打上花火
敷かれたシートとシートの隙間に、足の踏み場を探りながら暁人は進んでいく。
何度も人が行き来したであろう部分は、足跡かどうかもわからなくなるほど深くえぐられていた。
「ありがとう」
ジュンたちのところまで戻ると、礼を言いながら友美が両手を差し出した。
暁人は、両手に抱えた勘ジュースを屈んで差し出す。
「ジュンは何がいい?」
冷たい缶に触れて、ヒャッと友美が声をだす。ジュンは、少し迷いながら暁人の腕の中からコーラを引き抜いた。
「大原は、どれにする?」
先に戻って座っていた花菜の方に、暁人は腕を向けた。
トイレから戻り際、ジュンからスマートフォンにメッセージが入った。『飲み物を買って来てくれないか?』 四人分なら持てないこともなく、花菜を付き合わせるのも悪いと思い花菜には先に戻ってもらっていた。
「花菜は、炭酸飲めないからね」
「そうなのか。それなら、オレンジジュースでいいか?」
暁人は、左手で三本の缶を抱えこむと、右手でオレンジジュースの缶を花菜に手渡した。
「ありがとう」
ひんやりとした缶は、びっしょりと汗を掻き、花菜の手のひらを濡らした。冷たかったのか、少し気持ちよさそうに手首に当ててから花菜はプルタブに手を掛けた。
細い指に力が入った。プルタブを引く白い肌が赤く染まる。
ぱかっ。音が弾けた。
細い缶を口へと運ぶ。上を向いたまま、ごくりと花菜の喉が沈んだ。
「私は、スポーツドリンクがいいな」
友美が、ひゅっと暁人から缶を奪い取る。缶にびっしりと付着した雫が弾け落ち、暁人の服を濡らした。
「冷たっ」
「ごめん、掛かっちゃった?」
腹のあたりに、大きなシミができる。水だから汚れにはならないが、ほんの少しだけ冷たかった。
「大丈夫、大丈夫。ちょっとビックリしただけ」
暁人はそう言うと、つま先で踵を踏み、靴を脱いだ。ジュンの隣に移動していた友美の代わりに、花菜の隣へと腰掛ける。
「ごめんね。一人で買いに行ってもらって」
「いいよ、全然」
花菜の手の中にある缶ジュースの飲み口に、薄っすらと赤い口紅がついていた。
「このジュース好きなんだ」
そう言って、花菜は指の腹で汚れている部分を拭った。白い指に、桃色の線が引かれる。
「そうか。買って良かった」
自分の腕にグッと力が入ったのが分かった。狭いシートの上で、今にも花菜に触れてしまいそうなほど接近している。
花菜の顔を見ると、うるっとした目で夜空を眺めていた。
暁人は、顔を伏せる。三角に立てた膝に手をかけて、視界の中心に来た缶ジュースを見つめる。
ポタポタと落ちる雫が、ブルーシートの上に溜まった。キラキラと、真っ青をかき消すように照明が反射する。
「もうすぐかな?」
花菜の声に、暁人は顔を上げた。そわそわした様子で、腕時計を見つめている。
時刻は、もうすぐ八時になろうとしていた。打ち上げを待ちわびる観客たちが、ざわざわとざわめき出す。
終始、広告の動画を流していたバックスクリーンのモニターが消えた。
「楽しみだね」
言葉とは裏腹に、花菜の視線が少し下った。暁人から反らされた色気を帯びた瞳が、ゆらゆらと何かを映しながら揺れた。
花菜はどんな気持ちなのだろう。先程までドキドキと胸を弾ませていたはずの暁人の思考は、一転して冷静に目の前の少女を見つめた。
こんな楽しいイベントに、やはり自分なんかと来るのは嫌だったのだろうか。同窓会に呼ぶためにわざわざ出向いてくれているのかもしれない。
そんな考えが、暁人の中に浮かぶ。自分だけ浮かれていたことが、恥ずかしい気もしてきた。
彼女を誘う男なんてたくさんいるに違いない。彼女は、選び放題のはず。それなのに、どうして彼女はこうしてここにいるんだろう。
悲しげな顔を浮かべてまで、この場にいる花菜の真意は、考えれば考えるほど分からないものとなっていった。
『間もなく、鎌ヶ谷の花火。スタートです』
場内にアナウンスが流れた。パラパラとした拍手が、次第にまとまりのあるものへと変わっていく。
わずかに照明が落ちる。糸を張ったように、会場が静かになっていく。
バックスクリーンのモニターに、プロモーションビデオが流れ出した。
鎌ヶ谷市内の景色。川、公園、緑地、池、学校。近所の幼稚園の子どもたちだろうか。カラフルな帽子を被ったちびっ子が、泣き笑い、泥んこになって夏を楽しんでいる。
悲しげな夏の風鈴をイメージさせる音楽と共に、それらの写真が次々と移り変わっていった。
やがて、鎌ヶ谷市内の夕暮の写真が大きく映し出された。ヘリかドローンを使ったものなのか、上空からの綺麗な景色だった。
ゆっくりと、夕暮の色が夜闇に染まっていく。ポツポツと街に明かりが灯りだす。やがて、夜の帳が降りた街に、綺麗な一番星が灯った。
スクリーンが消える。
気がつくとすっかり照明は落ちていた。辺りは暗く、シーンとした緊張感が張り詰めている。
夏のじんわりと空気が、濡れたグランドから湧き出してきて蒸し暑い。暁人は、手に持ったぬるくなったジュースを、口元へと運ぶ。
ふと、隣にいる花菜が暁人の視界に入った。
固唾を呑んだまま、消えたスクリーン越しの夜空をじっと見つめていた。
頬を伝った汗を、拭うこともなく真剣な表情を崩さない。彼女の手に握られた空になった缶がパキりと音を立てる。
暁人は、思わず花菜の方に視線を向けた。
ドドン。その瞬間、大きな音が場内に響いた。カラフルな色を反射した花菜の表情が、同じタイミングでパッと開く。
肉付きの薄い花菜の頬が、グッと持ち上がり笑みを浮かべた。瞳には、黄色と赤の花びらが映り込む。
蒸し暑い空気をかき混ぜるような火薬の匂いが、暁人の鼻を強くさした。
わー、と膨れ上がるような歓声が場内を包み込んだ。
「始まったよ!」
楽しげな声を出し、花菜がこちらに目を向けた。華やかな表情は、少し興奮気味に暁人に同意を求めている。歓声にかき消されそうだった、彼女の言葉を暁人は懸命に聞き取った。
「う、うん」
暁人の返答に満足したのか、花菜は楽しそうな表情を変えることなく、花火が打ち上がる夜空の方に視線を戻した。
「綺麗、」
視界の端で、友美がジュンの肩にもたれ掛かっているのが見えた。トロリとした表情をして、幸せそうにしている。ジュンは、暁人がそばにいるせいか恥ずかしそうに軽く頷いていた。
暁人は、気恥ずかしい気持ちを感じながら夜空に目を向ける。すっかりと煙だらけになった真っ黒なキャンバスに、綺麗な火の花が咲き乱れていた。
煙がプリズムのような作用を働かせる。四方に散った光が、幻想的な彩りを加えて、花火の趣を際立たせている気がした。
赤、緑、黄色。蒸し暑い夏の夜空に、様々な形の花火が打ち上げられていく。
なんと言う名前の花火なんだろうか。きっと一つ一つに名前があるはずだが、花火のことに暁人は明るくない。
ただ、咲いては煙に消えていく花火を見ながら、暁人は数年ぶりの夏をその肌に感じていた。
GW中は、少し更新の感覚が開くかもしれません‥‥




