EP.2 ヴィラン幹部の賑やかな夜(2)
2020.09.28 更新:2/3
ユリウスは、地下施設を駆け抜けた勢いのまま、住居を飛び出した。これほど冷静さを欠くなど、あまりにもらしくないと片隅で思いながらも、どうしようもなく心臓が跳ね狂ってしまっていた。
建物の外から警報が鳴るのは、まだいい。だが、何故、優花が暮らす部屋からそれが聞こえるのか。
もしも、彼女のもとに、侵入する存在があったというのなら――。
おぞましい想像が過ぎり、臓腑の内側から焼け千切れそうだった。もしも、本当にそうであるというなら、相手の顔面を殴るどころでは足らない。
「優花さん?! 今の声は?!」
ユリウスは握りしめた拳でドアを叩いたが、返事は無い。しかし、その向こうからは、悲鳴が絶えず上がっていた。
ぶつん、と音を立て、頭の中で怒りが弾けた。
ユリウスは片足を持ち上げると、感情のままに扉を蹴り破る。留め具が吹き飛び、ひしゃげた扉が激しい音を立て倒れ込む。すぐさま踏み入れると、悲鳴が上がっている部屋へ飛び込んだ。
「優花さん!!」
「ギャアアアアア! イヤアアアアア!!」
そして、ユリウスの視界に飛び込んできたのは――暴れ狂うシャワーヘッドと水栓から噴き出している冷水を、浴びせられながら絶叫を上げる、裸の優花だった。
………………ん? 裸?
「つめた、つめったい! もう、暴れ過ぎでしょ?!」
「あの、優花さん」
「やだもうユリウスさんの綺麗な声まで聞こえてくる!」
「優花さん、あの、これは一体」
「……へあッ?!」
噴き出す冷水を、どうにか止めようとしているのだろう。両手のひらを、あわあわとかざしていた優花が、その時ようやく振り返った。濡れた黒髪を張りつかせた彼女は、少しの間黒い瞳を丸く見開かせ、ユリウスの姿を呆然と見上げていた。だが、瞬く間に白い肌は真っ赤に染まり……――。
「キ……ッキャアアアアア!!」
「お退きなさい愚弟ーーーー!!」
戦慄く唇から悲鳴が迸ると同時に、追い掛けてきたイレイヤの回し蹴りがユリウスの長身を吹き飛ばした。
◆◇◆
「あちゃ~……シャワーが壊れちゃったのかあ」
凄まじい勢いで冷水を放出し続けるシャワーヘッドを、遅れてやって来たノアが窺っている。あれだけ叫べば、何事かと思うだろう……夜に雄叫びを上げるなんて、多大な迷惑を掛けてしまった。
「ごめんね……すごく大きな声出しちゃって……」
「いいって~、それくらい。優花さんが無事で良かったよ。もしも不審者だったら、全身の骨格が変わるまで殴り倒してたもん」
わあ~ノア君、物騒! 犬っぽい無邪気な微笑みが、今は狂犬に見える~……。
「あ、あの、それで……その、イレイヤさん。ユリウスさんの頭を、その……」
「ああ、気にしないで。馬鹿な愚弟に教えているだけよ、女の子の風呂場に突撃したあげく裸を見るなんて、許しがたい行為だと」
艶然とした微笑を浮かべるイレイヤの、その足元には。
上背のある身体をコンパクトに折り曲げ、フローリングに額を押し付ける、ユリウスの姿があった。
さらに彼の後頭部を、爪先まで綺麗なイレイヤの足がぐりぐりとなじっているものだから、優花の動揺は余計に増した。
ど、どうしよう、凄い光景を見てしまっている……。
早く忘れて差し上げるべきだけど、これ絶対、一週間くらい夢に出てきそう。
などと、優花の意識はもはや別のところに飛んでしまっており、バスルームでのハプニングも、風通しのよくなった玄関の扉についても、既に頭の中では些細な出来事になってしまっていた。
「優花さん」
「あ、はい!」
「これはもう、当然の事と、思っていますので……本当にすみませんでした」
「いえ! そんな、良いんです! こちらこそすみません!」
「あら、どうして優花ちゃんが謝るの?」
だって、美の化身に、粗末なものを見せてしまった……。
何故だろう。裸を見られた事は、確かに恥ずかしい事のはずだが、それ以上に申し訳なさの方が強いのだ。
「それに、怒ったりなんて、しませんよ。ユリウスさんだけじゃなくて、皆さん心配して駆けつけてくれて……すごく嬉しかったです。だから、イレイヤさん、もう足を退けても良いんですよ」
「むう……それぐらいの事を、愚弟はしたのに」
イレイヤは不満たっぷりに唇を尖らせていたが、実弟の後頭部からようやくその美しい足を退ける。そして、そのまま優花の正面へやって来ると、ぎゅっと両腕で抱きしめてきた。
「心配したんだから。あんな悲鳴をあげて」
「すみません。イレイヤさんもありがとうございます、飛んできてくれて」
「当然よ!」
「優花さん、僕は~?」
バスルームから出てきたノアの頭を、優花は笑顔と共に撫でる。
「ノア君も、ありがとうね」
「えへへ、やった~。……あ、そうそう、水回りの修理、僕の方で連絡しておくね。ついでに扉の方も」
「あ、私が……」
「良いよ良いよ、それくらい、僕だって連絡出来るし!」
ノアはそう言いながら、スマートフォンを片手に再びバスルームへ戻っていった。早速、連絡を入れてくれているのだろう。私よりよっぽどしっかりしていると、優花は感心しきった。
「でも……驚きました。ユリウスさんも、あんな表情をするんですね」
優花が普段見るユリウスとは、常に穏やかな物腰で、けして粗野な振る舞いのない、貴公子のような人物だった。だが、先ほどの彼は、それとは正反対だった。扉を蹴り破るほど焦燥感に溢れ、声を荒げながら、切迫し飛び込んできた。涼しげな表情は崩れ、感情が剥き出されたその様子は……強烈に、優花の中に残った。ああ、こんなに綺麗な人も、そんな風に恰好を崩すのか、と。
「みっともない姿をお見せしました」
「いいえ。意外な姿を見せてくれて……親近感が増えました」
「そう、ですか。ともかく……ご無事で、良かったです」
ユリウスは、恥ずかしそうに苦笑する。その仕草は、年相応の青年らしさを匂わせ、たおやかな微笑みの下にあるものを少し垣間見えたような、そんな心地がした。
「……へっぷし!!」
「あら、可愛いくしゃみ。でも……思いっきり冷水を浴びちゃったものね。すっかり冷えちゃったでしょ」
「うう、ずび、大丈夫です」
「無理はいけないわよ」
その時、イレイヤの表情が、何か閃いたように明るく華やいだ。
「そうだわ! お風呂が壊れたのなら……――」
片方の手を唇に当て、うふふ、と意味ありげに微笑む彼女は、それはもう無邪気な輝きを放っていた。