7
春香 Side
目を覚ましたとき、最初に感じたのは鈍い頭痛だった。
次に、背中に伝わる硬い感触。冷たい金属の椅子。
春香はゆっくりと視線を巡らせ、自分の置かれている状況を理解した。
手首と足首が、ほどけないように結ばれている。
だが、不思議と恐怖はなかった。
目の前に立っている人物を見て、その理由がすぐにわかったからだ。
「……紗月?」
名前を呼ばれた相場紗月は、びくりと肩を跳ねさせた。
一瞬だけ逃げるように視線を逸らし、それから意を決したように春香を見た。
「……ごめんなさい。
いきなり、こんなことして……」
その声は震えていた。
怒りも、勝ち誇った色もない。ただ、追い詰められた人の声音だった。
「どうして……?」
春香が静かに尋ねると、紗月は唇を噛みしめた。
言葉を探すように何度も口を開いては閉じ、やがてぽつりと零す。
「……怖かったんです」
「何が?」
「真一君が……遠くに行っちゃいそうで」
その一言で、春香はすべてを察した。
「私、ずっと見てました。
真一君って、誰にでも優しくて、ちゃんと話を聞いてくれて……
だから、私も……勘違いしちゃって」
紗月の指先が、小さく震えている。
「でも、春香は違った。
隣にいるのが当たり前で、帰る場所みたいで……
どんなに頑張っても、そこには入れないって、わかってたのに」
声が掠れた。
「昨日……二人が付き合い始めたって聞いて……
このままじゃ、何も言えないまま終わるって思ったんです」
春香は静かに息を吸った。
「それで、私をここに?」
「違います!」
紗月は、思わず声を荒げた。
「傷つけたいとか、怖がらせたいとか……そんなつもりじゃなくて……
ただ……話したかった。
どうして春香は、あんなに自然に真一君の隣にいられるのか。
どうして、選ばれたのか」
涙が、一粒、床に落ちた。
「私……何が足りなかったんですか……?」
その問いに、春香はすぐには答えなかった。
しばらく沈黙が流れる。
「……ねえ、紗月」
春香は、優しく名前を呼んだ。
「足りなかったんじゃないと思う」
「……え?」
「真一はね、誰かと比べて人を選ぶ人じゃないの。
一緒に過ごした時間とか、積み重ねてきた気持ちとか……
そういうのを、大事にする人」
紗月の目が揺れる。
「それって……ずるいですよ。
生まれた時から一緒だった人には、勝てないじゃないですか」
「うん。ずるいよ」
春香は、はっきりそう言った。
「でも、それでも……私は真一が好き。
だから、譲れない。
それだけは、ごめんね」
春香は、まっすぐに紗月を見つめた。
「ねえ、紗月。
お願いがあるの」
「……なんですか」
「真一と、ちゃんと話してみない?」
紗月が息を呑む。
「逃げないで。
勝ち負けじゃなくて、紗月の気持ちを、そのまま伝えて」
春香は、少しだけ微笑んだ。




