花畑と王子様
古き小屋。二人が転送されたのは、まるで数十年も放置されたかのような、小汚い、埃だらけの小屋であった。廃墟然としたたたずまいに、オズワルドは戸惑い、フェアリスは困惑する。
「ここは、どこなのでしょう…?」
「とにかく、外に出ないことには始まらない」
おずおずと聞くフェアリスとは対照的に、オズワルドは整然と、辺りをさぐる。不測の事態への対応に、両者の経験の差が出た。オズワルドは、フェアリスを尻目にずんずんと進む。彼女は置いていかれまいと、彼に追いつき、先に戸に手をかける。
「待て、あまり闇雲に開けては」
「はて、勇敢さを教えてくれたのは貴方では?」
フェアリスは、制止を振り切り戸を開ける。そこには、驚くべき光景が広がっていた。
──炉ノ路奈津子著『ウェスティア王国第二皇子と新月の約束』より
☆
壊れた糸人形のように、おかしな動きで、黒服の男が攻撃を仕掛けてくる。私とエルちゃんは、攻撃を避け反撃するけれど、体は操られているだけ──と聞いているので、迂闊に手が出せない。何度か銃弾を放ってはいるけれども、かなり加減はしている。大怪我は免れない程度にしてはいるのだが、目の前の男は大怪我でも動いてくるものだから、どうしたものかな。
「…瑪奈川、作戦がある。私が合図したら、檻を作って欲しい」
「えっ、うん」
エルちゃんが、炎で茨を焼きながら、耳打ちしてくる。あまりに突然のことだったので、かなり驚いてしまうけれど、必死で聞き取る。ただ、聞き返す間はなかったので、正直合図が何を指し示しているのか、また檻のサイズは、といった肝心なことは空白のままだ。けれど、攻撃が激しく、エルちゃんと話している暇はない。
すると、エルちゃんが、ユーファとか言うらしい喪服の男の人に向かって指を差して啖呵を切る。
「…一人抜けてもこの程度。貴方は、とても弱い」
「…あ? 模造品共が、舐めるな!!」
ユーファは怒りのままに、巨大な茨を、四方八方に向けて滅茶苦茶に突き刺し、振るう。けれど、エルちゃんは動じず、むしろ不敵に笑って、両腕を前に出して、「“炎円環”」と呟く。すると、炎のドームがユーファを囲む。
エルちゃんの目配せを見て、私はピンときて、檻を作って、上空に打ち上げる。そしてそれは、甲高い音を響かせて落下した。炎で、落下地点は見えない。
「瑪奈川…あれは、打ち所が悪かったら死ぬのでは」
「え? こーゆー意味じゃなかったの? てっきり、炎に紛れて檻にあの人を閉じ込めろ、って事だと思ったんだけど
「その通りだけれど…もう少し、こう…穏便だと思っていた」
そう言うと、エルちゃんは少しだけ、私から距離を取る。
「え、ちょっそれは酷くない?」
「…流石に冗談。けれど、檻に入ったかどうか分からないのは本当」
そう言うと、エルちゃんは炎を眺める。すると次第に、炎の勢いが収まってくる。そして、完全に炎が消えた後には、檻に入れられた黒い服の男が佇んでいた。
「…あー、結果オーライって事で」
「ええ。瑪奈川、槍か何かを作って欲しい」
「ん」
私は、エルちゃんに少し重さを落とした槍を手渡す。槍を手に取って、エルちゃんは檻にゆっくりと近づき、槍を構える。
「…はっ、この程度で、このユーファが押さえられるとでも?」
「…聞いたところによると、貴方は彩嗣の友達の…文乃と知己らしい」
「ふっ、ガワはな。どうした、流石に手は出せんか?」
エルちゃんは、槍に炎を纏わせて、低い声で言う。
「私は、文乃のことを知らない。だから、貴方のことは知らない」
「あ?」
「そして、私は厳密には人間でないから…法は関係ない」
エルちゃんが、槍を後ろにそらし、切っ先がユーファの首の直線上に到達する。
「つまり、貴方の肉体を殺すのに、私はみじんの躊躇もない」
そう言って、エルちゃんは槍を突き出す。炎を纏ったそれは、凄まじい速度で、黒服の男の首を突き刺──さなかった。けれど、黒服の男の人の身体から、赤黒い煙がぶわっと吹き出す。それはだんだんと固まっていき、人の形を取った。
「…随分、臆病」
「身体から引き離したぐらいでぇ、調子に乗るなぁ!」
先ほどよりも大きく、そして黒い異様なオーラを纏った茨が、男の背後から出現する。エルちゃんはそれを燃やしたけれど、完全に燃やしきれずに、吹き飛ばされてしまった。
「憑依を解かれた今、我の力は全開だ!さあ、我が黒き茨の前に、塵と化すが良い!!」
巨大な茨が、まるで蛇のようにうねる。私の銃撃も、エルちゃんの炎も、完全に消滅させるには及ばない。私たちは、完全に攻めあぐねていた。
「くっ、攻め手がないな」
「うん…正直、殺気よりも断然強い。…私たちだけじゃあ、どうにも──」
「無様だな模造品ども。さあ、これで貴様らは、終わりだ!」
異常な大きさの茨が、私たちを襲う。炎も銃撃も、破壊するどころか、勢いを減衰させることすらできない。そしてその大きさと速度で、私たちは避けることすらできず、ただじっと、死を待つしかない──そう思ったとき、私は汽笛を聞いた。そしてその直後、衝撃と共に、私達は空をかける蒸気機関車にのっていた。
「これは…?」
「あー、ええと一応、始めましてつった方が良いか? 俺は殿上燈、この列車の車掌だ。まあ、これは俺の能力“トキシックトレイン”で生み出したものなんだがな」
目前に、一人の男が現れる。その男は、先ほどまで戦っていた、ユーファが乗り移っていた男だった。エルちゃんは、その男を見た直後に、私は少し遅れて、臨戦態勢に入る。それを見た男は、照れくさそうに頭をかき始めた。
「あーうん、ま信用できないよな。でも、俺は味方だ。…というより、君らに恩を返したい」
「…信用できない」
「だろうな。俺も、百信じろとは言わない。ただ、俺がお前らを助けた事実──それで、手を打たねえか?」
「…分かりました、貴方を信じます」
「瑪奈川…分かった、私もお前を信じる。ただ、手を貸す理由を教えて欲しい」
「ありがとよ。そうだな、俺は妻に会いたかったんだ。でもな、殺気死にかけて、妻の顔を思い出して、やっと分かった。多分冬さんは、こんなことしても喜ばない。それを思い出してくれた例と、憑依といてくれた借りを返したい。これでどうだ?」
「…十分。それで、奴を倒す案は?」
殿上さんは、煙草を吸いながら、窓の方をしゃくる。すると、そこにあった窓と壁が消えて、ユーファのいる廃工場と、大きな茨が数十本蠢いている様が見える。
「魔学徒には弱点がある。胸の辺りにあるコア、魔石だ。あれがなきゃ、あいつらは生命を維持できない。だから、アレを壊す。が、奴の茨が邪魔だ。だから、俺がこの列車で、君らをあのクソやろうの所まで送り届ける。ほんとは、俺が戦うべきだが、今は立ってるのがやっとだ。すまないな」
「いいえ、大丈夫。貴方の作戦は完璧だし、実行役が私と瑪奈川なら──」
「絶対に失敗しない!」
「…よし、行くぞ!!」
列車が急加速する。弧を描きながら、茨の中心へと向かっていく。茨は列車を阻もうとするが、なすすべもなく轢かれていく。
「殿上! 貴様、裏切りおったな!」
「裏切らせたのはそっちだろ? つーか、お前達にそこまでの人望はない」
そして、列車は茨を突き抜け、ユーファを目前にとらえる。そして私とエルちゃんは、殿上さんの「今だ!」という合図と共に、飛び降りた。
「ユーファ!!」
「これで、終わりだ!!」
「きさ、まらああ!!」
ユーファは、茨を腕から出す。しかしそれは、エルちゃんの手で焼き尽くされ、そして私は、戎を発言させ──奴の身体の中心にある赤黒い石を、撃ち抜いた。
「模造品どもに、我が敗れるとは…くそ、もう一度、神をこの目で…見た、かった…」
ユーファの身体は、もやとなって空気に溶けていく。それと同時に、辺りを覆っていた茨は、休息にしなび、灰となって風に吹かれて消えていった。
「…嫌な人間だったな」
「うん」
「…彩嗣、そっちは任せたぞ」
エルちゃんは、空を見上げて呟いた。私も心の中で、あくくんに、頑張ってと囁いた。
☆
数多の巨大な氷柱をさけ、打ち砕き、合間を縫ってフレキに攻撃する。けれども、異様な堅さの氷壁にはばまれ、攻撃は届かない──というよりも、本気で攻撃できない──。蕗乃ちゃんも、何度か幻覚にかけようとしているけれど、その度に、奴が自身を氷で覆うものだから、ただ反撃する隙を与えるだけになってしまっていた。
「このままでは埒があかぬな。どうにかして、奴の隙を突ければ良いのだが…」
「うーん、守りが堅いな…アレを突破するのは、難しいか?」
僕らは、攻めあぐねて、飛んでくる氷柱を弾きながら、作戦を話し合う。すると、フレキが高笑いしながら、巨大な氷柱を放ってくる。
「先ほどまでの威勢はどうした? 我を倒すのだろう? ほら、やってみろ!」
「っ…!」
「大丈夫!? 蕗乃ちゃん!」
氷柱を避けきれず、蕗乃ちゃんは片腕から血を流す。袖を破って、傷口に巻きながら、蕗乃ちゃんに安否を問うと、彼女は歯ぎしりをしながら、「大事ない」と言い、悔しそうに続ける。
「だが、現状ではどうすることもできんな。一度奴に幻覚を見せさえすれば、死の錯覚でフレキを引き離せるのだが」
土煙が僕らの姿を隠すので、一旦フレキの前から姿を隠し、曲がり角に身を潜める。蕗乃ちゃんの傷は、血が流れているものの浅く、失血の危険はなさそうだ。胸をなで下ろしながら、蕗乃ちゃんと作戦を考える。
「とりあえず、こっちの持ってるものを整理しよう。僕の武器は、今持ってるこの大斧と、不死の能力だけ。一応、身体のパーツの方に引き寄せれば高速移動ができるから、この状況なら奇襲はできるよ。アイツの足もとには僕の血とか転がってるから」
「余は、携帯している短刀のみだ、武具はな。それと、幻を見せる能力。これは、世界に幻影を投射する“幻灯”と、対峙したものを幻に引きずりこむ“夢幻”。アカデメイアを偽装したのは前者、仮名波羅の腕を奪ったのは後者だ」
「それで、魔学徒は憑依先が死ぬと、自身も死んでしまうから、憑依された人を殺せば、その前に抜け出るか、一緒に死ぬか…だったよね」
「うむ。故に、“夢幻”で香恋の脳に、死の錯覚を生じさせれば、フレキは恐らく憑依を解くはず、なのだが…」
「向こうが警戒しているから、幻覚にかけられない…だよね」
「うむ」
蕗乃ちゃんの言葉を聞いて、考える。僕の能力、彼女の能力、向こうの憑依…十秒ほど考えた時、どこからか、声が聞こえるような気がした。そして、一度解いた難問が、次にはすらすらと解けるように、僕は“答え”を導き出した。
「蕗乃ちゃん、耳を貸して」
僕らのいた場所を、氷が突き刺す。それを避けながら、僕は右腕を突き出し、再生を利用して、フレキのいる方に飛ぶ。目を見開くフレキに対して、全力で斧を振りかぶって、刃先を向けてフレキを斬る──前に、氷で斧は阻まれた。かきん、と言う音が鳴って、斧は地面に落ち、僕の身体は氷結する。動けなくなった僕の首を、フレキは氷点下まで冷えた腕で掴む。
「無様だな、“騙り手”。数千年前も、貴様はそうだった」
「…そんなの、知らないな」
首をつかまれ、呼吸困難になりながら、僕は啖呵を切る。すると、フレキは顔をゆがめて、声を荒げた。
「知らぬだと? 巫山戯るなよ、貴様が世界に、神に何をしたのか…! 貴様が神をたぶらかし、私欲のために力を使わせたから──この世界から、魔法と神は姿を消したのだ!」
「何を、言って…?」
「まだ惚けるか。ならば、もう一度殺してやる。数千年前の、あの日のように!」
ぼき、という乾いた音が鳴る。そして、ぜんまいの抜けたからくり人形のように、僕は地面に倒れ込んだ。死んだ僕の身体を見ながら、フレキが高笑いする姿を──僕は、背後から見ていた。そして、背後から飛びかかる。
「なっ…なぜ、貴様がそこに!? 先ほど殺したはずだ! 死体はまだそこに!」
「嫌だな、縊るだけで僕を殺せるわけないだろ。僕は、王子様だよ?」
「ぐっ…騙り、手ェェ!!」
「…取り乱したね」
「…香恋の身体を使っておきながら、貴様は随分頭が回らんのだな」
耳と尻尾を生やした蕗乃ちゃんが、完全に僕の方に振り返ったフレキの背後から飛びかかり、フレキの──世々川さんの胸に、手を当てる。
「なっ…貴様」
「“夢幻の死遊び”。幻の中で、死に絶えると良い」
蕗乃ちゃんの言葉とともに、ふらり、と世々川さんの身体が倒れ、蕗乃ちゃんが抱き留める。
僕らの作戦は単純だ。蕗乃ちゃんの作り出した“幻灯”、偽物の僕に斧を持たせて突撃させ、幻影が死んだところで、こっそり背後に回っていた僕がフレキを羽交い締めにし、混乱させたところで蕗乃ちゃんが“夢幻”をかける。もくろみ通り、完全に油断したフレキは、無防備で蕗乃ちゃんの攻撃を食らった。結果、世々川さんの身体を取り戻すことに成功したのである。
「作戦成功だね、蕗乃ちゃん」
「全く、幻影とは言え肝を冷やしたぞ。其方が死ぬ姿を見たときはな。…礼を言う、演良。其方のおかげで、余は、何も失わずにすんだ」
「うん、良かったね、蕗乃ちゃん。僕も、君の笑顔を守れて良か、った…?」
世々川さんをやさしくその場に寝かせる蕗乃ちゃんと話していると、不意に、胸の辺りに激痛が走った。見下ろしてみると、僕の胸から、氷の柱が飛び出ていた。純白の氷は、僕の鮮血で真っ赤に塗れている。
振り返ると、ローブとマントで顔が見えない、ただ赤黒い瞳だけが光っている男が静かに立っていた。直感的に、この男がフレキだ──と気づく。
「はっ、油断したな。我をあの程度で死に追いやることはできぬ」
「蕗乃ちゃん、逃げ…」
フレキが、僕を指したまま、氷柱を蕗乃ちゃんに向けて発射する。しかし、蕗乃ちゃんはその場に座ったまま、ゆっくりとそれを眺めていた。
「さあ、死を受け入れろ」
「…貴様に一つにっておくぞ、魔学徒」
だが、氷柱は蕗乃ちゃんに届くことなく、全て砕け散った。そして立ち上がった蕗乃ちゃんの背後には、金色に輝く尻尾が四本、揺れていた。その美に、心を奪われる。
「先ほどまでの余の無様は、ただ香恋を傷つけまいとしていただけの事よ。…演良、余の瞳だけを見ていろ。決して、それ以外を見るな」
蕗乃ちゃんは、ゆっくりと手を動かす。彼女の瞳は、妖しくひかり──ただでさえ格好良い彼女が、何杯も増して格好良く写る。言われたとおりに蕗乃ちゃんの瞳を見ていると、後ろの方で、フレキがあざ笑う。背後から、氷点下の冷気が流れてくる。
「貴様の幻覚は、我が氷を張れば届かんのは既に知っている」
「…氷、か。…貴様を殺すだけなら、いつでもできた。それこそ、先刻までの戦いでもな。“胡蝶の死”」
蕗乃ちゃんがそう言うと、僕の胸に突き刺さった氷は消えた。そして、次第に辺りから氷が消えていく。不可思議に思って後ろを見ると、フレキの身体が、もやとなって霧散していた。
「なっ…なぜ、我の身体が消えていくのだ! 貴様、何をした!」
「“香恋を殺してしまわない程度に、死の幻覚をかける”。このような枷さえなければ、貴様など余の前では、四肢をもがれた蟻に過ぎん。まあ、蟻の脚は六つだが。…数千年の貴様の罪、地獄にて悠久の時を以て償うことだ」
「貴様あああああ!」
「外道は叫び声も汚らしいのだな」
断末魔を挙げながら、魔学徒フレキは消滅した。後には薄暗い城と、僕と蕗乃ちゃん、世々川さんだけが残された。僕は、蕗乃ちゃんに駆け寄る。
「どうした、演良。その、羨望の眼差しは?」
「す…凄く格好良いね、蕗乃ちゃん!」
「ふっ、そうであろう。余は最高に格好良い狐なのだ! もっと褒めても良いぞ!」
「うん、蕗乃ちゃん格好いいよ!」
「はははは! …ん? この城、壊れてないか?」
「え? …あ、本当だ」
蕗乃ちゃんに言われて辺りを見回すと、あちこちの壁や柱にひびが入り、破片らしきものがぱらぱらと落ちてくる。そして、一際大きくばき、という音が鳴ると──僕らの立っていた、床が抜けた。
「うわっ──蕗乃ちゃん!!」
「案ずるな、余がいるのだからな!」
彼女がそう言うと、僕の身体はとてもふさふさとしたものに包み込まれる。見ると、蕗乃ちゃんの尻尾のようだ。どうやら、僕と世々川さんの身体を、尻尾で保護しているらしい。
「わ、すっごいふわふわ…なんて心地良い手触りなんだ」
「な、撫でるでない! 尻尾には感覚が通っておるのだ、くすぐったくて仕方がない!」
「あ、ごめん…」
尻尾を撫でて、美しい毛並みを堪能していると、蕗乃ちゃんに怒られる。確かに、女性の身体をぶしつけに触るのは良くないことだ。いくらもふもふでふわふわとはいえ、褒められた行いではない。そう思って、名残惜しさを感じていると、蕗乃ちゃんが感づいたのか、恥ずかしそうに頬を赤くしながら「少しなら、良いぞ」と言ってくれたので、もう一度、今度は優しく丁寧に、尻尾を触る。ああ、何というさわり心地だ。
「っ…ここは?」
「いたた…あ、見て、蕗乃ちゃん」
尻尾を堪能していると、不意に、どすんと地面に落ちた。そして、辺りを見回す。そこは──地平線まで続く、途方もなく広大で、途方もなく綺麗な花畑だった。
赤、白、黄、紫…花しかない光景が、まるで無限に広がっている。目の前を蝶々が飛びかい、花びらが舞う。まるで、これは──
「『新月の約束』のようだな、演良」
「そうだね、蕗乃ちゃん。…まさか、あんな城が、こんなに綺麗な場所に建ってたなんて。…あれ、蕗乃ちゃん?」
蕗乃ちゃんが、何も言わずに近づいてくる。そして彼女は、目と鼻の先にまで近づき──僕に、キスをした。
「──やはり、奪わせてはくれぬか」
「蕗乃、ちゃん?」
すんでのところで、彼女の唇を手で押さえる。心臓がどきどきして、何も考えられない。ただ、目の前の少女を眺める。
「…覚悟しておれ、演良。いつかその唇、奪ってみせる」
蕗乃ちゃんはそう言って、にこりと笑う。花畑を背後に笑う彼女の姿は、どうしようもなく格好良く、どうしようもなく惹きつけられた。
「さ、ひとまず学校に帰るとしようか。しかし、ここは一体何処だ…?」
くるりと回って、歩いて行く蕗乃ちゃん。僕は動くこともせず、ただ、彼女の後ろ姿をじっと、見つめることしかできなかった。