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日向と日陰

「君の不慥ふたしかで不安定な憧憬あこがれ」


 しょうがねーなぁって、ため息つかれてるような人たち。

 

 でもそんな彼女たちもいつか誰かには胸をはって生きて行きたい。

 そんな風になりたいって思っても、でもどうしたらそうなれるのかもわからない。

 

そんな日常の物語です。

一人は嫌。

 いつも同じことを思い出すから。誰でもいいから一緒にいたい。そう思ってた。

 少しだけ汗ばんで来そうな陽気で、戸建ての住宅街の中の、家主の個性を反映するようにデザインされた色取りどりの形をした家が並んでいた。二階建て白い外壁の家、室内にはまだ薄暑はくしょにもかかわらずエアコンが外気と熱交換をするために電源の明かりを灯している。ベージュとナチュラル素材で統一された部屋、生活感を感じないほど綺麗に片付けられていた。来客を知って慌てて片付けたのだろうか、部屋の片隅には口の開いた段ボール箱が積み上げられ、この部屋には不釣り合いな印象を与える。机の上の棚には、大小のクマの縫いぐるみが仲良く教科書と肩を並べて座っていて、ベッドの裾にはやはり天然素材の白色の大きな姿鏡が置かれていた。

 綾瀬あやせ沙依すいは部屋のベッドで無表情に横たわり天井を見つめている。かたわらには大きなベージュのクマの縫いぐるみが、アンタ邪魔よ。とでも言いたげに、やはり無表情で幅を利かせていた。

瀬央せおさん、クマ好きなの?」

「二人の時は菫恋すみれって言ったよね?」

「うん。菫恋ちゃん、クマ好き?」

「好きよ。わたしが好きなのは、クマの縫いぐるみと沙依すい

 そう言って菫恋は沙依の足元に馬乗りになって、制服の裾からそっとシャツの内側へ手を滑らせてゆく。この部屋へ来るといつもこうだった。菫恋のベッドに横になり、菫恋は沙依のおへその辺りに唇をわせてくる。恥ずかしさを誤魔化すように、クマの縫いぐるみの鼻をパチンっと指で弾く。

「この子、名前は?」

 菫恋はさらにスルスルとスカートの中へ手を滑らす。

「レンよ」


 恋音れん。――それは私の好きなもの、私の憧れの名。


 去年の冬、公園で路上ライブしている恋音を見てファンになった、一瞬の出来事だった気がする。小柄な可愛い女の子だった。手元のPCを操作して音源が鳴り始めると、マイクの前に立って恋音は歌い始めた。その震えるようで、やさしく悲しげな声、その姿に心を奪われた。その場にいた通りすがりのカップルや、仕事帰りに公園を抜ける人たちも足を止め、ファンの人たち十数人が前列に陣取って聞き入っていた。沙依は少し後ろで聞いていたが、ただ立ち尽くして泣いていたのを覚えている。

 きっとあれが心が震えるって事だったんだ。

 沙依はその場でCDを買って帰った。泣いてたから、恋音は不思議がって首を傾けていたが、やがて「ありがとう」そう言った。生まれて初めて衝動買いをした。家へ帰って動画サイトで検索すると、彼女の自作のMVやメッセージが沢山出てきた。動画の中で楽しそうに笑う恋音はまだ十四歳だった。三歳も年下の女の子に憧れ、その日から彼女のようになりたいと思っている。彼女と肩を並べられるほど、何かに胸を張れる自分になりたい。ヘッドフォンを手に入れ、いつも恋音の音楽と一緒にいる。飽きもせず、ずっと聞いていられる。あの時の好きなものに胸を張って歌う姿は、今の沙依の全てを不可解なものに彼女自身に感じさせずにはいられなかった。

 私にはなんもない……。


 無表情な縫いぐるみのレンを抱き寄せ、エスカレートして行く菫恋の指に抵抗する。

 瀬央せお菫恋すみれは同じ学校のクラスメートだ。明るい髪色で、ふわふわの自然なカールをした長い髪。クラスの中心にいて、常に笑顔と会話に囲まれているそんな存在だった。沙依の対極。沙依に無いものを全て持っている。傍目はためには誰が見てもそんな風に思いたくなるほど存在の違いがあった。

「き、今日……するの?」

「うん。するよ」

「でも、今日は下にお母さんいるんでしょ?」

「だから、あんまり声は……ね」

 菫恋はこれ以上何も言わせまいとするように、沙依の唇にココロを合わせる。菫恋から流れて来る優しい感覚が首筋から胸へ、やがてスルリと下着の中へと、沙依の白い透き通るような肌を滑り降りてゆく。菫恋が満足するまで、終わる事なく繰り返される気さえした。


「菫恋ちゃんさぁ、何でいつも私ばっかなの?」

「えー? 沙依の気持ち良さそうな顔見るのが好きだから?」

 今更ながら、気恥ずかしさが込み上げて来る。顔が赤くなるのが自分でも分かる。

「…………。」

 菫恋が小声で話しかけてくる。

「え? 何もしてないよ」

「沙依ってば、スベスベで子供みたいで可愛い」

「きっ、気にしてるから、あんまり言わないで……」

 両手で顔を覆う。恥ずかしくて声が出ない。はだけた下着を直し、ベッドの上の脱ぎ散らかした制服を掻き集める、裸でいるのはいつも沙依だけだ。されるがままに脱がされ、菫恋の服に手を伸ばすと『わたしはいいの』とたしなめられる。菫恋とは直に肌を合わせた事はこれまで一度も無かった。

 それが、沙依には自分の気持ちを曇らせている要因に感じて、菫恋にとって自分が何なのか、時々分からなくなる。都合の良いだけの存在にはもうなりたく無い。

 菫恋はもう少し余韻に浸りたそうに、沙依に寄り添って首筋や背中に唇を合わせるている。

「ねぇ。もう帰っちゃうの?」

 手櫛で髪を直し、姿見を見ながら制服を直す。沙依の髪は肩に少し掛かるくらいの黒髪で、背丈はクラスの女子の中でも高い方では無かった。通学に使っているリュックを背負うと少し中学生に見えなくもない。

 今一番気に入っているヘッドフォンを首にかけて、支度を済ます。

「髪、巻いてあげよっか?」

「いい、献血行くだけだし」

 献血は沙依の趣味のようになっていた。二・三週間置きに暇を見つけては献血ルームに通っている。自分の中の汚れを外へ出す、そんな感覚だった。機械へ吸い込まれていく血を見ているの好きだった。出来れば刺した針の所を見ていたいけど、ご丁寧にタオルで隠してくれる事が多いのが少し残念だ。血を必要としている誰かの為、そんなことは一度も考えた事はないし、興味もなかった。自分のためだ。

「菫恋ちゃんも行く? 漫画も読めるし、運がいいとアイスも貰えるし」

「わたし痛いの無理」

 そう言って、またキスを求めてくる。

「……もう……んっ」

 こうやって、指を絡め抱きしめられて今まで何度キスをしただろう。菫恋ちゃんの体温が制服越しでも伝わってくる、暖かい人の温もり。気持ちがよくって、空っぽの心が満たされてゆくように感じる。ああ、でもどうして、こうなっちゃたんだっけ? 頭が上手く回らない。また、寂しいだけだったのかもしれない。

 菫恋が見つめて来る、真っ直ぐに。いつまで立っても恥ずかしくて目を逸らしてしまう。

「悪さしないでね、ナンパに付いて行っちゃダメよ」

「そ、それは菫恋ちゃんでしょ」



 あの日、菫恋を町で見かけた日。

 クリスマスローズがもう直に庭先を楽しませるようになる頃、スカートの下に短パンやジャージを着て下校する学生が、バス停で楽しそうに話題を咲かせていた。

 沙依が近くのスーパーのお菓子売り場でパックンチョか筍の里かを真面目に吟味していると、直ぐ後ろを同じ制服の子が通り過ぎるのが目に入った。何が目当てということもなさそうにキョロキョロと辺りを伺っている。沙依は目を細めて後ろ姿を見送る。ああ……あの目は知っている。肩に下げたスクールバッグが少し開いていた。

 菫恋が通り過ぎた後、反対側にお菓子を前出ししながら、その後を追う店員が目についた。分かり易い構図だった。店員はお菓子なんて見ていない。キョロキョロと菫恋の動向を気にしている。

「あれは気付いてないな。まぁ、私には関係ないけど……」

 万引犯を追うGメン気取りの店員と、罠にかかった事を気づかない子羊といった所なんだろう。今までは、端から見ればこんな風に見られていたんだと、沙依は改めて思った。不思議なものだった、こんなあからさまに後ろを付けてにいるのに、それに気が付けない。今頭の中には、何をどう取るか、と言う事しか無いんだ。手に取るようにわかった。少し前までの自分と同じだから。


 沙依が万引きを始めたのは。中学に上がって直ぐだった。仲がいいグループの中で万引きをする子がいたから、誘われて一緒に始めた。最初は驚きもしたが、それがいつの間にか沙依の日常になって行った。いつも一緒にいて、欲しいもの。欲しく無いもの。高いもの。安いもの。何でも良かった。お菓子やピアスやコミックが殆どだったかもしれない。秘密の共有が沙依たちの毎日を楽しくしていた。当然、何度も何度も見つかっては、親を呼ばれ学校に報告され、注意された。沙依の家は母と沙依の二人暮らしだったので、母親に知られるのが、叱られる事より一番こたえた。

 それでも万引きを止めようとはしなかったのは……。

 そこで沙依は考えるのを止めた。友達といたいから、と思ったが思い直したからだ。結局自分で万引きが出来るようになると、一人でもしてしまう。それは間違いなく自分の欲からの事だと思った。けれど沙依自身の中には、万引きと泥棒との間には何となく線引きがあって、沙依は決して向こう側には行かないと決めていた。

 その頃の沙依にとって万引きは友達とつながるもの。欲を満たす手段。それ以上では無かった。だから沙依は自分にとって価値の無いものしか取らない。こんな事は誰にも一生話す事はないと沙依は心に決めていただが、沙依は、欲しいものは必ずお金を出して買う。ローリーズファームのフーディが素敵だと思えば、それはお金を出して買う。けれど月のお小遣いでは無理が来てしまうので、日々のどうでもよいものは取ってしまう。お菓子やシュシュやリップそんなものにはお金を払う価値が当時の沙依には無かった。好きなものは友達に買った! と胸を張りたいし、好きなものを好きと胸を張りたい。そこには取ったなんていう、後ろめたさはあって欲しくは無かった。

 随分、勝手な言い分だ。


 中一の夏休み、一緒に遊んでいた子から、「今度さ先輩と資材置き場から銅線、取りに行くから沙依も一緒に来る? お金になるよ」と誘われたが、その先輩はさらにその先の、よろしく無い人達との噂の多い人だったので、沙依は「私はそこまではいい、行かない」と断った。

 それは泥棒だ、沙依はそう感じた。

 泥棒は自分にとって価値があるものしか盗まない。価値のないもの、価値の分からないものを盗んで、お金にならなかったら、盗んだものがずっと手元に残る。それはリスクが増えるだけだからだ。

 そうじゃない、全部同じ泥棒だ! そう思えるようになったのは、ごく最近の事だった。

 沙依が毎回誘いを断り「ヤバイから、行くの止めなよ!」と言うものだから、まわりから疎ましく思われて、その子達とは徐々に疎遠となり、LINEもブロックされて、沙依は結局一人になった。一人になったからと言って万引きが止むわけでは無かったが。

 その後も沙依には万引きが友達と上手く付き合うための手段になってた。いや、そう言った人間しか周りに残っていなかった。友達同士で欲しいと思う物も、徐々に値段も上がっていく。

 高価な物は、取る難易度も上がる。気が付けば沙依は、何度も補導され、非行暦も増えていった。 ガラスケースに収められた高価な物や、防犯タグの付いた物などは、取るために随分アイデアを捻り出した。店員の気をどう惹きつけるか、防犯ブザーの音をどうやって消すか。色々考えて、次々に試した。見つかってお店側に被害届を出されて示談にしてもらうまで、また母を泣かせた。そんなことの繰り返しの日々だった。


 素行不良者の世界なんて狭いもので、沙依が盗んだ高額商品の数々の噂がまた別のうわさを呼び、別の窃盗グループから何度か誘いを受けた、そしてその中の一つに沙依は流されるように入ることになった。

中一の頃に友達に言った言葉の全てが、曖昧にどうでもいいことに感じた。それに合わせて服装や髪も派手になり、心もすさんで行った。沙依は月に一回程度リーダーの車で大型のモールに行っては、リストアップされた目当ての物を各店舗を巡ってゴッソリと万引きしてくる、盗って来たものはその場でリーダーが買い取る形で、沙依は現金を貰う。一日で五・六万くらいの現金になった。そんな生活だった。それが中三の春まで続いた、ある時、グループのリーダーが窃盗目的で家に侵入して逮捕され、空き家だと思っていたらしいが、中には家の人がいて、強盗未遂となったようだと、他の仲間から聞かされた。簡単なつながりの窃盗グループはリーダーを失って、徐々に散会していった。幸か不幸かネットで繋がったグループだったので、お互いの素性も知らないで済んだ。多分、沙依が当時十三歳ということもみんなは知らないだろう。

 高校に入ってからは、今度は同じ中学出身の別グループと仲良くなった。

 仲がいいと言っても沙依の素行を知っている同級生だったので、暗にあれが欲しい、これが欲しいと沙依にせがむ程度の友達だったが。その頃にはもう、何が悪くて、何が悪くないかの判断が出来なかった。基準は簡単に取れるものなら別にいい。取ってあげる。お高めな人手が要りそうな案件を言い出したら、それ相応の金を請求する。そうすると大体「金取んのかよ!」って笑って終われるからだ。

 それでも友達が嬉しそうに、楽しそうに潤って行く側でいいように使われていたし、自分でもクズだ。もう泥棒と変わらない。と自覚出来るくらいには心が荒廃していた。

 友達のグループにいることは楽しかったし、毎日それなりに笑い合って、不満なんか何も無かった。

 それをあの日恋音がその声で、その姿で私を変えたんだ。あの時私の中に何かが生まれた。そう思っている。


 それからは友達に何を言われても、万引きに応じる事はしなかった。学校でもお菓子やパンなどせがまれた時は取りに行くフリをしてそのまま学校へは戻らず、授業もサボった。

 当然友達には怒られたし殴られたりするのかもしれないと怯えていたが、幸いそこまでにはならなかった。それまでと同じように友達でいられると思っていたけど、彼女たちにとって沙依はそうでは無かったようだ。

 そんな事を繰り返しているうちに、やがて無視されるようになって沙依の補導歴や手癖が悪いといった噂がSNSで広がり、やがてクラスのグループLINEでみんなの承知するところとなった。次第に沙依はクラスで孤立していった。

 学校ではLINEでの噂をヒソヒソと話しているのだが、それが丸聞こえだったりして、沙依もLINEのことを知るようになった。大抵はどんなものを盗んできたとか、捕まって鑑別所に入れられたとか、男好きのビッチだとか、同級生の悪口を言ってたとかそんな内容だった。

 噂の出所は沙依が仲良くしていた元友達だった。田中清美と島百合。どっちも中学からの同級生で、沙依とはまた違ったベクトルの素行の悪さを持っている。

 沙依もそれは知っていたが、噂程度の事だったし、それほど興味も湧かなかった。

 一人でいる事は想像していたよりずっと寂しい。どこにいても、何をしていても、何人でいても、誰といても、誰とも繋がっているという気持ちがもてず、ココロが息が出来ないように感じる。学校が何も楽しくないし、話す相手もいない。話しかけても返事が返って来ないのだから、会話にはならない。二年に進級して環境が変わるかと期待していたが、ウワサは鎮静化する気配もなく、去年のクラスメートが何人もいるから、二年になって一月もすればまた同じ状態に戻っていた。当然と言えば当然なのかもしれない。

 それでも毎日鞄をもって登校する。

 お母さんが心配するし、引き篭もるのは私の場合、お門違いだ。きっと、罰も受けないで許してくれる神様なんていない。

 そう思って、休まず学校へは登校している。この頃には髪も黒に染め直して両耳で六個と腕に二つほど開けいていたピアスも外した、もうこれまでの自分は忘れたい事ばかりになって行った。

 今の沙依を支えているのは、献血の自分が清浄化されてゆく感覚と、小さい頃から割と好きだった数学の授業。小六の時に動画投稿サイトで一+一=二の証明という動画を見て心が躍った。それまで沙依は一+一=二はただのルールだと思っていた。このルールを守ればすっかり上手く計算出来るんだよ。そう教えられているんだと思ったいた。でもそこには、誰がどう考えても、世界がひっくり返っても一+一=二にしかならないと証明されていた。

 驚いた。分数の割り算も、こう覚えなさい。という指導の裏に、公式と言う証明がある事を知った。理解は出来なかったが、いつか学校で習うんだとワクワクした。なので今でも数学の授業はサボらずに受けている。

 そして、何よりも、公園で「恋音れんです。音楽と歌う事が好きです」そう言って笑った、恋音れんの存在だった。

 彼女の存在が、彼女の歌う姿が、あの声が沙依を明日へと導いてくれているように感じた。今、恋音れんは楽曲提供を受けて歌っている。買ったCDに入っている曲は他の誰かが作った曲と誰かが書いた歌詞。全てがお気に入りで、大好きな宝物だけど。いつか、彼女の感じる世界を彼女自身の言葉で紡いだ歌を聞きたい、そんな事を思いながら恋音れんを応援している。


 お気に入りの白いヘッドフォンを外して店内を見渡す。

 そう言えばさっきの制服の子、瀬央さんに見えたけど。いつもの取り巻きはいないんだ。

 菫恋は常にクラスの中心にいるような明るい、元気のいい女の子だ。話題に欠かず。堂々としていて見ている限り誰とでも仲良く出来てしまう。そんな印象の子だったはずだ。そんな子がどうして? そう思いながら筍の里だけを持ってレジへ向かう。先程のGメン気取りの店員が早歩きでバックヤードへと消えて行くのが見えた、どうやら防犯ビデオを確認しに行ったか、それとも店長に報告に行ったんだろう。

 沙依はため息をついて菫恋を探した、思い過ごしならそれはそれでいい。チラっと見ただけだし。売り場を一回りもしない内に菫恋が、人がまばらになったコスメ売り場にいるのを見つけた。買い物カゴを持って後ろからそっと近寄る。

 残念だったが沙依の目の前でグロスと日焼け止めがスクールバッグへ吸い込まれて行った。

 私、将来万引きGメンになれるかも……。

「すみません。お客さま、未清算の商品がバッグにありますね?」

 沙依はかつて自分が店員にかけられた言い方、そのままを真似して菫恋に声をかけた。

 菫恋は声をかけられたことに驚いて振り返る。それを見て、菫恋は初めてか、それに近い数回目の万引きかもしれないと思った。慣れて来ると驚きよりも、やっちゃった! という諦めの気持ちが先に来るようになる。

「…………。」

 沙依は、笑顔で買い物カゴを差し出して、指でバッグの中をカゴへ移すように促す。菫恋は少し混乱した顔をして首を傾げた。それはそうだ、スーパーの中にいて、バッグに未清算のものを持っていても基本的には外へ出るまで、何も問題はない……。

「…………」

 ああ、ちがう。驚いてから考えるような顔、これは瀬央さんは私を知らないんだ。あんた誰? ってことか。こんな簡単な事が見抜けないんじゃ、Gメンには成れないな……。

 沙依はクラスメートに少なからずガッカリした気持ちと、クラスの花形が日陰者の私を知らなくても当たり前だな。と思い、ため息を隠そうとも思わなかった。

「ほら、早く」

 白を切ったら、もう放っておこうと決めて催促した。そこまで世話をする義理も無いのだし。

 だが意に反して菫恋は素直にバッグからグロスと日焼け止めをカゴへ移した。沙依は尚もバッグから買い物カゴへ移すように指を差す。沙依が見た物はカゴの中に全てあったが、こう言った場合、大抵まだまだある。

 菫恋は俯いて、少し含み笑いを隠したように見えた。そうしてバッグからは、グミやたべっ子どうぶつなんかのお菓子が出てきた。細いのによく食べるな。そんなこと思いながらスカートのポケットを指す。出てきたのはペンシルアイブロウ。彼女は確か右利きだったはずだ、左の袖も試しに指してみる。菫恋はことさら大きくため息をついた、観念しました。と言ったように沙依を見て苦笑いをした。結局、袖や反対のポケット、バッグのポケットからも小物が出てきた。

 ここまで出て来ると、常習犯としか言いようがないな。

「じゃぁ、これも出してね」

 そう言って、腰を手でポンポン! と叩く、やはり硬いものが手に触れた。

「瀬央さん、この中でいる物ある?」

「……たべっ子どうぶつ」菫恋は俯いて、小さくそう言った。

 菫恋の手を引いて、それぞれの売り場へ品物を戻して回った。お互い話す事は何も無かった。そしてカゴに残った、どうぶつのビスケットと筍のビスケットを持ってレジに並んだ。遠くであの店員が沙依たちを見ていたが、もう関係ない。菫恋がこれ以上、嘘を言っていなければだが。


 何やってんだろな私、万引きする奴なんてほっとけばいいのに。こんな気持ちを確か中学の時、男子が言ってた、何だったっけ? 「賢者タイム」なるほど、あれはこんな感じか。


 スーパーから出ると、店員が追いかけて来ない事を確認して、

「じゃぁね」それだけ言って別れた。


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