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祭り囃子

 シートベルトをグッと伸ばした。おしりのあたりにあるパックルを左手で掴み、右手に持った金具を突き刺す。

 暁人の左隣りに、ジュン、友美の順番で座っている。花菜は助手席に座り、バックミラー越しにこちらを一瞥した。


「シートベルト締めたね?」


 大丈夫だよ、友美が隣の二人の様子を確認して声を出した。


「すいません、僕らまで乗せて貰って」


 ジュンは、その立派な体躯をグッと前に持ち出すと、運転席の方に顔を覗かせる。


「いいのよ。娘を送るついでだから。また帰り連絡してくれたら迎えに行きますからね」


 柔らかな物腰の人だった。長い髪は、決して明るくない茶色に染まっている。恐らく、四十代のはずだが、暁人にそうは思えない。


 バックミラーに映ったニッコリと微笑んだ表情は、どことなく花菜に似ていた。


 車がゆっくりと前進する。

 東の空を見れば、すっかりと夜が訪れていた。



「花火って何時からだ?」


「八時から一時間」


「ふーん。じゃ、まだ一時間以上あるのか」



 隣で何気ない会話が繰り広げられる。暁人は、ぼんやりと助手席に座る花菜の横顔を見つめていた。


 車の進行方向をじっと見つめている花菜のその表情は、この角度からはよく見えない。対向車線のヘッドライトが、まばゆく彼女を照らした。右折車線に進入していた車は、ウインカーの音を立てて止まる。



 項にゆっくりと視線が動く。髪の生え際では、細い産毛がふんわりと薄い茶色に光らせていた。



 シグナルが変わり、車が動き出す。ウインカーの音は止み、静かなエンジン音が体を揺らした。暁人が窓の外に目をやると、赤いテールランプが、駅前の方まで連なっていた。


 ジメッとした空気が、アスファルトから上昇していく。その様子を、あまりに仰々しく赤いランプが演出するものだから、暁人はじっと見入ってしまった。



 冷たい空調が、汗ばんだ体を冷やす。隣にいるジュンの体温を腿のあたりに感じながら、暁人はバレないように居直した。



 薄暗くなった車内は、なんとなく夏の切なさを運んでいる気がする。


 静かな車内の空気を、暁人は肺に目一杯吸い込んだ。嗅ぎ慣れない車の匂いは、ほんのりと青春と初恋の匂いがした気がした。




◇◆◇◆◇◆◇



 車は、花火大会が行われる野球場の近くの路傍に止まった。


 すでに、窓の外にはお祭りに向かう人の群れが出てきていた。縁石だけが仕切る細い歩道を、二列ほどになってゆっくりと進んでいる。


「これ以上、人が多くて近くまではいけないわね。悪いけど、このあたりでいいかしら?」


 花菜の母がこちらを振り返りながら、申し訳なさそうに言った。


「いえ、わざわざありがとうございます」


 友美は、そう言うと車のドアに手をかける。


「それじゃ、花菜のことよろしくね。なにかあったらすぐに連絡してね」


 そう言われて、友美の動きが一瞬にぶる。街頭の灯りが、黒い車窓から差し込み彼女の頬に影を落とす。自分が重々しい空気を放っていることに気づいたのか、友美はグッと顔を上げニコっと笑みを作った。


「たぶん、帰りは九時半くらいです。花火が終わってもちょっと話混んじゃうかも」


 花菜の母の視線が、友美から反らされた。その視線は花菜に移る。彼女はじっと、暮れきった空を見つめたまま、澄んだ表情を浮かべていた。


 ふっと、花菜の母から息が漏れる。右手がほんの少し、娘の方へと伸びようとした。その手が瞬時に止まる。行き場を失った手は、ほんの少し宙をさまよいハンドルへと戻っていった。


「人も多いから気をつけてね」


 視線は、再びこちらに向いた。優しい笑みを浮かべた目尻に、くっきりと皺が寄る。それでも、暁人には彼女が老けているようには見えなかった。


「花菜、行くよ」


 友美が、助手席の花菜に声をかける。ぼーっとしていたのか、驚いたように肩をビクリと震わせた。


「寝てた?」


「寝てないよ」


 恥ずかしそうに、花菜は声をわずかに荒げる。その耳が朱色に染まっているのが、暁人の席からよく見えた。


「それじゃ、お母さん行ってくるね」


 ひらひらと浴衣の袖が揺れる。手を振った娘に、母は優しく微笑んだ。


「友美ちゃんからはぐれちゃだめよ」


 子どもじゃないだから、と花菜は頬を膨らませる。


 親子のやり取りにほっこりしたのか、友美がクスクスと声を漏らした。


「はやくいこうぜ」


 ジュンは、早く祭りの空気を吸いたいようで友美を急かす。


「そんなにお祭り好きだった?」


 友美のやじに、ジュンは胸を張る。


「こういうベタなシチュエーションは、ラブコメの定番みたいでテンションあがるだろ」


「バッカじゃないの」


 なんとなく、ジュンと友美の関係性が深く分かった気がして、暁人は微笑ましく思った。


 友美がドアを開く。ジメッとした空気が、車内に一気に流れ込んできた。それと一緒に、遠い祭り囃子が聞こえてくる。


 古い民家の奥に森が見える。ここが都会から少し離れた場所であることを、暁人はなんとなく再確認した。道路を挟んで向こう側の人混みは、その反対方向の方へと歩みを進めていた。


「暑いな」


 ジュンが顔をしかめながら、いかにも暑そうに額を拭う。友美は、花菜が車から降りるのを手伝っていた。


「大丈夫か?」


 それに気づいたジュンが、さっと友美と花菜の背中に手を添える。友人の紳士な行動に、暁人は見習うべきだな、と関心した。


「向こうに渡らないとな」


 去っていく花菜の母の車に手を振って、ジュンが言った。


 ひっきりなしに車はやってくる。真っ直ぐな道を見渡しても、周辺に横断歩道はない。


 暁人は、民家の方を振り返った。畑に青いネットが掛かっている。錆びれたシャベルに、手押し車、梨のキャラクターの描かれた幟が風になびいている。


「向こう側につけてもえば良かったね」


 手に持った赤い巾着袋の中身を確認し終えた花菜が、対面の人混みを羨ましそうに見つめた。


 遠くからアナウンスが聞こえる。周囲の木々に吸い込まれたその音を、聞き取ることは困難だった。


 割れたバケツに、水が溜まっている。淀んだ雨水は、どんよりと茶色く染まっていた。その上を群がるトビケラに、暁人は顔をしかめた。


「渡れそうじゃない?」


 ふいに車が途切れる。友美が、ジュンの肩をぽんと叩いた。それを合図にジュンが声を上げる。


「渡っちまおう」


 急いで車道を横切る。草履を履いた花菜は、あまり激しく動けないようで、それに気づいた暁人がそばにつく。


 ヘッドライトが伸びてきた。長く伸びるハイライトが、寄り添う二人の影を車道に作る。暁人が、対向車線に目をやると真っ暗な車道が続いていた。


 減速した車が、二人のすぐ後ろを通り過ぎる。カツカツと、花菜の草履がアスファルトを鳴らした。次の車は、まだ来ていないらしい。


 無事に渡り切ると、人混みの中へと割り込む。チラホラといる浴衣姿の女性の中で、花菜が一番華やかな気がした。



「偉いじゃないエスコートして」



 友美の言葉に、暁人は無言で返す。言ったことに満足したのか、友美はこれといって反応しなかった。


「さぁ、いこうぜ。花火始まる前に、少し腹ごしらえしたい」


 ぐぅ、と暁人の腹が鳴った。夏の噪音に、その音はかき消される。そばにいる花菜は、嬉しそうに人波へと混じっていく。

 それに、遅れないように三人も歩き出した。



 花火大会は、鎌ヶ谷市内の野球場で行われる。球場のスコアボードの頭上の空に、約二千万発の花火が打ち上げられ、毎年一万人近い観客がその光景を目にするために訪れる。


 その野球場は普段、プロ野球チームの二軍の練習施設になっている。千葉県をホームグランドにしているプロチームではなく、なぜか北海道を本拠地としているチームの二軍施設だ。


 そのせいか、チラホラと肩のあたりに青色のラインが入った白いユニフォームを着ている人がいた。


 球場の入り口には、祭りを盛り上げるべく奮闘しているマスコットキャラがいた。ここの球団のマスコットキャラのはずだが、暁人は名前を知らない。



「かわいいね」


「そう?」



 花菜の呟きに、友美が首をかしげる。熊をモチーフにしたそのマスコットは、確かにカワイイよりもかっこいいの方がしっくりときた。


 遠巻きに、小さな子どもの相手をするマスコットを見つつ、広場の方へと足を進める。普段、行く手を遮っているであろう緑色の門は、全開に開かれていた。


「たこ焼き食べようぜ」


 すぐそばにあった屋台をジュンが指差す。球場の外苑には、他にも金魚すくい、焼きそば、かき氷など、多くの屋台が軒を連ねていた。


「なーちゃんも食べる?」


「うん」


「半分個しようか」


 友美が、ショルダーバックから財布を取り出す。それを見て、花菜が慌てて巾着を開いた。


「いいよ。私が出すから」


「ううん。そんなのわるいよ」


 そういって、花菜はピンク色のがま口を取り出した。その反動で、巾着の中から小さなポーチが飛び出す。

 ガチャン、とアスファルトに弾けた。


 あー。花菜は、どこか他人ごとのように呟きながら腰を屈めようとした。


 ほら。それを遮るように、暁人はそう言ってポーチを拾い上げる。ポーチを掴んだ腕を、グッと花菜の方へと伸ばそうとした。


 視界に、提灯の赤に照らされた白い浴衣が目に入る。視線を持ち上げると、わずかに屈んだ花菜の顔が近い距離にあった。


「ありがとう」


 花菜の口端が緩んだ。赤い紅が、ぷるんと弾ける。ほんわりと香る甘い匂いが、暁人の鼻の奥を刺激した。


「うん」


 花菜の細い手が、暁人の指先に触れた。暁人の手からポーチが奪い取られる。抜けていくなめらかな布の感触が、心地よく肌を伝う。


 すっと、花菜は踵を返した。友美の方を向くと、そっと肩を揺らした。



「それじゃ。あとで私が、かき氷買うね」


「オッケー。ブルーハワイにしようかな。メロンにしようかな」


「私は、イチゴがいいんだけど?」


「ベタだね。なーちゃんは」


「ブルーハワイの方がベタなんじゃない?」



 暁人は、自分の指をこすり合わせる。花菜に触れた指先が、ポッと熱く火照っている気がした。


「暁人は、たこ焼き食わないのか?」


 屋台の方にいたジュンから声がかかる。


「食べるよ」


 暁人は、顔を上げるとそう返した。

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