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二人

 自室のベッドの上にゴロンと横になってSNSをチェックする、清美きよみは午後からの授業をサボって珍しく一人で家にいた。

 学校で菫恋すみれと言い合いになった後、教室を出て来たがイマイチのり気がせずにそのまま帰って来た。

 百合ゆりたちはカラオケに行くって言ってたっけ、行けばよかったかな。

「退屈……」

 SNSを開くと楽しそうな写真と言葉が沢山並んでいて見るのが辛い。何でアタシはこんな風に成れないんだろう、そう思うのが嫌だ。中学時代一番仲良しだと思ってた友達に、高校生になった今私より仲のいい友達がいるってのをSNSで実感するのも怖い。だからなるべく知り合いのSNSは見たくない。

 この前クラスのみんなの前で菫恋に、半ば絶交宣言をされてから心の中がずっとモヤモヤする。

「くっそ! 何なんだよ、あいつ」

 私があいつに何した? 沙依すいのヘッドフォンはそりゃ踏んだけどさ、あんなのあいつならまた盗んで来れんじゃん、どうせあれだって盗って来たヤツなんだろうし。

 何にも知らないくせに、勝手に怒って勝手に二度と話しかけんなって……笑う。

「キモ……はは」

 LINEにメッセージが届いていた。携帯の画面に触れてそれをみる。

「幸人? 誰だっけこれ」

 開いてみると、今日学校終わったら会えない? ってメッセージだった。

「幸人……ああ。あいつだ思い出した」

 こいつは毎回、安くして、安くしてって値下げ交渉してくる! めんどくさ。金払いの悪い奴に要はない。こっちはそんな安い女じゃねぇんだよ!

 ごめんなさい、今日は約束があるので会えません。またね。

 こんな感じでいいかな。相手に返事を送って思い出す。アタシもはるに会えないか聞いてみよ。晴はリッチだし、会って優しくしてもらおう、なんて。えへへ。

 LINEにメッセージを入れ、ベッドへ携帯を放る。

 アタシいつからこんなだっけ? みんなからは見た目は派手だから遊んでるようによく見られる、まぁ、実際その通りだし別にあれだけど、まだ彼氏とか居たことないし、でもずっと一人だなんてバレたくないからそれよかマシか。

 百合たちと連んでないと、途端に暇を持て余す。

 「退屈……なんか面白いこと無いかなー」

 エアコンの効いた部屋からいかにもアツそうな外を眺めていると、不意に沙依のことを思い出した。

 沙依がアタシの言う事きかないから、百合と少し意地悪してやろうぜって軽い気持ちから無視して遊んでたけど、気が付いたらクラス中が無視するようになってた。ふふ、ウケる。

 いや、適当なアカウント作ってクラスの愚痴書きまくったっけ。沙依の万引きもバラシちゃって…………結構やってんなアタシ。

 今の沙依を見てると不思議な感じがする、中学の頃の沙依はとても近寄り難くて一度も話をした事が無かった。眼つきだって今よりもっとキツかったし学校の外で見かける沙依は大抵、柄の悪い友達と一緒にいたし。ほとんど学校に居なかった。

 補導された噂はよく聞いたけどそれ以外の事はハッキリ言って知らない。そもそも今時リアルで不良なんてバカらしい、ツイッターの裏垢で悪口言ってるくらいで十分だ。

 高校に入学したら一人で居たし、暇そうにしてたから声を掛けたら意外と小者な感じだったから、良いように使ってやただけだし、嬉しそうに妹みたいにどこでもついて来て……。

「ああー、暇だとロクな事考えない、やっぱ出かけようかな」

 携帯が鳴ったので急いで手に取ると晴からだった。

「出張で今そっちにいないから……んぁあー何だよ! しょうがねーな」

 清美はさっき断った幸人に、ねぇー聞いて、予定ドタキャンされちゃったよーとLINEする。

「今日はもう、こいつで良いや」

 直ぐに返事が返って来て、出かける支度を始める。


 沙依は頬に貼って貰った湿布を押さえながら、携帯をチェックする。

 今日からカラオケDOMで私の新曲が歌えるようになります。って恋音のツイート。

 午後の授業は古文だけ。これが終わったら今日はカラオケに行こう。

 

「沙依テスト勉強してる?」

 振り向くと菫恋が立っていたから、見上げるようにして頷く。

「でも古文が苦手で……」

「古文か、ね! 放課後一緒に図書室行かない?」

「えっと……今日は遊びに行こうかと……」

「へー、余裕ねぇ、じゃ明日は? 日曜日だし沙依の家に行きたい!」

 明日の日曜日は確か彰人さんの用事に付き合う約束が……。

「ごめん。明日はちょっと用事があるの」

「へー、綾瀬さんどこ遊びに行くの?」

 菫恋の影から少し離れた席の美香が椅子を傾けながら聞いて来る。沙依はチラッと周りを見たが、清美たちが居なければみんなそれほど沙依のことは気にしないようだった。

「カラオケ」

「わたしも行きたい! 沙依とカラオケ。ねぇ! みんなで行こうよ!」

「えー、週明けテストだよ?」

「一時間だけ! ね? 気晴らしに」

 仲の良いグループで固まってた美香たちは顔を見合わせて、微妙な笑顔で頷き合う。

 思いもよらない事にみんなでカラオケに行く事になってしまった。

「よーし! じゃ決まりね。沙依、今日は一人でさっさと帰っちゃダメよ」

 うん。と頷いてみたが、いつの話なのかは分からなかった。

 授業が終わって帰り支度を始める。

 今日の授業、分かったような分かんないような感じだったなぁ……なんかコツとか無いのかな、この間の参考書もあんまりだし。

 考え事をしていると後ろから声がする。

「沙依? 行くよ」

「あ、うん」

 同級生と下校なんていつ以来だ私? ちょっと緊張する。


 みんなが前を歩く、私はその後をついて行く。小さいころから変わらない。これでいい、これがいい。前はいつも不安になる、くっついて行くくらいが私にはちょうど良い。

 廊下に差し込む日の光が眩しく反射して目を細める、窓から外を見上げると飛行機雲が長い尾を引いていた。

「沙依! 早く」

 小走りでみんなに追いつく、こうやってたまに待っていてくれる人がいることが嬉しかった。

「DOMの入ってるカラオケって言うと駅前かな?」

 菫恋たちが楽しそうに会話しながら階段を降りる。

 下駄箱で靴を履き換えて外に出ると夏らしい熱気が地面から照り返しとなってみんなに降りかかる。

「暑くなって来たね」

 一番遅れて靴を履いている沙依の隣で、あんずがそーっと近寄ってスンスンっと沙依の匂いを嗅いでいる。

「わ! 何? 何か臭う?」

「ううん。良い匂いがする」

 菫恋が嬉しそうにはしゃいで、

「でしょー、沙依って良い匂いするのー」

「出た、杏の匂いフェチ」

 わははははと美香が笑う。

 杏はふわっと広がる癖っ毛を気にしながら沙依が靴を履き終わるのを待っている。

 笑顔がチャーミングで場の雰囲気を明るくしてしまうグループの中で妹の様な存在だ。

 「行こ」

 駅前までの道すがら六人で歩きながら沙依はこのグループが菫恋のグループなんだと思った、会話の中心に菫恋が居て清美がツッコんで楓や咲良がうんうんと相づちを打つ。杏は今の所ずっと沙依の隣を歩いている。ずっと沙依の方を見ながら歩いているので時々躓いて転びそうになるのを沙依が支えながら歩く。

「大丈夫? 前見て無いと危ないよ」


 駅前に出てカラオケBOXの前まで来て沙依は思い出した。

 ここか……確かここは中二の時一緒にいた男の子が騒ぎを起こして、二度と来るな! って追い出された思い出がある……もう店長とか変わってるといいけど。

 沙依はなるべく目立たない様にみんなの影に隠れて行く事にした。自分にあきれる。子供だけでも行ける場所は、こんな風に入りに難くなってしまった場所が多い、ほとんどの場合が一緒にいた男の子達の仕業だが叱られる時は沙依達女の子も一緒だった。男子が喧嘩になったり、馬鹿騒ぎし過ぎたりで叱られて追い出される、それでも当時はそれが楽しかった。

 受付に行くと若い店員が機種を訪ねて来るので、目的のDOMを指定してする。番号を教えてもらいそこまでゾロゾロと歩いていく、幸い店長はもう当時の人では無いようだった。

 社会人って大変なのか……。

 部屋に入って真先に美香がエアコンをつける。

「あっち~。だめだもう~」

 好きなとこに座って一息つくとみんなが沙依の顔を見る、美香は「ん」と言って端末を差し出す。

「どうしたの?」

「歌いたい曲入ってるよ、新曲のとこに」

 そう言ってニタリと笑う。

「そういえば沙依が歌うの初めて見る! 楽しみぃー」

「瀬央さん! 緊張するから」

 わははは。みんなで笑い合って和む。

 イントロが流れ出して、画面に恋音れんの名前が浮かぶ、どこまでも遠い憧れ。きっと追いつくことは無いのだけど、追いかけずには居られない。

 覚えたばかりの新曲。こうやって歌うの楽しい。

 歌い終わると、沙依はみんなが自分を見ていることに気がついた。

「えっと、好きなだけで上手いわけじゃ……」

「えー、めっちゃ上手じゃん! 感情が込もってる感じがすごいするー」

「…………」

「ぎゃははは! 真っ赤じゃん! 次はアタシだー」

 そう言って美香がマイクを奪う! 歌い始めた頃沙依の携帯が着信を告げた。

 めずらしく母からだった。

「ちょっとゴメンね」

 沙依はそう言って部屋を出て、携帯を耳に当てながら少し静かなところまで歩いて行ってしまった。部屋の小窓からは見えなくなった。


 楓と咲良が二人でヂュエットを始めた、美香もノリノリで一緒に歌う。

 杏はそんな三人を見ながら、空いた席を詰めて菫恋の横に行く。

「ねえ、綾瀬さん遅く無い?」 

「そう言えば遅いかも、トイレとか?」

「菫恋は綾瀬さんと仲良いの? 綾瀬さんってどんな人?」

「ん? 沙依? 仲良しだよ。そうねぇ、優しくて恥ずかしがり屋で、それにすごく可愛い」

「うん、分かる分かる! 可愛い……菫恋は綾瀬さんが好きなの?」

「うん。大好き」

 美香たちが歌うのをやめてこちらを見ている、部屋に音源だけが空々しく響く。

「そこ! 何の話してんだぁーー!」

 美香の声が大きくてマイクがキィーーンとハウリングを起こす。全員が耳を塞いで身を屈める。

「杏は二次元専門でしょーが!」

「超えた!」

 杏はもう一本のマイクを手に張り合う。

「超えるな! お前綾瀬さんの匂い嗅ぎたいだけだろー」

「めちゃくちゃ良い匂いしたし!」

「お前の好きは恋じゃなくて食欲だ!」

 あはははは、みんな笑う。

「ちがーう! 僕は綾瀬さんの匂いが大好きなの!」

 叫び終わって気配に気づく。振り向くと沙依が真っ赤になって戸口に立っていた。

 杏が氷ついた顔で

「あれぇーー? いつからそこに?」

「えっと、あ、ありがとうございます」

 わはははは。

「ありがとうって何?」

 すかさず美香がつっ込む。杏は席を開けて真ん中を譲り、それに気がついた沙依が恐縮した様子で真ん中に、ちんまりと腰を降ろした。

 杏は沙依にすり寄って行く。沙依は身をよじって菫恋側に逃げていき、それをまた杏がスンスンと匂いを嗅ぎながら追う。

「ほらそこ! クンカクンカすんなぁ。セクハラやんけそれ!」

 うわはははは、みんなで盛り上がった。予定していた一時間を超えみんなでたっぷり楽しんで部屋を出る。船員多少のやっちまった感を感じながら、

「喉ガラガラ……」


 カラオケを終えて駅までみんなを送った、沙依と菫恋以外は電車通学なのでここでお別れだ。

四人が改札を潜るのを見届けてから二人は駅を出た。

「ありがとう、菫恋ちゃん。今日はみんなで来れて楽しかった」

「ん 沙依の歌声可愛いね。えへへ」

 菫恋は笑って先を歩いて行く。夕暮れ時大通りを走る車は徐々にスモールライトをつけ始め町でもちらほらと街灯が点灯する。

「私スーパーに寄ってかないとだから」

「沙依も自分で作ってるの?」

 菫恋は前を歩きながら振り返る。

「うん。お母さん残業でいつも遅いから。菫恋ちゃんもご飯自分で用意してるの? お母さんは?」

「お母さん、帰って来なくなっちゃった」

 赤く焼けた夕焼けが菫恋の頬を赤く染め上げる、家路を急ぐ自転車の子供たちの影を長くセピア色に染まったアスファルトに映し出していた。

「お父さんと二人?」

「えー、うん。お父さんも仕事であんまり帰って来ないから、家では一人かな」

 角を曲がると小さな商店街があって、そこを抜けるといつも使ってるスーパーがある。二人でそこへ歩いて行く。

 お母さんが出てってお父さんも仕事であんまり帰って来ない、顔には出さないように気をつけて居るが内心沙依は驚いていた。自分と似ている。沙依の家も母の帰りは遅く顔を合わすのは、たまの休みと寝る前のわずかな時間。そんな生活が長く続いている。

「寂しいね」

 菫恋の笑う顔が、仕方ないよ。そう語っている。

「ね、沙依の家に今日泊まりに行っていい?」

「いいけど、狭いよ。団地だから」

 菫恋の顔がパッと明るくなる。

「じゃさ、一緒にご飯作ろうよ!」

 二人でスーパーに寄って夜ご飯の買い物をする、買い物カゴをカートに乗せて沙依の横を押して歩く。

「こ、これ、ちょっと憧れだったの恋人とカート押して買い物って」

 そう菫恋が興奮気味に言う。

 恋人……って……。

「……」

 沙依は口に手を当てて恥ずかしいのを我慢してる。恋人って言われたことが思いの外嬉しい。

「あ、顔赤いわよ」

 そう言われて恥ずかしくて菫恋の背中をバシバシ叩く。

「イタタ、ゴメンゴメン。でご飯何作るの?」

 そう聞いても沙依はプイっとしたまま無言で食材をカゴへ入れて行く、玉ねぎ、ジャガイモ、人参。

「わかったカレーでしょ?」

 レンコン。

「お?」

 マッシュルーム。ブロッコリー。

「ホワイトシチューね」

 沙依がニッコっと笑う。正解のようだ。

「じゃあ、わたしは人参しりしり作る」

 そう言って人参をもう一袋追加する。買い物を済ませて一度菫恋の家により着替えを準備してそれから沙依の家に向かう。二人で家までの道を歩くのは初めてだった。

 沙依はまるで自分が思い描く幸せの、その幸せに値する人間にでもなれたかのような気持ちがした。自然と二人、手を繋いで歩いた。

 繋いだ手を映し出す影が、繋がっている二人の細い糸のようだった。

 家に着くと洗面所で手を洗ってうがいをする。隣で見ていた菫恋が、

「沙依って真面目ねぇ」

 そう言って感心している。沙依は。ん? と首を傾げる。

「なに?」

「手洗いちゃんとしてるんだねって」

「しないとお母さんがうるさいから」

 沙依にとっては小さい頃からの習慣だった、風邪を引いて寝込んでもお母さんは仕事を休めないから帰って来たらしっかり手洗いしなさい。遊んで帰って来るたびに毎日そう言われた。

 沙依自身はこれに意味があるのかは実感がなかったから、本当にただの習慣。してたって風邪は引くし、風邪引いたらお母さんはやっぱり仕事に出かけて行く。

「ただの習慣」

 菫恋が手を洗ってリビングへ入ると沙依が台所で、買って来た野菜を洗って準備している。

「沙依ってハサミで調理するの?」

 ハサミをチョキチョキしながらうなずく。

「鍋に切ってぶち込むだけで出来上がり。最強!」

「そうだけど……」

 シチューをコトコト煮込んでいる間に菫恋が人参をすり下ろし機で細長く切っていく。

「沙依は進路どうするの? この前大学の封筒持ってたけどどこの大学希望なの?」

 菫恋の横で古文の参考書を開いていた沙依が顔を上げる。

「あれはちょっと見てみたかっただけ……私はたぶん就職かな、お母さん大変そうだし。菫恋ちゃんは?」

「わたしは……わたしもたぶん就職かな、へへ。家いまお父さんとお母さん離婚しそうでわたしの進路どころじゃない感じだし」

「仲直りしてくれるといいね」

「ねえ! 期末が終わったら二人で遊びに行きたい! デートしよ!」

 沙依が参考書から目だけ覗かせてジッと菫恋を見ている。

「デート」

「水族館とか! 白くま見たくない?」

「白くま……ペンギンも?」

「ペンギンも」


 朝目を覚ますと菫恋はまだ寝息を立てていた。

 良く寝てる、昨日はテスト前の追い込みで結構二人で頑張って勉強したし。

 菫恋の寝顔を見ながら朝の光に微睡む、自然に菫恋の体に手を延ばして肌に触れたいと思った。

「菫恋ちゃん、朝だよ」

「…………」

 まあ、いいや。日曜だし……。

 沙依もまたついつい横になる。


 午後になって沙依は出かける支度を始めた。彰人との約束は三時に◇◇◇ホテルだから、二時に家を出れば間に合うはずだ。

 まさか二度寝してお昼近くになるとは思わなかった。

 菫恋は今日は人に会う約束が有るからと言うと案の定。

「私も行っちゃダメ?」

 と言って来たので「ダメ!」と断った。

「だ、誰と会うの?」

「田中さんって人」

「男の人?」

「うん」

「…………どこで?」

「◇◇◇ホテル」

「男の人とホテルで……」

 はぁ……。なんか変なこと想像してる。

「菫恋ちゃん」

「はい」

「だめデス」

 

 ◇◇◇ホテルってここから……。

 駅に着て携帯で地図を確認する。迷わない様になるべく大きな道を選んで歩いて行く事にした。七月の後半にもなれば昼間の日光は日焼けすると思うほどに暑く、沙依は菫恋に言われた様に日傘を持って来れば良かったと少し後悔した。

「もう夏だなあ……」

 ポケットからイヤフォンを取り出して首に掛ける。携帯で聞きたい曲を選曲していると視界に足を止める人の気配がして目線を上げると杏が驚いた顔をして立っていた。

「綾瀬さん?」

「……」

「わぁ! どうして? 何してるの?」

「う、うん。待ち合わせがあって」

 杏は相変わらず広がった癖っ毛を気にしながら嬉しそうにテレ笑いを浮かべている。

「あ、そのポーチ。オオサンショウウオ? フェルトのってあんまり見ないね。……可愛い」

 口の部分がファスナーになっているオオサンショウウオをガオーっとさせながら、多少グロテスクなポーチを抱えて、歯を見せて笑う。

「ありがとう、これに注目するとはお主もお目が高いですなあ、ふふ。私も待ち合わせ。この先の◇◇◇ホテル。友達とスイーツビュッフェに行くの」

 ◇◇◇ホテルって行き先同じ。

 スイーツビュッフェ……めちゃめちゃ混むんじゃないの? 大丈夫かな彰人さん。

「綾瀬さんはどこ行くの」

「私も◇◇◇ホテル」

 杏の目が一層輝いてとても嬉しそうだ。

「一緒に行く?」

「やったーー!」

 杏は両手を広げて目を瞑って立ってる。

「えーーっと……」

 沙依は一瞬周りを見て躊躇ったがこういう場合はこうだろうか? 近寄ってギュッとしてあげた。

 あははは。杏は嬉しそうに笑う。

「すごい! ギュってしてくれたの菫恋と綾瀬さんだけだよ! やっぱ良い匂い!」

 杏は沙依のうなじ辺りに顔を埋めて、んーーーっと深呼吸をする。沙依はなんか恥ずかしくなって来て杏を引き剥がす。

「も、もう終わり!」

「え〜、ケチ」

「杏ちゃんは何時待ち合わせ?」

「え〜、食べ放題が三時半からだから、そのくらいの時間。綾瀬さんは?」

「私は三時だから、そろそろ行かないとダメ」

 二人で◇◇◇ホテルまで歩き始める。

「杏ちゃんは瀬央さんと同じ中学?」

「うん、僕と菫恋が同じで、楓と咲良と美香が同じ」

「瀬央さんって中学の時どんな感じだったの?」

 じっと沙依の目をみる杏は少しとぼけたように、

「ちぇー、綾瀬さんも菫恋が好きなの?」

 少し浮かない顔をして遠くを見る。

「菫恋は……いい人だよ。でも……」

「でも?」

「いつも好きな人が被るんだよーー! 好みが似ってるって言うかさ、しかも菫恋は美人だしさ、ズルいんだよ」

 そう言って沙依を見る。

 ちょっと力が抜ける気がした、最近人間関係のねじれた話しか耳にしないし要らぬ心配をしそうになって反省する。杏はそう言ったことには無縁の、底抜けに明るい子なのかも知れない。菫恋がクラスで陰湿な行為を受けても彼女は菫恋の側にいてくれそうな気がした。


「綾瀬さんの事も良く話してたよ、LINEとかでさあ」

 私のこと?

「ほとんど惚気のろけだけどさ、なんか分かる気がする。綾瀬さんは一年の時から菫恋と一緒でしょ、ずっと言ってるもんね。綾瀬さん、綾瀬さんって」

「ん? 一年の頃から?」

 杏は沙依を見ながら手を差し出す、沙依はつられる様に手を繋いで歩いた。

「入学して直ぐくらいかな、杏! クラスに綾瀬さんって可愛い子がいるよ! ってLINEして来た気がする」

 ……でも初めて菫恋ちゃんとスーパーで話した時、菫恋ちゃんは私の事知らない感じだったけど。じゃあ、あれはどう言う表情だったんだろう?

 杏に連れられるままに歩いているとホテルの看板が目に入って来た。

 不意に後ろから「沙依ちゃん?」と声を掛けられる、振り替えると彰人が立っていた。

「あ、彰人さん、早いね」

 杏が彰人と沙依の顔を交互に見比べる、

「綾瀬さん、か、か、か、彼氏?」

 沙依がこの世のものかと思うほど嫌な顔をする。

「ああ、その顔は違うのね……」

「この人は友達」

「こんにちは、沙依ちゃんの学校の?」

 軽く挨拶を交わして杏は待ち合わせの時間までぶらついて来ると言って去っていった。それを見送って彰人と二人でホテルへ入って行く。

「今日は来てくれてありがとう」

「気が重い。私がいて本当何になるの?」

「んーー……和み?」

「三時半からビュッフェがあるんだってさ、あんまりゆっくり話せないかもね」

「ん」

 そう言っったまま黙ってしまった彰人の先に見覚えのある女の人とその少し後ろに初めて見る人が立っていた。沙依はその顔を見て、ああ、そうか。自分が呼ばれた理由がわかった気がした。

「こんにちは」

「あら、あなたいつだか見た事があるわね」

 立っていたのは高木菜那たかぎなな、彰人に連れられて行ったファミレスで一度会った彰人の不倫相手の一人だった。よくこの場に居られるもんだなと沙依は思ったが気持ちを考えようとしても、想像も出来なかった。以前あったときと同様髪をアップにしてスーツを着ている。その一歩後ろにペンシルワンピースを着てエレガントな印象を与える女性が彰人と目を合わせようともしないで立っていた。

 たぶんこの人が彰人さんの奥さんだ。

「で? なんであなたがここにいる訳?」

 菜那の指摘に口籠る、沙依自身ここにいる理由などないのだから。そう思って肩を竦める。

「愛人代表とか?」

「コイツ……」

 菜那の目尻がピクピクと痙攣している。どうやら菜那は沙依が彰人から多少のことを聞いているだろうと察したようだった。

「彰人さん、どこかに」

 沙依は棒立ちの彰人に次を諭す。

「あ、ああ。そうだね」

 ずっと奥さんから目を離せないでいた彰人は、やっとみんなを席に誘導するようにカフェの四人掛けの席に移った。

「それで、こちらのお嬢さんは?」

「ああ、彼女は綾瀬沙依さんだ。なかなか出来た人でね僕が感情的ならないように立ち合いをお願いしたんだ。こちらは妻の美咲」

「初めまして、綾瀬沙依です。こう言うの初めてなので場違いな格好してたら、すみません」

「田中美咲です、あなたお幾つ?」

「十六になりました」

 それを聞いて美咲は彰人をジロリと軽蔑を込めて見る。言いたいことが有るようだったが人前だからか飲み込んだように見えた。

 改めてカフェの周りを見渡すとホテルのラウンジスペースを利用しているためか窓が大きく、天井も三メートルは有るだろうか、開放的な空間にこの後のスイーツビュッフェのための準備を店員が忙しそうにしていた。

「綾瀬沙依……どこかで聞いた名だわ」

 菜那は俯いてそう呟いたが気を取り直して彰人に向き合った。彰人も美咲も向き合ったまま言葉を発しない、お互い何から話し始めたらいいのか探っているようだった。


 カフェの壁際に設置された大きなテーブルの上に色とりどりのスイーツが並べられて行く。杏の話では三時半からってことのなので、まだ手に取ることは出来なが居合わせた客の中には歓喜の声を漏らしながら並べられたスイーツを見て回っている人がいた。

「菜那さん! 私あれ見に行きたいです」

 そう言ってビュッフェのテーブルに並べられた美しいスイーツを指差す。菜那は振り返って、

「何あれ? ケーキ?」

「この後、ケーキバイキングあるんですって。ちょっと見て来ません?」

「はぁ? なんでアタシが」

「ほらほら」

 そう言って菜那を席から連れ出す、沙依は彰人の膝に小さなメモを置いて菜那と一緒に楽しそうにケーキを見るために席を立った。

 膝に置かれたメモには(十分)と書かれていた。彰人は心の中で(ありがとう)と呟やく。


「菜那さんて甘いの好きです?」

 沙依は菜那と腕を組んで半強引に席を離れて来た。菜那はやや残して来た二人を気にしていたが、やれやれと言った感じで沙依の会話に応じてくれる。

「アタシはお酒の方が好きね」

「へー。でもお酒ってチーズケーキがよく合うって母が言ってますよ。ほら! これ美味しそう」

 菜那も甘いのが嫌いじゃないのかついつい目がケーキに向いてしまう。

「確かにビールも麦だしケーキは小麦。合うと言えば合うのかしら……」

 チーズを使ったスフレの前で固まって動かない菜那にカウンターからもらって来たビュッフェのパンフレットを見る。

「九十分で五千円……高い……」

 渡されたパンフレットを呆れた顔で受け取って、ジッと沙依の顔を見る。

「あ……思い出した。あなた……第△中の綾瀬沙依さん?」

 一瞬沙依の動きが止まる。

「…………」

「間違いなさそうね。アタシこう見えて、◇△署の少年課にいるのよねえ、アンタうちの課で有名人だから、肝心なとこで起訴出来なかったって」

 菜那はニヤついた顔を沙依に向ける。その顔には弱みを見つけたわよ! とでも言いたげな嘲笑が見て取れた。

「へー、それは残念でも私何もしてませんから、人違いじゃないです? 陰キャで大人しい女の子ですから私」

「よく言うわね、他にも窃盗団と……まぁ、いいわ。でも前歴は消えないわよ。これからは真面目に生きなさい」

 そう言ってチラチラと、彰人の方を気にする。

 この人に真面目に生きろって言われるとな……。はぁ……。

「それで菜那さんはあの二人別れさせたいんですか?」

 沙依はカフェに設置された大きな時計に目をやって、これ以上は話が続きそうにないと思い、一番タイムリーな話題を振ってみた。

 一瞬以外だという顔を見せたが、

「まさか! 妹の離婚を望む姉なんていないわよ」

 パンフレットに目を落としてそう言った、その声はたしかに落ち着いていて、嘘がないようにも思えた。

「へー、私はてっきりそうなんだと思ってました」

 イチゴをふんだんに使った真っ赤なタルトがテーブルに並ぶ。赤い色はテーブルの真ん中を彩って美しく存在を放っていた。

「何よそれ」

「いえ、菜那さんは妹さんの後釜に収まりたいのかと。違うんですか?」

 菜那の表情が険しくなる、握り締めてクシャクシャになったパンフレットが震えているのが見えた、沙依は時計を気にする。

 予定の十分はなんとか持たせそうだけど、らそろそろ話が終わりそう、と言うかもう怒られそうな気がしてきた。

 テーブルに座って話し込んでいる二人をチラッと見る、彰人が身ぶり手振りで美咲を説得しているのが見えた。もう少し時間が必要だろうか?

 ホテルに着いて菜那の姿を見て思ったことがあった。今日沙依が呼ばれた理由は菜那に口を挟ませないでほしいって事じゃないかと、あらかじめ菜那が一緒に来る事が分かっていたんだろう。

 離婚したくない彰人はなんとか関係を修復したい。そこに自分の不倫相手がいたんじゃ菜那が何を言い出すか予想出来ない、そうと思って菜那をこっちまで連れて来てみた訳だが。

 正解だった? 彰人の背中にそんな疑問を投げかけて視線を菜那に戻すと意外にも菜那から肩の力が抜けて行く気がした。

 席に戻ろうとする菜那の背中に、

「実は妹さんがキライだとか?」

 菜那の歩みが止まる、怒りに満ちた目で沙依を睨んでくる。

「あんまり出しゃばったこと言うと補導するわよアンタ」

 沙依は肩を竦める。

「当たらずとも遠からずって感じ? その様子だと別に彰人さんを好きって訳でもなさそうだけど?」

「アンタみたいなのには一生分からないわよ」

「妹の旦那さんと不倫する実の姉って事だけは知ってる。それと不貞を働く刑事だって事も、ああこんなこと知られちゃったら補導出来ないね」

「ふん! 言ってろ、証拠なんかないでしょ」

「さぁ、どうでしょう」

「……チッ!」

 菜那がテーブルへ戻って行き、一人でビュッフェのケーキを眺めた。

 やっぱり私みたいなのが知ったように言ってみても重みがないね、全然相手にしてくれないや。噛み付いてこなもの、スルーされて終わり。役に立てなくてゴメンね、彰人さん。やっぱり十分が限界みたい。

「このケーキ美味しそう……」


 沙依は彰人たちのいるテーブルに戻ると、自分のバッグを手に取った。

「じゃぁ、彰人さん。私はここまでみたいだから帰るね。話し合いがんばって」

 菜那が呆気にとられた顔で沙依を見る。途端に沙依が何の目的でここに来たかを理解したようだった、去ろうとする沙依の腕を掴んで、

「ダメよ! ここにいなさい」

 そう言って沙依を制して座らせる、沙依は困惑した顔をして腰を下ろした。これ以上ここで話を聞いている理由が全く見出せないし、興味もない。

「綾瀬さん、アナタLINEのID教えなさい」

「は?」

「非行歴のある子の所在は知っておきたいから」

「……聞いたことないそんなこと」

「ほら! 早く。補導されたい?」

「……な、なにそれ……」

 しぶしぶLINEのQRコードを表示して菜那に見せる。

 彰人と美咲の話はあまり進展をしなかったようだが、菜那が居ては出来ない話が出来たんなら、がんばって出しゃばった甲斐があるのだけど。

 沙依たちが戻って来て隣でガチャガチャと騒ぐものだからもう話し合いにならないのだろう。

 美咲はスッと席を立った。

「私たちはこれで、じゃあね彰人。私の気持ちを汲んでくれると助かります、姉さん行きましょう」

 二人が出て行く姿を見送って、

「私これで良かった?」

「ああ、助かったよ」

「ん、話出来たの?」

「ああ、少しだけ……」

「そっか」

「ご飯付き合ってあげようか?」

「優しいんだな、でも今日くらい一人で食べるよ」

 彰人と分かれて家路に着く、帰ったら勉強しないと明日から期末試験だ。

 帰りの電車に乗ると菜那からLINEが入っていた。

(どこまで聞いた?)

——さぁ。ナイショ言うわけない。

(このヤロー!)

——あは! 可愛い。

(いや、マジごこまで聞いた?)

 めんどくさ。

 菫恋にも一応連絡しておく、心配するとあれだから。

——終わったよ。今帰りの電車だよ。

(お疲れ様ー、楽しかった?)

 楽し……クス。

——うん。それなりに。行きがけに杏ちゃんにばったり会った。びっくりした!

(おえー。匂い嗅がれたんでしょ! 許すまじ! あんず!)

 クスクス。

 毎日がこんな風ならいいのに……。

 菜那に言われたことを思い出す。前歴は消えない。そうだ私がこれまでして来たことは消えない、きっとどこまでも私を追いかけてくる。きっと進学にも……。

 そう思って首を振る。関係ない、進学なんてしないんだし影響があるなら就職の方。

 その辺のこと今度、菜那さんに聞いてみよう。私の人生頑張っても無駄ならもう頑張らなくてもいいんじゃ無いか? そんな風にも思う。着きたい仕事があるわけでも無いし少しでもお母さんを支えられたらそれでいい。

 少し悲しい気持ちにもなって、電車から外を見ながらまた思う。

 違う。頑張ってるんじゃない。今の私が間違ってないと思いたい。堂々としてたいだけだ。好きなことを好きって言いたい。胸を張りたい。恋音のように。

「あーぁ、忘れたいことばっかだ……」


 沙依の家を後にして急いで家に帰った。荷物を玄関に投げ捨ててそのまま時引き返す、早くしないと沙依が家を出てしまう。

 菫恋は沙依が今日会う人が男の人だと知ってどうしても確かめたくなった、二人はどう言う関係なのか。ちょっと隠れて見るだけ、そう思って沙依について行く事にした、もちろん黙ってだ。沙依にはダメ! と釘を刺されたし、でも気になるし。これをこのままスルーして試験勉強なんて手につかない! 

自転車で沙依の家に向かうと途中で歩いている沙依を見つけた。

 良かった。

 自転車を適当なコンビニに止めて歩いて沙依の後ろを歩く。見つから無い様にしなくちゃ。そう思うとなんだかワクワクする自分がいた。

 沙依の事は入学して直ぐに目についた。可愛い顔した女の子。

 でも声を掛けられる様な雰囲気じゃなくって、恋してるって感じじゃでもなく、可愛いねって言ってるだけのクラスの一員みたいになってた。

 それを沙依があの日、スーパーのコスメ売り場でまたわたしに火を付けたんだ。そんな気がする。沙依の事をあれやこれや考えている間だけは自分の置かれた環境の事を考えないで済む。

 電車に乗って移動する沙依の後を追う。どこまで行くのかも分からず電車に乗るのは不安だったが乗り掛かった舟だ、そう思って探偵ゴッコを続ける。

 こんな事して見つかったら嫌われるかもしれないけど、知りたい欲求には敵わない。

「ちょっと待って! あれ杏? なんで?」

 楽しそうな二人のやりとりを隠れて見てるうちに、自分がやってることが疑問に思えて来る。

 何やってんだ、わたし……。これじゃ覗き……。

 ちょうどその時もう一人沙依に声をかける男の人が来た。

 あいつか! いったい沙依の何なんだおまえは?

 燃えるような不信感の塊を男の後頭部にぶつけてやる。今の今まで自分の行動を恥じようとしていた自分もどこかへぶっ飛んで行った。杏も驚いて交互に顔を見比べているみたいだった。

「そうだ! 杏。ちゃんとその男がなんなのか聞くの! 聞いて! お願い!」

 程なくして沙依たちはホテルへ入って行き、杏だけがこちら側へ歩いて来る。

 菫恋は慌てて商業ビルの間に隠れてじっとする。こんなことをしている所を見られるわけにはいかない。ジッと杏が通りすぎるのを待つがなぜか杏の足取りは菫恋の隣で止まったままだ。

 携帯でも触っているんだろうか? チラッと横目で見てみる。

 そうした瞬間、ポケットの携帯が着信を告げる。ビクッ! としてそんな菫恋を杏はジロリと見て、

「シッポが出てますよ菫恋さん」

「……人違いです」

「呆れた奴だな、綾瀬さんをつけて来たの?」

 疑わしげな目を向けられ、思わず目をそらしてしまう。

「あ、あの男の人は……何?」

「あれはねぇ……知りたい?」

 そんな話を聞いている時、目の前を見慣れた顔がホテルから出て来て通り過ぎてゆく、菫恋は無意識に反応してしまって杏の話もそっちのけでビルの影を飛び出していた。

「お母さん!」

 そう呼ばれた女性は、ピンクのペンシルワンピースに身を包み、呼び出したハイヤーに乗車する所だった。

「…………」

 連れの男の人が不審げにこちらを見ていた。

「京子さん、そちらの方は?」

 沈黙が流れたが、京子と呼ばれた女は意に返すことなく。

「知らないわ」

「お母ぁ……」

 そう言い残してハイヤーに乗って去ってしまった。揺れた長い髪からタバコのような匂いが漂っていた。

 杏が駆け寄って来る。

「今の菫恋のお母さんじゃ?」

「……ううん。人違いだったみたい、良く似てたから」

 お母さん大分痩せてた……。


 試験週間に入って午前中に試験を受けて午後は帰宅となる。 試験週間だけは割と平和に学校生活を送ることが出来る。試験勉強をギリギリまでやっている子もいれば前日までに終わらせていつも通りに過ごしている子もいた。

沙依が教室に入ると菫恋が寄って来て前の席に座る。

「おはよう、一時間目理科でしょ。勉強出来てる?」

 クラスにいると菫恋だけが話しかけてくれる唯一の存在だ、杏や美香達はまだそこまでは行かない。それでも以前と比べると随分好待遇になった、その分清美からの風当たりは増しているが。それに日に日に菫恋に対するみんなの風当たりもきつくなっている気がする。菫恋までこんな状況になってしまって、どうするつもり何だろう? そんな風に思う。

 もし沙依がこの状況になっていなかったら、クラスのみんなから無視されるような状況になかったら……。

 きっと私も何もしない。杏ちゃんや田無さんと同じで見て見過ごす毎日を送る。自分の船を自分で揺らさなくてもいいと思う。

 だけど菫恋の場合は……と考えてしまう。私のことを庇ってくれて、こうなってしまったようだし、何とか元に戻れるようにして上なくちゃいけないんじゃないかとも思う。

 でも自分のこともままならないのに?

 理科の先生が教室に入って来てテスト用紙を配って行く。沙依は一枚取って後ろの席へ答案用紙を回した。

 先生の開始の合図で一斉に始まる。

 問1 a〔h〕間でs〔km〕進む飛行機の平均の速さは何m/sか。

 菫恋に初めて声をかけたのは、帰り道のスーパーで万引きしようとしている時に店員にバレてたのを助けたのがきっかけだった。それからは何かにつけて学校の外ではよく話すようになった。菫恋は毎日のように沙依がスーパーの前を通るのを待っていたし、沙依も次第に待っていてくれるのを期待するようになっていた。

 菫恋は話してみるととても取っつき易くて、なるほど人気者の理由が分かる気がした。話題に事欠かず私の話も笑顔で聞いてくれる。それである日「好き」って言われて……そう言えば私返事してないな……。

「…………」

 な、何思い出してんだ私、今試験中。

 自分で赤面するのを感じながら答案用紙に向かう。

 高校生になっても流されてるな私……。


 試験が半分も終わろうかと言う頃になって、試験中の教室に他の先生が尋ねて来た。教団で試験を見守っていた先生が戸口で何やら報告を聞いている。

 教室は少しざわついたが、振り返った先生が、

「瀬央!」

 そう言われた菫恋が返事をして手招きする先生の方へ歩いて行く、廊下に出た菫恋は訪ねて来た先生の話を両手で口を押さえながら聞いている。

 聴き終わった菫恋はテストもそのままに先生と一緒に慌てたようにどこかへ行ってしまった。

「ほら、お前らまだテスト中だぞ! よそ見するな!」

 先生はそう言って手を二回叩く。

 みんなはクラスメイトの退出に興味を持ちつつも、目の前の答案用紙の空欄を埋めるのに集中を求められる。

 杏や美香たちは顔を見合わせて首を傾げている。

 そのまま初日のテストが全て終わっても菫恋は戻ってこなかった。

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