第3-2話 秘密の特訓②
『体育館B』と書かれたフロアに入ると、2面のバスケットコートが目に飛び込んできた。コートの利用はハーフコートとフルコートを選ぶことができ、今回私たちはハーフコートを予約していた。仮に全ての利用者がハーフコート利用だとすると、単純計算でこのフロアでは4組のグループまでが同時利用できることになる。私たちの利用するコートの隣では、すでに2組ほどほかの利用者が使用していた。
「はい、じゃあ練習する前にルールを確認します。ボールを持ったまま歩いたらダメっていうのは知ってるよね?」
「さすがにそれくらいは知ってるわ。たしか3歩歩いたらダメなんでしょ?」
「はい正解! 有坂さんよくできました!」
「なんか腹立つわね……」
「それじゃあ、その歩数のカウントの仕方はわかる?」
「うーん? 3歩は3歩じゃないの……? そういえば、ちゃんと考えたことなかったかも」
麻美も千景もよくわからないといった反応を示したため、実際にボールを持って実演する。
「この時点で既に1歩、逆の足をついて2歩、もう1歩ついたらトラベリングになって相手にボールが渡ります」
「え、それでもうトラベリングになっちゃうんですね」
「そ! だからバスケ選手なんかは片足を軸にしてこういう動きしてたりするでしょ? これをピボットといいます」
「あ、なんか見たことありますその動き。……正直言うと、なにをやってよくてなにをしたらダメかがよくわからないんですよね」
千景が吐露する。実際、体育の授業では大してルールの説明などなされず、なんとなくボールを床に突いて、なんとなくボールをリングに投げ入れているだけというのが大半だろう。だから、バスケ部かよほど熱量のある層以外はいつまで経ってもルールを覚えられず、苦手意識ばかりが醸成される。“しても良いこと”がわからないから、ボールを保持していたくないし、思い切りプレーすることもままならない。そしてこれはなにもバスケに限った話ではなく、多くの種目で同様だろう。
「今日覚えてほしいのは、最低限の3つ……いや、4つのルールね。一つは今言ったトラベリング、一つはダブルドリブル、一つはバックパス、一つは3秒ルール。とりあえずこれだけ覚えておけば、普通にプレーする分にはだいたい問題ないはず。あとはなんていうかモラルに従ってれば大抵のルールは自然と守れると思う。戦術として敢えてファウルするとかもあるけど……まぁそれはとりあえずおいといて」
そうして動きを実演しながら、時には誰かをディフェンスに立たせたりパスを出させたりしてルールを説明していく。地味な練習というか、まだ練習にも至っていないような気がするが、実際にやらせてみると思ったよりも時間を要するし、これはこれで勘を掴むのに良いかもしれないと思った。
「はい、それじゃあ最低限のルールを理解したところで、シュートとパスとドリブルの基本的な動きをやっていきましょう」
「……ていうかさ、普通そっちが先じゃないの? さっきいきなりパス出せって言われてもよくわかんなかったんだけど」
聡子が尋ねる。
「部活とかでガチで上を目指す人らはそうなんだろうね。でも、うちらは違うでしょ? 極端な話、フォームなんてめちゃくちゃでもそれなりにゲームが成立すればいい。それに……」
「それに?」
千景の方に一瞬視線を移す。千景の性格的に、あまり形から入るのが先行すると、そればかりを気にしてしまうように思えたのだ。ボールがゴールに入るかではなく、シュートフォームが変ではなかったかということに気をとられるといった具合に。
私は視線を聡子の方に戻して言う。
「単調な反復練習ばっかしてるより、実際のゲームに近いことやってた方が楽しいじゃん?」
聡子は少し呆れたような顔で笑う。
「あはは、まぁそれはそうかもね」
とはいえ、正しいフォームというのは、万人に最大公約数的に最適化された先人たちの試行錯誤の結晶である。できることならば身につけておくに越したことはない。それにある程度形になっていた方が見栄えも良い。体育の授業や球技大会レベルなら、実際に何点入れたかも去ることながら、「こいつはなんだかデキそうだ」と敵味方に思わせることが大事だ。どうせ誰もスコア管理なんてしないだろうから、できそうな雰囲気だけ出しておけば、よほど唯我独尊的なプレイングでもない限り、実際の得点率は低くともクラス内でヘイトを買うことはないだろう。
※※※
「あー、つっかれたー!」
そう言って仰向けに寝転がる聡子。
「えぇと……バウンスパスするときはドライブ回転をかけて……パスを受けるときは……頭が……パンクしそうです……」
よろよろとぎこちない動きで反芻する千景。
「いーよ、そんな一気に出来なくたって。部活じゃないんだから誰も怒ったりしないし。慣れてきたらちょっとずつ出来ること増やしていけばいいんだから」
案の定というか、やはり千景は形に拘りそうだ。実際のゲームに近い練習が多めの方が良いかもしれない。
「絶対これ明日筋肉痛だよね」
麻美がボールをつきながら呟く。それを聞いた聡子が起き上がって言う。
「そうだ、帰りにパフェでも食べていかない? カロリー消費したんだからその分摂取しなきゃ!」
「えー、でも汗かいちゃったし髪とかボサボサじゃん」
麻美が愚痴をこぼす。
「あのねぇ、体育の授業あった日と大して変わんないでしょうが」
「だって普段こんな動かないし」
「あんた普段の体育どんだけ手抜いてんのよ」
いつものように聡子と麻美の言い合いが始まった。二人の論争をよそに千景の意向を聞いてみる。
「千景はどうする? パフェ、食べれる余裕ある?」
「えっと……私は皆さんが行くならついていきますが、正直あまり食べられないかもしれません……」
もともとスポーツが得意ではないということもあるが、本気度で言えば練習に付き合っている我々より千景の方が当然ながら高いため、それに比例して疲労の度合いも大きい。私は言い合っている聡子と麻美を遮って提案する。
「ねぇねぇ、パフェだとちょっとガチすぎるからさ、適当にコンビニ寄ってアイスでも買って帰ろ。練習は今日で終わりじゃないんだし、パフェはまた今度の楽しみってことにしてさ」
「……ったく、しょうがないわね。今度はちゃんと行ける準備しときなさいよ!」
聡子は私の提示した折衷案にそう言って諦めた素振りをする。
「はいはい、わかったって」
そして麻美は聡子の言葉に生返事を返す。
「それじゃ、先行ってていいよ。私ボール片付けて使用後の手続きしてくから」
私はそう言って三人を先に更衣室へ向かわせる。さっきの話だと、今日は思った以上に動いたみたいだから、この後コンビニに寄る程度だったとしてもしばらく更衣室からは出てこないだろう。
私はボールをつきながらゆっくりと用具室の方へ向かい、ボールを格納しているカゴへ投げ入れる。用具室独特の薄暗さと埃っぽさ、年季の入った備品の傷みが、五感を通じて学校の体育館の用具室を思い起こさせる。中学の体育ではできるだけ衆目を浴びないように振る舞っていたし、高校の体育ではここまで熱量がない。今日のは厳密には体育の時間ではないが、こうやって余計なことを考えずに熱中できたのはいつぶりだったろうかとの思いがよぎる。
「ああそうだ、今は私も化粧直さないといけないんだった」
思い出したように独りごちた私は、懐古を中断し、自分の荷物からロングスカートを取り出してジャージの上から履き、後ろに纏めていた髪を解いてフロアを後にした。




