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妖艶

 球場の中は、すでに多くの奥の人でごった返していた。内野にシートを敷き、それぞれが場所を確保している。バックネット裏のスタンドにも、多くの人が打ち上げの時を今か今かと待っていた。



「ジュン、シート持って来たよね?」



 友美に言われて、ジュンがちらりと暁人の方に目をやる。グッ、と差し出された焼きそばの容器を暁人は受けった。焼きそばと反対の手に持ったかき氷が、崩れてしまわないか心配になる。


 肩から下げたトートバックから、ジュンはワシャワシャと音を立ててシートを取り出した。


 何の変哲もないブルーのシートを、ジュンはさっと広げる。



「もっとカワイイのなかったの?」


「仕方ないだろ。四人で座ろうと思ったらそれなりに大きさ必要だし」



 それもそうだ、と友美も納得した様子でサンダルのベルトのボタンをパチリと外す。白い肌に張り付いていた革製のベルトは、その肌をわずか赤らめてた。


 シートは、三塁ベース横のファールゾーンの隅に広げられた。その辺りはまだ、それほど人が多くない。シートの大きさは、四人で座るには少し狭かった。


 暁人は、靴を脱がずにシートの端を抑えるように座る。



「サンキュ」


 その隣に、同じような形でジュンが座った。出された手に、暁人は焼きそばの容器を手渡す。


 ほんのりとした温もりが手の中に残る。じっとりとかいた汗を、暁人はズボンで拭った。



 サンダルをシートの隅に置き、友美がシートの奥の方へと腰掛ける。ジュンの肩にそっと手をやり「焼きそば頂戴」と口を大きく開いた。



「しゃーねーな」


 そう言って、ジュンは腰を回すと、箸で焼きそばをつまみ上げ友美の口の中へと運んだ。


「おいしー」


 ご満悦な表情で、友美は口を抑える。真っ赤な唇の端に、青のりがひっついた。



「友美、青のりがついちゃってるよ」



 真っ青なかき氷を手に持った花菜が、半襟になっている自身の水色の手ぬぐいを取ろうとした。



「いいよ。ハンカチ持ってるから」



 友美が、慌てて花菜を静止する。


 苦笑いを浮かべながら、花菜が草履を履いたまま腰を下ろした。



「ハンカチは、巾着の中にあるんだけど、手が塞がって取れなかったから」


「わざわざ、それ取らなくてもいいでしょ」


 呆れた声を出しながら、友美は持っていたハンカチで口元を拭う。

 花菜からかき氷を受け取ると、刺さっていた先の広がったストローで山を崩した。



「それなら青のりを付けなくてもいいでしょ?」


「付けたくて、付けたんじゃありません」



 拗ねてみせたように、そっぽを向きながら青く染まった氷を口へと運ぶ。

 それを見ながら、花菜はクスリと頬を緩めて草履を脱いだ。


 暁人は、花菜の真っ白な足袋がグラウンドの土で汚れないか心配になる。雨は上がったとはいえ、まだ土はしっかりと水気を残していた。

 そこら中に広げられたシートとシートの隙間には、人が往来した足跡がくっきりと刻まれていた。


 そんなことを考えながら、暁人は真っ赤に染まったかき氷を口の中に運ぶ。何口もいっぺんに食べたせいか、頭がキーンと痛んだ。



「あぁ、イチゴが良かったな」



 羨ましそうに花菜が、こちらのかき氷を見つめる。暁人は、痛む頭に顔をしかめていた。



「一口貰えばいいじゃない」



 友美が、ブルーハワイに刺さった二本目のストローを花菜の方に差し出した。



「貰っていい?」



 草履を脱いでいた花菜が、かき氷に刺さっていたストローを抜き取り、グッと腰を回した。ブルーシートに皺が寄る。伸ばされた腕が、真っ直ぐに暁人の方へと向かってきた。



 垂れる袖を押さえながら、花菜の体が伸びる。項の向こうに広がる華奢な背中に、暁人は吸い込まれそうになる。

 かき氷を、花菜の方へと傾けた。花菜の指先から伸びるストローが、真っ赤な氷に、ザクリと刺さった。



 氷の掬い上げた衝撃で、真っ赤な氷山が崩れる。バサッと青いシートの上の一部が真っ赤に染まった。



「ごめんなさい」



 ストローを頬張りながら、花菜が言った。


「あー、」


 横に座っていたジュンが、慌ててカバンから大きなタオルを取り出した。RIKUJYOと書かれた白いタオルが、赤く染まっていく。


「気をつけろよ」


 そう言いながら、丁寧にタオルを折りたたむ。汚れた部分をうまく隠すのは、彼が几帳面な正確だからかもしれない。



「暁人くん、ごめんね」


「いいよ、いいよ。たくさん溢れたわけじゃないし。浴衣が汚れなくて良かった」



 申し訳なさそうにしつつ、花菜はブルーハワイへとストローを伸ばす。口に含んだ青い色の氷が、彼女の舌の色を変えていった。




 暁人は、空を見上げた。



 暮れかけていると思っていた空が、真っ暗に染まっている。四方から射す大きな照明が、雲のない空から星を奪う。

 匂いも音も肌に感じる暑さも、そこには夏が漂っている。懐かしく感じる感覚を、暁人はヒシヒシと噛み締めた。


 バックスクリーンの時計は、十九時四十分を指していた。大きなビジョンには、この大会を支援している球団と地元の団体のPR動画が繰り返し流れている。



「あーやっぱり、なーちゃんの浴衣かわいいな」



 三角座りをした友美が、膝の上に腕を重ね、それを枕代わりに頬を乗せながら言った。



「牧野も着れば良かったじゃん」



 腕に乗った頬が膨れる。ギロっと細くなった瞼の隙間を縫うように、湿度を含んだ光が反射する。

 こちらを睨むおっかない瞳から、暁人はスッと視線を反らした。


「忙しくて買いに行く時間なかったの」


「去年のでも良かったんじゃねーの?」


 ジュンが、りんご飴に巻かれた透明な包装を解く。ベッタリとビニールにひっついた飴は、わずかに溶け出していた。


「分かってないわね。女心が」


「去年のも可愛かったけどな」


 ジュンの褒め言葉に、ポッと友美の頬が赤くなる。照れを隠すようにそっぽを向き、カップに残ったかき氷のシロップをストローですすった。


「もうすぐよね?」



 花菜が腕を翻し、小さな時計を確認する。

 友美は、スクリ―ンの時計を確認すると、うん、とひとつ頷く。



「ちょっとお手洗い行ってくるね」



 手に持っていたストローを、ひょいと友美のカップに入れた。ついでに捨てて来るね、とカップを奪い取ると、花菜は立ち上がる。



「大丈夫?」



 友美が、少し心配そうに花菜を見つめた。ざわめきの間の至極わずかなこの場に、一瞬の静けさが訪れる。


「ちょっと、飲み過ぎちゃったから」


 かき氷に加え、ここに来るまでの間にラムネも引っ掛けた。暁人もなんとなく尿意に駆られる。


 友美が立ち上がろうとする前に、暁人は腰を浮かせた。



「それじゃ、俺も着いていくよ。ついでにジュンと俺のゴミも捨ててくる」



 ジュンから焼きそばの空箱を受け取る。立ち上がった足元は、ぐっちょりと泥濘んでいた。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ざわめきが遠くに聞こえる。暁人と花菜は、球場の外に設置された仮設トイレの方に向かっていた。


「キャっ」


 花菜が少し足を滑らせる。泥濘んだ土を踏んだ草履が、アスファルトの上で彼女の足元を掬う。



「大丈夫?」


「うん。ありがとう」



 カタカタと鳴る音が心地よい。ゆらゆらと揺れる小さな花菜の頭を、暁人は歩きながらぼんやりと見つめる。



「わざわざ、ついてきてくれてありがとう」 


「ほら、俺もトイレしたかっただけだから」



 後ろを歩く暁人の方に顔を向けるため、花菜は踵を返した。花菜は、そのまま数歩進んでいく。両手で巾着を持ち、ほんの少し肩を屈めている。半襟に出来たわずかな隙間から、彼女の鎖骨が少しだけ垣間見えた。



「急がないと花火始まっちゃうかな?」


「どうだろう? まだ少し時間があると思うけど?」


 花菜の瞳が、イタズラに微笑む。暁人がスマートフォンの時計に目を落としたすきに、彼女はスッと前を向く。



「暁人くん、ここの花火来たことある?」


「ううん。だって、中三の時じゃない? この花火大会できたの?」


「そうか、中三の時だったよね」



 まずいと思ったのか、花菜の小さな歩幅がさらに小さくなる。

 暁人は、取り繕うように聞き返した。



「大原は来たことあるの?」


「うん。一度だけね」



 切なげな声が、背中越しに聞こえる。行き交うまばらな人波が、小さな花菜の声を簡単に奪い去っていく。



 誰と?



 それは聞けなかった。喉元まで来た言葉を、暁人は口に残った甘いイチゴの味と一緒に飲み込んだ。



「ジュンと牧野は、去年も来てんのかな?」


「そうみたい。去年は、友美が浴衣着てね。写真みせて貰ったけど、とっても可愛かったんだよ」



 ジュンは正直だ。ジュンが友美に言った言葉のように、今、花菜にそんなことを言えばいいのか。


 街頭の灯りがぼんやりと照らす緑の帯は、彼女の細い体をしっかりと締め付けている。その帯を解けば、どれほど美しいものだろうか。脳内に広がる猥りがわしい感情を、暁人は必死に抑え込んだ。


 そんな暁人を弄ぶように、夏のじっとりとした空気が、彼女の妖艶な魅力を引き立てる。

 首元にかいた汗が、浴衣と背中の隙間に流れ落ちた。真綿のような白い首筋に、細い線が煌めく。

 カタカタとコンクリートを叩く草履の音が、鼓膜を揺さぶり意識を遠い場所へと連れて行こうとする。


 尾籠な考えを取り払うように、暁人は軽く首を横に振った。

 目元にまで掛かった汗を含んだ髪が、目尻を何度か叩く。チリチリと痛んだ薄い皮膚を、暁人は指で擦った。



「それならやっぱり、牧野も着れば良かったのにな」


「そうだね、」


 言葉尻が途切れて、花菜がチラリと顔だけをこちらに向けた。


 鳴っていた草履のリズムが狂う。



「友美の浴衣、見たかった?」



 すべてを見透かしたような流し目が、暁人を見つける。熱を帯びた頬が、ほんのりと火照り、暁人から思考を奪い去っていく。



 ――大原の浴衣が見たかった。



 喉元まで来ていた言葉が、口に出たかもしれない。そう思った瞬間、暁人は我に帰る。見つめたアーモンドの形を縁った瞳に、カラフルで綺麗な花が咲いた。


 ドドン、と淀んだ空気を割くように、地響き連れた音が響く。


 ほんのりと火薬の匂いが、鼻をついた。暁人が振り返ると、星のない夜空に低く煙が漂っていた。


「試し打ちかな?」


 後続の花火は上がらない。時計を見ると、まだ八時にはなっていなかった。花菜の言う通り、試し打ちなのかもしれない。




「それで?」


 花菜の声に暁人は振り返る。



「友美の浴衣見たかったの?」



 口端を緩めたイタズラな表情が、わずかに上にある暁人の顔を見上げる。


 さっきの言葉を噛み殺して、暁人は返した。



「まぁ、ジュンが可愛いって言ってたし、見たくないわけじゃないよ」


「素直でよろしい」



 クスクスと、どこか寂しげな笑みを花菜は浮かべた。

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