EP.1 戦隊ピンクは今日も泣き叫ぶ(3)
「うん、優花はやはり、料理が上手だな」
「うんうん、この肉じゃが美味しいよ~」
バカブルーとアホグリーン……もとい不本意ながら同僚となった青年達は、ぱくぱくと肉じゃがを口に運んでいく。
昨日の夕食の、余ったおかずである。
さすが食べ盛りの若い青年、おやつ感覚で肉じゃがを平らげ、別の保存容器に詰めた副菜にも箸を伸ばす。
「はあああ……何だかんだで甘いなあ、私……」
二度と作ってやらない、とは言いながらも、結局本拠地へ持ってきてしまうのだ。この素晴らしい食べっぷりのせいかもしれない。
ブルーとグリーンの傍らで、あんぽんレッドも大人しく箸を動かしている。彼の場合、美味いと言葉にせず、その代わり平らげる速度で語るのだ。この速度は……かなりお気に召したらしい。
優花の意思など全て無視し、この界隈に引きずり込み、戦いともなれば最前線へ放り投げるとんでもない奴だが……なんだかんだでこの姿には弱い。小さな時から、一哉は言葉以上に態度で「美味い」と告げるのだ。
「おかわり」
「ありません!」
「くそ……」
そして、途端に浮かべる食べ足りない表情に、ついついまた作ってしまう。昔から、そうだった。好き嫌い無く、いい食べっぷりを見せてくれるから、こうなってしまうのだ。溜め息をこぼしながらも、優花の口元にはほのかに笑みが浮かぶ。
「つうか、鶏の照り焼きじゃないのかよ」
「うるさい、豚肉が安かったの」
「お前、今度こそ作れよ」
そんな言葉を投げ合っている内に、あっという間に保存容器は空となった。綺麗に完食されたその風景は、やはり気持ちの良いものだった。
後片付けを終えた優花は、手頃なソファーへ腰を下ろし、ぐっと背伸びをした。
対ヴィラン特殊戦闘部隊は、基本的にほぼ毎日、活動拠点であるこの研究所に詰めていなければならない。何時何時、ヴィランの襲撃があるか分からないのだ。そもそもこの組織は、地球の暮らしにそぐわぬ行動を取る異星人を、物理的に止める事を目的としている。出突っ張りの上に危険も伴う、だからこその報酬の良さなのだろう。
力の源であるオーブは、この研究所に他にも存在し、そしてそれらにはまだ適合者が現れていないらしい。早く人員が増え、叶うならば第二のピンクが現れる事を切に願う。
しかし、ヴィランの襲撃が無いと、手持ち無沙汰になる。ブルーはトレーニングを、グリーンは携帯ゲームを始め、各々が思い思いの自由時間を過ごしている。暇ならば帰らせて欲しいと思うが、仕方ないので優花も持ち込んだ料理本を開いた。
(あと作ってないおかずは、何があったかなあ……。茶碗蒸しとか、だし巻き卵とか、卵料理とかにしようかなあ)
ふっと浮かび上がる、揃いの銀髪と金色の瞳の、美しい三兄弟。
一際強く過ぎったのは、ユリウスだった。
毛先が鮮やかな青で染まった、美しい銀色の髪。長身で肩幅もあり、鍛えた身体の輪郭を持ちながら、不思議な上品さの漂う雰囲気。目は異星人らしく、黒単色に金色の瞳孔と、人間が持たない色合いだがとても綺麗な形をしている。
一方で、凄みのある低音も出す事が出来るらしく、魅力を損なうどころかさらに倍増された。
(最初から叶わないって諦めているけど、釣り合いなんて、ますます取れなくなっちゃった)
あるか無いかの微笑みを浮かべ、優花は本のページを捲る。そして、不意に視線が留まったのは、お菓子の文字だった。
(お菓子……お菓子かあ……)
普段は家庭料理ばかり作っているが、たまには、菓子作りも良いかもしれない。何か簡単なものは無いだろうか……――。
「なんだ、今度はお菓子作りか」
「わあッ?!」
「うるせ、声でか!」
ソファーの背面から覗き込んだ一哉は、耳を抑える仕草を見せる。
「ご、ごめん……」
「で、お菓子作り? お前、こっちは難しいってぼやいていただろ」
「うぐッ」
よく覚えている……腐っても幼少期からの付き合いだからか。
一哉の言う通りに、田舎の祖父母の好みだろう純和風家庭料理は得意であるものの、一方で菓子作りにはそれほど手を伸ばしてこなかった。
「だってお菓子って急に次元が変わるんだもの。分量と手順をちょっと間違うだけで大惨事だし」
「そんなんで菓子作りとか、大丈夫なのか」
「ふぐうッ! い、良いでしょ、挑戦するくらい! ちゃんと、練習もするんだから」
「ふうん……? まあ、頑張れよ。食ってやるから成功させろ」
優花は目を丸くし、小首を傾げる。
「え? いや、別に一哉のために作るわけじゃないんだけど?」
言い放った瞬間、それまで笑っていた一哉の表情が固まった。
「お隣さんにね、作ってあげようかなって。どっかの誰かさんと違って、いつも優しいし、美味しいって喜んでくれるし。美味しいって喜んでくれるし!」
大事な事だから、しっかりと二回言葉を重ねた。
作り手にとって、美味しいとは最高の賛辞であり、次回の活力に繋がるのだ。こちらの気力を削ぐだけの、何処かのあんぽんたんは足元に及ばない。そこが、一哉とユリウスの最大の違いだろう。
「……お隣さんて、誰だよ」
やや間を空け、一哉が呟く。唸るような声であった事には気付かず、優花は堂々と告げた。
「全部浄化されるくらい神々しい、この世の美の化身よ」
「意味が分からねえよ! 何だよ美の化身って!」
「嘘でしょ、何で分からないの?! そのままの意味よ!」
少し離れたところから、ブルーとグリーンが「いやそれは誰も分からないよ」というつっこみが聞こえた。
「……おい、もしかして、男か」
「だったら何よ、いいじゃない別に」
顔を背け、鞄を手にソファーから立ち上がる。背面から聞こえる一哉の声は全て聞き流し、研究所の入り口へ向かった。
「優花!」
「もう~見回りに行くだけだよ! 別に逃げるわけじゃないから!」
優花は辟易としながら、自動開閉の硝子扉をくぐる。なおも後ろから聞こえてくる幼馴染みの大音声に溜め息をこぼしながら、見回りと称した買い出しへ出掛けた。
本当、何なのだ、あの男は……。
◆◇◆
菓子作りに必要な材料を一通り揃え、優花は足取り軽やかに、街中を歩む。
よく晴れた空、降り注ぐ暖かい陽射し、楽しそうに過ぎ去る人々の姿。ヴィランによる襲撃が起きているとは思えない、とても和やかな雰囲気に満ちていた。出来ればこのまま自宅へ帰りたいところだが、研究所には戻らなければならない。急に不機嫌になった一哉の相手をしなければならないのか……本当に、戦闘部隊ピンクはろくなものではない。
「……ん? あれ?」
憂鬱になりながら、ふと動かした視線の先に、すらりとした上背の後ろ姿が飛び込んだ。陽射しを受け、より輝きを放つ銀色の髪と、毛先を染める鮮やかな青色。遠目に見ても眩しいオーラが浮かび、人間離れした美しい存在感が溢れ出ている。男女問わず、通行人の視線をちらちらと集めているほどだ。
そんな目を惹く佇まいは、記憶の中で、一人しか知らない。
「ユリウスさーん!」
買い物袋をガサガサと揺らし、優花は駆け寄った。驚いたように広い背中が振り返り、優花と視線がぶつかる。
「わあ、奇遇ですね。お出かけでしたか?」
「あ、え、ええ。優花さんも?」
「はい、そんな感じです。あ、ごめんなさい、もしかして今電話中でしたか……?」
犬のように駆け寄った事を恥じながら窺うと、ユリウスは「終わったところなので大丈夫ですよ」とにこやかに微笑んだ。太陽の光を浴びいっそう輝く銀髪のおかげで、彼の微笑みはさらに眩しさを増している。
ああ、苛々が、全部浄化される……。
「優花さんは、お買い物をされていたんですか」
「あッこれは、そのお菓子作りに……挑戦しようかと、思って」
「え、お菓子も作られるんですか。すごいですね」
「いや、あの、お菓子は本当初心者で! れ、練習用、なんです」
昨晩の肉じゃがは自信作だが、それとはまったく別次元であるから、あまり期待はしないで貰いたい。
だが……。
「あ、あの、ユリウスさん」
「はい」
「上手く出来たら、ユリウスさんにもお裾分けしようかなと思うんですが……良いですか?」
「……私に?」
微かに驚いた声音に、優花は慌てて両手を振った。
「あ、ユリウスさん達に、です!」
「ッふふ……ありがとうございます。嬉しいです、優花さん」
口元に指を添え、柔らかく咲いたはにかみ。涼やかな色彩の似合う端正な面立ちが綻ぶ様を見上げ、優花は内心で歓喜の絶叫を上げた。
あぁああぁ~~無理~~~! それだけで元気出る~~~!!
――そんな和やかな空間を壊すように、突如、通りに甲高い悲鳴が響き渡った。
「きゃあああ!!」
「ヴィランが出たぞ!!」
その言葉は瞬く間に人々へ伝わり、暖かな陽射しの注ぐ通りは、恐慌状態へと陥ってしまった。
「げッ!!」
優花は、思わず苦い声をこぼした。懐に忍ばせている、本拠地との連絡用の電子機器を掴む。ヴィランが現れたなら、すぐに伝え、向かわなければならない。
だが……傍らには、ユリウスがいる。
「ユ、ユリウスさん!」
せめてこの場から離れるよう伝えなければ、と思い彼を見上げると。
金色の瞳は、押し寄せる人波の奥を静かに見つめていた。
「……間が悪すぎるだろう……」
「ユリウスさん?」
逃げ惑う人々の悲鳴で、よく聞こえなかった。動かない彼の服を掴み、引っ張れば、ようやくユリウスは優花へ視線を下げた。
「あ、いや……ともかく、優花さんは避難を。ここは、危ないようですから」
「それを言ったらユリウスさんも!」
「いえ、私は……」
その時、懐の電子機器から、甲高い音色が鳴り響く。それに気取られている時、どっと押し寄せた人波が、優花とユリウスを分断した。
「優花さん?!」
ユリウスの声が、喧騒の向こうへ遠ざかる。あっという間に、彼の姿は人波に飲まれ見えなくなってしまった。
だが、好都合である。優花は逃げ惑う人々に紛れ、その場を離れた。
すみません、ユリウスさん! ちょっと仕事を終わせてきます! どうかご無事で!
◆◇◆
がらんどうになった大通りの中央は、激しい土煙が舞っていた。桃瀬優花からヒーローピンクへと変身し、勢いよく飛び込む。そこには、既に集結したレッド、ブルー、グリーンが佇んでおり――そして、全身真っ黒の子分と、それらを従えたヴィラン幹部の姿があった。
二メートルを超えているだろう巨躯を持つ、オレンジ色のたてがみを持つ四足獣――グリムビースト。
抜群のプロポーションから毒々しいほどの色香を放つ、仮面を被った悪女――ヘルクイーン。
珍しく奮い立った戦意が、一気に下がった。
なにせ、ヴィラン幹部であるヘルクイーンは……――。
「見つけましたわよ、ピンク! 今日こそ踏み潰してやりますわアアアアア!!」
――何故か、異常なまでに、優花への当たりが強いのだ。
ピンクを視界に入れるなり、飛びかかってくるヘルクイーン。携えた茨の鞭は叩き付けるように放り投げ(武器じゃないのだろうか)、美しい脚を振りかぶった。
一番近いところにいる、レッドやブルーなどを無視して。
「何でいつもいつも、私ばっかり狙うんですかー! あっち行って下さいよー!」
「お黙り! いちいち、いちいち、腹が立つんですのよ!!」
「理不尽過ぎる……ッいったあー?!」
鋭いピンヒールが、連続し容赦なく突き刺さる。戦闘部隊員として身に付ける衣装とオーブのおかげで、致命的な傷は受けないにしても、痛いものは痛いのだ。
これ、絶対また痣になる。
優花は盾を張りながら、ヘルクイーンから必死に逃げた。
「こんの……ッ何してんやがんだクソがーーーー!!」
真紅の長剣を抜き払い、怒声と共にレッドが割って入る。
ヘルクイーンは華麗に飛び退き、その攻撃を躱す。仲間であるはずのピンクは突き飛ばされ、瓦礫の中へ頭から突っ込んだ。無差別にもほどがある。
「いやー本当、ピンクが関わるといつもヘルクイーンは狂化状態だよねー」
「ついでにレッドまで手が付けられなくなるからな。まったく面倒だ」
ブルーとグリーンに片足を一本ずつ持たれ、瓦礫の山から引っこ抜かれる。上下逆さまにされたまま、地面へ下ろされた。
嘆きたいのは、ピンクの方である。敵幹部からは激烈に目の敵にされ、仲間には突き飛ばされ、さらに両足を持たれ宙に吊るされる。どちらも、年頃の女の子にしていい行為ではないはずだ。
(――やっぱり、ピンクなんて辞めてやる!!)
一方、ユリウスも外套が翻る漆黒の甲冑に身を包み、ダークナイトとして戦線に加わった。
そこに広がっていたのは、毎度お馴染み、白い隊服の戦闘部隊レッドと怒り狂うヘルクイーンが一騎打ちをする光景だった。
ユリウスは項垂れ、誰にも聞こえないよう溜め息をこぼした。
ヘルクイーン、もとい実姉イレイヤが加わった時には、毎回こうなってしまう。送り込まれている部下達まで共に蹴り飛ばされ、ユリウスに助けを求めている始末だ。
「……ノア、何故止めない」
「あの状態の姉さんを、僕が止められると思う?」
獰猛な巨獣の姿を取るグリムビースト、ノアは太い牙を擁した獣の口元に苦笑いを浮かべる。あれを止めるための図体でもあるはずだが……。
「はああ……こうなると、毎回毎回、戦闘どころではない」
「うん、まあ、ぐっちゃぐちゃだよねえ」
怒り狂うヘルクイーンは、レッドを躱しながらも、ピンクを執拗に狙っている。むしろ、それしか眼中がないようだ。ブルーとグリーンから銃口を向けられても、まったく怯まない。
毎回イレイヤが出ると、この有り様だ。戦いが激化し、手が付けられなくなる。
彼女曰く「あのピンク、いちいち優花ちゃんを思い出させて腹が立つのよ!」らしい。普段から妹のように優花を可愛がっているからだろう。
ちなみにノアの場合は「なんか優花さん思い出すからあんまりピンクと戦いたくない」と戦意低下してしまい、やる気を完全に失くす。
全員、自国で恐れられてきた存在だというのに。
いつの間にか根幹には、心優しい隣人がすっかり居座ってしまっているらしい。
「……ヘルクイーン!!」
ユリウスは息を吸い込み、イレイヤを呼ぶ。
「げ、ダークナイトまで来ちゃったの?! 面倒くさいなあ!」
「レッド、落ち着け!」
長剣を振り回すレッドは、ブルーとグリーンに取り押さえられた。その隙に、ピンクは後方へあたふたと逃げ出す。
その後ろ姿を追いかけようと、イレイヤが一歩踏み出したが、もう一度ユリウスは彼女を呼んだ。いかにも忌々しそうに舌打ちをすると、イレイヤはその場を飛び退き、ユリウスの傍らへやって来た。
「邪魔はしないでちょうだい、今すぐピンクをここで……ッ!」
すぐにでも飛びかかりそうなイレイヤの肩を、ユリウスは力強く掴んだ。
「姉上、ノア、予定変更です。今日はこの辺りで撤退します」
「何ですって……?! ふざけないで……」
「――優花さんが、近くにいます」
激昂していたイレイヤの動きが、分かりやすく止まった。
「こいつらの関係者かもしれないですしね……はぐれましたが、きっとまだこの近くにいるでしょう」
「な、何よ、それ……! あ、危ないじゃない!」
街灯や道路など、諸々の建造物を砕き回っている彼女が言っていい台詞ではないが、そう、危ないのである。
戦闘部隊ヒーローを下すのはユリウス達の任務であるが、優花に何かあっては今後一生後悔する。
それに――ユリウスは今日、重大な情報を入手したのだ。
「優花さんが、お菓子作りに、挑戦するそうですよ」
「な……ッ」
「優花ちゃんが、お菓子……?」
「まだ練習の段階ですが、上手く仕上がったら、我々にお裾分けしたいと言っていました」
顔を全て覆うヘルムを被っていて良かった。こんな緩みきっただらしない顔は、身内にすら見せられるものではない。
正直、成功しようと失敗しようと、どちらでも構わない。彼女の事だから、きっと美味しく仕上げるだろうし、例え失敗したとしても……。
「し、失敗したんです。ごめんなさい……」
顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに項垂れても――絶対、可愛い。
動きを止めたイレイヤとノアの脳裏でも、恐らくは同じような想像が過ぎったのだろう。数秒間沈黙した後、二人は颯爽と身を翻し。
「――こうしちゃいられないわ!」
「三十秒で終わらせるぞ!」
それまでにない奮起を見せ、ヒーローと対峙した。
少しの間、言葉をかわしていた幹部三体は、何事もなかったように堂々と立ちはだかった。
「お遊びは、ここまでにしよう」
「うふふ……さあ、ヒーローの坊や達、覚悟は良いかしら?」
「グルルルルル」
ピンヒールで蹴られまくった身体を擦りながら、優花は顔を向ける。
ダークナイト、ヘルクイーン、グリムビーストが並び、緊張が迸る。息苦しいまでの迫力に、優花はその場で息を飲み込む。
「……うるせえ、覚悟すんのはどっちだ」
ゆらりと佇むレッドから、唸るような声が漏れる。彼は真紅の長剣を構えると、レッドオーブの力を注ぎ込み、炎のように燃え盛る巨大な剣を作り出した。空気がひりつき、焦熱が立ち込め、周囲が紅蓮色に照らされる。
「吹き飛べ――!!」
正義を背負うレッド、とは思えない咆哮と共に、巨大な赤剣が全身で振り下ろされる。
激しい勢いで迫る炎の刃を、三体のヴィランは迎え撃つ――事を何故かせず、そのまま受け止めた。
爆炎が弾け飛び、衝撃波が迸る。耳の奥まで震わす轟音が、優花の全身を包んだ。
さすがにあの威力はひとたまりもないだろう。そう思い、恐る恐る見上げたが……三体のヴィランは、何事も無かったように佇んでいた。僅かに焼け焦げ、煙が上がっているが、それだけだ。ほぼ無傷と言ってもよい状態に、優花はヘルムの向こうで困惑を浮かべた。
それは、恐らくレッドもそうだろう。彼は一瞬動きを止めた後、苛立ちを隠さず舌打ちをし、再び攻撃を仕掛けるべく身を低く構える。
三体のヴィランは、レッドを真っ直ぐと見つめ――何故か満足げに頷いた。
「――よし! 今日はこれくらいにしておこう!」
「この辺りで許してあげるわ! 行きますわよ!」
「グオオオオン!!」
彼らは攻撃に転じる事なく、あっさりと撤退の意を見せた。
「は?! え、あ、おい!」
「さらばだ!」
困惑するレッドに背を向け、三体の幹部はその場から姿を消す。とばっちりを受け倒れていた黒ずくめの部下も、それにならい慌てて消え去った。
――静寂が、押し寄せる。
取り残されたヒーローの間に流れる沈黙は虚しさを宿し、そよ風が煽るように横切っていった。
あまりにも呆気ない、唐突な戦闘の終わり。優花ですら、言葉を失った。全力で仕掛けた一哉に至っては、長剣を構えた格好のまま、硬直してしまっている。
ええー……そんな、猛スピード終了、あり……?
「……えーと、無事に終わった、でいいのかな?」
「……恐らく、は」
ブルーとグリーンの呟きが、小さくこぼれる。それを耳にし、ようやく優花は我に返った。
「私も、戻る!」
「は?!」
「ユリウスさんが、まだいるかもしれない!」
「おい、待て、ユリウスって誰――優花!!」
あんぽんレッドの呼び止める声は無視し、優花は瓦礫の山を飛び越えた。きっとまだ、ユリウスはこの近くにいるはずだ。
◆◇◆
オーブによる変身を解き、ピンクからただの優花へ戻った後、ユリウスと別れた場所へ向かった。
つい先ほどまで戦闘状態にあったため、人の姿はほとんど無く、また肝心のユリウスの姿もそこに見当たらなかった。
何処か、安全な場所に避難出来たのならそれで良いのだが……。
「……ん? あー! お菓子の材料ー!」
通りの片隅に、ぐしゃぐしゃに潰れた買い物袋を発見した。それは間違いなく、優花が買い揃えた材料が入ったものだった。
そういえば、急ぐあまり、放り投げた気が……。
慌てて駆け寄り、袋を持ち上げる。幸い中身は辺りに散乱してはいなかったが……バターも、卵のパックも、小麦粉の袋も、全て踏み潰されてしまっていた。
「あぁあぁ……やっちゃった……」
「優花さん!」
項垂れた頭を起こすと、駆け寄ってくるユリウスの姿が飛び込んだ。
数十分前と変わらない、美しい姿。怪我などは無かったらしい。
無事で良かった、と安堵した時、ユリウスの後ろへ続くイレイヤとノアの姿を発見した。
「あれ?! 何で二人が……イレイヤさんもノアくんも、近くにいたんですか?」
「そ、そう、たまたま! たまたま、近くにいたのよ!」
「急に騒がしくなって、びっくりしちゃった! ところで優花さん、それ、どうしたの?」
ノアに買い物袋を示され、優花は苦笑いを返す。
「さっきの騒動で、手から離れちゃって……駄目になっちゃった」
もったいない事をしてしまったと、肩を落とす。すると、何故か正面に立つユリウス達までも、ズーンと落ち込んでしまった。この三人のせいではないのだから、そう気にしなくても良いのに。
「良いんです、材料はいつだって買えますから。次回に持ち越しです」
「え?! そ、そんなあ……」
イレイヤの美貌が、悲しそうに歪む。しばらく彼女は俯いていたけれど、何か思い至ったのか、表情を明るくし両手を合わせた。
「ねえ! それなら、みんないるし、後でお買い物に行きましょう?」
「あ! いいね、それが良いよ。夕ご飯の買い出しついでに、またお菓子の材料も揃えてさ」
ねえ兄さん、と無邪気に笑ったノアの肘が、ユリウスの脇腹へ刺さった。
「あ、ああ、そうですね。せっかくですし、優花さんの都合が良ければ。また、自転車をふらふらさせては危ないですしね」
「でも、そんな、本当、練習用ですし、それくらい」
「――お隣同士なんですから」
優花よりも、ずっと高い背が上品に屈む。
「こういうのも、悪くないでしょう?」
静かな微笑みが、至近距離で炸裂する。その両脇からは、期待に満ちたイレイヤとノアの笑みが覗いた。
光輝く微笑み光線が、特大威力を伴い、真っ向から降り注ぐ。あまりの目映さに、心の中で砂となり蒸発した。
「う、あ、あありがとうございますゥゥゥ……ッ!」
直視出来ず顔を両手で覆ったが、それでもしっかりと、頷きは返す事に成功した。
夕方、同じ場所に集合する約束を取り交わし、優花は足取り軽く本拠地へ戻った。
駄目だ、今から楽しみ過ぎて、顔のニヤニヤが止まらない。
(そういえば……イレイヤさんとノアくんに、お菓子作りの事言ったかなあ?)
きっとユリウスさんが伝えてくれたのだろう、と早々に自己完結し、レシピ本を眺める。
待ち構えていた一哉からは、戻るなり「おいユリウスって誰だ」と怒濤の勢いで質問を浴びせられ、今も全く止まる様子がないのだけれど、けして口は割らなかった。
そしてありがたい事に、その日はそれ以降ヴィランの襲撃はまったく起こらず、平穏なまま夕刻を迎えた。
「じゃ、お先に失礼しまーす!」
「おい優花、俺も」
「お疲れ様でした~! わ~い!」
「優花ァァァァアア!!」
一哉の呼び止める声はさらっと聞き流し、浮かれながらさっさと退出した。終始、ブルーとグリーンは苦笑いを浮かべたままだったが、あとは彼らが一哉を宥めてくれるだろう。それくらいは、彼らにも是非やって貰いたい。
本拠地を離れ、街中へ急ぎ足で向かう。こんなに晴れやかな気分で帰れるのは、久しぶりだ。いつもは大体、不機嫌か、半泣きかで飛び出しているため、戦闘部隊の関係者も不思議そうに首を傾げている。
――たまには、良いだろう。弱虫ピンクにも、そんな日があっても。
「あ、来た来た! 優花ちゃん、こちらですわ!」
「優花さん、お疲れ。荷物は僕が持つからね、安心してよ」
「さて、行きましょうか。優花さん」
尊い美しさに囲まれた優花は、一人静かに、祈りを捧げた。この幸福感の中で死ぬならば悔いはない、と。
ヴィランと戦う、戦闘部隊ヒーロー。その一人、ピンクに選ばれた事を、今も納得はしていないし早く辞めてやると息巻いているが――彼らがいる間は、もう少しだけ、頑張れるような気がしてきた。
新たな代役が見つかるまで、踏ん張ってみよう。
朗らかな隣人の三兄弟を見上げながら、優花は改めて気持ちを引き締めた。
――しかし、優花は知らない。
今まさに隣へ並んでいる青年が、これから先長く戦い続けていく事になるヴィランの幹部、ダークナイトその人である事を。
そして、ダークナイトから想いを寄せられているという、密かな事実にも。
互いに明かせぬ秘密を抱えた、正義のヒーローと、邪悪なヴィランの、恋と戦いの行く先は何があるのか。
彼らの私情に満ちた物語は、これからも続く――。
――嘘次回予告!
第○○話、適合者発見?! 現れた新たな少女、ピンクついに交代か
第○○話、ピンク絶体絶命! ダークナイトと共に閉じ込められた彼女の運命は
第○○話、ピンク風邪に倒れる! ヴィラン幹部の受難
第○○話、アパート襲撃! ヒーローレッドの暴走
お楽しみに!
◆◇◆
頭カラッポで読めるような、なんちゃって特撮系ラブコメ。
疲れていた時に書き始めたら、こうなりました。
すみません、実は特撮系あまり詳しく理解していないのですが、大体こんな感じでいいしょうか。たぶんきっと違う。
設定ガバガバですが、さらっと楽しんでいただけたら光栄です。
珍しく人外っぽさがごく少ない、ライトな人外モノです。人外モノ……?
【悪役×正義のヒーロー】も、とても美味しいと思うので、みんな書いてみようぜ。特撮系の沼地も、きっと夢が広がるはず。