シスターと王子様
ランニングをしていると、何やら争っている二人の人影が見えた。片方が刀を持っているのを見て、ほとんど反射的に駆けだした。なんとか、斬られかけている少女との間に割って入り、代わりに刀を受けることには成功した。それにしても、猪谷に食べられたときも思ったけれど、正直こういった傷はとてつもなく痛い。少女を安心させるために、空元気で笑顔をしているけれど、はっきり言って気を失っていまいたいくらいには痛い。
「あ、演良?」
「え?」
少女が、僕をみて、小声で呟く。おかしいな、こんな格好良くて素敵な女の子、忘れるはずもないのに。どうして僕は、見覚えがないのだろう。
「…えーと、誰? 知り合い?」
「通りすがりの、王子様です」
「…はあ? 意味わかんねー、ウケる。…つーか君さあ、斬られたのになんで生きてんの?」
「…そういう能力なので」
刀を持った礼拝服──ノースリーブで、さらけ出された両腕は肘から下が包帯で覆われている──の女性が、こちらを驚いたような目線でみてくる。それに対して答えると、女性は何やら考え込んだ後、ぽん、と手をたたいて、思い出したようにいった。
「あ、君こないだあたしの仲間ヘリから落とした子でしょ! 再生する能力なんて希有だもんね! 絶対そうだ!」
「ヘリから…?」
「ほら、平場弱そうな芸人の猪谷。戦ったんじゃない?」
「──キルループ、でしたっけ」
「ん。いやあ、猪谷が言ってたよ。面白そうな奴みっけたってさ。いやぁ、確かにいいね、君は面白そうだ。再生に限界があるか知らんけどさ…」
女性が、視界から消える。次の瞬間、僕の右腕は、身体から離れていた。激痛が、僕の身体を走る。
「演良!」
「斬っても死なないんなら、それなりに楽しめそうじゃん。──あー、一応君にも名乗っとこうか。あたしは仮名波羅かなえ。人はあたしを剣聖と呼ぶ。上泉伊勢守信綱以来二人目のね」
「ッ…やっぱり、貴方たちは怖いですね」
右腕を引き寄せて治しながら、仮名波羅を睨む。すると、先ほどまで座り込んでいた少女が立ち上がって、僕の隣に並んだ。彼女の金色のさらりとした髪には、上の方に狐の耳のようなものが生えていて、背後には大きな金色の尻尾が揺れている。
「…詳しい説明は後だ、演良。余は文乃蕗乃。其方の能力だけ教えてくれないか」
「ええと、僕の能力は“アンリミテッドアンデッド”、身体を再生できる能力です。限界は試したことありません。文乃さんは?」
「…ちゃんだ」
「え?」
僕が能力を教えると、文乃さんは、少し怒ったように、僕を見て話す。
「蕗乃ちゃんと、呼んではくれないか。あと、余に礼節は不要だ」
「あー、うん、分かった蕗乃ちゃん」
僕が呼び捨てると、蕗乃ちゃんは一気に顔が明るくなる。そして、彼女は再び仮名波羅の方を向いて、口を開いた。
「“フォーレンフォックス”、幻影を操る狐と化す力よ。…演良、一つ頼んで良いか?」
「何かな…ッ!」
「そろそろ終わった? 自己紹介」
仮名波羅が、僕ら二人に向かって斬りつけた。その流麗な体捌きは、美しいとまで思えるものだったが、やはり痛い。なんとか咄嗟に反応して、蕗乃ちゃんを庇うことはできたが、今度は銅を斜めに切られてしまった。
「んー、でも斬り心地は普通だね。…やっぱ、君らの作戦会議待つことにするよん。実力差開きすぎて、このままやってもつまんないし」
そう言うと、仮名波羅は、どこかから携帯式の小さな椅子を取り出して座り、分厚い本を読み始めた。暗くてよく分からないが、どうやら茶色のブックカバーがされているらしい。これ幸いと、蕗乃ちゃんが僕に耳打ちをしてくる。かなり魅力的な女の子なので、ちょっぴり恥ずかしくもあるけれど、そんな状況なので表には出さないように我慢しなければならない。
「余には、一つ奥義がある。うまく決まれば無力化を可能とし、最低でも彼奴の戦力を半分にすることは能うはずだ。が、奥義を放つには少々、行うべき手順がある。つまり、其方にはそれまで刻を持たせる任務を頼みたい」
「…分かった! その任務、王子様が引き受けるよ」
「…ありがとう。では、頼むぞ」
蕗乃ちゃんは、そう話すと後ろの方へとかけていった。足音に気がついたのか、仮名波羅が気怠そうに視線を上げる。
「えー、君が斬られてあの子が逃げる作戦だったりする? それはがん萎えだけど…」
「…さあ、どうでしょうね。少なくとも、蕗乃ちゃんと戦いたければ僕を倒すしかないことは確かです」
「ふーん…、それは随分舐められたもんだね」
仮名波羅は立ち上がって、再び刀に手をかける。その瞬間、どす黒い霧が、仮名波羅の背後から吹き上がるような幻が見えた。
「あたしが本気なら、君の余命はあと数秒になるよ?」
「ッ!!」
ほんの少し、手が動いたように見えた。そしてそれだけで、僕の身体に痛みが走る。複数の箇所を、ほとんど同時に斬られたのだと気が付いたとき、冷や汗が背筋を伝った。
「あたしはさ、キルループでも最古参なんだよね。社長の最初の部下だ。猪谷を撃退して、調子に乗っちゃったか知らんけど…キルループの『いちばん』で、最強はあたし。君とあたしじゃ、月とすっぽん、天と地、宇宙と砂粒ほどの差がある」
ゆっくりと、仮名波羅が近づいてくる。肌を刺すような冷たい空気が流れ、一歩一歩、彼女が近づくほどに、死が迫っている感覚に襲われる。身動きがとれないまま、仮名波羅が目前に来た。
「んー、これがあたしと君の差だよ」
仮名波羅が、刀を振りかぶる。その動きは、恐ろしいほどに流麗で、僕を突き刺す彼女の瞳は、ぞっとするほどに美しく、綺麗だった。
「──綺麗だ」
「…は?」
思わず漏れ出た言葉に、仮名波羅は動きを止める。そして、困惑したような表情をした後、ぷっと吹き出した。
「あはははは! えー、この状況でそれ言う? やべー、おもろいじゃん君!」
仮名波羅は、刀を下ろしながら大声で、高らかに笑った。
「…あの」
「いやあ、まっさか殺そうと持った相手に口説かれるなんてなー、初体験だわ」
「そんなつもりでは…」
「んー、まあ確かに、子どもにしちゃ顔も良いし、度胸もあるけど、でもまああたしを口説くのはまだ早いよ。だって君さあ」
仮名波羅が、僕の腹を撫ぜる。くすぐったさに、つい声が出てしまうが、目前の彼女はそれを気にすることなく、残念そうな顔をして言葉を続ける。
「ひょろっひょろじゃん。やっぱ男はマッチョじゃないとね!」
「…はぁ」
「あ、その顔。『ムキムキすぎるのは女ウケが悪い』とかいう謎の風潮に騙されてる奴の顔だね」
「ええと、今戦ってましたよね? 僕ら」
「ふっ、ではそんな君に筋肉の偉大さを啓蒙してあげよう!」
仮名波羅は、饒舌に、まるで演説するかのように、何やら語りだした。先ほどまでは黒い霧のような殺気が放たれていたけれど、今はどこか、花びらが舞っているかのように陽気で、到底先ほどまで命のやりとりをしていた相手とは思えない様相だ。おもわず、肩の力が抜ける。
「君は知ってるかな? 『健全なる肉体には健全な精神が宿る』という言葉を。まあ実際には、やどれかしなんだけど、それはおいといてぇ、要するに身体と精神は結びついているわけだよ。肉体が健全であればあるほどに、精神は健全──つあり、良い奴になるって訳さ。じゃあ、健全な肉体とは? そう、マッチョだ!」
その言葉と共に、仮名波羅は拳を強く握る。あまりの迫力に呆気にとられて、何も言い返せず、身体が固まる。
「マッチョであればあるほどに、中身の良さは確約されていくというわけ! そしてそれだけじゃない。身体を肥大させるためには、ただやみくもにトレーニングするだけでは寧ろ逆効果とまで言える。筋肉を育てるには、何よりも頭脳!頭脳でトレーニングしなければ、筋肥大なんてできないんだ。そう、つまりマッチョとは、肉体だけでなく頭脳までエリート! 更に、自重と粗末な食事では、筋肥大は至難の業。マシン、ジム、プロテイン、サプリメント。マッチョとは、経済的にも優れている。結論! 筋肉がデカい男は優良物件!」
「それは、極端じゃ…」
きらきらとした笑顔で、語り終える仮名波羅。自信満々に言うものだから、正しいようにも聞こえるけれど、少し極端なような気がする。それに、人間の魅力は、外見一つで推し量れるものでもないし、あまり賛同できる内容ではない。そう思っていると、後ろの方から、「それは違うな」と言う声が聞けてきた。蕗乃ちゃんが、こちらに駆けてきたようだった。
「男性の魅力は、断じて筋肉などと言う浅はかな、眼だけで見極められるものではないぞ」
「…はぁ? 子どもが生意気なこといってんね。男の魅力は、キレてるかどうかっしょ!」
「断じて、否! 余にとって、理想とする男性像は──」
仮名波羅が、柄に手をかける。振り返ると、蕗乃ちゃんは空高く跳躍していた。ちょうど、雲の切れ間から覗いた月を後ろに背負う彼女は、妖艶な空気を漂わせていた。月光りに照らされた、金色の髪と尻尾が、格好良く、されど怪しく光る。
「お姫様扱いしてくれるかどうかだ!」
蕗乃ちゃんは、右腕をまっすぐ伸ばす。大きく開かれた掌には、紫色の光が、球状に集まっていた。そして、そこから一筋の光が、仮名波羅の左腕を貫く。
「“夢限惑静”!」
「いっ…たく、ない? ふぅん、妙な技。…で、これであたしをどうにかできるとでも…ん?」
仮名波羅の左腕は何ともなく、血が出るでもなく、見た目には何らの違和感もなかった。けれど、彼女が刀を抜こうとしたとき、異変は起こる。左腕が、ぶらんと下がったまま、動かない。
蕗乃ちゃんは、僕のすぐ隣に着地して、「これが余の奥義だ」と言って仮名波羅を指差す。
「先の光は、余の作り出した幻よ。なんら、殺傷力などはない。が、この光にあてられたものは、その部位の感覚を喪失する。と、いうよりも、存在を知覚することが不能となる。…其方は強い。が、左腕を失った状態で、はたして自由に戦えるかな!」
「あー、なるほどねぇ。うん、まー確かに、これは不便だ。…で、それが何?」
その言葉と同時に、一瞬、目前に真っ黒の霧がかかって、何も見えなくなる。霧はすぐに晴れたが、そこに仮名波羅の姿はない。仮名波羅の声は、背後から聞こえてきた。
「…つーか、よくよく考えたらあたし、“黒い石”取りに来たんだったわ。つー訳で、ミッションこんぷりーとぉ」
振り返ると、紐のついた、黒色で、掌大の菱形の何かを、仮名波羅は握っていた。
「なっ…!」
「いやさぁ、やりあってて明らかに君、一点を庇ってんだもん。そこにあるって丸わかりじゃん?
まあ、君らとはまた会う気がするよ。次は“杖”か“器”を取りに来るね。じゃね、面白い子達」
その言葉を言うと同時に、仮名波羅の姿は消えた。蕗乃ちゃんは、「…命があっただけ上出来か」といい、その場に座り込んだ。
「いやはや、あのような最上位の実力差と相見えて、互いに死ななかったのは、幸運だった。…すまぬな、演良。其方には、大きな傷を負わせてしまった」
「いいや、大丈夫だよ。ほら、もう全部治ってるし」
「いや、心の方だ。…まだ、手が震えておるだろう。いくら再生できるとはいえ、斬られた事実は変わらん。重ね重ね、申し訳ない。余が、もう少し強ければ」
蕗乃ちゃんは、悔しそうに俯く。
「そんなことないよ、蕗乃ちゃんは十分強い。あんな強い人を、追い払ったんだしさ。とても、格好良かったよ」
「…其方は、また、余をそうやって褒めてくれるのだな」
「また? あ、そういえば、なんで僕のことを知っているの?」
「そう、だな」
初めて会ったときから疑問に思っていたことを、ぶつける。僕は、彼女と出会ったことはないはずだ。もちろん、名前だけ知られているような人はいるかも知れないけれど、それにしては、彼女は僕のことをよく知っているように思う。
すると、彼女は、右手を僕の前に差し出した。ぽうっと、手が薄く緑色に光る。
「…本当は、斯様なことは良くはないのだが。それでも、余は、もう一度、其方に──」
光を眺めていると、一瞬、気を失うような、地面がなくなったような感覚に襲われた。そしてその直後、記憶が、蘇った。
☆
能力で奪った記憶を、再び取り戻させるのは難しいことではない。なぜなら、記憶とは完全に消えるものではなく、片隅に、押し込められるものだ。だから、余はただそれを、引き戻しただけ。演良は、頭を押さえて、ぶつぶつと呟いている。取り戻した情報の多さに、取り乱しているのだろう。
…怖い。記憶を取り戻した彼が、何を言うのか。怒られるだろうか。見放されるだろうか。…気味の悪い奴だと、嫌われてしまうだろうか。けれど、余は、記憶を取り戻させた。
キルループに相見えた以上、彼は只人ではいられない。能力を持つ以上は、“Dolls”が協力しなければ、彼は危険にさらされてしまうだろう。それが、エージェントとして、余が今すべき事だ。それを円滑に進めるためにも、余は彼に、記憶を取り戻させるべきだ。
(でも、そんな理由じゃ、ない)
余は、もう一度、たった一度で良いから、其方に笑いかけて欲しい。あの笑顔が、見たい。…余が好きな人が、余に向ける特別な表情が、見たい。ただそれだけの、傲慢でしかない。
「…大丈夫か、演良」
「…ん、もう大丈夫。ちょっと、目眩しちゃって」
「一気に記憶を取り戻したのだから、当然だ。…その、演良…」
「あのさ、蕗乃ちゃん」
演良の、第一声。思わず、身構える。聞きたくないけれど、余だけは、それを聞かなければならない。つむりたくなる瞼を必死に開けて、演良の姿を見据える。次の瞬間、演良は──頭を下げていた。
「ありがとう、僕を何度も助けてくれて。君は、本当に、格好良い女の子だね」
「え?」
「昨日も、今日も、君がいなければ、僕は、何もできなかっただろう。それに今日なんて、僕は君のことを覚えていないのに、それでも助けてくれた」
…そんなこと、言わないでくれ。
「昨日も、今日も。君の戦う姿は、本当に格好良かったよ。…それなのに、ごめん。僕は、君に、まるで初対面の人みたいに接してしまった」
…それは、余が貴方の記憶を、消したから。
「敬語で、名前の呼び方も前とは違ってて。だから、悲しかったよね。ごめん。君を悲しませてしまった。…王子様、失格だな」
…やめて。
「だから、誓うよ。もう二度と、君を悲しませない。王子様として、今度は君を、僕が守るよ」
…もう一度貴方を、好きにさせないでくれ。
「…演良、演良! 余は、余はっ…」
「うん、ゆっくりでいいよ」
身体が、勝手に動く。力の入らない身体で、演良に抱きつく。こんあこと、したくないのに。演良には、もうお姫様が、いるというのに。けれど、止まらない。涙を、流しながら。余は、全部、全部演良に話した。記憶を失った演良を見て、苦しくなったこと。孤児として育って、“Dolls”として戦って、一度も心が安まらなかったこと。誰にも、弱音を吐けなかったこと。始めて好きになった人の記憶を、自らの手で消してしまったこと。…好きな人の笑顔が、自分以外に向けられるのを見てしまったこと。演良は、ただじっと、優しく、私の話を聞いてくれた。優しく、背をなでてくれた。
「大変だったんだね。そんな苦しいのに、僕を助けてくれてありがとう、蕗乃ちゃん」
「…違う。助けられたのは、余だ。余が、其方に助けられたのだ。苦しい日々も、戦う使命も、其方を思うときは忘れられた」
「…そっか」
「すまない。其方には、思い人がいるというのに。こんな気持ち、向けられるのも嫌だろう」
「…ええと、僕は、交際している人はいないよ?」
「え?」
まさか、勘違い?
「…でも、好きな人は、いる。だから、君の気持ちには、答えられないかも知れない。…僕を助けてくれた君には、悪いけど」
「…そうか。優しいな、其方は」
少し、腑に落ちる。演良のような素敵な男性と、そういう仲になるのはやはり難しい。ただ、付き合ってさえいないのなら、という希望も同時に生まれてしまうのだから、やはり演良は罪な男だ。
「よし、じゃあ行こうか、蕗乃ちゃん」
「え、行くって何処に?」
演良は、立ち上がって余に手を差し出した。演良の手を借りて立ち上がりながら聞くと、演良は爽やかな声で言った。
「“Dolls”を壊しに! 」
「え?」
演良と余の、運命が動き出した。