お嬢様と王子様
行ってきます、と言って家を出る。相も変わらず、父は何も返事をしてくれない。昔から、父は無愛想だ。母や姉からも、「気難しい人だから」と言われていた。三者面談なんかには来てくれるけれど、それ以外の、行事ごとにはほとんど来てくれない。今までずっと、僕は父との接し方がよく分からない。正直、父が僕を愛しているかもよく分からない。
家を出ると、玄関の前に、二人ほど人影が見える。エルヴィラと芽唯だ。最近は、三人で学校に行くのがほとんど常態化している。
「おはよう、芽唯、エルヴィラ」
「おはよう、彩嗣」
「あくくんおはよー」
挨拶をして、返して貰えるというのは当たり前のことでは無い。こうして、二人と挨拶を交わす関係になることにも、しっかり感謝しておかないとな。
並んで歩き始めると、エルヴィラの様子がいつもと違って言えた。見ると、今日は髪をハーフアップにしていて、いつもとは印象が違って、上品さがよりましている。
「あれ、エルヴィラ髪型変えたんだ。似合ってて素敵だね」
「…ええ、ありがとう」
「良かったねエルちゃん。さっきまで気づいてくれるか不安だったもんねぇ」
「そ、そういうことは言わないで欲しい…」
エルヴィラは、照れ隠しでそっぽを向いた。
「えー、でも『彩嗣は気に入るだろうか…』なんて言ってたじゃん」
「そうなの? じゃあ、僕のためにそうしてくれたんだ。とっても嬉しいな」
「…瑪奈川」
芽唯が悪戯っぽく笑って、エルヴィラがじとっとした目を向ける。ここまでエルヴィラに想われているのは、結構嬉しくもあるけれど、彼女を傷つけてしまうのではないだろうか、と同時に不安にも思う。
話しながら歩いていると、信号で二人組の女の子と出会った。その片方は蕗乃ちゃんで、僕を見ると顔をぱあっと明るくさせて、挨拶してくれる。
「今日も良き朝だな、演良」
「おはよう、蕗乃ちゃん。今日も格好良いね」
「はは、であろう」
「…え、何その会話…怖…」
蕗乃ちゃんと挨拶を交わしていると、蕗乃ちゃんの隣に立つ女の子が、僕に怪訝な目を向ける。見覚えがあるな、と想ったが、どうやら世々川さんらしい。前であったときは憑依されていたものだから、随分と人相が違っていて気づけなかった。
「どうも、蕗乃ちゃんの友達の彩嗣演良です。世々川香恋さん、だよね」
「あ、っす…生徒会長になれなかった世々川香恋でーす…」
「…流石にそろそろ立ち直らないか? 香恋」
「いや…なんか散々息巻いたし…普通にきつい」
「…気にしなくてもいい。あれは、貴方が至らなかったのでは無く大丸が頑張っただけだから」
「エルちゃん!?」
「エルヴィラ!? それは励ましなのか?」
落ち込んでいる世々川さんに、エルヴィラが励ますような声色で、かなり踏み込んだことを言うので、芽唯と蕗乃ちゃんは大慌てだ。エルヴィラは時折、平然ととんでもないことを言う。すると、世々川さんは更に落ち込んで、がっくりと項垂れる。
「いや、まあそうよね…大丸槇葉さん生徒会入ってるしねぇ…経験が違うわ」
「その大丸相手に、僅差まで競ったのだから誇れば良い。来年また頑張ろう」
「…そうね。くよくよしちゃいられないわ」
「…発破をかければ良かったのか。余ではそこまでは考えつかなかった…流石だな、エルヴィラ」
エルヴィラの言葉で元気を出す世々川さんを見ながら、蕗乃ちゃんは感心している。エルヴィラは歯に衣着せぬ物言いだけれど、その根底には優しさがある。
なんだかんだと五人で歩いていると、件の大丸さんと、泉充にも出くわした。今日はよく知っている顔に出会うな、と思いながら、二人に話しかける。
「あはよう、大丸さんに泉充。今日も仲が良いね」
「おん、おはよーさん」
「おはようございます、皆さん」
「…あれ?」
いつもなら、仲が良いと言うと二人とも息ぴったりで否定するから、てっきり今日もそうだと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。それに、やけに距離が近い。見ると、芽唯もどこか不思議そうにしている。
すると、世々川さんが大丸さんに向かって、啖呵を切る。
「大丸槇葉さん! 先日は負けましたけど、アタシはいつか貴方を打ち負かすので! …もう生徒会長選では戦えませんけど…」
「あ、ちょうど良かった。世々川さん、副会長になりませんか?」
「え?」
「いえ、副会長は指名も可能なので…一年経験を積めば、来年会長をするときに業務がやりやすいでしょう?」
「な…! い、いい人…! か、感激しました! アタシ、先輩に一生ついていきます!」
「一生は重いですね」
大丸さんの思いがけない提案に、世々川さんは感動して、大丸さんの手を握ってぶんぶんと振っている。流石は大丸さんだな、と思っていると、エルヴィラもうんうんと頷いている。大丸さんとエルヴィラは、最近かなり仲が良い。
「流石は大丸」
「まー槇葉ちゃんは器は大きいもんな~」
「“は”は余計ですよ」
「えー、でも事実やん? 背小さいし」
「…いずれ伸びますよ。まあ、それまでは貴方を梯子として使いますので」
「…やっぱ槇葉ちゃんは身長も器も大きい立派な人物やわ」
「今更おべっかを使っても無駄ですよ泉充さん」
茶々を入れる泉充に大丸さんが注意して、喧嘩を始める…かと思ったが、内容はともかく互いの声色と表情は極めて柔和で、僕と芽唯、そしてエルヴィラは眉をひそめる。なにか、違和感があるけれど、それが何かは明確に言葉にできない。すると、エルヴィラがぽつりと、「…名前呼び?」と零した。
「あ! そーじゃん、二人とも下の名前で呼び合ってる!」
「あ」
しまった、と言う顔で、泉充と大丸さんはこちらを見る。
「…二人とも、もしかして祝福した方が良いのかな?」
「いや、まあ…その、そういうことでは、ある…」
「そう、ですね…そういうこと、です…」
僕の問に、二人は顔を赤くして首肯する。遂に二人は付き合ったのか。これまでほとんど年単位でもどかしい二人を見ていたから、とても喜ばしい。芽唯とエルヴィラも、同じらしく、二人を質問攻めにしている。
「え~、そうなんだ! え、いつからいつから?」
「生徒会長になったお祝いとして、二人で食事に行って…まあ、後は流れで…」
「どちらから告白をしたの?」
「まあ、俺からやな…まあ、前から好きやったし」
「へぇ~」
二人は恥ずかしそうにしているが、満更でもなさそうだ。すると、不思議な顔で、蕗乃ちゃんが話しかけてくる。
「芽唯とエルヴィラは随分高揚しているが…あれは一体?」
「あー、あの二人さ、互いに好きなことバレバレだったからさ。ようやくかあ、って感じかな」
「ふむ、なるほどな。…しかし、交際か…演良は、そういうことは考えているのか?」
騒いでいる皆には聞こえない程度の声量で、蕗乃ちゃんが問いかけてくる。蕗乃ちゃんの顔は、不安そうな顔だった。僕は、困った様子を装いながら答えた。
「それは、ごまかさせてくれないかな?」
「…分かった。だが、いずれは聞かせて欲しい」
「…うん。約束するよ」
騒いでいると、気が付くと校門にまで来ていた。蕗乃ちゃん達と別れて教室に入ると、僕らの話を聞いて、クラスの皆が大丸さんと泉充を囲んで、人だかりができた。
「やっとだな」「いやー、夏までにくっつくとは…読めなかったわ」「両片思いにもほどがある」「流石に最近はむかついてた」などと多くの言葉が二人に浴びせられ、結局その日は、二人の交際の話題で持ちきりだったし、これから一週間ぐらいは話題になるのだろうなと思いながら、一日を過ごした。
☆
「部活の先輩に?」
「うん、書いて貰わないと行けない書類があって…でも、今日めあくんのお見舞いに行かなきゃだから、ちょっと頼めないかなって」
「…僕、結構部外者なんだけど」
「大丈夫大丈夫、あくくんのあることあること吹き込んでるから」
「…本当に大丈夫なの?」
放課後、芽唯にクリップでひとまとめにされた書類とともに地図を手渡され、部活の先輩に届け物をして欲しいと頼まれた。
緊急性があるらしく、早く届けなければいけないが、彼女は今日、入院している弟君のお見舞いに行かなければいけない、彼女の弟、瑪奈川芽亜くんとは幼い頃から仲が良く、昔から「演良兄ちゃん」なんて呼ばれていた。ここ数年、難病で入院を繰り返しているから、芽唯は定期的にお見舞いに行っている。
「うーん…まあ、芽唯の頼みだしね。行ってみるよ」
「ありがと! こんど何か奢るね」
「そこまででもないよ。まあとりあえず、芽亜くんにまたゲームしようって言っておいて」
「ん、分かった、伝えとくよ。」
そう言って、芽唯は学校を出た。僕も、書類を持って、地図に従って歩いて行く。学校からは、電車で二駅ほどの距離にあるらしく、閑静な住宅街だ。
駅を降りて、地図を開いていく。途中、なぜか目印として書かれているコンビニが廃墟になっていたり、道路工事で遠回りしたりして悩みながら、書かれた場所にたどり着くと、とてつもない大きさの邸宅が建っていた。「おっきい家だよ」と芽唯は言っていたが、明らかに「おっきい」の範疇ではない。
「来に、望むでくるもち…あ、合ってる。やっぱり、ここか…いや、豪邸とか言うレベルじゃ無いな」
表札を見てみると、“来望”と書かれている。“くるもち”と読むらしく、姪に聞かされた先輩の苗字と一致しているから、どうやらこの豪邸が、芽唯曰く「引きこもりの部長」の家らしい。
セキュリティとかありそうだな、と思って、大きな塀の門の横についていたチャイムをおずおずと鳴らすと、気怠そうな女性の声で『くるもちでーす…』と声が聞こえてきた。
「どうも、篷樋学園二年の彩嗣演良です。瑪奈川芽唯ちゃんに言われて、書類を届けに来ました」
『めっ』
すると、ぷつり、とインターフォンが切れた。何か最後に声を漏らしていたけれど、何だったのだろうか。不思議に思っていると、がちゃり、と音が鳴って、門が開いた。少なくとも、入ることは許されたらしい。気難しい人なのだろうか、と思いながら、門をくぐる。
中は、かなり広い庭に、邸宅の玄関まで、石畳が続いている。手入れの行き届いた芝生には、所々に綺麗な花があり、また大きな樹が立っている。右の方を見ると、石で書かれた池があって、蓮の葉なんかが浮かんでいる。とても綺麗で、美しい庭だ。こういう庭のある家に住むのは、さぞ楽しいだろうな、と思いながら、そこそこ長い道を歩いて行く。
なぜかところどころにいる猫や文鳥なんかの小動物を見ながら歩いていると、邸宅の玄関まで着いた。重厚なドアのすぐ右には呼び鈴が着いていて、押すとぴんぽん、と音が鳴る。ただ、何の返事も無い。三四分ほど待って押してみても、返事は無く、どうしたものかと思案に暮れた。
「…門は開けてくれたから入っていいのかと思ったけれど…もしかして、郵便受けに入れておけって事なのかな?」
郵便受けを探して、入れようかと思い書類を鞄から取り出した矢先、扉の向こうで慌ただしく動く人の気配がした。そして直後、ばたん、と激しく扉が開き、中から一人の女性が、息を切らしながら出てきた。
「あ…えっと、彩嗣演良です。書類を持ってきました」
「…はぁ…はぁ…それは、大変ありがとうございます…とりあえず、中に入って、ぜぇ、ぜぇ…お茶でも、如何ですか?」
息を切らして、荒い呼吸で女性が話しかける。言葉を言い切った後に、女性は顔を上げた。青い髪をたなびかせて、まるでサファイアの様な瞳をした女性の顔はとても美しくて、僕は思わず、
「美しい…」
と漏らしてしまった。すると、その女性は「ひゅっ」と息を漏らした後、僕の肩を掴んで、「とりあえずお入り遊ばせ?」と低い声で言う。そして、半ば引っ張られながら──ただ、力はかなり弱かった──邸宅へと、入っていった。
家の中はかなり広く、そして煌びやかだ。廊下ですら、ちょっとした部屋ぐらいには広く、ぴかぴかのフローリングには、詳しくなくても高価だと分かるようなペルシャ絨毯が敷かれている。ところどころに、黒い木製の台がおかれていて、その上には、真っ白の陶磁器に差された非常に美しい花が、一層絢爛さを増していた。窓枠も洒落ていて、更に天上にはシャンデリアがつるされていて、きらきらと金色に光っているので、わざわざ明かりを付けなくてもそれだけで照らせそうだ。
七つほどの扉を通った後に、一際華やかな扉の前で立ち止まった。そして、来望さんは戸を開けて、「どうぞ」と言う。机を挟んで、ソファが二つ用意されていた。革張りの、如何にも高級そうなソファだ。
「あ、えっとお邪魔します…?」
「別に、客人に礼儀は求めませんわ、寛いでくださいな。…まあ、芽唯さんは寛ぎすぎでしたが…」
言われるままに、ソファに座る。とてもふかふかで、ここで寝ても、何であれば安いベッドよりは格段に疲れがとれるだろうな、と思いつつも、あまりに部屋が格式高く落ち着かない。
既に用意されていて、そこそこ温くなっている紅茶──ただ、非常に美味しい──を飲んで気を紛らわしていると、来望さんがは口を開く。
「改めまして、調理家庭裁縫園芸パソコン部部長来望久瑠々ですわ」
「どうも、芽唯の友人の彩嗣演良です。あ、これ頼まれてた書類です」
「ありがとうございます。…彩嗣演良さん、お話はかねがね聞いております。貴方は、王子様を名乗っているのだとか」
「あ、はい」
「その件で、一つ言いたかったことがあるのです」
「言いたかったこと?」
「はい」
すると、来望先輩は立ち上がって、僕に向かって指をつきつけて、言った。
「──貴方の王子様観は、甚だしく解釈違いですわ!! 貴方は、王子様では無い!!」
「…え?」
それだけ言って、満足げにソファに座って、来望先輩は紅茶を飲み始めた。僕は、それを眺めて、窓の向こうから聞こえてくる小鳥の音を聞きながら──ほんの、ほんの少しだけ、むかついていた。