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この世界に転生なんてものがあるわけないだろ  作者: 伊勢祐里
第1章 この世界に転生なんてものはない
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帰宅

 不思議なもので、三年間、使っていないはずの自宅の帰路を、人はちゃんと覚えているものらしい。


 二人が訪ねて来た翌日、病院で再度検査を受けた暁人(あきと)は、市内の病院から真っ直ぐにうちの近くまでたどり着いた。



 交通費は、母が昨日のうちに預けていたらしく、帰り際に担当の看護師の人が手渡してくれた。こういう時は、車で迎えに来るものだと思うが、自分がそんなことを言える身分でないことは暁人がよく分かっていた。


 そもそも、父は恐らく働いているし、母は免許を持っていない。車で迎えに来ること自体が無理なことなのだ。



 久々に感じる暑いという感覚に汗を垂らしながら、セミの声が煩い路地を進んでいく。

 てっぺんにまで登り切った太陽を、視界に入れれば、瞳は久しぶりの強い陽射しを強く拒絶してうるうると潤みだした。




 家の門に手をかけた。熱を孕んだアルミ製の門は、まだ建設時の綺麗さを残している。

 中学に入ってすぐの頃、市営団地からこの家へと引っ越してきた。


 ふと、目をやった狭い駐車場の奥に、萎んだサッカーボールが転がっている。車止めの奥にある、黄色いプラスチック製の大きなカゴからこぼれ落ちたらしい。



 萎んだサッカーボールを、暁人は手に取る。放り投げるように、カゴの中へとしまった。ぽふ、と間抜けな音を立てながら、弾むことなくボールはカゴの中に入った。


 ボールの隙間から懐かしいものが見える。グロ―ブ、なわとび、外遊びには似つかわしくないコマのおもちゃ、懐かしい物がそこには詰まっていた。



 手に取ったグローブを手にハメてみる。


 随分と小さく、暁人の手には入らない。弟のやつだ、と暁人はつぶやく。


 いつだったか、市営団地の近くの公園でキャッチボールをして遊んだ。お互いに運動神経がなく、ちぐはぐな投げ方のせいでとことん走り走らされた。



 カゴの中のグローブの全部が、小学生用の小さなものだけだった。

 この他にも、自分が拒んだもの痕跡が一体どれだけ残っていることだろうか。

 家の中には、あの日から止まったものがたくさんあるに違いない。


 汗ばんだTシャツが、背中にびっしりとひっつく。こみ上げる思いが、その背中を震わせた。



「なにしてんだよ」



 いきなり掛かった声に、暁人は慌ててグローブをカゴの中へ放り投げて振り返る。ガシャンと大きな音を立て、背後でカゴが引っくり返った。



 金属のバットがガランと音を響かせる。錆びて使われなくなった工具が、暁人の足元に散らばった。プラスチック製のコマが弱々しく回転しながら、広がっていく。軽いテニスのボールが、コロコロと玄関の方へと転がっていった。



 暁人はテニスボールを目で追う。黄緑色のボールは、赤いスニーカーにぶつかり止まった。その足を見上げると、学ランに姿の賢人(けんと)がこちらを見ていた。



「なぁ、こんなところでなにしてるんだよ?」


 くっきりとした双眸が、暁人を見つめる。大きな喉仏が、ゴクリとしたに下がった。



 トイレに行く時など、家の中ですれ違ったことはあった。それでも、三年という時間は、人を大きく変えていく。

 暁人よりも三つ下のはずの賢人の背は、すでに暁人より高く。幼かった顔つきは、青年へと変化していた。



 暁人と違い凛々しい顔立ちの彼は、こちらをじっと睨みつけながら、苛立ちを抑え込んでいるようだった。



「今、病院から帰ってきて」


「んなこと聞いてねぇの。クソっ。」


 賢人は、足元のテニスボールを蹴り飛ばす。軽々しい音を立てて、黄緑色のボールは駐車場を跳ね回った。



「ごめん」



 弾んだテニスボールが、暁人の足元の方に向かう。思わず避けようと、片足を下げた。メーカーのマークの剥げた古いランニングシューズが、コンクリートに擦れてシャっと音を立てる。



 肩を震わせながら、暁人は賢人から目を反らした。



「階段から落ちたんだって?」


「う、うん」 


「チッ、これ以上、おふくろとオヤジに迷惑かけんじゃねぇよ」


「ご、ごめんな」



 チラリと見た賢人の目は冷たかった。気に食わないのだろう。賢人の言葉は、まるで意図的に尖らせ、暁人にぶつけたみたいだった。


 受験勉強で忙しい。一階から聞こえてきた家族の会話によれば、賢人は塾に通って高校の入試対策をしているらしい。聞こえてきた高校の名前を検索したところ、かなりの難関校のようだった。




「賢人……」



「なんだよ」



「その、勉強がんばれよ」



「あんたに言われなくたってやるさ」



 吐き捨てるように、賢人は目を反らした。玄関の扉が、強く開けられる。無理に脱いだ靴の音が外にまで聞こえてきた。バタバタと階段を上がる音は、激しく耳に響く。



 暁人は、少しだけ時間を置いてから玄関の扉を開いた。

 ちょうど、母が脱衣所から洗濯物カゴを持って出てくるところだった。



「ただいま」


「おかえり。大丈夫だったの?」


「うん。問題ないだって」


「そう」


 母と二回目が合った。一度目は、心配そうな色をしていて。二回目は、すぐに二階の方を見上げた。不機嫌だった賢人のことが気になったのかもしれない。反らされたその目の冷たさが、自分が犯してきた罪の重さを物語る。母にあんな顔をさせたかったわけじゃない。それでも、どうしようもなかったんだ。そんな言い訳を、玄関先で何度も心の中に唱える。



 次第にどうしようも無くなって、靴を脱ぎ階段を上がる。部屋から出てきた賢人とふいに目があった。


 チッ。


 廊下に、乾いた舌打ちの音が響く。

 全身の力が抜けていく。


 自室の部屋のノブが異様に重たく感じた。また、ここに戻るのか? そんな自問自答がノブに掛けた手の動きを鈍らせる。


 脳内に、先程の母の目と賢人の舌打ちの音が繰り返される。



 溢れ出た涙が扉を開かせた。


 入ってくる暁人を拒むように、ムッとした空気が部屋中に充満している。息を止めて、部屋の中へと駆け込む。蒸し暑いベッドの上に無理に寝転がると、全身が異様に痛んだ。



 枕に顔を、押し付け声を殺す。何度もやってきた。辛く苦しい時は、こうして時間をやり過ごすしかない。

 声にならない声が、流れ出る涙に変わり、やがて楽にしてくれる。


 日付が変わる頃には、涙は枯れている。暁人は、経験上そう思った。

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