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五日ほどかかって、私たちはダンジョンの最深部まで到達していた。
階数にして40階。10階ごとに景色は変わり、今は城の地下とも言うべき空間だ。大きな荘厳とも言える扉が待ち構えている。
ごくり、と私の喉が音を立てる。
「行くぞ」
アルフレッドさんが声をかける。
押すと、ガコンガコンと音を立て、扉は迎え入れるように大きく開いた。さらに地下に降りる階段が見える。その先は水路のようだった。
階段を、一段一段降りていく。
「いいか。水には絶対入るなよ」
「はい」
アルフレッドさんは張り詰めた声でそう言った。
最深部で左に見えたのは、水路を泳ぐ巨大な影、それに——
ブモォォォと雄たけびが聞こえた。
「ミノタウルス! いつの間に?」
右からは3体のミノタウルスが、斧を構えて水の中を走って来ていた。
「これは分が悪いな。右から行こう」
アルフレッドさんは即決する。
左の影はどう見ても巨体だ。それが沈んでいるから深さがありそうなのに、ミノタウルスは膝ぐらいまでしか浸かっていない。水路の深さが違うのだ。
一瞬でそれを判断したアルフレッドさんは、やっぱりすごい。
「頼むぞ、ルチル」
私は、竪琴をかき鳴らし、まず私自身に隠形をかけ、アルフレッドさんに身体強化、速度強化、異常状態耐性強化をかける。さらに、ミノタウルスに魔法防御低下、物理防御低下を付与していく。
「ルチル。水から離れろ!」
アルフレッドさんが魔導弓を構えて青色の魔法の矢をつがえる。矢は、ミノタウルスの頭に当たると氷の塊となった。そこに後から普通の矢が打ち込まれる。私はミノタウルスの頭が粉々に砕かれるのを見た。大きな身体が倒れ、派手な水しぶきが上がる。
2体はその調子で倒したけれども、その頃にはもう一体に、弓の不利な距離に持ち込まれていた。
「アルフレッドさん!」
私は思わず叫んだ。ミノタウルスが私に気づき、ターゲットを移す。
しまった。これは悪手だった。けれど、アルフレッドさんはミノタウルスを蹴っ飛ばし、距離を取ると魔導弓を構える。
最後の仕上げとばかりに、氷の矢が降り注ぎ、ミノタウルスはドッと倒れ、その姿は砂へと変わっていく。
『見事なり』
その時、唸るような頭に直接語りかけるような不思議な声が響いた。
『第一踏破者よ』
気がつけば、あの巨影が水の中から出てこようとしていた。
ギョッとして、アルフレッドさんの側に駆け寄る。彼も私を庇うように前に出た。
その姿は——
「水竜?」
『さよう。人の子はそう呼ぶ』
水竜は襲ってくる気配はない。むしろ、楽しそうにダンジョンについて語ってくる。
『ダンジョンは神の遺物よな。ここの管理を頼まれた我は、ここに第一にたどり着くものには、我自身を最後の罠にしようと思ってな』
「罠って……」
『最後に見誤って我の方から倒そうとしたなら、喰ろうてやろうと思っておった』
今更ながらぞっとする。鳥肌をさすっていると、水竜は楽しげに笑った。
『お前たちは珍しいくらい、良いパーティーよの』
「え?」
『お互いの足りないところを、よく補い合っておる』
「俺も、そう思います。ルチル、ありがとう。ここまで来れたのは、あんたのおかげだ」
真っ直ぐに目を見てそう言われて、体温が上がる。どうしよう、嬉しい。
「こちらこそ、ありがとう。アルフレッドさんには感謝しきれないわ」
嬉しさのまま握手しようと、にっこりと笑って手を差し出すと、アルフレッドさんはぎこちなくその手を握り返し、そのまま固まってしまった。その顔はちょっと赤い。それを見ていたら、私もなんだか恥ずかしくなってしまう。
『お前たち……そういうのはここを出てからやりなさい』
「ご、ごめんなさい」
ああ、とか、うう、とか変な声が漏れてしまう。
やれやれ、と水竜は言った。
『宝箱だ。開けるが良い。第一踏破者ということで、少し色をつけておいた。罠などないぞ』
水が引いていき、二つ並んだ宝箱が残る。アルフレッドさんを見ると頷かれた。その一つを私は恐る恐る開ける。すると——
キラキラと光を反射する竪琴が出て来た。まるで自ら光っているかのようだ。
『これは水竜に愛されし乙女の竪琴』
「凄いじゃないか」
アルフレッドさんが、驚いたように言った。私も、驚きで声が出ない。聞いたことのない二つ名。間違いなくレア品だ。
『そちらも』
促されて、アルフレッドさんがもう一つを開ける。
「籠手だ」
『さよう。我の鱗を使った籠手よ。我は久しぶりに機嫌がいいのでな。ではな、人の子よ。さらばだ』
足元が光る。これは転送陣だ。
気が付いた時には、ダンジョンの入り口に戻されていた。
数日ぶりに出た外は白んでいた。時間の感覚が少しおかしくなっていた私には、早朝の光は眼に眩しい。
「久しぶりに宿で休みたくはないか? 今から戻れば間に合うかも」
私は、一も二もなく頷いた。そう言われると一気に、暖かいご飯や綺麗な寝台が恋しくなる。そして、私にはやりたいことがあった。旅の汚れを綺麗にして、そして、彼のパーティーにこれからも居ていいか聞くのだ。勇気を出して。
街に帰るとちょうど日暮れだった。少し古いが趣のある宿がいい感じに空いていた。さっそく二部屋取る。しばらく連泊の予定だ。お風呂に入ってさっぱりして、食事をするために一階に降りる。
アルフレッドさんと合流し、席に向かい合わせに座って注文する。
「お疲れさん。どうだった? 俺とのパーティー……俺はよかったと思ってる。明日、ギルドに報告に行くだろう? あんたが良ければ正式に申請しようと思うんだが」
「お疲れ様。その、すごく戦いやすかったわ」
まるで、彼の人となりが見えるかのようだった。ダンジョンでも常にこちらに気配りを忘れない彼は、その、控えめに言って格好良かった。
「ありがとうね。いろいろと」
私は、どう返事をしたものかともじもじしてしまう。口を開いては、また閉じる。
彼は辛抱強く、こちらを待ってくれている。
「こちらからも、その、ね——」
お願いしたいと言おうとした時だった。
いい香りがして、ぐうっとお腹が鳴る。
おかみさんがほかほかのスープと大きくて柔らかそうなパンを持って来てくれたのだ。
「光弓士様にお泊まりいただけるとは、光栄です」
彼女はにこにこしている。
「こうきゅうし?」
私は、鸚鵡返しのように呟いた。
「あらお連れさん……失礼しました。どうぞ、ごゆっくり」
申し訳なさそうな顔をしておかみさんは去っていく。
こうきゅうし、こうきゅうし……光弓士。
「光弓士アルフレッド?」
愕然とする。
どうして気づかなかったんだろう。
光弓士アルフレッド。まだ20代そこそこにも関わらず二つ名を持つ、Sランク冒険者。
彼は、近接が苦手なはずの弓使いとしては珍しく、単独で依頼を受ける。アルフレッドは誰ともパーティーを組まないというのは、有名なエピソードだ。
「言おうとは思ってたんだが、タイミングがなくてだな。悪かった」
彼を見ると、困ったような顔をしている。
「ごめんなさい、さっきの話、お断りします」
「……理由は?」
「だって、あなたあの誰とも組まないって言う光弓士なんでしょう?」
彼は、ソロでのダンジョン攻略の先駆者として一目置かれていたはずだ。そんな人のパーティーになんて恐れ多い。
「それは今までの話だろう? 俺はあんたと組んで良かったと言っている。信じられないのか?」
彼の周りにブリザードが見える。とても、怒っている。
「そんなことない……けど」
信じたい、信じられない、でも信じたい。私は不安なのだ。
「アルフレッドさんが悪いわけじゃないの。あなたのことは、信じてる……でも、信じるのが、怖い」
やっとの想いで言葉を紡ぐ。涙が溢れそうだった。
いつの間にか彼の存在は、大きくなっていた。
アルフレッドさんに裏切られたら、もう立ち直れないと思うくらいに。
うっと嗚咽が一つ漏れる。
「……悪かった。出会いがあの状況だ。あんたの心境をもっと考えるべきだった。それでも、俺はパーティーの話は撤回しないからな。あれは、俺の本心だから。食べよう。せっかくの飯が冷める」
「ありがとう」
私は、泣きながらパンとスープを流し込んだ。美味しそうに見えたはずの食事は、味なんてわからなかった。