。いいだろ?」
「え、ちょ、ちょっと…だめに、決まって…」
「はっ、顔真っ赤だぜ? 期待してんだろ?」
「そ、そんなこと…ありま、せんわ…」
久瑠々は、目を背ける。けれど、頬は赤く、そしてチラチラと、こちらに目を向ける。更に顔を近づけて、低い声で囁く。
「ごちゃごちゃうるせえな。黙らせてやるよ、眼ェ閉じろ」
「…ひゃ、ひゃい…」
彼女は、目を閉じる。そして、目を閉じた彼女の額に、軽くデコピンをすると、彼女は半ば狼狽しながら目を開いた。
「はは、冗談ですよ。でも、可愛いんですね、久瑠々先輩?」
「なっ…あ、貴方、私にそのようなことをして…」
「ごめんなさい、悪戯が過ぎました。…でも、先輩が美しいのは、本当ですよ?」
「なっ…そ、そんなことを気安く言わないでください!」
「…これで、認めてくれますか? 僕が、王子様だって」
彼女は、深呼吸をした後、僕を睨みながら、「まあ、ほんの少しは、認めて差し上げなくもありませんわ」と言った。
「ただ、まだ完全に王子様と認めたわけではありませんから。そのところ、決して勘違いなさらないでくださいまし」
「ありがとうございます。…じゃあこれからじっくり、王子様と認めさせてあげますよ」
「はぁ…とりあえず、お入りくださいな…全く、あのときはこんなではなかったですのに…」
彼女は、扉を開きながら何やら呟いているけれど、よく聞こえなかった。シャンデリアが明るく照らす部屋の中には、様々な楽器と、アニメらしきポスター、キャラクターのフィギュア、ぬいぐるみなんかが、乱雑に置かれていた。
「へえ…久瑠々先輩、芽唯が言ってたとおりの人なんですね」
「くるっ…、芽唯さんは何と…?」
「ええと、とにかく趣味に正直な人だ、って言ってました」
「…オブラートに包んでいますが、ほとんどオタクだって言ってるではありませんの…」
「…まあ、オタクだとも言ってました」
彼女は、露骨に項垂れながら、机へと向かう。机の上には、書類や楽譜が乱雑に置かれている。そこを漁りながら、「書類書類…あーもう、なんでたった一日で消えるのでしょうか…」と呟いている。
部屋を見回してみると、フィギュアが飾られた、ガラス戸の棚に、一つだけ、古びたハーモニカが飾られているのが分かる。ほんの少しだけ見覚えがあった。何だろうかと思って見つめていると、久瑠々先輩が、「お待たせしました」と言って、書類を手渡す。
「これが、お預かりしていた書類ですわ。では、私は紅茶を取ってきますので…少し、待っていてください。あ、私物に触れたら…分かりますわね?」
彼女は、ドスの利いた声で僕に釘を刺してから、部屋を出て行く。ただ、表に出さないようにしていただけで、女の子の部屋にいるのは緊張するから、僕は気を紛らわそうと書類を鞄にしまおうとする。すると、束の中から、一際小さい紙が、ぽろっと飛び出てきた。
「あれ、なんだこれ…『ぐるりん』?」
契約書らしきそれは、最近話題の、正体不明の歌手『ぐるりん』の名前と、『来望久瑠々』の名前が書いてある。あれ、もしかして…? と思っていると、ドアが開く。そしてドアを開けた久瑠々先輩の顔は、青ざめていた。
「…み、みましたわね?」
「えーっと…はい」
「わたくしが、『ぐるりん』だと言うことも…?」
「…今、知っちゃいました…」
彼女はわなわなと震え上がり、そして──名状しがたい叫び声を上げた。きいん、と頭に響くそれを聞きながら、僕はその声を、美しいと思っていた。
落ち着いた久瑠々先輩に、声をかける。
「ええと…すいません?」
「…あ、貴方の記憶を消してさしあげますわ! “グラビティグルーブ”!」
すると、彼女は突然──歌い始めた。とても美しい歌声に聞き入っていると、だんだんと身体が重くなっていき、みしみしと言う音が聞こえ始める。
「さよなら恋♪、君と僕は堕ちて行く♪」
そして、びき、と言う音が鳴って、床が抜けた。打ち付けた身体の痛みを感じながら、起き上がって辺りを見ると、部屋が暗くて何も見えない。そこで、スマホを懐中電灯モードにして、辺りを照らしてみる。すると、壁には、何やら写真がびっしりと飾られている。見てみると、どうやら全部同じ人物の写真らしい。そして、その人物とは…
「え、これ僕?」
「あ…しまった…」
僕だった。なぜ、僕の写真が大量に? 疑問を解消しようと上を向くと、こちらを除くように僕を見る久瑠々先輩の顔が合った。
「えーと…これ、僕の写真ですよね…?」
「あ、あぁ…ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
彼女は、消え入るように謝罪を繰り返す。その顔には涙と、焦燥が浮かんでいた。このとき、僕は、彼女が歌手『ぐるりん』だったこと、彼女がなにやら“プレゼント”を持っているらしいこと、下の部屋に落下したこと、その部屋には僕の写真が大量に飾られていたこと、先輩が狼狽していること…あまりの情報を処理しきれず、完全に思考を停止させてしまっていた。
だからだろうか、僕は──上から落下してくる、シャンデリアに直前まで気づけなかった。シャンデリアに頭を打ち付けて、薄れ欠けていく意識の中で、僕は──散々だな、と思った。




