図書室と王子様
夜中を指して止まった腕時計を見ると、あの日を思い出す。僕がエルヴィラに告白された、あの日。
結局あの後、GPSで僕らを探し出して迎えに来た芽唯達に送って貰って、家まで帰ることができた。その日は、ちょうど父さんは家にいなかったのでなんともなかったけれど、芽唯はかなり怒られてしまったらしい。
それから、水に濡れて壊れていたので、一晩で復旧してもらったスマホに来ていた山ほどのメッセージに返答したり、エルヴィラがふみと仲直りしたり、忙しい日々を過ごした。それから少し時間が経って、そろそろ夏が近づいてきていた。
いつものように、自分で作った朝食を食べていると、父がリビングにやってきた。
「あ、父さんおはよう」
「…私の分はいらないといつも言ってるだろう」
「まあ、二人分作る方が楽だしさ」
「…私は朝からそこまでの量は食えないが」
「ええ、ご飯一杯と卵焼きと味噌汁くらいだよ?」
「十分多い」
父は職業上、規則正しい生活を送れていないため、朝起きてくることは稀だ。父が家にいる日は、一応朝食を二人分作るのだが、父が食べられないことも多いので、そのことを気にかけているのだろう。
朝のニュースでは、最近話題の学生アーティストの特集をやっている。クラスの友人が、楽曲の素晴らしさを力説していたな、と思いだしていると、インターフォンが鳴った。箸を置いて見に行くと、芽唯とエルヴィラが画面に映っていた。芽唯は隣に住んでいるからともかく、結構離れた所に住む──家が壊れたから一時的にホテルに住んでいるらしい──エルヴィラは朝早くに起きたのかな。
「はーい、王子様です」
『あくくんおはよー。外で待ってるね』
「ちょっと上がっていったら? まだ用意に時間かかるからさ」
『うーん、それがさ』
『私が恥ずかしいから、外で待ちたい。異性の家に入るのはハードルが高い』
『…だってさ』
「ん、じゃ急いで準備するよ。ちょっと待ってて」
通話を切って、残りの朝食を掻き込んでいると、父さんが箸を置いて、口を開く。
「演良、友人づきあいは結構だが、異性に入れ込みすぎるなよ」
「入れ込んでない、といえば嘘になるけれど、学業はおろそかにしてないよ」
「…交友関係は適切に保て。あと、高校生なのだからそろそろ珍妙な言動は改めた方が良い」
「父さんが心配になるのも分かるけれど、僕はもう高校生だし、父さんが心配するような事にはならないし、僕の友達は悪い人じゃとないよ。それと、王子様はやめないから」
「…そうか」
父さんはそれだけ言うと、静かに食事を再開し始めた。どちらも口を開かず、重苦しい空気が流れる。男手一つで、心配になるのは分かるけれど、もう少し信用して欲しいな、と思ってしまう。
支度を終えて、「行ってきます」と言って家を出る。父からの返答はなかった。ほんの少し、寂しさを感じながら、エルヴィラと芽唯に「おはよう」と声をかけると、二人も笑顔で返してくれた。はっきり言って、気絶しそうな程にその笑顔は可愛く、綺麗だった。
「待たせてごめんね、二人とも」
「んーん、大丈夫」
「瑪奈川はこう言っているが、私たちは結構待ったから、彩嗣には罰を与えようと思う」
「…え、罰?」
「ええ」
三人で道を歩いていると、二人で話ながら登校していた大丸さんと、泉充に出くわした。二人は、同じタイミングで「おはようございます」「おはようさん」と言った後、僕らを見て眉をひそめた。
「なんで手組んで歩いてんの君ら」
「いや、これはその…」
「腕組みの刑に処している」
「ええと、腕組みの刑というのは…?」
エルヴィラの返答に、困惑した様子で聞き返す大丸さん。すると、芽唯が恥ずかしそうに答える。
「朝、私とエルちゃんがあくくんの家に行ったんだけど、準備に時間がかかっちゃって、ちょっと待たされちゃったから…それに対する罰って形で、腕を組んでるっていう…こと、です…」
「…朝から見せつけてくれるなあ」
僕がエルヴィラに言い渡された罰。それは、二人と腕を組んで登校することだった。
周りからの目もさることながら、二人の顔が近いこと、柔らかいからだと腕に触れることも相まって、かなり恥ずかしい。ちらりと横を見ると、芽唯は赤面していて、僕と同じように恥ずかしがっているが、エルヴィラはご満悦といった様子だ。正直なところ、芽唯とエルヴィラという、世界で一番可愛い女の子と世界で一番綺麗な女の子に腕を組まれるという体験は、本当に幸福な出来事であるのだけれど、まるで見せつけられるようにされると、羞恥が勝ってしまう。
だんだんと学校に近づくと、同じ制服を着た人や、クラスメイトが増えだし、その度に奇異の目線を向けられる。流石に恥ずかしくなってきたので、エルヴィラに尋ねる。
「あの、エルヴィラ。これは、どこまでやるのかな」
「教室まで」
「え」
「…彩嗣は、私たちと腕を組むの、嫌?」
エルヴィラが、僕に恐る恐るといった感じで聞く。平然としているように見えて、実は結構不安なのかも知れない。女の子を不安にさせては、王子様失格だ。
「…ううん、とっても嬉しいよ?」
「…良かった。じゃあ、教室まで続行しよう」
「あの、私の意見は?」
「…瑪奈川は彩嗣と腕が組めて嬉しくないの?」
「いや、そんなことないけどぉ…恥ずいって…」
「なら、なんの問題も無い」
少々強引に、エルヴィラが話をまとめる。結局、僕らは教室につくまで腕を組んだままなのだった。
「…大丸ちゃん、俺らもあれする?」
「…遠慮しておきます。流石に」
「やんな」
☆
ホームルームが終わって、教室はがやがやとした喧噪に包まれる。いつものように、芽唯とエルヴィラに一緒に帰ろうと提案したのだが、二人は何やら用があるようだった。
「あ、ごめんねあくくん、私今日部活忙しくてさ、二人でさき帰っててよ」
「…私も、この後少し大丸と話がある。生徒会長選挙がどうこうと言っていた」
「あれ、そうなんだ。どれぐらい時間かかりそう?」
「うーん…結構かかるかな」
「私も、それなりに」
一人で帰るのはなんだか味気ないし、どこかで時間を潰して待っておくと告げて、二人と別れた。とはいえ、どうやって暇を潰すかは考えておらず、結局適当に校内をうろついた後、久しぶりに図書室によってみることにした。
「…やっぱり広いなぁ」
篷樋学園の図書室は、かなり大きい。初代理事長が私費をつぎ込んで作ったらしく、小さい本屋ぐらいは優に超える蔵書量だ。そのため、本棚の数が多く、目的の本を探してあるくだけでも、ちょっとした探検気分を味わえたりする。
あまり読書の趣味はないけれども、本が好きな人間にとっては、この図書室はかなり心地のいい場所になるのだろう。
「んー、あるかなぁ…ええと、作者名がろから始まるから…お、あった」
『ウェスティア王国第二皇子』、既刊五巻のシリーズもの。僕は子どもの頃、これの一巻である『ウェスティア王国第二皇子と満月の暗殺者』にかなりはまった。僕の中の王子様観も、この物語の主人公であるオズワルドの影響を受けていたりする。ちょうど探していたところ、五巻全てそろっていた。
「懐かしいな…あ」
「…ほう」
本に手を伸ばすと、側にいた少女と手が触れた。どうやら、彼女も『ウェスティア』を読みに来たらしい。少女の方を向くと、驚いた顔で、僕を眺めていた。眼鏡をかけた、金色の髪をウルフカットにした女の子だ。
「其方も、この“光の書”に導かれし輩ということか。ふっ、良いセンスをしている。この“光の書”、いや『ウェスティア』という物語は、この余の凍てつき傷ついた心を何度も平癒せしめる素晴らしき叙事詩であるからな…!」
「うん、『ウェスティア』シリーズは好きだよ」
「ふっ、であらば、この余が、其方を同志として認めてやろうではないか! 光栄に思うと良い、余の同志は今この時点でこの世界に、片手で数えきる程度の数しか存在を許されておらぬのだから」
少女は、大げさな身振り手振りで、いまいち意味のくみ取れないことを口走った。話の意図は分からないけれども、彼女の真に迫った表情は、格好良いと感じた。
呆気にとられていると、少女は右手で髪をかき分けながら、「時に同志よ」と、低い声色で訊ねてきた。
「名と、アカデメイア・ステータスを互いに詳らかにしようではないか。余は天妖の狐、真名は文乃蕗乃。一年四組に帰属せし者よ。汝は?」
やけに仰々しいけれど、どうやら名前とクラスを聞きたいらしい。それにしても、先に自分から名乗る、というのは礼儀正しいので、蕗乃ちゃんは真面目な子なのだろう。僕も、慣れない状況に戸惑いながら、名前を伝えた。
「僕は、彩嗣演良、二年三組だよ。あと、王子様を目指してる」
「ふむ…名は言霊、良き真名を授かったな、演良。そして、王子様か、良いな。余の同志ならばそれぐらい無ければ興ざめというもの。…しかし、先達であったとは。其方は、敬意無き者を排斥することを欲すか? であらば、余もそれなりの歓待をもって其方に接することを試みるが」
特徴的な口調だが、敬語を使った方が良いか聞いているのだろう。やっぱり、口調は少し尊大に見えるけれど、根は良い人のようだ。少ししか接していないけれど、彼女の人となりは何となく分かるし、彼女の美点は口調にもあるから、このままで良いよ、と伝えると、蕗乃ちゃんの顔はぱあっと明るくなった。
「君のその話し方は、格好良くて僕は好きだしね」
「なっ、すっ…!」
彼女は、腕で顔を覆って、照れているらしい。もしかすると、褒められ慣れていないのだろうか。蕗乃ちゃんはそのまま、深呼吸をして、さっきまでと同じような表情を作って──けれど、少し頬が赤い──再び会話を続けた。
「…さすがは同志! そうであろう、余は格好良いのだ! …まあ、この話し方を咎める同志もいるにはいるわけだが、やはり感性に優れたる者は違うな! あやつにも聞かせてやりたい」
蕗乃ちゃんは、鼻を高くして、誇らしげに笑顔で話す。えっへん、というオノマトペが隣に見えているかのようだ。
「あやつ?」
「もう一人の同志だ。余とは、互いにこのアカデメイアに、隠れ城を築いた仲だ! 近頃は、学び舎の王たらんと、地下に潜っているのだがな」
「隠れ城…あー、部活を作った、みたいな?」
「ふむ、只人の理解の範疇で言うならそうなるな」
「そうなんだ、凄いね」
僕がそう言うと、彼女は自慢げに、うんうんと頷いた。そして、「まあ、ほとんど余の同志が尽力したのだが…」と小声で付け加えた。
「彼奴は余を持ってしても及ばぬところが多くあるからな。…して、同志よ。折角、“光の書”に導かれし者が、二人も運命に呼ばれたのだ。この書について、互いの意見を交わしたく存ずるのだが、如何する? 無論、余は他者を慮ることに何らの躊躇はない故、忌憚なく返答を考えるとよろしいぞ。無論、首を縦に振るのであれば、余の隠れ城が其方を歓迎することを約束しよう」
「ええと…『ウェスティア』シリーズを、君の部活の部室で語り合おうという誘い、ということであってるかな?」
「…うむ、その通りだ」
「それは、とても楽しそうなお誘いだね」
「そうか。であらば、早速行こうか」
彼女はそう言うと、くるりと踵を返し、「ついてこい」といってすたすたと歩き始めた。こうして見ると、芽唯やエルヴィラに比べると、少し背は低い方らしい。
彼女に続いて、後者を歩いて行く。歩きながら、彼女は独特な口調で色々と話してくれた。意味だけをくみ取ると、「文芸部活を友人と作った」「かつてこの学校にもあったらしく、なんと『シノビウィザード』の作者・炉ノ路露那が所属していた事が分かった」「部室はかなり狭い」ということらしい。大きな身振り手振りで話す彼女はとても楽しそうで、聞いているだけのこちらも結構楽しい気持ちになった。とはいえ、大部分はいまいちよく分からないけれど。
階段にさしかかって、彼女は僕の方に振り向きながら、「さあ、そろそろ感じてこないか? 余の城の気配、そして瘴気を…!」と話し始めた。すると、後ろ向きに階段を上っていた彼女が、足を滑らして、こちらの方に倒れかけた。
「蕗乃ちゃん、大丈夫? しっかり前見ないと、危ないよ」
「なっ…」
とっさに彼女の身体を抱きかかえて注意をすると、彼女は、頬を赤らめていた。
「…すまない、助かった。おかげで、余の身体には傷一つ無い」
「そっか、良かった。女の子なんだから、自分の身体には気をつけないとね」
「…女の子…」
彼女を話すと、何やら彼女は難しそうな顔をして、顎に手を当てて考え込んでいるようだった。もしかすると、何かの衝撃で、気分が悪くなったりしているのかも知れない、と思って、とりあえず次の階まで安全のために手を繋いで歩いて──手を繋いだとき、蕗乃ちゃんは驚いたような顔で僕を眺めていた──「休もうか?」と聞いてみた。
「もしかして、どこか具合悪い?」
「…そうだな、確かに余は今、病に冒されているらしい。胸は苦しいし、体温はかなり上昇しておる」
「え、大変じゃないか。保健室に…」
僕がそう言うと、彼女は僕を制して、「まあ待て」と語り始めた。その顔は、真剣そのもので、今まで見たどんな女性よりも、格好良い表情だった。
「病とは言ったが、体調は悪くないぞ。寧ろ、余は今までに無いほどに昂ぶっておる…! 何せ、初めての感情であるのだからな」
「初めて?」
「うむ。彩嗣演良、余の同志よ!」
彼女はそう言って、大仰な動きで、僕の顔にびしりと指を突き立てた。そして、透き通った、よく通る声で言った。
「余は、其方に惚れたぞ!」
「え」
「勿論、恋愛的な…という意味だ! 其方を思うだけで、余の心の臓は鼓動を加速させる! 其方の顔を思い浮かべるだけで、余の身体は浮かび上がるように、まるで天使の翼を授かったかのように浮き足立つ! これを恋と言わずしてなんという!」
僕は、呆気にとられていた。彼女の、とてつもなく直球で、とても格好良い告白に、面食らっていたのだ。すると、彼女は僕の驚愕を感じ取ったのか、それまでよりも声量を落として、「とはいえだ」と語りかけてきた。
「余は、其方のことをほとんど知らん。そしてそれは、其方も同じであろう。我等はこの日、始めて相見えたのだからな。所謂一目惚れだ。だから、この場で答えを出せとも言わん。如何に余とて、今ここで首を横に振られたとあっては、頬を涙で濡らすであろうしな」
「その、答えとかじゃないけど、蕗乃ちゃんに告白されて、嬉しくはあるよ? ただちょっと、いきなりのことで思考が追いついてなくて」
「当然だ。で、演良よ、どうする?」
「ええと、どうって言うのは?」
「我が城に、来るか否か。其方は、自身のことを好いておる者と、狭き戦場にて相対することとなるのだ。当然、抵抗感もあるだろう…?」
そう聞く彼女は、泰然自若としているように見えて、拳を硬く握りこんでいた。きっと、自分でも激情に突き動かされて、不安なのだろう。ただ、女の子の誘いを断るという行動は、王子様にとっては天地がひっくり返ってもあり得ない。
「全然、そんなことないよ。むしろ、蕗乃ちゃんと二人きりになれるのは嬉しいかな」と言うと、彼女は見るからに顔を明るくして、うわずった声で「そうか!」と答えた。
「では、暗黒の宴としゃれ込もう!」
蕗乃ちゃんは、ずんずんと廊下を進んでいく。そして、突き当たりまで来たところで、くるりと僕の方を向いて、すぐ側にあった扉を指さした。その扉は、恐らく黒色の折り紙で作られた、とげとげの飾りがいくつもあしらわれていた。
「ここが余の城だ! さあ、足を踏み入れるとよい!」