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幼なじみ

 予鈴が鳴り、菫恋たちがトイレから戻って来た。沙依は心配そうな顔でそれを見ていたが予想外に出て行った子たちと笑いながら帰ってきたので、ホッとため息を一つついた。

もう一人それを見ていた清美が、快く思うはずもなく、

「チッ! うっとしい、マジ死ねよ」

 そう吐き捨てるのをクラスのみんなが聞いた、もちろん菫恋もそれを聞いた。

 菫恋は教室に入って来たその足で、窓際の自分の席で座っている清美の前に立って彼女を見下ろす。菫恋の明るく長い髪が、白南風しらはえにゆられ、彼女のうなじをあらわにする、

「わたし、あなたのこと大っ嫌いだから、二度と話しかけないで!」

 凛としたその一言で、クラス中が静まり返った。音を無くした教室に誰かの携帯がメールの着信を告げる、それを皮切りに、

「な! アンタ誰に」

 その時の菫恋は、あの夜と同じ目をしていた。とても美しく、吸い込まれそうなほどに綺麗で、底が見えない冷たさ。目の前のものに全く興味を失ったような。彼女にとっての存在をゼロにしてしまう目。

 そして今、その対象は高橋清美ということになる。

「分かった?」

「…………。」

 風の流れが変わった、夏には珍しい北東からのさらいの風が廊下を吹き抜けて、教室の窓から抜けて行く。机に乱雑に置いてあったプリントが舞い、各クラスで女の子たちが軽い悲鳴をあげる。菫恋は一切清美から目を背けずに一度目を閉じると、踵を返して自分の席についた。


 放課後になると、みんな散り散りに部活組と帰宅部組に別れて散って行く、沙依はみんなと違い塾や進学科ではないけど帰宅部なので、早々に学校を退散する。

 いつもより早足でさっさと下駄箱のある生徒用玄関まで移動する。幸い沙依を引き止めるような生徒はこの学校には居ない。

 午後の菫恋ちゃんの態度は正直言って驚いた。

 私には言えないあんなセリフ。

 気持ちが騒ついて仕方なかった。放課後の帰り道は気分転換のつもりで、いつもと違う道を通って帰った。生まれた町、大抵の場所は見慣れた町並み、大きな通りはどこを歩いても知っている。けれど一本細い道に入るとその先は知らない事に気が付く。袋小路なのか抜けて先が広がっているのかも分からない。

 路地ではボールを蹴ってる小さい子が楽しそうに遊んでいた。この辺りはまだ古い町並みが続いてて今の建蔽率を無視した家々が狭く密接して軒を連ねている。家主を失って荒廃している家のすぐ側に新築の三階建が建てられたりして、町も住んでるみんなも循環している。

 狭い路地を抜けると、見知った場所に出た。

 ああ、知ってる。ここに出るのか、確かこの辺にはバッティングセンターがあったはず。

 しばらく歩くと記憶の通り、練習場が見えて来た。沙依は鼻息を荒くして

「よーし!」

 何でもいいから気晴らしがしたかった。玄関近くになると、バットを持った親子連れが施設に楽しそうに入って行き、中からはボールを打つ音も聞こえた。

 玄関口で沙依は聞き覚えのある声に引き止められる。

「よお! 沙依もやるのか?」

 振り返ると凛之助が片手をあげて寄ってくる。

「なんだ、凛之助か。どうしたの? こんなところで」

 沙依の前で足を止め、眉を上げてバッティングセンターを指差す。行かないの? って無言の合図。一緒に何かするのは本当にいつ以来だろう、久しぶり過ぎて思い出せない。もう共通する話題なんてないはずだが、凛之助は平気な顔をしてついてくる。

 なんか、慣れてる感じがする。女子といて緊張とかしないの? いや、そもそも私は女子に見られてないのか……。

「沙依も良く来るの?」

 施設の廊下を歩きながら、球の速度が書いてあるプレートを見て回る。沙依は百キロに入ろうとしたが、凛之助が激しく首を振って八十キロを指差す。

 思い出して来た、凛之助はいつも私のすることに反対する奴だった。テレビゲームしてても私と反対の方ばっかり選ぶし、私が好きな友達とも遊んじゃダメだって言う。親かよって。

「打てた方が楽しいだろ、目が慣れたらさ、したら速い方行こうぜ」

 沙依はやや拗ねたような顔を見せたが、

「わかった。そうする」

 本当は一人で無心にバットを振る、そんな姿をイメージしてたんだけど。

「ボール良く見て、思いっきり行け沙依!」

 ここへは小さい頃みんなで良く来た、みんなが打つのをアイスを食べながら、他の小さい子と見てたのを良く覚えてる。受付のおじさんは知らない若い人に変わってた、打ち方もみんなと一緒に凛之助に教えて貰った。あの頃の凛之助は少年野球に夢中だった。ここにいるってことはまだ野球をやってるのかな? 小さい頃の彼はカッコ良くて、私はもっと一緒に遊びたかったけど、野球に彼を取られたような気がしてたっけ。ふふ。

「懐かしい……な!」

思いっきり振り回したバットから重い衝撃が体へ伝わってくる、打った玉は明るい晴わたる空に貼ったネットを揺らした。

「ナイッスゥー」


 四十球ほどバットを振ったところで、疲れて休憩、ベンチにドカっと腰を降ろして一息つく。

「ああ、これ明日は筋肉痛だな」

「なんだよ、ちょれーな」

 そう言って凛之助は、自販機で飲み物を買って、沙依に渡す。沙依は財布からお金をだすが、

「俺がおごってやるよ!」

「偉そうーに! でも、ありがと。凛之助はまだ野球やってるの?」

 横目で沙依を見ながら、ジュースを飲む、どこか遠くから、バッティングの音に混じって蝉の声が聞こえた。

「いいや、やってねぇ。今はハンドボール部」

「ハンドボールって、あのドッジボールのすごいヤツ? こわ」

「えっと……。まぁ、それでいいや」

 覚えてないんだな、結構沙依の前でハンドボールの練習してたんだけどな俺。


 沙依が出た後の八十キロの部屋に小学生が入って行った、テンポよく投げ出されてくる球を軽快に打ち返してゆく。沙依は打球の行方を目で追いながら渡されたジュースのプルトップを開ける。

「へー、野球辞めちゃったのか、あんなに好きだったのに……」

「こないだ町ですれ違ったの気づいた? 一緒にいたやつ、あれ彼氏?」

 こないだ一緒にいたって、彰人さんの事言ってんのか、

「ああ、違う違う、彼氏じゃない、知り合いのお兄……オジサン、ライブ行った話聞いて、お見上げ貰ったの」」

「そうなんだ、いや俺てっきり」

「なに? エロいことしてんじゃねーのって思った?」

「だったらやめろって言おうと思ってさ」

 沙依はあはははと笑って見せる。

「変わらないな凛之助は、昔から私の友達にダメだしばっか」

 あのセクハラ野郎が友達ならだけど。

 渡されたジュースをゴクゴクと飲み干して行く、今になって汗が吹き出してくる。凛之助は沙依の横顔を見ながら逆光で目を細めた。

「そうだっけ?」

「そうだよ」

 凛之助は足元を見ながら、昔し昔の自分の気持ちが鮮明に思い出されるのを感じた。大して好きでも無かった野球を始めて、沙依が笑顔で応援してくれるのが嬉しかったから頑張った。中学に入ったら変な連中とつき合うようになった沙依が心配で堪らなかった。

 沙依が離れて行く気がしたからだ。野球をやめたのも、沙依が側にいなくなって頑張る意味を無くしたから。

「まぁ、昔はさぁ……お前に振り向いて貰うのに必死だったからな俺、あんな連中より俺と居ろって思ってたし、だってさ、お前普通に可愛いじゃん? うちの学校にいたら一軍いけるよ、絶対」

「…………。」

 さらりとそんな事を言ってしまって、凛之助を見ていた沙依の顔が正面に戻って行くのを感じる、横目にそっと沙依を見ると、

「お前、耳まで真っ赤だぞ!」

「……うるさい、急に変なこと言うからでしょ!」

 正直に言うと、沙依は恋愛に疎い。小学校、中学校と沙依を好きだという男子は準絶滅危惧種くらいには存在していたし、何とかいい雰囲気に持っていこうと絶え間なく努力する男子を沙依はヒラリ、ヒラリとスルーして、気が付くと自分には恋愛というものは全く縁のないものだと思うにいたった。

 もし俺が中学の時、沙依の興味を友達との泥棒ごっことかじゃなく、恋愛やお洒落なことに向けられていたら、もし恋愛に疎いこの女に直球で「好きだ」って言えてたら、今とは違う関係になれたかな?

 赤い顔をして照れ隠しにジュースを煽る沙依の横顔は、少しも変わらず、あどけなく可愛かった。

「まっ、俺今、彼女いるけどな」

 ぶっーー!

「汚ったねーーなぁ、もう!」

 こ、告白されてんのかと思ったじゃん。ちょっとドキドキしたわ。

 だらだらと口からこぼれたジュースをとりあえず手で拭って、ハンカチを凛之助に渡す。

 男子って本当なんなん? でもまぁいいや。何かもやもやが消えて落ち着いた気がする。

「ありがと」


 夕方になっていた、久しぶりに凛之助と一緒に家まで帰る。話の殆どが昔の思い出話しになるけど、それは仕方ない。随分と二人の時間は別々に流れていたのだから。

 家までの道のりがこんなに早いって思ったことは、この所なかったかもしれない。

 団地が見えて来た、いつも遊んでた公園も見えてくる、もう家はすぐそこだ。

 楽しい。もう少し一緒にいたいな。

 公園を横切りながら、団地の他の友達の今を少しずつ教えて貰った。自分の事に精一杯で下の子たちの事なんて気にしたことも無かった、同じ団地にいるのにきっと何度もすれ違ってるはずだ、それでも沙依には誰と会った記憶すら無かった。町ですれ違って凛之助だって気が付いたことも奇跡に思えてくる。


 沙依は小学校三年の頃から一人だった、ずっと孤独を感じていた。虐められていたわけでもないし、今のようにクラス中から無視されていたわけでも無い。友達も多くはないがいた。けれどずっと心が一人だった。誰とも繋がってる気がしないのだった。教室でいても、公園で遊んでいても誰とも繋がっている気持ちが持てない。そんな子だった。中学に上がると思春期に入り母親とも繋がりが感じづらくなった。

 そばに居ても必要とされている気持ちにはなれず、常に自分が居なくてもこの場の雰囲気は何も変わらなくて、違和感もなくて、突然居なくなっても誰にも探してもらえない。そんな気がしていた。一人は嫌だ。ずっとそう考えてる子供だった。

でもみんな元気にしてるようで、それも少し嬉しかった。

 家の階段脇にある郵便受けを覗きながら、

「ちょっと、うちに寄ってかないか? 母さんももう直帰ってくるし久しぶりに会ってけよ、最近母さん、イライラしてて元気ないんだ」

「おばさんどうかしたの?」

「更年期?」

 そういった凛之助のシリを蹴る。

 あははは、笑いながら階段を駆け上がって行く。

「うそ、うそ、めっちゃ元気だよ」

 階段に向かって左側の二階が沙依の家、同じく左側の四階が凛之助の家だった。必然的に屋内の部屋割りは同じものになっている、

「どうぞ」

 見知った家の形なのに配置されているものは知らない他所の家のもに多少の違和感を感じる。

「お邪魔します」

 沙依は少し緊張した面持ちで靴を脱ぐ、

「お茶でいい?」

 凛之助の問いかけに、うん。と頷いて二人分の脱いだ靴を揃える。

「わー、変わらないね。昔のまんまだ」

「沙依ん家はそんなに、模様替えすんのか?」

 しないけどさ。そう思って口を尖らす。気を取り直して壁にかけてある小さい頃の絵や、凛之助が小学校の頃に貰った賞状を懐かしく見る。タイムスリップした気分。

「ホント、小さい頃のまま……ここ凛之助の部屋? 入っていい?」

 台所でグラスに冷たいお茶を注ぎながら、うなずく。

 凛之助が部屋へ入ると沙依はベッドを背もたれにして、やや緊張した面持ちでちょこんと座っている、

「ここ、座って。お話しして」

 沙依の隣に腰を下ろしてお盆のお茶を沙依の分と自分の分をテーブルに置く。

 窓から差し込む夕日が飲みかけのグラスに乱反射してテーブルを明るく照らしていた。沙依といろいろな話をした、学校帰りに見つけた、美味しいラーメンとおかしな店員の話し、部活のもうすぐ取れそうで取れないレギュラーの話し、自分の事をキャサリンと呼んで欲しい先生の話し、どれも沙依は、うん、うん。と頷いて聞いている。肩が触れ合う距離で並んで笑い合った。

 さりげなく腕を沙依の肩に回す、沙依もそれに気づいてゆっくりと、凛之助の目を見つめる。

凛之助の顔がゆっくりと近づいてくる、沙依はただなるがままに見つめていた。空いた手で沙依の頬をそっとなでる。

ポン!

 沙依の携帯がメールの着信を告げた。右手で凛之助の口を制しメールを確認する、

「ああ、彰人さんだ」

【今度また遊んでくれるなら、相談聞いてあげる。】

「この前の人?」

 画面を見ながらうなずく。凛之助の表情が曇った。

 回していた腕に力を込めて沙依を抱き寄せる、不意を疲れた沙依は「わっ!」と小さく悲鳴を上げたが、やがて安堵の顔をして凛之助の肩に頭を預けた。

「沙依、もうそいつと会うのよせよ。俺と居ろ! な!」

 持っていた携帯が手からこぼれる、凛之助の背中に両手を回し暖かい柔らかいものを包むように抱きしめた。

 日中の熱が残った夕方でも、凛之助の体から伝わる想いは心地よく暖かい。

「俺、お前のこと好きだ、沙依」

 広大で鏡面のように静止した水面に一滴の雫が、ちょぽん! と滴る。広がって行く波紋の波は、低く小さく、波すら見えなくなっても水面下でゆっくりと広がってゆく。

 揺れた水面では自分を正しく映し出すことすら困難に感じた。

 力が抜けて倒れてしまいそうになるのを、必死で凛之助の背中に掴まった。

「…………。」

 嬉しい、誰かに一緒に居ろって、初めて言われた。ここに居て良いって。居たい、居たい、ここに居たいよ。ここが私の居場所だったらって本当に思う。嬉しい。

 抱きしめる両手に力がこもる。

「沙依?」

「ありがとう、嬉しい……嬉しい。でもごめんね。私もう……泥棒やめたの、凛之助のこと彼女から盗って上げられないや」

 無理をした笑顔には、目尻に涙が滲んでいるように見えた。

「別れるよ! あいつとは別れる」

「えへっ、頼んでねーよ」

 凛之助は沙依の顔を両手で包み込むようにして、ジッと見つめる。

「沙依……好きだよ」


 ……キスしたいの? ……私もしたい。でもダメだ。この先を凛之助はまだ知らない、自分に胸を張れないで生きてく事の詰まらなさを。誰が許してくれても自分が一番許せないあの瞬間を。望んでも戻れない時間の障壁を。

 生きている事にも興味を無くして行く毎日の詰まらなさを。

 ねぇ凛之助、知らなければいいことってあるよ、気づかなければ幸せなこと。気づいてしまったら消えないんだよ。

 凛之助の口を手で制すると、そのまま親指で彼の唇を撫でる。愛しいものを見つめるような目をして沙衣は、

「追いかけても私は君のものにはならないよ、今までずっと私が居なくても寂しく無かったでしょう? これからもきっとそう、私はもう凛之助にとって過去なんだよ」

「そんなことねーよ。これから知ればいいだろ」

 凛之助の目を見ていると心が折れそうになる、真直ぐに沙依の目を見てくる。自分は間違っていないと信じている目。

 ああ、私は寂しいの我慢してまで何をしているんだろう。凛之助に彼女が居たって私には関係ない。この胸に飛び込めば、今なら世界が終わるその日まで私を大切にしてくれる気がする。他人なんて関係ない。飛び込めばいい。

 それなのに、なぜ全てがこの手からこぼれ落ちて行きそうな気がするんだろう。あれほど簡単に飛び越えてきた境界を、今になって躊躇するのななぜなんだろう。ダメだ泣きそう。

「…………」

 きっと凛之助の中には私が知らないひととの歴史が積み重なってる、私より沢山の「愛してる」が彼と彼女の中にはあるんだ。私はそれを奪う人にはなりたくない……。

 何だかモヤモヤとした気持ちが沙依の眉を潜めさせる、違う、違うんだ。

 ああ……違うよ、違う! これはそんなんじゃない! 凛之助がどうとか、その彼女とか、そんなのじゃない。もう一人こんな私を好きって言った人がいる。

 菫恋、菫恋が悲しむかもしれない。まだ私にも期待を裏切たら悲しむ人がいるかもしれない、これは私のためだ。この上まだ情けない自分に気が付きたくない。

 沙依は両手に力を込めて凛之助を押し戻す。

「沙依?」

 凛之助の顔に驚きと不安が浮かぶ。

「ごめん。私帰るね」

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