EP.1 戦隊ピンクは今日も泣き叫ぶ(1)
2020.01.04 掲載
■ ヴィラン幹部×戦隊ヒーロー
特撮モノとかよく分かっていない作者による、敵幹部とヒーローの短編恋愛。
設定ガバガバですが、楽しんでいただけたら光栄です。
なお、敵幹部は当方にしては珍しい【ほぼ人間な宇宙人】となっておりますので、よろしくお願いします。
空から降り注ぐ、七色の弾丸。
風を切り裂く、極光のレーザー。
砕かれた建物と、抉られた大地から、破片と砂埃が激しく舞い上がる。
爆音と共に塗り替えられる街の景色。それはまさに、映画や物語の中で描かれる、手に汗握るアクションシーンそのものだった。
傍から見れば、恰好いいのだろう。傍から見れば!
――いやもう、本当、勘弁してくれ!!
日常生活にはあるまじき轟音と着弾音が、頭上を激しく飛び交っている。
死ぬ、絶対死ぬ、今日こそ命日だ。
たまらず頭を抱え、砂埃に隠れるように身を丸めるも、“同僚”達はお構いなしだ。蹲る人影を気にも留めず、率先し銃撃戦を繰り広げている。
ふと、一際強い風が、ザア、と音を立て吹き荒んだ。煙るように舞う砂埃によって覆われた視界が、鮮やかに晴れ渡り、宙を翻る純白のロングコートを映し出した。
七色の弾丸をかわし、風を受け颯爽と揺れる隊服の、その格好良さときたら。激戦の中それはとても美しく、目映く――だからこそ、憎たらしさを増長させた。
「おらー! きっちり防げピンクー!!」
先ほどから、瓦礫が吹き飛ぶ音や、何かが爆発する音が響いているというのに、そんな中でもくっきりはっきりと聞き取れる、凄まじい大音声。
白いロングコートの形状をした隊服に、赤いラインを入れた人物――通称レッドのものだ。
頭部をすっぽりと覆うヘルムには、互いの声が聞こえるよう聴覚補助のシステムが組み込まれているのだが……補助など一切必要としないその凄まじい声量に、仲間は皆、レッドの音声については常にシステムオフの状態である。
「ふ、ふせ、防いでるわよ! 毎回毎回、ふざけないでよ!」
頭を抱えながら、負けじと大音声で返す。同じように、白服に色のラインを施した、ブルーとグリーンからは「その意気だ!」「その調子!」などと見当違いな声援が送られてくる。
違う、欲しいのはその言葉ではない。お前ら揃いも揃ってトンチンカンか。
ますます感情のメーターが爆上がりし、血圧が上昇する。
(いくら私の能力が“盾”だからって、嫌がる女を最前線に投げ込むやつがあるかあーー!!)
何がヒーローだ。へっぴり腰の弱虫を問答無用で投げ込むなど、悪魔の所業だ。特にレッド、投げ込んだ戦犯であるお前をけして許さない。
漫画やアニメの戦隊ヒーローのレッドといったら、熱き正義心と真っ直ぐな心根の爽やかな好青年で、まさに主人公といった人物のはずだ。間違いなく人選ミスである。
白い隊服に桃色のラインが入った、ピンクこと桃瀬優花は、今日も泣き叫んだ。
七色の弾丸とレーザーが飛び交う、正義の味方と悪役の戦場の真ん中で。
しかも、不運な事に、今日の相手は。
蹲りながらちらりと見上げた先には、レッド達の攻撃を難なくいなす、全身を漆黒の甲冑で包んだヴィランが佇んでいる。
今現在、敵対関係にあるヴィランの幹部の一人とされている、ダークナイトである。
ダークヒーローの如き不遜な格好良さと、幹部に相応しい重厚な威圧を兼ね備え、その風貌は闇に堕ちた黒騎士のようだった。破れた黒い外套が背面でたなびく様は、敵幹部どころかラスボス級の迫力。小心者のピンクには、それだけで全身が竦んだ。
「どうした、その程度か。ならば――これで終わらせよう」
臓腑の奥から響くような低い声でそう告げると、ダークナイトの手に握られた巨大な黒剣は、天へ掲げられた。たちどころに周囲が暗く陰り、不気味な生暖かさを孕んだ風が逆巻く。やがて黒剣の刀身には、禍々しい深紫の雷光が帯び、大気を激しく唸らせた。
それを真正面に見たピンクは、ヒュウッと空気を吸い込む。
「い、い……――いやァァアアアアアアアア!!!!」
本日一番の渾身の絶叫により、腕に装着したピンクオーブが爆発するような光を放ち。
最大出力で構築された巨大なシールドは、ダークナイトの攻撃を防ぐと共に、倍返しで打ち返したのだった。
◆◇◆
「今日もいい盾だった、お疲れ。桃瀬」
「さすが、優花ちゃんだね」
戦闘衣装である白い隊服を脱いだブルーとグリーンが、爽やかに微笑んだ。整った顔立ちを全面的に生かしたとても素敵な笑顔だが、その程度で怒りが治まる優花ではない。(もうその顔にも慣れた)
そしてなにより、最も腹立たしいのは。
「いい加減にしてよ、一哉!」
優花の叫び声が、本拠地である研究所に響き渡る。だが、一哉どころか仲間全員、何食わぬ顔をしている。研究員達までも「また始まった」とばかりに苦笑いを浮かべ、戦い後のメンテナンスを開始した。
何でだよ、おかしくないか。まるで癇癪を起こす私が悪いとでも言うような状況だ。
「うるせえな、いつもの事だろ。つうか、腹減った。何か作ってくれ」
「はあああ?! 私のこの顔が見えないんですかァー?!」
怒る人間を前にし、悪びれもなく食べ物をせびるなど……。いくら一哉が幼馴染みであろうとも、親しき仲にも礼儀ありというものだ。
お前に食わせる飯は! どこにも! 存在しねえ!
「落ち着け、優花。そう怒っては疲れるだけだろう。俺は甘いものが食いたい」
「そうそう、そんなにカッカしたら、可愛い顔が台無しだよ。ハニートーストとか食べたいなあ」
おい、そこのブルーとグリーン! これはお前達にも言っているんだからな!
なあにがヴィランと戦う正義のヒーローだ。世間ではどう呼ばれていようと、私の中ではアホブルー、バカグリーン、あんぽんレッドで十分だ。ああ、早くこの非常識トリオから離れたい。
「ここに連れて来られた以上、あんたには二度と、ご飯作ってやんないから!!」
優花は半泣きになりながら研究所を飛び出した。後ろから「今度、鶏肉の照り焼き食わせてくれ」という一哉――あんぽんレッドのリクエストが聞こえたけれど、当然ながら記憶から消去した。
いくつものセキュリティーが施された扉を通り、表向きは企業ビルを装う本拠地を大股で突き進む。優花の絶叫と半泣きの状態は、もはや日常風景のものとなりつつあるため、擦れ違う関係者は皆「今日も大変だったねえ」と憐憫に満ちた微笑を向けてくる。中にはお菓子をくれる人までいた。一応は、一哉の暴挙を哀れに思ってくれているのだろう。
気遣ってくれるなら、早く辞めさせて欲しい。もしくは、ヒーローの看板を背負うレッドでありながら、仲間を前線に放り投げるあるまじき性格のアンポンタンを止めて欲しい。
優花のその願いが叶う事など、もちろん、今後も無いのだけれど。
(本当、どうしてこんな事に……)
優花は、大きな溜め息を吐き出した。一ヶ月前の己の度重なる不運が、心底恨めしい。
何十年か前から、地球は他所の星の住人である異星人――いわゆる宇宙人と呼ばれる存在と交流するようになった。
ほとんどは友好的な種族だったが、中には地球人を弱者と侮り、暴力などを振るうものも少なからず存在していた。総称し“ヴィラン”と名付けた彼らを、物理的に腕力で止めるのが、対ヴィラン特殊戦闘部隊――ヒーローである。
まあ、つまり、不本意ながら優花が所属する組織だ。
名前と存在は知識として知っていたが、優花が過ごしてきた土地や環境は、ヴィランとの争いどころか異星人との交流すら無縁だった。そもそも彼らの受け入れ場所や出入国管理が、国の機関が定めた場所(大体、大都市に集中している)のためだろう。
全く、関わりは無かった。まさかこんなにがっつりと捻れて関わる事になるなど、想像すらしていなかった。
――長閑な田舎町から上京した、夢と希望に溢れたその記念すべき一日が、呪われた記念日になる事も。
まさか、上京したその日にヴィランの襲撃があり。
まさか、その爆心地に今後暮らす予定だったアパートがあり。
まさか、その場に――幼馴染み、赤羽一哉がいるなんて。
本当に、偶然という言葉では簡単に片付けられない、度重なる不運だ。間違いなく、人生ワーストランキング堂々一位の大惨事である。
いや、瓦礫から助けてくれた事には礼を言ったし、一瞬で住む場所を無くし茫然とするところに手を差し伸ばしてくれた事も、確かにありがたかった。
だが、全て過去形だ。あの時、彼の手を取るべきではなかった。
レッドこと一哉は優花をヒョイッと抱え、有無を言わさず本拠地だという研究所へ連れて行き、何故かモロモロの検査を優花へ受けさせた。そして、満面の笑みを浮かべると「こいつ今日から空席だったピンクな!」と笑った。
両目が彼方へ吹き飛んだ。
なんでも特殊戦闘部隊が、人間を遙かに上回る身体能力を保持している異星人に身一つで挑めるのは、地球の技術とエネルギーを余す事無く凝縮させた“オーブ”のおかげであるらしい。そして、そのオーブ一つ一つには、適性が存在している。
どうやら優花は、その内の一つ、ピンクオーブに選ばれたようだった。
当然、優花は拒んだ。
ふざけんな、いきなり素人の民間人にドンパチさせるとは、どういう了見だ。
適性なんかあるわけないだろ、よく見てみろ。
――あった。
しかも稀に見るという、八十%超えだった。
何かの間違いだと思い、もう一度検査した。検査する研究員もシャッフルし、さらに念には念を入れて検査し直した。
しかし、結果は同じ、無情なる“適性有り”。
膝から崩れ落ち、泣き叫んだ。
一体、誰が喜ぶのだろう。人が暮らす予定だったアパートを爆散させたヴィランと、未知のもの過ぎて触りたくもないオーブを身に付け戦うなど。
八十%超えの適合率を頑なに認めない優花へ、慰めるどころか「これからよろしく」などとのたまった一哉の顔に、渾身の張り手が炸裂したのは言うまでもない。
スーパーのお菓子売り場で駄々をこねる子どもの如く、泣いて拒絶しまくる優花を、しかしヒーローの関係者各位はけして逃がすまいと思ったのだろう。なにせ、貴重な適合者なのだ。しかも都合が良い事に、レッドの幼馴染み。是が非でも引き込むべく、衣食住と報酬の確約をちらつかせた。一瞬の内に新居が無くなった優花に対し、実に合理的な浅黒い手法である。
こうして優花は高額な報酬に目が眩み……いや免じて、一時的な入隊を決めた。
一時的だ。次の適合者が現れたら、喜んで辞める。命の危機になったら、絶対辞める。
そう泣きながら宣言した、あの不幸の日から、気付けば一ヶ月以上――対ヴィラン特殊戦闘部隊ピンクは、未だに続いている。
怒り心頭のまま、企業ビルを装った戦闘部隊本拠地から飛び出し、駐輪場に停めてあった自転車に跨がる。怒り心頭になりながら自転車を爆走させ、帰り途中に必ず立ち寄るいつものスーパーマーケットへ入った。
軽快な音楽の流れる食材売り場へ直行し、今日の夕飯は何が良いかと考えながら、商品棚を物色する。
(あ、豚肉が安い! じゃがいもとにんじんはまだあったから、これと白滝を買って……あとは安いお野菜を適当に買っておこう)
材料を手に取りカゴへ入れていくその間、ボコボコと煮えていた怒りは治まっていた。
そうだ、謳歌すべき日常とは、これだ。間違っても、戦隊ピンクになり、ドンパチするアレではない。
現在、戦闘部隊が戦っているヴィランには、三体の幹部が存在している。
三メートル近い黒い巨躯を誇る、オレンジ色のたてがみと黒い毛皮を持つ巨獣――グリムビースト。
毒々しいまでの色香と美しい豊満な肉体を持つ、仮面を被った美女――ヘルクイーン。
そして、今日も戦った、大剣を背負う黒騎士――ダークナイト。
その三体全て恐ろしい佇まいと強さを有しているのだが、彼らは何故か一様に優花へ当たりが強い。特に、女性幹部であるヘルクイーンは酷い。容赦なく、ピンヒールで蹴り飛ばしてくる。いくらピンクオーブの能力が“盾”であり、戦闘衣装が防御力を誇るとしても、痛いものは痛いし、酷いと痣になる。
普通、ここはリーダーのレッドを狙うものではないだろうか。
一体、私が何をしたというのだろう。
私は……もともと、こっちが相応しいような女だ。主人公になんて、ヒーローになんて、なれっこない、ありふれた存在なのだから。
うっかりタイムセールに引き寄せられた結果、買い物袋はずっしりと重くなってしまった。
自転車をよろよろと押し、人通りの賑やかな街中から郊外へ向かう。歩き慣れた静かな道路を登り、小高い丘の上を進めば、そっと佇む小綺麗なアパートの外観が映った。
「……あ!」
思わず、声が弾む。アパートの前に停まった他星産の車から、ちょうど下りてくる人影があったのだ。
「ユリウスさん!」
「……ああ、優花さん、今お帰りですか」
上品な仕草で振り返ったその人物は、穏やかに微笑んでいた。
すらりと引き締まった四肢と上背、欧米系の白い肌。肩幅も広く、何処か鍛えられたような力強い身体付きであるけれど、身に纏う雰囲気は不思議な上品さが漂っている。居住まいだけでも、何処か人間離れした美しさを感じるが、実際、その人物は人間ではない。彼の髪色は涼やかな銀色を宿し、毛先は静かな青色に染まっている。けして染めたわけではなく、自前のものだ。そして、優花を見下ろす両目は、白目の部分はなく全て黒単色に染まり、その中央に金色の瞳が光っていた。
容貌が示す通り、彼――ユリウスは地球ではない別の星の出身だ。
だが、あまりにも美し過ぎて……優花は心の中で両手を合わせ、拝み倒す。
「帰りにスーパー行ったら、値引きセールをしていたんです。ついたくさん……おっとっと」
自転車カゴに詰め込んだ買い物袋のせいで、バランスが崩れる。前輪から倒れそうになってしまったが、ユリウスがそれを支え、その上買い物袋を流れるように持ち上げた。
「ああッ! ユリウスさん、そんな」
「おっと……本当に随分とたくさん買いましたね。部屋の前まで持ちますよ」
至近距離から浴びせられる貴公子の如き微笑みに、優花の心臓が音を立て射抜かれる。あんぽんレッド達と接する内に、顔面の良さには慣れてきたが、ユリウスは別だ。子どものように、心臓がドッと跳ねる。
「で、でも、重たいですから」
「なら、なおさら。私は男ですから、これくらいは平気ですよ」
笑みを含んだ低い声に勝てるはずもなく、優花は大人しく持っていただく事にした。
この佇まいで人間年齢二十歳とは、驚きだ。優花より二歳年上とはいえ、そんなに年が離れていないのに、一体どのような環境で育ったのか。
「今日は、何を作られるんでしょうか」
「豚肉が安かったので、肉じゃがという料理です!」
「そうですか、それはとても楽しみで……ああ、しまった」
思い出したように、ユリウスは呟くと、改めて優花を見下ろした。
「おかえりなさい、優花さん」
「ひょわ……た、ただいま、です。あの、ユリウスさんも、おかえりなさい」
「はい、ただいま戻りました」
ああああ浄化されるゥーー! アホブルーとバカグリーンとあんぽんレッドの苛々が全部癒されるーーー!!
微笑みの貴公子は、今日も素敵過ぎて無理――心の中で、優花は歓喜の涙を滂沱の如く流した。
買い物袋を玄関まで運んでくれたユリウスは、最後に「今日も楽しみにしていますね」と微笑み、隣の住居へ向かった。その一言で、今日一番元気になった優花は、勇んでエプロンを掴み台所に立った。
ユリウスさんのために、美味しい肉じゃがを用意せねば。
余っていたじゃがいもや人参などを、ごろごろと流し台へ置く。手早く洗い、皮を剥く間、頬肉は緩んだままだった。
(えへへ……暮らす場所、自分で決めて良かった)
あんぽんレッドこと赤羽一哉を止めていなければ、今頃どうなっていた事か。きっと一哉が暮らしているだろう場所に優花も住まわされ、料理をせびられ、プライベート空間にズカズカと踏み込まれていたに違いない。
暴走傾向にある一哉を押し止め、暮らす場所を自身で探したところ、見つけたのがこの中心地から離れたアパートだった。本拠地である秘密研究所から距離があり、建物もとても綺麗で、周囲の景観も素晴らしい。しかもそのアパートに既にいた入居者は、銀髪の美しい異星人、ユリウスとそのご姉弟。優しくて穏やかな人とお隣同士だなんて、本当に僥倖である。
……ちなみに、暮らしている場所については本拠地へ伝えてはいるものの、一哉には具体的な住所を明かしていない。嫌な予感しかしないからである。
時計の針が、夜の七時を示した。いつもの決まった時間になり、優花は本日の夕食である肉じゃがが入った鍋と、副菜を詰めた保存容器を持ち、隣の部屋へ向かった。
「こんばんは、優花です。お夕飯のお裾分けに来ました」
呼び鈴を鳴らし、声を掛けると、すぐに扉が開いた。現れたのは、ユリウスではなく、彼とよく似た顔立ちのまだあどけなさの残る少年だった。銀色の髪と金色の瞳は同じだが、毛先は明るいオレンジイエローに染まっており、背の高さも相まって何処となく派手な雰囲気を有している。けれど、優花を見てぱっと浮かべた笑みは、溌剌と明るく、また無邪気なものだった。
「こんばんは、優花さん! 待ってたよ!」
「ふふ、本当? 嬉しいなあ」
年下と言えど、既に優花を見下ろせるくらいの身長を獲得しているが、にこにこと笑う姿は子犬のよう。尻尾が生えていたら、きっとぶんぶん横に揺れている。
「ノア、いつまでそうしている。すみません、優花さん」
弟であるノアの頭を小突き、ユリウスがやって来た。
「いいえ。あの、今日は肉じゃがを作ってきましたので、どうぞ!」
鍋と保存容器を差し出すと、ノアとユリウスの表情が緩む。
「ありがとう優花さん……あ、そうだ、このまま優花さんも食べていかない?」
「えッ」
「それとも、もう食べちゃった?」
「う、ううん、まだだよ」
「良かった! なら、うちで食べて行ってよ。おかずもいっぱいあるし」
「お前が作ったわけではないだろう……まったく。でも、そうですね、ご迷惑でなければ是非。姉も喜びますから」
神々しい顔面から、期待の込められた眼差しが注がれる。燦然とする目映さに顔を覆い隠しながらも、優花はしっかりと頷き、お隣さんの住居へ招かれるのだった。
とはいえ、これが初めてではないのだが。
「――まあ! いらっしゃい、優花ちゃん!」
風呂上がりだろう、ほかほかと上気した肌色の艶やかさに溢れた美女……いや女神が両腕を広げ優花を迎えた。
ユリウス、ノアと同じ銀色の、背中を覆うほど豊かな長い髪。その毛先は甘やかなローズレッドに染まり、咲き誇るような華やかさが美貌を彩っている。
「お邪魔します、イレイヤさ……むぐう!!」
イレイヤの両腕の中へ閉じ込められると共に、同性ですらドキドキしてしまう豊満な胸に顔が埋まる。香水か、それともボディソープか、豊かなバラの香りが優花を柔らかく包む。
「姉上、優花さんの息が止まっています」
「あらやだ! ごめんなさいね、優花ちゃん」
「ぷはッ! い、いえ、イレイヤさん……今日も綺麗ですね」
ユリウスとノアの姉であり、また優花よりも年上であるイレイヤは、華やかな微笑みを浮かべた。二十代後半ほどの面立ちで、女優やモデルのように抜群のプロポーションを持つ彼女だが、その笑顔は茶目っ気に溢れとても可愛らしかった。
「ほらほら、優花ちゃん、こっちへいらっしゃい。今日のお夕飯は何かしら~」
「兄さん、食器これでいい?」
「ああ。優花さんの分も忘れるなよ」
「分かってるよ。ねえ見て優花さん、いつでも一緒に食べられるように揃えたんだ!」
「えッそうなの?! やだ嬉しい、ありが……すごい可愛い?!」
凄まじい美男美女だが、賑やかで、気さくな雰囲気。その空気は何処にでもある、仲の良い家族の空間だった。この中に加わり、こうして食事が出来る幸福を、優花は肉じゃがと共にしっかり噛み締めた。
きっかけは、此処へ越してきた初日だった。
部屋に入り、荷物の整理をし、さてお隣さんへご挨拶をという時に、その隣から爆発する音が聞こえたのだ。
何事かと慌ててベランダへ出ると、隣から微かな煙が漏れ、焦げた匂いもしていた。耳を澄ますと「地球はどうも勝手が違うな」「今日もご飯はコンビニかー」という、切ない会話が聞こえてきたのだ。
隣人へのご挨拶は、昼食に食べる予定だったシャケの和風チャーハン(増量)と共に行われた。
この日以降、ごくたまにおかずのお裾分けをするようになり、それを通じ交流を深め――今では夕食のお裾分けが定番になった。食事を共にする事も増え、すっかり良き隣人である。
苦に思った事は、一度もない。むしろ、日々のヒーロー業務の疲れや、非常識トリオへの不満を、完全回復させてくれる清涼剤だ。彼らが居るおかげで、特殊戦闘部隊ピンクを続けていられると言っても良い。
というか、すごいね。私の作ったごはんが、美の化身達の口に入り、栄養となりその肉体の一部になるなんて……。え、よく考えたら、すごい奇跡。
「んん~ッ優しい味付け。ほくほくしてますわ」
「今日のは……に、にくじゃーが? 美味しいね!」
「本当に。とても美味しいです」
けっこうな量だったはずの肉じゃがは、ぱくぱくと口に運ばれていく。この速度は……お気に入りレベルと見た。
今も元気な田舎のおじいちゃん、おばあちゃん、色んな料理を教えてくれてありがとう。
「日本の料理が、お口に合って良かったです」
「優花ちゃんのお料理なら、何でも美味しく食べちゃうわ~」
「ありがたいですよ、本当に」
「いいえ、こちらこそ食費を出していただいてしまっているから」
夕食を作る事が多いため、気にした彼らが折半してくれるようになったのだ。むしろ優花の方が感謝している。
「いーえ! まだ足りないくらいだわ。なんなら全額払ったって良いくらいだもの」
「もう、それは駄目ですよ! それじゃ私が気にしちゃいますから」
「真面目ねえ、お姉さんそれくらいしてあげるのに」
ちょっぴり唇を尖らせるイレイヤへ、優花は小さく微笑む。
「こうして皆さんとご飯を食べられて、美味しいって喜んでもらえて……あの、私の方こそ、とても嬉しいんです」
改めて言うと、少し気恥ずかしい。はにかみで誤魔化したが、正面と両隣のユリウス達は急に顔を伏せた。
「くっそ可愛い……」
「良い子過ぎてしんど……」
「まじで姉ちゃんになって欲しい……」
何かボソボソと呟いているが、大丈夫だろうか。
賑やかな夕食の後、優花は流し台の前に立った。いつものように食器を洗おうとすると、後ろからイレイヤの声が掛かる。
「優花ちゃん、エプロン着けて。これ、新しく買ったのよ」
「あ、ありがとうございます……でもイレイヤさん、エプロンはまだあったような……」
「良いじゃない、エプロンを日替わりにしたって」
「お洋服じゃないんですから」
優花は苦笑いを浮かべつつ、素直にイレイヤに着せられた。
だが……。
「……あの、イレイヤさん、これ」
「ほら、やっぱりよく似合う! 可愛いと思ったのよね~」
ヒラヒラのレースがふんだんにあしらわれた、白いエプロン。
いかにも可愛らしいそのデザインに、優花の表情はヒクリと強張る。
「イレイヤさん、これはちょっとヒラヒラ過ぎて、似合わないです」
「何言ってるの、似合うわよ! 私の見立ては間違いじゃなかったわ!」
「や、止めてー! 撮らないでー! ちょっと、ノアくん、後ろでこっそり撮らない! ねえ、さっきから連写してるの誰?!」
結局、撮られまくった上に、ヒラヒラのエプロンは脱げなかった。
隣人達の美しさと押しの強さに勝てず、諦めて洗い物を始めた。きっと一哉が居れば、似合わないと指を差し爆笑するのだろう。今回ばかりは、それに同意する。
洗剤を洗い流し、隣の食器置き場へ置こうと腕を伸ばす。すると、それをさっと白い手が受け取った。布巾を片手にし微笑む、ユリウスのものだった。
「似合いますよ、レースのエプロン」
「ううッあまり見ないで下さい……恥ずかしいので……」
美の化身達の眼を、汚しているようにしか思えないのだから。
羞恥心のあまり優花の顔は真っ赤に茹だるが、ユリウスは楽しそうに口元を緩めている。
「あんなに楽しそうな姉上とノアは、久しぶりに見ました。許してやって下さい」
「お、怒ってはないんですけど……でも、恥ずかしいので、今回限りですからね!」
「それは残念だ。今回とは言わず、何度も見たいのですが」
分かっている。ユリウスも面白がっているのだ、分かっている。けれど、そうやって愉快そうに微笑む両目を見てしまうと、もう一度くらいと思ってしまうのだから、恐ろしい。
「――いつもありがとうございます、優花さん」
洗い物が終わるという時、ユリウスはそう呟いた。
「イレイヤも、ノアも、そう思っていますよ。本当に」
「もう、良いんですよ。私がしたいんですから。それに、嬉しいですし」
一哉はせびるだけせびって何も言わない上に、そのくせ「女子力つうか母親みてー」と言う始末だ。断じてあんぽんレッドの母親ではない。
「ユリウスさん達は、いつも美味しいっていって食べてくれるし、絶対に余らないから、とても気持ちがいいです」
「……優花さんの身近には、そのような人間がいるんですか」
形の良い唇から、微かな怒気が滲む言葉が落ちた。
「愚かだな。どれほど素晴らしく、ありがたい事なのか理解していないとは」
凄みを帯びた、低い声。穏やかなユリウスもそのような声を出せるのかと、優花は一瞬驚く。その視線に気付いたのか、ユリウスは音もなく「あ」と漏らし、口を噤んだ。
「失礼しました、つい」
「ふふ、良いんですよ。美味しいって言ってくれる人がここにいますから。でも……あいつも、それくらい言ってくれたらとは思いますけどね」
ぴくりと、ユリウスの広い肩が揺れた。
「あいつ、というのは……もしかして男、ですか」
「幼馴染みのようなものですね。小さい頃から一緒でした」
あんぽんレッドこと、赤羽一哉。幼い頃から何かと縁があったとはいえ、ここまで来ると単なる幼馴染みとも言えない。腐れ縁だ。
ただ、憎たらしさを抱く反面、あの物怖じのしない強靱な精神と、人を引っ張り上げる謎の強さには、少しだけ尊敬する。小さじ一杯ほどの、尊敬だが。
「けど、そいつのおかげで、回り巡ってユリウスさん達と会えた。そこは、感謝していますよ」
◆◇◆
食器の片付けなども終わり、優花は隣の部屋へ戻る事にした。空になった鍋と保存容器を持ち、玄関で靴を履くと、帰り際にユリウスから小さな包みを渡された。
「わあ、良い匂い……お菓子ですか?」
「ええ。優花さんが、お好きかと思って。何が良いのか分からなかったのですが、良かったら食べて下さい」
正面で、ユリウスは気恥ずかしそうに笑みを浮かべている。優花はそれを、大切に両手で包み込んだ。
「ありがとうございます、嬉しいです。帰ったらさっそく、いただきます」
一礼し、すぐ隣の自宅へ戻った。早速リボンを解いてみると、包みの中に入っていたのは、焼き菓子のマドレーヌだった。バターの香りがする、ごくありふれたものだったが、普段の十倍ほどは美味しく感じた。
「明日から、またがんばろ」
焼き菓子の甘い余韻と、幸福感が、優花を満たす。明日の夕飯は何が良いだろうかと考えながら、優花の夜は温かく過ぎていった。
ヴィランとその幹部三体と戦う、戦闘部隊ピンク――そんな秘密を抱えた優花は、現在、恋をしていた。
自分などではあまりにも恐れ多い、叶う事はないと最初から知っている、心優しい隣人のユリウスに。