第二部 【花火大会】
第二部 【花火大会】
-同日2019年8月14日-
「それにしてもまどかは見るたびに大きゅうなっていくねぇ。」
昔ながらの茶の間座卓にお茶を持ってきた祖母がまどかと向かい合うように座布団によっこせと腰掛ける。
風に煽られチリンチリンと鳴る風鈴とせみの鳴き声はこの昔ながらの家と相まって何ともいえないわびさびを感じさせ、こうして座っているだけでも日ごろの疲れを癒してくれそうな気がした。
「そっかなぁー?身長はあんまり伸びてないと思うんだけど。ていうかお婆ちゃんの家、相変わらずいい匂いするよね!」
家の中は、和テイストで彩られ畳から発せられるい草の香りはさらにどこか懐かしさを思い出させてくれる。祖母がいうにはフローリングの洋室よりも和室のほうが落ち着くとのことだ。そういえば、3年前死んだおじいちゃんも同じこと言ってたっけとまどかは思い出す。
「俺もこの匂い好きだぜ。なんていうか野生の血が騒ぐっていうのかな。」
そういうとハッハッと言いながら走りだす。
「お願いだから少し落ち着いて!」
「ホッホ・・・あんた達本当に仲いいんじゃね。ほれ、天気もいいし荷物置いて外で遊んできんさい。そういや、ゆずちゃんがまどかに会いたがっとったんよ。顔みせてあげんさいや。」
「ゆずちゃん!そう、私も会えるの楽しみにしてたんだ!ほら、見てお婆ちゃん!スマホ!この前来た時にゆずちゃんの連絡先は教えてもらってたんだけど、そのとき私スマホまだ持ってなくて、この前お母さんに買ってもらったの。お父さんとお母さんの次に登録したのがゆずちゃん!」
まどかは自慢げにポシェットに入れていたスマホをお婆ちゃんの目の前に突き出す。
こういう仕草がまだ幼さを感じさせる。
「おお、最近の子はそういうの早いのう。」
「俺は?」
「あんたを登録してどうすんの!?てか犬はスマホ使えないでしょ!」
人が夢中で話をしているときにちゃちゃを入れてくるのがポポロの悪い癖である。まぁそのおかげで盛り上がるときも多々あるのだが。
「なにを!?俺の肉球舐めるなよ!スマホだって動かせるぜ。」
「え、そうなの?・・・あ、ほんとだ。」
ポポロの手をとって無理矢理触らせてみると確かに反応した。
人間の手と同じように、犬や猫の肉球でもスマホの画面を動かすことができるのは動物を飼っている人なら知っている人も多いだろうが、スマホを手に入れてまだ間もないまどかにとってはなかなかの衝撃だった。
「じゃあそれでゆずちゃんとやりとりしとるん?」
「うん!ほら、明日毎年恒例の宮島水中花火大会あるでしょ?一緒に見に行く予定なんだ!」
「ああ、そうじゃね。明日もいい天気じゃけぇ、ここからならよう見えるで。」
「へぇ、そりゃ楽しみだな。おい、まどか俺も連れてってくれよ。しゃべるの我慢するからさ。」
「おっけー!ゆずちゃんに言っておくね!」
「おっしゃ、明日はうまい骨が食えそうだ。」
「おっちゃんみたいなこと言わないの!!」
宮島では毎年この時期に恒例となっている花火大会がある。それを宮島水中花火大会と名うっているわけだが、何も海中で花火を上げようなどという理論上不可能なことにチャレンジするという行事ではなく、島で打ち上げられた花火は海面に反映され、あたかも水中で花火を上げたように見えることからきているそうだ。実際、島と本土が離れていないこともあり、本土の海近辺にあるマンションの高層なら満足できるほど綺麗に映し出されるのだ。もちろん空にも海にも。この時期になるといつもより観光客が増えるのもこれが目的といっても過言ではない。
「じゃあおばあちゃん、ちょっとポポロと出かけてくるね!」
「じゃあ婆ちゃん、まどかと散歩行ってくるぜ。」
「ちょっと!!私が連れてってもらうような言い方しないでよ!」
いつも以上ににぎやかと感じるのは祖母だけではなかった。
ただの帰郷とはいえ、都会と比べ空気もおいしくのんびりできる島にやってきた2人はいいようのない開放感に満ちていた。
時はお盆の真っ只中。今年の夏も暑い。
-8月15日-
祖母の家に来て興奮からかなかなか寝付けなかったまどかはいつもより遅い時間帯に目が覚めた。厳密にいうと友人から電話で起こされたのだ。
「ごめんね、まだ寝てた?」
「うん、ゆずちゃんのラブコールでおきた!とか言ってみたり(笑)」
友人に対して冗談が言えるくらいの頭は動いていた。もともとポポロの散歩で早起きすることが多いまどかは寝起きから覚醒までが人より早い傾向にある。
「もう・・・(笑)今日の花火大会のことだけど、19時半に紅葉谷公園で待ち合わせでいいかな?近くに穴場があるの!」
「オッケー!ゆずちゃんもしかして浴衣とか着ていったりする?私そういうの持ってきてなくて・・・」
「着るときもあるけど、ゆずちゃんに合わせたいから普通の服でいくね!」
「ありがとう!!あともう一つお願いがあって・・・」
「何?なんでも言って!」
「えっとね、ポポロもいきた・・・」
言おうとしてまどかは口をつぐんだ。犬が行きたいって言ってるなんて言ったら変な子扱いだ。
「ポポロも連れていってあげたいんだけど、大丈夫かな?」
「え・・・あ・・・ポポロってまどかちゃんの犬さんだよね?・・・うーん、連れてってあげたいんだけど・・・ごめん、私どうも犬が苦手みたいで・・・。」
そういわれてまどかは思い出す。
ゆずとメッセージのやり取りをしていたとき、ポポロの話をしても彼女はあんまり乗ってこなかった。
もちろんポポロが人の言葉を話すというのもまだゆずには話していない。あるいは話していれば、彼女の犬に対する苦手意識を克服させるきっかけになったかもしれないと今さらながら少し後悔する。
だが今は言うときではない。話をややこしくするだけだと、まどかはそう思った。
「そっかー、それじゃあ仕方ないよね。うん、大丈夫!ポポロはおばあちゃんに連れてってもらうから!」
「・・・うん、ごめんね。他に何かある?」
特にないよ、じゃあまた夜にね!と言い残してまどかはゆずとの電話を切った。
(・・・ポポロ、怒るかな。あんなに楽しみにしてたし・・・でも仕方ないよね、うん!また別の花火大会に連れてってあげよ!)
まどかは心に少し罪悪感を抱きつつも滅多に会えない友人との花火大会を楽しむことを選んだ。この選択が後に悲劇を生むことになるとはこの時のまどかはこれっぽっちも想像していなかっただろう。いや、できるはずもなかった。何が起きるかわからないのがこの世の常なのだから。
ポポロがまどかのいる部屋にやってきたのは太陽がちょうどてっぺんに達したという時間帯だった。それは自宅にいるときも同じで、この時間までは決まって庭でぐーたら日向ぼっこをしているのだから、毎日泥まみれになって働く人からしたら本当にいい身分だと思うだろう。
「まどか、飯は?」
「あ、ごめん。用意するね。」
「今日、朝飯食い損ねたから大盛な!」
「・・・えっ!あ・・・ごめん!!言ってくれればいいのに~」
言われて思い出す。朝寝坊のうえにゆずからの電話の後、さらに二度寝。ポポロに朝ご飯を準備するのを忘れていたのだ。いつもの朝ご飯の時間に起こしに来なかったのは、・・・いやもしかしたら部屋に来たのかもしれない。だが、昨日の移動の疲れもあるだろうから、たまにはゆっくり寝かせてやろうというポポロの気遣いがあったと思うと本当に申し訳ない気持ちになった。口は悪いが本当にご主人想いのいい奴だと改めて思う。自宅から持ってきたドッグフードをいつもより多めに入れる。最近のドッグフードもいろいろな風味があり、何が好きなのだろうかと飼い始めたころはわからなかったのだが、意志疎通ができるようになってからはポポロが食べたいといったものを買うようにしている。こういうとき言葉がわかるのは本当に助かるというものだ。その反面、一袋全部食べ切る前に「次、あれ食いてえ!」とか言い出すので家にはいろんな種類のドッグフードが中途半端に置いてあるのでたまったものではない。それを見て親ばかだなーと家族全員で口を揃えることがある。
(・・・さて・・・どう切り出そう)
必死に餌にがっつくポポロを見ながら、まどかはゆずに言われたことを思い出しながらタイミングを見計らっていた。
(でも言わなきゃ駄目だもんね・・・また次の花火大会、一緒も行こうって言えば・・・!)
「・・・ねぇ、ポポロ!実はもう一つ謝らないといけないことがあって・・・。」
「ペロペロ・・・んだよ、改まって。骨一本盗み食いでもしたか?」
食べ終わった皿を舐めながら視線をまどかに向ける。
「誰も食べないわよ!・・・花火大会のことよ。」
「花火大会?おお、楽しみだな。ちゃんと骨も持ってってくれよ!」
「うん、それがね・・・。ポポロも連れていきたいってゆずちゃんに言ったんだけど、あの子、犬が苦手なんだって。それでね、ポポロはまた別の花火大会連れて行ってあげるから今回は我慢してくれないかなって思って・・・」
途端ポポロの目が細まり、獣のようなそれに変わる。口の周りには威嚇しているときのような皺ができ、例え人の言葉が話せなかったとしても一目で怒っているのがわかる。
「・・・んだよ、それ。お前昨日オッケーって言っただろ?俺が犬だからダメってのか!!」
ガルルルルと牙をむき出しにしてまどかを凝視する。
ポポロがここまで本気で怒りを見せたのはまどかにとっても初めてのことだった。
その瞬間に八ッとなる。『犬が苦手』、それが失言だったと気づいたときにはもう遅い。どんなに取り繕ったとしても一度言った言葉は取り消せないのだから。ゆずにそう言われたのは事実ではある。だが、犬が苦手と言われればポポロにとって自分の存在を否定されたのと同じであり、社会の勉強で習った人種差別と一体何が違うというのだろうか。配慮が足りないなんていう問題ではない。あまりに無神経な発言をしてしまったとまどかの目には自然と涙が溢れ、心の中ではそんなつもりじゃなかったと虚しく木霊する。
「そんなこと・・・!私だって本当はポポロと行きたいよ!でも・・・」
「でもまどかはゆずってやつを選んだんだよな、俺よりも」
「だって!ポポロとはまたいつでも行けるけど、ゆずちゃんとはここにいるときだけなんだよ!?」
「・・・ちっ。ああ、もういいさ。どこまでいこうと所詮俺は犬だ。優先順位が違うってだけのことだろ。いいよな、人間は。友達がたくさんいてよ。」
涙を流すまどかを一瞥し、ポポロは外に飛び出していった。
「ポポロ!!まっ・・・」
呼び止めようとしたが、名前を呼ぶので精一杯で、後ろ姿はすぐに見えなくなった。
言われて気づく。
(・・・そう・・・だよね、私には学校の友達とか家族とかたくさんいるけどポポロは・・・っく・・・)
脳裏によぎるのはポポロとの日常で、嬉しいときもつらい時もいつもそばにいてくれたのがポポロだった。決してまどかが近くにいてくれと望んだわけではないが、それでも犬にとっては飼い主しかいないのだ。ずっと家にいて、たまに散歩に連れてってもらえる程度だから同種族の友達ができるわけでもない。飼い主に見放されるとそれこそ一人ぼっちなのだ。
自分がどれだけポポロを傷つけたのかを思うと、まどかの目からは涙が止まらなかった。
「・・・ごめんね、ごめんね」
次顔合わせたとき、思いっきり抱きしめて心の底から謝ってポポロが行きたい場所にどこへでも連れて行ってあげようとまどかは決めた。
日も落ち、ゆずとの約束の時間は近い。祖母の家から紅葉谷公園まではゆっくり歩いても30分とかからない距離にあるからそんなに焦ることもなかった。道中、家族連れや浴衣を着た仲のよさそうな友達グループと何度かすれ違う。みんながみんな楽しそうにしている。まどかにとっても楽しみにしていたイベントのはずなのに、だがなぜか心が弾まない。理由はわかっている、昼間のことだ。気づけば待ち合わせの時間より10分も早く、約束の場所に到着していた。
(・・・やめたやめた!考えるの。こんな顔だとゆずちゃんも気にしちゃうし。)
ゆずは優しくて頭のいい子である。自分が元気のない顔をしてるとすぐに昼間のことだと気づいて、悪い気持ちにさせてしまうだろうと考えたまどかは一旦ポポロのことを頭から離した。
小さくため息をつき、ふと周りを見ていると自分達と同じくここで誰かを待っていると思われる人も見受けられる。
(・・・みんなその穴場狙いなのかな。)
と自問自答してみるが答えが出るはずもない。そもそも人がいないから穴場なのであって、不特定多数人に狙われるのであればそれはもう穴場とは言えないだろう。と気づいたまどかは自嘲的な笑みを浮かべる。
しばらくすると駆け足気味に近づいてくる人影が見え、その人物を確認するとまどかは表情をぱーっと明るくして手を振りながら名前を呼んだ。
「ゆずちゃーん!久しぶり!!」
「久しぶりー!!ごめんね、まどかちゃん。待たせちゃって。」
友人との再会を喜ぶゆずだが、まどかの周りを一瞬確認したのは犬がいるのではないかと少し警戒したからだろう。決してまどかのことを疑ったわけではない。だが、こっそり後ろからついてくるなんていう話はよくあることだ、とゆずは思っていた。
「ううん、大丈夫!私もさっき来たとこだから!ていうかゆずちゃん髪型変えた?かわいい!お人形さんみたい(笑)」
「・・・そっかな?お母さんに切ってもらったんだけど。」
恥ずかしそうにうつむくゆずの顔はそう言いながらもどこか嬉しそうだ。
まどかの言うとおり、綺麗なその黒髪は眉毛のあたりでパッツン、後ろは背中にかかるぐらいの長さなものだからまるで日本人形みたいな印象を受ける。
「うん、ほんとにかわいい!!私は似合わないだろうけど、ゆずちゃんは小顔だからめっちゃ似合ってる!」
ゆずは恥ずかしさのあまり、さらにうつむく。
口には出さなかったが、これはきっとゆずのお母さんの趣味なんだろうなとまどかは思った。
「そ、それより早く行かないと始まっちゃう!」
半ば強引に話を切りあげたゆずはこっち!と言いながらまどかの手を引く。
照れ隠しなのか、目を合わせないで一心不乱に自分の手をひくゆずを見て自然と笑みがこぼれた。
(友達ってやっぱりいいな・・・)
まどかが改めてそう思うのも何も不思議なことはない。人はたまにしか会えない人ほど今この瞬間を大切にしたいという心理が働く。昔、まだ携帯もなかった時代に恋人や夫婦が今よりも長く一緒に居られたのもこれが理由だろう。今は話したかったらメールやラインをすればいい、ということができるので気になる人への思いが募ることはないのだ。それをふまえれば、近年結婚が遅い人が多いのも仕方のない現象と言える。
「ここ!すごく綺麗に見えるの!」
「わぁ・・・見晴らしいい!!」
ゆずに手を引っ張られて約5分(もっともまどかにとっては一瞬だったが)、公園の敷地から出て歩道を少しはずれたところに周りを木々に囲まれた拓けた場所に出る。ここがゆずのいう穴場らしい。たしかに人も全くいなくて、高度、打ち上げられる場所までの距離、全てにおいて申し分のない場所だった。
それとほぼ同時に、
ドーーーーン
とでかい音とともに打ち上げれたそれは、夜空に輝く星達に負けまいと覆い隠すように大きな花へと姿を変え、やがていくつもの流星となって漆黒の海へと降り注いでいく。
「きれー!・・・ほんとにきれい!」
「でしょ?私毎年ここで見るの。いつもはパパやママとだけど、今日はまどかちゃんと見れてよかった!あと・・ね、犬さん連れてこさせてあげられなくてごめんね。」
不意打ちだった。
「え・・・あ、いいの、いいの!また別の花火大会連れていくし!気にしないで。」
昼の電話でまどかの頼みを聞いてあげられなかったことにやはりゆずは負い目を感じていたのだ。
しかし、人は誰しも苦手なものがあるものだ。中にはどんなに動物好きでもアレルギー体質で触ることすら許されない人だっている。まだ中学生ではあるが、常識のあるまどかはそれは仕方のないことだと理解している。だからこそ、本当に気にしてほしくなかった。
「うん、ありがとう。」
語尾のほうは花火の打ち上げ音で聞こえなかったが、彼女の表情は柔らかかった。
花火大会は始まったばかり。
-ほぼ同時刻-
ブーブーブーブー
広島県のとある施設ではけたたましくブザーが響き渡っていた。
建物内では白衣をきた所員がバタバタと走り回っており、ところどころ怒鳴り散らす声が聞こえる。
その中で1人だけスーツを着ている小太りの男が、携帯電話を右手に持ち、何やら手をプルプルして苛々しているのがわかる。そのネームプレートには所長と記されていた。
少しするとその男の表情が一気に変わる。
「地震観測所の森田だ、ちょっと出るのが遅いんじゃないか!緊急事態だ!たった今初期微動を感知した。すぐにでかいのが来るぞ、場所は・・・宮島の近海だ!」
備えてくれとだけ言い残し電話を切る。
「・・よりによってまた宮島か、くそっ!!」
襲いかかろうとする災厄に所長と呼ばれる男は両の拳を机に叩きつけ絶句した。
多少の苦境ならば乗り越えることができるほどに生物は強い。
だがそれでも人は自然災害には勝てないのだ。前の震災を経験した所長は痛いほどそれを知っていた。
そして今それが再び人に牙をむこうとしていた。