第三部 【決別】
第三部 【決別】
誰もいなくなった家にポポロは座敷に一人寝転がっていた。
この光景を見たら、まどかの母ならきっと「話し方だけじゃなくって行動もパパに似てきたわね。」って茶化してくるだろう。だがあいにくここは祖母の家で、その祖母もご近所さんと花火大会にいってるものだから、完全に貸し切りというわけだ。まどかから話を聞いていた祖母は一緒にくるかいとポポロに声をかけたが、ポポロが自らそれを断る。
「・・・あいつと行けねえ花火大会なんて行っても仕方ねぇよな。全く・・・本当に置いていきやがって。」
誰かに聞いてもらえるわけでもないのに、つい愚痴が出てしまう。
(考えてみれば、俺がまどかの家に来てもう5年も立つのか。気がつきゃ、いつも一緒にいたよなー)
学校から帰ってくるなり、まどかはすぐにポポロと散歩に行くのが日課で、雨の日でも休まず連れて行った。しだいにポポロの中で、まどかは自分のことを一番に考えてくれる存在なんだという認識になっていった。だからこそあのとき、自分以外の誰かを選んだことが本当に悔しくて嫉妬してしまった。だがまどかは人間、犬とは違う。友達もいるし、血のつながった家族もいる。それはポポロ自身もちゃんとわかっていたはずなのだ。
(まどかは他にも大切な人間がいる。大人げなかったのは俺のほうかもしれねえな。あいつはちゃんと謝ってたじゃねぇか。・・・しゃーねー、終わったころに迎えにでも行ってやるか。夜道は危ねぇしな。)
と思った瞬間だった。ポポロの耳がピクンと動く。
「・・・っ!おいおい、今の感じ・・・こりゃやべぇぞ。」
犬は人の何倍も敏感な生き物で、空気、重力のわずかな変化にも気づいて災害を察知できるという
話はよく聞くことだろう。ポポロとて人の言葉を話せるだけで他は何も変わらない立派な成犬、例外ではない。
「ちっ、よりによってこんなときに!こりゃ待ってられねぇ、すぐまどかのところに・・・」
立ち上がって和室を出ようとした瞬間だった。
突如視界が大きくぶれ、立っていることすら困難なほどの激しい振動がポポロを襲った。
ガタガタガタ
普段は何も言わないものたちがここぞとばかりに一斉に騒ぎ出し、小型犬のポポロに威圧をかける。
「っ・・・!!もう来やがった!・・・くそ、こいつは思った以上に・・・!」
食器棚や本棚が派手な音を立てて崩れていく。このレベルの振動ともなると家にいるのも非常に危険であり、本来ならば拓けた屋外にいるほうが幾分安全なのだ。特に祖母の家は造りが古いだけあってところどころミシミシと音を立てており、一刻も早く外に出ようと試みるが、振動が止まらず走りづらいうえに崩れたものがバリケードとなって邪魔をしてしまっているため進もうにも思うように足を踏み出せないでいた。このまま持ちこたえる方に賭けておとなしく丸まっていたほうが安全かと思ったそのとき、上部からバキッという音と同時に悪寒がポポロの体をほとばしる。
「やべっ・・・・!!」
見上げたポポロの視界に飛び込んできたのは、屋根を支える柱が折れ、自分を覆いかぶさろうとする光景だった。
-時を同じくして紅葉谷公園近郊-
外にいるときは多少の揺れならば気づかないことが多い。ただしそれは移動していて体自体揺れてるからわかりづらいだけであって、この揺れの規模で、しかも座っているのであれば話は別だ。
「・・・きゃああ!何っ!?地震!?めちゃ揺れてない!?」
「・・・!!」
決して花火に夢中になりすぎて反応が遅れたわけではない。人というのは不思議なもので、予期せぬことが起きると、その事象が起こってるのは自分だけなのかとまず周囲の状況を確認するのだ。そして、その反応を見て初めて事実だと決定づける。まどかもいち早く異変には気づいたが、「勘違いかも」「自分だけかも」という思いが先走り、まずゆずの反応を確認し、そして見つめ合ったときにそれが事実だと気づく。
ゆずは顔をふせて恐がりながらまどかにしがみついていた。年頃の女の子ならまどかみたいに悲鳴をあげるとこだが、それよりも恐怖心が勝っていたゆずは声をあげることすらできない。ある意味、本当の恐怖を目の前にした人間の本来の反応である。まどかも心なしかゆずを抱える腕に力が入る。二人にとって幸いだったのは今いる場所が何もない拓けたところだったことだろう。こういう場所なら物が落ちてくることもなければ、乗り物の事故に巻き込まれることもない。少なくともここなら安全だと思っていたまどかだったが突如何か言いようのない不安感に襲われた。
(・・・何、この胸騒ぎ?)
感覚的にこれは自分に対してではないと感じた。ならば・・・
(・・・ポポロ!!おばあちゃん!)
しばらくすると地震も収まり、ゆずは恐る恐る顔をあげた。
「・・・び、びっくりしたぁ・・・大分強かったね、今の地震・・・」
「う、うん。みんな大丈夫かな・・・?」
みんなとは言ったが、まどかが一番気にしていたのは祖母とポポロのことだった。ゆずも家族のことを心配してる様子だったが、すぐにバッグに入れていたスマホが震えだす。
「お母さんからだ!・・・はぁ、よかった。物はいっぱい崩れたけどとりあえずお父さんもお母さんもケガはしてないって。」
ほっと胸を撫でおろしたゆずはすぐに自分も大丈夫だったよと母に送り返す。
「よかった、無事で。・・・私もポポロとおばあちゃんが心配なんだけど。」
ゆずの家族と違い、まどかの祖母と愛犬はスマホを持っていないので、すぐに安否の確認をすることができない。
「うん、私も。じゃあ一緒に探しに行こ?今の地震で花火も止まっちゃったみたいだし。一人じゃ危ないもん。」
ゆずがそう言い出したのはポポロを連れてこさせてあげられなかったことに責任を感じているというのもあっただろう、もちろん2人でいる方が安全だというのも事実ではあるが。
まどかはこくんと頷き、さっきとは逆で今度はまどかがゆずの手を引く。
祖母がポポロを花火大会に連れていってくれてるはずだと思っているまどかは、毎年祖母がいつも花火を見ている場所に一直線に向かう。
その途中だった。足腰が強くないのか、ゆっくりこちらに歩いてくる見慣れた影を見つけた。
「ハァハァ・・・おばあちゃん!!!よかった、大丈夫!?ケガはない?」
「おぉ・・・まどかにゆずちゃん。二人とも無事でよかったわ・・・それだけが心配で心配で。私もケガ一つしてないから大丈夫じゃ。あとはポポロが心配でのぅ。」
「えっ・・・ポポロ!?一緒に居たんじゃないの!?」
「誘ったんじゃが、行きとぅないっちゅうてのう。しゃあないし、私一人出てきたんじゃ。」
まどかの血の気がみるみるひいていく。瞬間、家の方向に走り出す。
「まどかちゃん!!」
ゆずが声をかけるが本人にはまったく耳に届いておらず、彼女も後を追うようにして走り出した。
ここまで来るのにも相当走ったはずなのだが、今のまどかは疲れを全く感じていないようで何とか見失いようについていくので精一杯だった。
(・・・ポポロ!ポポロ!!)
「はぁ・・・はぁ・・・うそでしょ・・・家が!」
まどかが目にしたのは見るも無残に倒壊した祖母の家だった。
「はぁ・・・はぁ・・・!」
少し遅れて到着したゆずも、その変わり果てた友人の家に、表情がどんどん青ざめていき言葉を失う。
「っ・・・!ポポロ!!!」
「・・・待って!!足場崩れてる!!危ない!!」
突っ込もうとしたまどかをゆずは腕を引っ張り制する。
「離して!!中にポポロがいるかもしれないの!!」
「わかってる!私も一緒に探すから落ち着いて!!ここでまどかちゃんが焦ってケガでもしたら探せる子も探せなくなるでしょ!!!」
ゆずの初めて聞く強い口調にまどかは八ッとなり冷静さを取り戻す。
本人は自覚していないかもしれないが、ゆずのこの考えは合理的であり、今この瞬間瓦礫に埋もれていたとしても生きているのであれば命を救える可能性は高いが、下手にがむしゃらに探して瓦礫が崩れようものならそれこそ埋もれてる人や動物をさらに命の危険にさらすことになる。言い方は悪いが、倒壊した時点で命が絶たれたのならどんなに焦って早く見つけられたとしてもこの世には戻ってはこれないのだ。だからこそここは落ち着く必要があった。
「・・・ごめん、ありがと。・・・お願い!探すの手伝って!!私の大切な家族なの!!!」
この瓦礫の中にいると思い込んでいるまどかの目には涙が溢れていた。
「うん!大人の人にも来てもらったほうがよさそうだし、ちょっとお父さんとお母さんにラインしてすぐに助けに来てもらうね。まだ余震が来るかもしれないし・・・気を付けて探そ?」
大粒の涙を流しながら、うんと頷くとゆずと手をつないで比較的足場が安定していそうな場所を狙い、足を踏みいれていく。
本来であれば大人が到着してから探すという冷静な判断ができるゆずではあったが、そうしなかったのはやはり責任を感じているのか、それとも目の前で涙を流す親友に何かしてあげたいと思ったのか、あるいはその両方だったのかもしれない。
「お婆ちゃんとポポロがよくいた部屋はもうちょっと奥だよ・・・。」
とは言われても今のこの潰れた家屋に部屋という概念があるのかどうかも定かではないが、当てずっぽうに瓦礫を掘り起こしていくより、可能性が高いところを掘り起こしていく方が確かに幾分効率的である。もっともこれだけ崩壊していると今いる場所が家のどの辺だったのか把握しづらいところではあるのだが。二人は足場と余震に気を配りながらただひたすらにそれっぽい場所の小さな瓦礫から取り除いていった。
辺りを暗闇が包む。何か情報を得ようとスンスンと鼻を動かしてみるも、土砂を吸い込んでくしゃみが出そうになるだけで何も得られない。
(・・・くっ・・・痛えし・・体が動かねぇ・・・)
ポポロの下半身は崩れた柱と屋根の下敷きになり、身動きができずにいた。かろうじて前両足は下敷きにならずに済んだが、何十キロもの瓦礫を押しのけて脱出することなど一匹の犬ができることではない。いや、それ以前の問題だった。ポポロの腹部は柱の一部が深く突き刺さり、まだ生きていることのほうが奇跡ともいえる状況だったのだ。
(・・・ちくしょう・・・声も出ねえや・・・)
朦朧とする意識の中で、頭に思い浮かんでくるのはまどかとの楽しい日常風景ばかりだった。死ぬ直前になると今まで生きてきたときの記憶がフラッシュバックする走馬灯が見えてくるという話をテレビで見たことがあるが、こういうことをいうんだなとポポロは納得した。それと同時に死期が近いという現実を突き付けられ、ある思いが込み上げてくる。
(・・・こんな別れ方嫌だぜ・・・せめて最後に一言・・・一言だけでいい・・・)
ふと思い出したのは昨日の鹿との会話だ。「人間といて楽しいか?」と聞かれ、まどかにはその答えをはぐらかしていた。あの時に言えなかったのは決して意地悪をしようと思ったわけではなく、恥ずかしさからくるものであって、言葉で伝えるのは何とも難しいものだと犬のくせに納得させられたものだ。
その時だった。瓦礫の隙間からわずかに聞こえてくる馴染みのある声に耳がピクンと反応する。
「ポポローーーーー!いるなら返事してーーー!!ポポローーーー!!」
「ポポロちゃーん!!お願い、出てきてー!!」
もう一つは聞きなれない声だったが、初めて聞いた声ではない。その声がまどかの友人のゆずだとすぐにわかった。
(・・・まどか・・・)
痛みもひどく意識も朦朧とし、息ができてるのかできていないのかもわからない。
もう自分は長くないと悟った瞬間からいろんな想いが溢れてくる。一言じゃあ到底表現しきれない正直な気持ち。最後にどうしても伝えたかった、こんな生意気な犬をかわいがってくれたバカ姉貴に。
「・・・ワン!!!」
執念だった。
「・・・今の!!ポポロの声だよ!!あの辺から聞こえた!!!」
「うん!私も聞こえた!」
最後の力を振り絞ったポポロの渾身の一鳴きは二人の耳に届いた。
まどかとゆずは声のした方に駆け寄り、崩れないように丁寧に瓦礫をどけていく。
(・・・お願い、ポポロ!無事でいて!!)
一心不乱に瓦礫をどけていく二人の目に土砂で茶色に染まった前足が姿を現した。
「・・・っ!!ポポロっ!ポポロ!!」
まどかが泣きながらポポロを覆いかぶさっていた最後の柱を投げ捨てるとようやくポポロの体が露わになった。その瞬間を2人は短く悲鳴をあげ、両手で顔を覆う。相当な重量がかかったのか後ろ脚は潰れており、柱が刺さっている腹部からは大量の血が流れ、医者ではない彼女たちですら心の中でもう助からないと悟った。
「ポ、ポポロ・・・っくひっく、ごめんね、ごめんねっ・・・・!」
「・・・あ・・ぁ・・・わ・・たしが・・・」
まどかはポポロを優しく抱きかかえると頭を撫でてやるが反応はほとんどない。
砂塵で汚れた体はまどかの大粒の涙によって流されていき、雨が降っていないのにも関わらずポポロの毛はどしゃぶりでもかぶったようにべちゃべちゃになる。ゆずにいたっては、その場に崩れ落ち、うわ言のように何かつぶやいている。
(・・・まどか・・・無事でよかった・・・くそ・・もう声・・・出ねえや・・・だから最後に・・・)
「・・・ま・・どか・・・俺・・・は・・・」
「ん!?・・・なに!?ゆっくりでいいから・・・!」
-回想-
(
-思い出すは昨日の記憶-
『キーキー!【お前、人間といて楽しいか?】』
『ワン、ワワン、ワン、ワワン!【ああ、これ以上ないぐらい楽しいぜ!】』
『えー!!ちょっと!何鹿と喧嘩してんの!』
『喧嘩じゃねぇよ。あいつに人間といて楽しいか?って聞かれたから返しただけだ。』
『あ、そうなんだ。人から見てもわからないもんね。・・・それで何て返したの?』
『聞いてたろ?ワン、ワワン、ワン、ワワンって言ったんだよ。』
『私に犬の言葉わかるわけないでしょ!』
何でこの時に言わなかったんだろうな・・・
)
「・・・た・・・し・・・」
だがそれを言葉にすることができないまま、ポポロの体はがくんとうなだれ、それ以降ピクリとも動くことはなかった。もしかしたら死んだふりをしてからかってるだけですぐにまた目をあけてバカにしてくるんじゃないかと思ったが、それはまどかの現実逃避でしかない。失ったものは二度と帰ってこないのだ。
「・・・ポポ・・ロ?・・・ぃ・・いやだ・・・いやだよ?そんなの・・・いやああああああああ!!!!!」
まどかの涙はからからの地面に大粒の雨を降らす。梅雨の時期はとっくに終わっているにも関わらず止まることを知らないその豪雨はただひたすらに横たわる愛犬の土を流していき地面に帰っていく。彼女の悲痛な叫びとともに。
後に、マグニチュード6.8を記録し、民家、歴史的建造物に甚大な被害をもたらしたこの震災は第三次芸予地震と呼ばれることとなった。この地震による死者は18人、負傷者は57人と報じられるがそれはあくまで人的被害であって、動物は数えられていない。まどかはこの日、大切な家族の一人を失ったのだ。世間に知られることもなく・・・。
2019年8月15日のことである。
「ほら、まどか。ちゃんと骨あげなくっちゃ。天国で文句いってるわよ。」
「うん。」
母親に押され、まどかはポポロの墓に大好きだった骨を添える。墓を作る場所を霊園や納骨堂ではなく、『この場所』を選んだのはまどかのせめてもの罪滅ぼしだったのかもしれない。
「ここなら、いつでも花火見れるからね。」
それはあの日、ゆずと花火を見た場所の近くだった。地震のことを聞き、いてもたってもいられなくなった父と母は仕事で休暇をもらい、すぐに宮島へとやってきたのだ。
「お父さんは?」
まどかは母親に振り向き、父の所在を訪ねる。さっきまでは一緒だったのに、こういうときにここにいないのにまどかは少し腹が立った。
「おばあちゃんがいる避難所に行ったわよ。後で墓参りに来るって。」
「・・・ふーん。」
「こーら、そんな顔しないの。おばあちゃんはお父さんのお母さんなんだもの。今はそっちのほうが大切に決まってるじゃない。」
「・・・わかってるよ。」
あの日、祖母がいた場所は幸い地震の被害を大きく受けることもなく、ケガ一つすることもなかったのだが、失ったものは大きい。長年ともにしてきた家を一瞬で奪われ、この歳で住むところも失った。本当ならこれからどうするのかと途方に暮れているところではあるだろうが、祖母は一人ではない。まどかの父という立派な息子がいるのだから。多分これからはしばらく一緒に住むことになるだろうなとまだ子供のまどかでもわかった。
「そろそろ行くわよ。またお墓参りにきましょ。」
「・・・うん、さよならポポロ。」
またねと言わなかったのはもう二度と会えないことを受け入れてのことだったのか、自分に言い聞かせようとしていたのかはわからない。ただ、母の後をついていくまどかが何度か振り返ったのはもしかしたら本当は今でも死んだふりをしているだけでひょっこり顔を出して文句の一つでも言い散らかしてくれるのを期待したのかもしれない。