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この世界に転生なんてものがあるわけないだろ  作者: 伊勢祐里
第1章 この世界に転生なんてものはない
2/16

病室にて

「大丈夫か?」


 暁人(あきと)が目を覚ますと、知らない青年が丸い形の椅子に座っていた。都内の有名な進学校の制服。凛々しい顔立ちは、イケメンとまでは言わないが、それなりに異性から好かれそうな顔立ちをしている。規律が厳しそうな制服を、バレない程度に崩している。こんな洒落た男子は、暁人の記憶にない。



 一体だれなのだろうか、と暁人は起き上がろうとする。だが、腰のあたりが強く痛んだ。うっ、とうねり声を上げると、脳髄までそれは響くような気がした。



「大人しくしてないとダメよ。あんた頭ぶつけたんだから」



 男の隣には、女子が座っていた。紙パックのジュースをすすりながら、こちらを見つめている。その双眸は、わずかに心配そうな色あいをしていた。



 彼女は、男と同じ学校の制服を着ていた。肩ほどで切りそろえられた艶のある髪は、ほんの少しだけ茶色がかっている。髪をかけた片側の耳に、銀色のイヤリングが覗いていた。はっきりとした顔立ちは、それほど化粧をしているわけでもないのに、随分と華やかなに見えた。それと、声に聞き覚えがある。



 暁人は、必死に中学の頃を思い出そうとするが名前まで出来てこない。むしろ、できれば思い出したくない記憶がフラッシュバックする。脳内に蘇る、鮮明なイメージをかき消すように、暁人は首を軽く振った。



「だから、大人しくなさいって」



 誰か分からぬ女子にいなされるまま、暁人は首を止める。窓の外には、沈もうとしている夕陽が、鎌ヶ谷の市内の街並みを朱色に染めていた。さっきまで朝だったのだから、随分と気を失っていたんだ、と気づく。




 そうだ、階段から落ちたんだ。




 暁人はようやく、状況を飲み込み出した。


 周りを見渡すと、病院のベッドの上だった。頭部には包帯が巻かれ、念のためか腕には脈拍を計る機械が着けられていた。



 ピンピン、と耳につく音を立てながら、電子の線が暁人の心拍数に合わせる。適度に保たれた空調は、窓の外で陽炎が揺れる暑そうな空気を嘘のようにしていた。



 どうやら、現実世界のようだ。階段から落ちたついでに、異世界にでも転生できれば、どれほど幸せだっただろうか。



 暁人は、ぼんやりと黄色いカーテンを見つめながらそんなことを考えた。




「さっきまで、暁人のお母さんもいたんだけど、家のこともあるからって」




 言いづらそうに青年は言った。恐らく、母の態度がそっけなかったのかも知れない。引き篭もったままの息子が、このまま目を覚まさなければ。そう思っていたことだろう。



 微妙な空気を察してか、女子の方が咳払いをした。それに驚いたのか、男子の方はビクリと肩を揺らし、その場で椅子に座り直した。



「まあ、家のこととか忙しんでしょ」



 派手な見た目の彼女は、思いの外、上品な体制で椅子に座っていた。育ちがいいのかもしれない。丁寧に折られた細い足は、小さな彼女の体躯のわりに随分と長く見えた。



「あのさ、聞きづらいんだけど、」


 頭を打った後遺症なのかもしれない。考えるよりも先に、暁人は口が動いていた。


「お二人方は、どちらさまでしょうか?」


 失礼のないようにできるだけ丁寧な言い方になったのは、病み上がりにしては上出来だったな、と暁人は安堵する。ただ、病み上がり以前に、人と話すのが、どれくらいぶりなのか忘れてしまっていた。



「嘘だろ‥‥」


「仕方ないよ。ジュンは、随分変わったし」




 ジュン。



 そう聞いて、暁人はひとり顔を思い浮かべた。だが、暁人が知るジュンと目の前にいるジュンという人物は、似ても似つかない。



 中学の時代、もっとも親しくしていたのが、芝谷準(しばたにじゅん)だった。たわいもない話をして、互いの家に行ってはゲームで遊び、アニメの話をして、アイドルはだれが好きだのと話をした。  



 ジュンは、メガネを掛けた小柄なやつで、大人しく髪も刈り上げていたはずだ。



 目の前にいる人物は、背も大きくメガネもしていない。




「本当にジュンか?」


「そうだよ」


 まるで、異世界に来たみたいだな、と思った。見覚えのない男が、仲の良かった友人だと語る。


 声は、声変わり。身長は成長期だとしても。暁人は、じっと準だと名乗る男の顔を見つめた。急に見つめられて気まづいのか、男は視線を外す。


「だァよ」


 照れを隠すように指の腹で頬を擦った。わずかに緩んだ表情に、ほんの少しだけ面影を感じる。



「本当に、ジュンなのか」



「だから、そう言ってんだろ」



 自分がどれだけ部屋に閉じこもっていたのか痛感した。窓に薄っすらと映る自分の姿もどことなく変わり果てていた。伸びた髪は、だらしなくしなり、視界をわずかに奪っていた。



「俺が分からないなら、こっちも誰か分かってないよな」



 ジュンは、隣の女子を親指で示した。


 はぁ、とため息をつきながら、彼女は背筋をシャンと伸ばした。



牧野友美(まきのともみ)。覚えてない? 中学の三年間、一応はクラスが同じだったけど」



 暁人は、言われてハッと思い出した。


 三年生の時、クラスの委員長をやっていた子だ。見た目は、それなりに派手で性格もサバサバとしていたが、成績は良かった記憶がある。



 暁人が不登校になった時、彼女とジュンだけが何度か説得に家まで来ていたことを母から聞かされていた。



「そうか、牧野か。ごめん。忘れてた」


 素直に謝ったためか、二人は怒ることもなく無邪気に笑みを浮かべた。何が可笑しかったのは、暁人は分からず困惑する。



「まぁ、三年間も会ってなきゃ分かんないのも仕方ないでしょ。それより、体は大丈夫? どこかまだ痛むなら先生呼ぶけど」


「大丈夫」



「そっか」



 友美は、ハッとした表情で、丸椅子の足元に置いていたカバンから紙パックのジュースを取り出した。オレンジ100%と書かれたみずみずしいデザインで、見たこともないメーカーのものだった。



「はい。どうぞ」

「ありがとう」


 暁人は、ゆっくりと起き上がり、友美からジュースを受け取った。枕をクッション代わりに、腰を収める。生ぬるくなった紙パックは、いつ買ったものだろう。それほどの時間、彼らはここで暁人を目覚めるのを待っていたのだろうか。



「暁人、このジュース好きだっただろう」


「え、初めてみるけど」


「マジか。中学の購買にあったのと、おんなじやつだろ?」



 ジュンは、確かめるように横に座る友美を一瞥するが、彼女ははっきりと首を横に振った。



「違うわよ。中学の時のやつ、そもそも100%じゃなかったし」


「そうだっけ?」



 どうしてか、暁人は泣きそうになった。久しぶりに人と話すことが、これほど胸をえぐるものだとは想像していなかった。

 変わってしまったといえ、彼らから悪意は感じられない。むしろ、あの時だって、どちらかというと味方に近かったのかも知れない。そんな風に思うと二人を拒んだことが悔やまれた。



 無下に突き放してしまった三年前の自分をひどく後悔する。



 もしかして、二人が説得に来ていた時、顔を出していれば、なにか変わっていたかも知れない。今みたいに引き籠もっている自分じゃなかったかも知れない。



 零れ落ちそうになった涙を、指で拭う。バレないように反らした視線の先には、沈みきった夕陽が街の縁から漏れ出していた。



「そうそう、一日だけ様子みる為に入院してだって」


「入院?」


「問題なければ、明日には帰っていいって」


「そっか。分かった」 



 友美は派手なイヤリングを指でいじりながら、なにかまだ言いたげな表情をしていた。ひし形の銀色が、室内のLDEライトを鈍く反射している。きっと、校則には違反しているんだろうな、そう思うと暁人は、クスり、と声が漏れた。



「なによ」


「いや、そのイヤリング。校則違反だろうなって」


「なに? そうだけど、なにか問題でもあんの?」


「いや、そういうわけじゃないけど」


「学校では着けてないわよ。でも、先生に注意されないんだから、校外では着けててもいいでしょ?」



 いいわけではない気がしたが、問題がないならいい気もした。友美は、少し口を尖らせながら、そっぽを向いた。


 ジュンの方を見ると、どこか少し照れるように、指をもじもじと腿のあたりで遊ばせていた。



「まぁ、あんたがあんまり変わってなくて良かったわ」



 瞳だけがこちらをキョロっと見つめる。はっきりとしたまつ毛の隙間から覗く真っ黒な瞳が、細まった瞼と対象的に、とても素直でかわいらしいものに見えた。



「そうだな。目覚めた時、もっと抵抗されるかと思った」



 抵抗。なんとなく心の中で繰り返した言葉が、当時の自分を思い出させた。頑なに部屋の中に閉じこもり、外の声を遮断していた。


 きっと、何度も彼らは声をかけ、何度も手を差し伸べてくれていたのに。


 申し訳無さと傷まれなさに、視界がぼんやりと滲んでいく。



「最初。誰か分かんなかったから。もし、シュンと牧野だって分かっていたら、前みたいに拒んだかもしれない」



 滲んだ視界の向こうの二人は、どんな表情をしているのか。想像できる二人は、とてもいい顔だとは言えないものだった。

 暁人は、できるだけ言葉を慎重に選びながら続けた。 


「だけど、二人と話せてよかった。こうやって人とちゃんと話すのって、なん年ぶりなんだろうって。俺、あの時ひどかったと思う。何度もウチまで来てくれた二人を無視して、閉じこもって。二人はなにも悪くないのに」



 流れでた涙が、視界を明るくした。ジュンの表情はわずかに曇っていた。整えられた眉が、悲しそうに下がっている。なにかを言いたげに、わずかに震えた唇から小さな吐息が漏れ出ていた。



「そうか。ごめんな」


 ジュンがどうして謝るのか分からなかった。

 自分を救い出せなかった後悔なのか、友人が引き籠ったことが精神的な傷を与えてしまったのか。その言葉が、暁人の胸の奥をえぐるようにしてかき乱す。指の腹で瞼を拭うと、すでに一度乾いたところがヒリヒリと傷んだ。



 なにかを言いたそうなジュンの指は、力が入りピキリと音を立てる。その大きな手のひらは、華奢だったあの日のジュンからは想像も出来ないものだった。



「そう、」


 友美が見かねたように手を叩いた。乾いた音が、病室に響く。仕切りカーテンの奥には、別の患者がいるだろうから、きっと迷惑になったはず。それに気づいたのか、すぐに声のトーンが下がった。


「いきなりの家に行ったのはさ、山中に頼みごとがあったからなんだ」



 真っ直ぐにこちらを見つめているはずの瞳と視線が合わない。深い緑色のリボンが、不安げに揺れる。息を整えようとする呼吸で、小さな胸が膨らんだり萎んだりしていた。 



「頼みごとってなんだよ」


「頼みごとっていうほど、大袈裟なことじゃないんだけどさ。その、」



 言いづらいのか、友美の言葉が詰まる。艶味のある切りそろえられた爪にネイルはなく、彼女がもじもじと指の腹で撫でれば音もなく滑った。

 俯いたまま黙る友美の言葉に、ジュンが付け加える。



「同窓会を開きたいんだ」




「同窓会?」



「あぁ、そう同窓会だ」




 いつの? と、暁人は聞こうとしたが、二人の反応で大体の察しはついた。




「いや、俺なんかが行っても邪魔になるだけだろ」



「邪魔だなんてそんな」



 ぐっと、腹のあたりに力が入った。忘れていた痛みが、一気にこみ上げてくる。叫び出したいほど軋む体を無理やり押さえつけながら、太腿に乗った布団を強く握りしめた。



「俺なんかを誘わなくたって‥‥ どうせ、誰も覚えてなんかしないよ。みんなから冷たい目で見られるだけだ」



 景色から色が抜けていくようだった。ジュンは、反論できない様子で、唇を噛み締めてじっと暁人の方を見つめていた。



「そうだろ? 三年間も引き篭もってるやつが行ったって何も話すことないさ」



 まくしたてた自分の言葉に、二人の表情が次第に曇っていく。なんとなく、嫌な気持ちになった。もぞもぞとする胸の痛みのわけははっきりと分からない。






「なーちゃん、大原さんがね。どうしても同窓会をやりたいって言ってるの」





 大原。


 友美が言ったその名前を聞いて、景色がパッと華やいだ気がした。


 大原花菜(おおはらかな)は、いつもクラスの中心にいて、明るく素直でとても可愛らしい子だった。男子からも人気があり、クラスの半数は彼女のことが好きだったかもしれない。


 暁人も、そんな彼女を思っていた中のひとりだった。



「それでね、ひとりでも多く集まってくれたらなって。もちろん、みんな受験の時期で大変なのは分かっているだけど」




「俺は、受験もないし、行きやすいだろってか」



 彼女に悪意がないのは分かっていて、それはただの言葉の綾だ。そう思っているのに、口につく言葉は鋭く、必死に堪らえようとしているのに、喉の奥を切り裂いて溢れ出してくる。




「望まれてもない場所に行く怖さが分かるか? あん時みたいな目で、みんなから見られるんだ。誰も助けようとしてくれない。誰も分かってもくれない。この三年間、俺がどんな気持ちだったか。今さら、同窓会に来てくれなんて」



 脳裏には、クラス中が暁人を冷ややかな目で見つめていた光景が思い浮かんでいた。もう、セピア色になってもいいはずの記憶が、鮮明に瞳の奥のレンズにこびりついて離れない。



 どこにもぶつけられない痛みと怒りが、心拍数を大きく上げていく。ピピピっと、反響する機械音が、浮かんでいるあの日の記憶を無機質なものへと変えていく。


 なにに怒って、なにに悲しんでいるのか、自分でも分からなくなっていた。


 指の付け根が、力んだせいか痛い。いつの間にか、閉じていた瞼を上げると、ガタンと大きな音が鳴った。



「なんでそんなこと言うんだよ」



 言葉尻を強めたジュンが、椅子から立ちがあった。ジュンの太腿に弾かれた椅子が、背後の仕切りカーテンを大きく揺らす。



「ジュン、あんた何やってんの」


「すまん」



「病院でしょ? 大人しくして」


「悪い‥‥」



 白いワイシャツの裾を掴まれ、ジュンはカーテンの方に飛んだ椅子を引き座り直す。





「そんなこと言うな、暁人‥‥ 」



 どこか懐かしい双眸が、暁人を映し込んだ。その透明な黒に映る自分の姿は、なんとも惨めで悲しくなる。



「ごめん。俺も取り乱して」



「いや、いいんだ。俺も悪かった。ちゃんと、暁人の気持ちを考えるべきだった」



 切なげに下がった眉が、ピクピクと動いていた。膝に腕をついたまま、両手で握り込んだ拳を解くと、ジュンは小さく息を吐く。




「また、家に行ってもいいか?」



 弱々しい声が、病室に響く。遠くで誰かが咳き込む声が聞こえた。



「ダメなわけじゃない」



「そうか。ありがとう」




 短く切られた髪を、右手で掻きながらジュンは立ちあがる。つられるように、友美も立ち上がった。



 ジュンの背は、随分と伸びていた。カーテンの敷居ギリギリに頭がある。友美が小柄だったせいかもしれないが、やはり暁人の記憶にある彼とは、まるで別の人のように思えた。



 大人のように立派な背が黄色いカーテンの向こうに消えていく。最後に、言わなくてはいけない。暁人はそう思った。




「なぁ、ジュン、牧野、」




 暁人に呼び止められて二人は立ち止まる。友美は、くるりと踵を返した。短いスカートが、ふわりと軽く翻る。 



「助けてくれてありがとうな」


「どういたしまして」



 友美は、最後にニコっと微笑んだ。

 ジュンは、振り返らなかったが、小さく一度頷いた。 

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